新しい解釈
昼過ぎから合奏をして、夕方に部活は終了した。他の部員が帰っていくのを見届けると、直樹は錬三郎と公彦と一緒に第二音楽室に残った。DVDプレイヤーの電源を入れ、リモコンで音量を上げる。ディスプレイには、帝国フィルハーモニーオーケストラが演奏する姿が映し出される。
「やっぱいいなあ」
直樹はうっとりしてつぶやいた。
「それで何するの、これから」
錬三郎が机に頬杖をついて聞いた。
「先生にストーリーできたら教えろって言われたじゃん。だから、俺はこれからストーリーをつくりたいと思う」
「はーん」
直樹が説明すると、公彦が軽い調子で答えた。
「俺、思うんだけど、『展覧会の絵』って、何かそっけないと思うんだよね」
「…組曲を全部、演らないから?」
錬三郎が少し考えながら聞いた。
「そう。本当ならもっといろんな曲があるじゃん。『古城』とか、『卵の殻をつけた雛鳥のバレエ』とか。でも、俺らがやるのは『プロムナード』と『ビドロ』と『バーバ・ヤーガ』と『キエフの大門』だけでしょ。コンクールの制限時間内におさまるように編曲してるっぽいから、しょうがないんだろうけど」
「そうだね」
公彦が腰に手を当てて首を縦に振る。
「そうなると、これを展覧会って考えるには、なんか違う気がする。絵が四つしか飾ってないのに展示して人呼ぶのって、何か変じゃん」
「うーん。言われてみれば、そうかもね」
錬三郎が頷く。
「この四曲で、全部なんだー、完成してんだー、ってなる、別のものに考える方がいいんじゃないかって思う」
「まあ、それもそうだね」
公彦が今度は腕組みして言った。
「それで、俺は聞いて思ったこと、今から喋るからさ。頭のいい二人に、まとめて欲しいんだよ。で、それを先生に見せたいんだ」
「うーん。まあ、よく分からんが、できなくはないだろうし、いいだろう。そうだね、錬三郎」
「面白そうじゃん。俺が紙に書き出すよ」
錬三郎は乗り気だ。カバンからノートと筆記用具を取り出し、机に広げた。
「じゃあ、ちょっとずつ止めながら再生するよ」
直樹がリモコンをディスプレイに向けると、ビデオが再生された。画面の中で、講師の楠がトランペットを構える。「プロムナード」のイントロ部分、トランペットのソロが流れ出した。
「うん…。うん…。あ、ごめん、ちょっともう一回今のとこ、聴く」
直樹は巻き戻して再び再生する。
「うん。よし、そうだな。分かってきた。分かってきたぞ俺は。これはね、戦士たちが勲章を胸につけ、これから飛空挺に乗って魔界へ戦いに行くところなんだ」
直樹が正義感に満ちた真剣な顔で語り出した。
「魔界?」
公彦が怪訝そうに聞いた。
「うん。魔族達が人間界にやってきた。黒魔法を使う、悪い奴らだ。で、実はこの曲が始まる前に、すでに人間達を魔界に連れ去ってしまっていたんだ。その仲間を取り戻すために、勇敢な若い戦士達が集まって出発するんだ。その船出を祝ってのファンファーレなんだよ、これは」
「魔族というのは悪魔みたいなやつだよね?」
錬三郎が冷静な声で聞いた。
「うん。そういう感じだ」
直樹も冷静に返した。
「…すまん。僕には絵と絵の間を渡り歩いている時の心境そのまんまとしか思えない。それがプロムナード、ってことなんだし」
公彦が表情のない声で突っ込むが、直樹も錬三郎もスルーした。錬三郎は黙って直樹の発言を書き留めていく。
「もうじき魔族と人間がぶつかる。剣とか槍とか、弓とか、そういう、すごい武器をいっぱい持ってく。危ないから行くなって老人とか奥さんとかに止められるけど、それを振り払うんだ、隊長が。で、その隊長が剣を空に向かってこう、かざす」
直樹は剣を天に掲げているポーズをして説明する。錬三郎はその姿を急いで紙面に描く。
「立ち上がれ勇敢な戦士たち、とか言って、隊員がオー! って言う。俺たちの助けを待ってるぞ、救い出すぞー、って言って、またオー! ってなって、飛空挺に乗り込む」
