琳太郎の甥
翌日もその翌日も、直樹は部活の後に錬三郎と一緒に帰り、特訓に励んだ。一週間が過ぎた頃、再び竹田と椎名が来校した。早速、金管と木管、パーカッションに分かれて分奏に取り掛かる。
「練習の成果は出たんだろうな」
開口一番、竹田が直樹に向かってピシャリと言った。直樹は緊張して、「はい」と答えた。
「よろしい。じゃ、お前一人でこないだのやってみろ」
竹田が言うと、直樹は出だしの音だけチューニングした。それからおもむろに吹き始めた。
竹田はタクトも振らず、黙って聞いていた。当然、ほかの木管メンバーも静かに耳を傾けた。終わると直樹は楽器を下ろした。一瞬、沈黙が流れたと思うと、竹田が大きく拍手した。
「安定している。よくなったな」
竹田が大きな声でほめた。ほかのメンバーもつられて拍手し出した。
「練習で工夫したことはあるのか」
竹田が質問した。直樹は素直に答える。
「錬三郎に聞いてもらいました。俺が音程狂うと、高いとか低いとか言ってくれるんです」
「ほお」
竹田は錬三郎の方を見た。錬三郎はチラッと竹田を見て、軽く会釈した。
「お前は耳がいいのか」
「いえ、俺なんかまだ全然です」
錬三郎は謙遜して言った。
「椎名が言っていたが、金管にも耳がいいのがいる。ホルンの一年」
そう言われて、直樹はとっさに恵里菜を思い浮かべた。彼女は仮入部一日目から別格だった。あれだけ吹けるのは才能だろう。
「鵜森さんはパワフルだし、すごいですよね」
健治が言うと、竹田が首を横に振った。
「いや、パワフルな方じゃない。猫背の方だ」
「え?」
全員が疑問の声を発した。あのいけすかない、虫にしか興味のない嫌な一年坊主の顔を思い浮かべ、一斉に怪訝な顔になった。
竹田が木管メンバーを連れて、金管メンバーのところへやってきた。ちょうど椎名がキーボードを使って、いろいろな音を出していた。生徒達は背中を向けて、何の音だったかを当てていくという練習をしている。
最初の方こそそれなりに当てられるものの、皆、途中で分からなくなって間違える。ところがただ一人だけ、完璧に正確な音を言い当てられる者がいた。
「モスラ…」
響が驚いて史門を見ていた。史門は目をつぶったまま、淡々と正解を言い当てていく。
「ちょっと失礼するよ」
竹田が椎名に断ると、椎名は「どうぞどうぞ」と後方の席に座るよう促した。椎名は今度は、二つとか、三つの音を使って和音を弾いてみた。やはり、史門は完璧に言い当ててみせた。
「あの猫背はなかなかやるだろう」
竹田が言うと、木管メンバーは驚嘆の眼差しを向けて頷いた。
「僕でもあれは無理です」
錬三郎は史門に向かって拍手した。みんなもつられて拍手した。
「こういう生徒がいると、チューナー要らずで便利ですね」
椎名も拍手しながら史門は讃えた。褒められることに慣れていない史門は、下を向いて黙りこくっている。
「うん。おい、猫背」
竹田が呼んだが、史門は返事しない。
「猫背」
「僕は百舌野です」
「百舌野。お前は作曲家になるといいぞ」
竹田が提案するも、史門は無反応だった。
「百舌野。お前の才能を無駄にする気はない。部に貢献しろ。お前なら分かってるんだろう。人の演奏を聞いて、どこの音程がズレているか、どこを改善すればいいのか」
「はい」
史門は即答した。
「すげえ」
直樹は思わず呟いた。
「というわけだ。こうやって分奏するときはお前が的確にアドバイスするんだ」
「…」
史門は無言だ。
「彼自身の演奏技術は、周りがアドバイスする必要がありますけどね」
寡黙な恵里菜が珍しく意見したので、史門はびっくりして椅子から転げ落ちた。
「そうだね。鵜森さんが協力してやってね」
椎名が人差し指を立てて言うと、恵里菜は「はい」と返事した。そこへ、琳太郎がやってきた。