直樹の言葉はだんだん熱っぽくなってきた。錬三郎は手を止めて質問する。
「さっきから言ってる、飛空挺っていうのは何なの?」
「かなりゲームの世界っていうか、ファンタジーなやつだ、空飛ぶ船みたいなもん」
公彦が笑いをかみ殺して、直樹節を説明する。直樹は一層目をらんらんと輝かせて続ける。
「そうそう。空飛ぶ船だ。それでね、魔界までの道のりは険しい。乱気流とか、そういうのがすごいあって、すごいやばいんだ。帰ってこられる保証もない。だからこそみんなでしっかり飛空挺につかまって、振り落とされないようにするんだ。すごい嵐が来て、それでも全速前進だ。で、ここら辺から木管の、テンション低めで綺麗な旋律始まるところ、これは残された者たちの気持ちを表してる。手を振って頑張れーって言ってるけど、笑顔だけど、でも、悲しいんだ。戦士が、生きて帰ってこれないかもしれないから。特に、隊長のフィアンセは号泣だ」
堪えきれなくなった公彦が吹き出した。錬三郎も肩を振るわせながら、懸命に書き取っている。
「え? ちょっと、二人とも真面目に聞いてよ。ほら、ここの、ホルンがホーンホーン言ってるところ、あるだろ。これは雨だ。大雨なんだ。で、このメロディー、トランペットが戦士達の声なんだ。行くぞ行くぞ、近づいてきたぞ魔界の入り口へ、って言ってるんだ。ブーンブーン言ってる金管の低音が飛空挺のエンジン音なんだ。分かるでしょ」
直樹が一時停止ボタンを押して力強く言った。公彦は色々と言いたいことを飲み込んで、「そうか」とだけ言う。
「そうだ。こんなふうに大きな歩幅で歩く。胸を張って、前を向け。あの太陽の輝きを全身で浴びろ。という感じで、プロムナードが終わる。次、ビドロだな」
胸を張って第二音楽室の舞台を行進してみせた直樹は、再生ボタンを押して、画面を食い入るように見る。
「ここのチューバのソロ、うちの場合だとトロンボーンの梅ちゃんが代わりに吹いてるとこ。これは悲しみを歌う男の捕虜だ。50歳くらいの。戦ってる十代、二十代の若者じゃない。戦ってもおっさんだし、あんまり強くないから魔族に捕まっちゃったんだ。で、今は奴隷になった。鎖に繋がれ、要塞を作るための土木工事を強いられる」
直樹が一時停止ボタンを押して、気の毒そうに説明した。
「なるほど、梅ちゃんは50歳のおっさんで、土木作業員なのだね」
公彦が調子を合わせて、合いの手を打つ。
「そうだ。休憩時間はないし、時給ももらえないし、休むと魔族にムチで叩かれるんだ。毎日苦しんでる。ホルンとかがリアクションする。そうよ、私も苦しいわ、っていう、70くらいの婆さん達だ」
「恵里菜が70歳の婆さんってことか」
だんだんと笑わないでリアクションできるようになった公彦が、真面目に聞いた。直樹は再び再生ボタンを押して語り出す。
「そう。それでね、苦しいよなって、おっさんが婆さん達に答える。苦しくて今にも命が尽き果てそうだ、って。テーラーーーラールーラー、っていうアルトサックスがうなだれてるところ、これは小学生くらいの男子の声なんだ。家族を助けたいけど非戦闘員で、力もまだ弱くて、希望が持てない。お母さんと離れちゃって、でも弟や妹みたいに大泣きできないですごい堪えてるんだよ。長男だから」
「アルトの錬三郎。君は小学生男子、そうだな、五年生くらいが妥当だろう。わかったな」
公彦が命令調で言うと、「了解」と錬三郎が含み笑いして言った。直樹はここで一旦、一時停止ボタンを押した。
「この、後ろの方でバスクラが「ダーラーダーラー、って吹いてるところは弱火のイメージ。弱火だけどすごく残酷な、地獄の炎なんだよ。じわじわゆっくり、奴隷を焼いていく音。先に、体力のない老人から殺されていく」
「なるほどね。バスクラの大輝は処刑人なんだね」
公彦が合いの手を打った。
「50のおっさんは言う。うう、仲間が一人、また一人命を落としていく。悲しい、悲しいって」直樹が者悲しげに言いながら、再生ボタンを押す。「こっからの、フルートとクラがチャーラーラーラーって出てくるところは、もう自分の赤ん坊が先に死んじゃって、どうにもならないで泣いてる女の人のイメージだ。そう、僕と鶴岡さんと健治が30歳くらいの母親同士なんだ。子どもを亡くしてみんなですごい泣いている」
「君らはママ友というわけなんだな」
またしても笑いのツボを刺激された公彦が、声を痙攣させながら確認した。
「そうだとも。後ろで響いてる金管は、そのママ達に共感して泣いてる、近所の人たちだ」
直樹は芝居がかった仕草で補足する。
「さっきの70の婆さんとか小五の男子だな」
公彦は咳払いしながら聞いた。いつの間にか錬三郎は、机に突っ伏して震えている。
「そう。トランペットは25歳くらいの女の人だ。これも婚約者と引き離された人だ。普段は明るく活発な」
「僕は普段は明るく活発な、25歳の女の人なのだね」
公彦が無表情で、女性の声真似をして聞いた。直樹は真面目に頷くが、錬三郎は震えがさらに大きくなった。
「そう。で、このあたりから始まるティンパニのドンドンドンドンっていう怖い音は、反抗的な人間に向かって魔族が怒って、斧とか鎌とか持って、大股で迫ってくるところなんだ。ザーッていうスネアのロール、これは、魔族がくる、逃げられないよっていう、みんなの恐怖心だ。で、ここのメロディーのユニゾン。『もう刃向かったものは絶体絶命だ』っていうのを表している。ここでたった一人、刃向かったのは、さっきの50のおっさんだ。体だけ丈夫だからまだしぶとく生きてて、悲しみを歌う。バスクラがすごい意地悪で冷酷で、おっさんに向かってどうにもならないんだぞって訴える。諦めろ、もうそれは無駄だって」
「ふーむ。なるほどね」
公彦は笑いを通り越して、ちょっと感動しつつあった。直樹の盛大な一人芝居を、無課金で見せてもらってるような気さえした。錬三郎も机から起き上がって、頷きつつ、ペンを進める。額には赤い跡がうっすらついていた。曲は「バーバ・ヤーガ」へ移る。
「さあ、こっからバーバ・ヤーガ。あー、来た。ついに来た。入り口だ。ここの金管低音パートんところ。すごい黒魔法が宿る場所、魔界への入り口を見つけたところだ。奮い立っているんだ」
直樹が一時停止ボタンを押して解説する。完全に実況アナウンサー化して、言葉に熱を込めた。
「ほら、ここのティンパニのダン、ダン、ダン、ダンってぶっ叩いてるところ。もう待ったなし。逃げられない。引き返せない。魔界の入り口をくぐって、さあ開戦だ!って号令かけてるとこだ。そんで、ここのフルートとクラの高音で、ティラッティラッティラッティラって音階下がってくところ、あるでしょ。パラシュート部隊が魔族の要塞に空から近づいているところだよ。後ろで小さい音からロールでグアーってきて、ドゴーンってやるバスドラ。バスドラの伊久馬が大砲を打ったんだ」
再生ボタンを押して、直樹は勇ましく説明を続ける。もうここまでくると、二人とも何も口をはさまない。
「犠牲はあっても打つ。チャンチャンチャンチャン、チャッチャッチャーンってペットがパラシュート部隊で、魔族にかっこよく攻め込む。パオーンパオーンっていうホルンのこれ、魔族が火を吹いて反撃してくるところだ。木管が悲鳴を上げながら逃げ惑う捕虜達で、バスクラは味方の戦士だ。木管部隊に加勢。力をつけて。人間も反撃。反撃。反撃の嵐」
直樹は興奮して両手を広げたり、ジャンプして床を踏み鳴らしたりした。公彦はそれを見てくしゃみして、鼻をかんだ。錬三郎は直樹のアクションに合わせて、頭を振ることにした。
「きた。敵側の飛空挺だ。地上を爆撃する悪魔の船だ。人間界まで来たぞ。火炎放射だ。火の海だ。苦しい。もう助からない。いや、でもまた大砲を構えて。特大の砲弾がほら、飛んでいく。飛んでいく。飛んでいくぞおー」
直樹は部屋の廊下側から窓際に向かって駆け出した。そして大きくジャンプした。四曲目の「キエフの大門」に切り替わる。