「ちょっと全体合奏したいんです。椎名さんと竹田さんにも見てもらえませんか」
「おお、琳太郎、いいところに来たな。猫背はお前の中学生版だな」
「え? ええ、そりゃまあ」
琳太郎がこめかみのあたりを掻きながら言うので、竹田は訝しげに聞く。
「そりゃまあって何だ」
「え? ああ、そのう…」
琳太郎が口ごもっていると、史門が半眼になりながら代わりに答えた。
「僕の叔父ですから」
史門が琳太郎の甥だと分かり、部内は騒然とした。
「似てなさすぎるね。似てなさすぎるね」
公彦が二回も言った。
「うん。何か間違ったんじゃない?」
錬三郎が愉快そうに言った。
「そうですね。叔父は一族の中でも変わってますから」
史門が冷たい声で言った。
「先生ってどんなだったの」
梅子が聞いた。
「どんなって…。変人です」
「待て。それはお前の方だ」
怜がぴしゃりと言った。梅子が横で首がもげそうなほど頷く。
「いつも突然いなくなって、突然帰ってくるんです。いつも思いつきだけで行動するから、周りがついていけないんです。だってそうでしょう、この部活だってそうじゃないですか」
史門が直樹の方を見て言った。
「え…。俺は別にそう思わないけど」
直樹はちょっと驚いて、素直な意見を言った。
「そのうち突然いなくなるかもしれません。飽きっぽいし、気が向かないと何にもしない。あの人はそういう人です。母が言ってました」
「君の母親は先生の姉さんなんだね?」
公彦が聞いた。
「そうです」
「よく、叔父さんが仕切ってる部活に入ったもんだね」
公彦がまた聞いた。
「入ろうと思って入ったわけじゃありません。健治先輩に言われたから仕方なく入ったんです」
史門がじっとりした目つきで健治の方を見て言った。健治はニヤリと笑いながら、ちょっと冷や汗をかいていた。
「部員が足りなくて、どうしようもなくて声かけたんでしょうけど、僕は嫌だったんですよ。叔父が仕切ってるクラブなんて」
史門はねちっこい声で言った。
「だったら辞めれば」
響が容赦なく言った。みんなが驚いて響の方を見た。
「あんたの耳が良いことなんか、大したことじゃない。あんたの叔父さんが琳太郎先生だってことも、別に全然大したことじゃない。人に言われたから嫌々入って、渋々活動されてる方が、よっぽど迷惑なんだけど。全国目指してる部なんだよ。分かってる?」
「本当にそうですね」
響がとうとうと言ってのけた後、恵里菜も同調した。史門は恵里菜の方を瞬間的に見た。ショックすぎて口もきけなくなってしまった。直樹は、響が言ってくれたことにちょっと感動していた。
「琳太郎先生は努力してるけど、あんたのそれは努力のうちに入るの? ホルンは恵里菜がいれば十分だもん。ぐちぐち文句言ってるだけの耳がいい人なんか要らないんだよ。辞めれば」
響はさらに言った。竹田は響の意見に大笑いした。
「確かに耳がいいだけで何もできないのはいただけない」
竹田が言うと、史門は顔を真っ赤にして黙り込む。ぐうの音も出ない様子だ。
「まあまあ」
琳太郎が焦って言った。
「こいつは昔からこういう奴なんだ。みんなごめんな! 俺が謝る!」
琳太郎が頭を下げた。隣でうつむいている史門の頭も引っ掴んで、一緒に謝らせた。
「私情を挟む気はない。余計なこと言ってやりにくくなると思ったから黙ってたんだ。すまん! ごめん!」
「先生は謝る必要ないですよ」響は冷静に言った。「要はこのボンクラが続けるか辞めるか、それによって編成も変わるし、ちゃんと意思決定して欲しいんです」
「クックック」
ボンクラ、と言った響に呼応するように恵里菜が笑い出した。涙まで流している。普段から言いたくて我慢していたのが、史門をのぞく全員が察した。
「ボンクラは言い過ぎだよ。根暗だとは思うけど」
直樹がまっすぐな意見を言うと、一同は爆笑した。