「ダーン! 要塞ぶっ壊した! ここで人間側の勝利。ティンパニの祝砲だ。バスドラも合わせる。トランペットが、パーンパーン、って、帰ってきたぞって伝える。ホルンのホーンホーン、は戦士達の帰りを喜ぶ声。捕虜だった仲間も、戦士達も。祝杯だ。一気に平和が訪れた。悲願達成」
直樹はまた一時停止ボタンを押して、公彦に向かって真剣に語りかける。公彦は無言で繰り返し首を盾に振る。それから再生ボタンを押して、フィナーレ部分を語る。
「これからも平和が続くよう、国を守っていこう、みんなで力を合わせて、って円陣を組む。戦士の家族達はお酒とかお料理とか運んできて、泣きながらお祝いする。みんなで平和への誓いを込めて、朝日を見る。それでサスペンドシンバルが鳴る」
演奏が終わると、直樹の実況も止まった。第二音楽室には、束の間の静けさが訪れた。
「…これで終わりなんだけど」
直樹が言うと、公彦と錬三郎が顔を一瞬見合わせた。直後に爆笑と拍手が湧き起きた。教室の戸口のところからも拍手が聞こえたので、三人は驚いてそちらを見た。いつの間にか雛形がスマートフォンを持って立ち、拍手をしている。
「白鳥君。私、なんか感動しちゃったよ」
雛形が、あまり抑揚のない声で直樹を褒めた。
「ですよね。直樹、本当にすげえ」
錬三郎が力強く拍手した。公彦はメガネを外して、目頭を押さえて笑っている。
「あ、ありがとう。どうかな、俺の考えたやつ」
急に恥ずかしくなって、直樹はこめかみの辺りをかきながら、蚊の鳴くような声で聞いた。
「控えめに言って、天才」
直樹の肩を叩きながら、錬三郎は涙をハンカチで拭き始めた。
「部長の天賦の才が、こんなところで開花してしまったとはね」
公彦は冷静に言えるよう努めたが、再び笑いが込み上げてくる。
「あ、ああ、おう、うん。俺、こういうのよく、姉ちゃんの前でやると、いつも褒めてもらえたから」
直樹は一生懸命に言い訳した。
「よし、あとは俺が家でまとめてくる」
錬三郎が言うと、雛形が遮る。
「いいえ、その必要はないでしょ。これをそのまま見せよう」
雛形が自分のスマートフォンを指さして言った。
翌日、雛形が第二音楽室にプロジェクターを持ってきた。スマートフォンとプロジェクタを接続して、画面を白いスクリーンに映せるように準備を整えた。琳太郎と部員達も集まったところで、動画を再生した。全員がスクリーンを注視する。動画の中では直樹が、ビデオの演奏に合わせて熱弁を振るっている。舞台役者のように芝居っぽく歩いてセリフを読み上げたり、急に走ったり飛んだり、叫んだりうめいたり、残忍に笑ってみせたり、悲痛な顔をしてみせたり、とにかく大忙しだ。部員達は開始5秒で爆笑した。直樹自身も困ったような顔をして、つられて笑った。琳太郎も雛形も、我慢できなくなって笑い出した。掲げたテーマは悲劇のはずなのに、直樹が演じるとちょっとした喜劇だ。
「私、50のおっさんの土木作業員なんだね」
梅子が平坦な声で突っ込んだ。
「俺なんか直樹のママ友だよう」
健治も困惑気味に言った。
「ちなみに俺は小五男子なんだよね」
錬三郎も加わった。
「直樹。お疲れ様。公彦も、錬三郎も、直樹語を翻訳してくれてありがとう。三人ともすごく良かったよ」
琳太郎はまだ笑いに引きずられて、涙を拭いながら言った。みんなは直樹に向かって拍手した。梅子を除いて。
「あの。いいですか。私は全然違う解釈をしました」
梅子が不機嫌そうに手を挙げた。琳太郎は面白そうに、話してみるよう促した。
「プロムナードですけど、ここは、好きになった人を振り向かせようって女の子が決意したシーンです。ビドロは、片思いがうまく行かなくて傷ついてるところです。バーバ・ヤーガは、ライバルが先に好きな人をうばおうとするので、それと戦ってるところです。キエフの大門で、ライバルに勝って、主人公の女の子は好きな男の子と一緒に学校から帰る、っていうところです」
梅子の説明が終わると、水を打ったような静けさが広がった。その沈黙を先に破ったのは雛形だった。
「女の子らしくて素敵。可愛い。本当にそういうふうに言われると、そう聞こえる。ドラマみたいね」
雛形は素直に感心して拍手した。女子部員達もつられて拍手をし始める。男子部員達はニヤニヤしたり吹き出したり、反応はまちまちだった。梅子は嬉しさと恥ずかしさと怒りがないまぜになって、奇妙な顔をしてみせた。
「うーん…。なるほどな…。みんな、いろんな解釈をしているんだな。ありがとう、梅子」
琳太郎は、じっくり考えながら、言葉を選び、真面目に言った。
「感性は人それぞれだ。音楽に対して捉え方が違うのは、それぞれ否定しないし、それは互いに尊重し合うところだ。一つの曲をつくりあげるのに、一人ではできない。十六人でできる。十六人が十六通りの考えがあり、それらをぶつけ合うだけでは成り立たない。すり合わせが必要だ。たとえば、直樹と梅子の捉え方は全然違うようでいて、共通点はある。始まりのプロムナードを『堂々とした姿で真っ向から立ち向かっていくシーン』っていう意味合いがあるところとか。ビドロを『苦しんでいるところ』って捉えてるところとか」
琳太郎が考察すると、全員がおとなしく頷く。直樹と梅子は互いに顔を見合わせる。梅子の方が「こんなやつと一緒にするな」と言わんばかりに歯をむき出してから、目を逸らした。
「みんなも、直樹と梅子とは違うイメージをしながら、ああ、そういうイメージもあるんだな、そういうストーリー展開もあるんだなって共感できる部分があったと思う。そういうのはすごく大事だ。何も考えずに演奏しないでほしい。いつもイメージを大きく膨らまして、骨太な音楽を創り上げていこう。じゃ、パート練に行ってくれ」
「はい」
部員達は元気に返事をすると、それぞれの練習場へ散っていった。
夕方になって、部活が終了した。生徒達が帰ってから、琳太郎と雛形はこれからの練習の仕方や日程について話し合っていた。
「まあ、こんな感じで詰めて、県大まで行きます。合宿は県大の直前なんで、集中してやれると思います」
琳太郎が内容を簡潔にまとめたPDFを雛形に渡した。県大の前には合宿することに決めており、雛形はその準備で忙しくしていた。
「了解です。明日からもよろしくお願いします」
雛形が立ち上がって帰ろうとすると、琳太郎が呼び止めた。
「それで雛形先生、俺の解釈も聞いてもらえます?」
「はい?」
狐につままれたような顔をして、雛形は聞き返した。
「プロムナード。ここはとある男が、とある女性に盗まれたハートを取りに決心する場面です。ビドロでは、男が眠れない夜を幾晩も越えていく描写をしています」
琳太郎は雛形をじっと見つめて、ロマンチックに語り出した。雛形は目を細め、口を真一文字に結ぶ。耳の穴をほじりながら、部屋を出ていこうとした。
「ちょっと待ってくださいよ。続きがあります。バーバ・ヤーガ、ここで男は悟ります。もう盗まれてしまった自分の心は返らないと。だからもう心は盗まれたまんまでいいから、女性自身を盗むことに決めます。これがなかなか大変で、悪戦苦闘します」
「大変ですねえ」
雛形はあくびしてみせた。
「そうです、大変です。でも成功しちゃうんです。そこからの、キエフの大門。分かりますね。男はめでたく、その女性を手に入れた、ハッピーエンドです」
琳太郎は勝負に勝ったように勢いよく言った。雛形はふーっとため息をつく。
「誘拐されたその女性にはかなりバッドエンドですよ、それ」
「誘拐じゃないですよ。二人は結ばれたんです」
琳太郎はドサグサに紛れて雛形の両手をとった。雛形は一瞬、心臓が飛び上がった。
「ほら、帰りましょう」
雛形は平静を装って、手を振り払って出口へ誘った。
「え、俺んちにですか?」
「バカ」
雛形が大股で歩いていくのを、琳太郎は一生懸命、後を追った。
つづく




