中間テスト前
「そろそろ中間テストがありますね」
職員室の自席で、雛形が言った。琳太郎は書類から目を離して雛形を見た。
「そうっすね。部活も休みか」
「ええ。この一週間は少しでも机に向かわせないと。彼らの本分は、勉強ですし」
生真面目な雛形は、部員達がきちんと学習できているかが心配だった。
「なかなか勉強しそうにない連中ですけどね」
琳太郎が笑って言った。
「先生。あんまり無責任なこと言ってると、また副校長先生に怒られますよ。鳥飼先生は音楽科だし、私は家庭科ですから、今の時期は暇ですけど。五教科の先生達は殺気立ってますし。生徒達は勉強で忙しくしなくちゃいけないし」
雛形がぷりぷりして言った。
「大丈夫です。副校長先生になんか言われたら、もう雛形先生に怒られておいたから大丈夫って言っときます」
琳太郎は呑気な声で言い返した。
琳太郎の予想はあたり、テスト前でも練習に来ている吹部は何人かいた。特に部活動は禁止しないが、なるべく勉強するようにと各クラスの担任から通達されている。それでも来ていたのは直樹と公彦と怜である。
「公彦、テスト勉強しなくていいの?」
「僕はね。毎日コツコツやってきたからね。君達のように直前になって一夜漬けを強行する人種とは違うんだよね。全教科八十点オーバーは固いね」
公彦はメガネの鼻当て部分をクイっと押し上げながら、涼しげな声で言った。
「へーすごい。でも、錬三郎と鶴岡さんには学年順位で敵わないよね?」
直樹が悪気なく言うと、公彦は真っ赤になって睨んだ。
「俺なんかさあ、今回の数学は死ぬ。理科も。英語も無理そうだな」
直樹はマイペースな口調でフルートを持ったまま、両手をだらりと下げてうなだれた。それから、ちらりと怜の方を見た。怜はあの一件以来、毎日部活に来て、毎日真面目に練習に励んでいる。ものすごい集中力で、着々と基礎練習を積み重ねている。
「怜は家、帰らないの」
「…」
怜は直樹の問いかけには答えず、トロンボーンを構えた。黙って音出しの練習を繰り返す。梅子のメモに書いてあるメニューを一つ一つ、モノにしていくのが今の課題だ。
「ねえ」
直樹は構わず、怜に問いかけた。
「俺は勉強しねえ主義なんだよ」
怜は面倒くさそうに答えた。
「へえ。そんなんで高校どこ行くの?」
またしても悪気のない声で、直樹が尋ねた。
「…」
「直樹はお節介だね。怜のことなんかほっとけばいいんだよね。他人の進路なんかどうでもいいことだからね」
公彦が、無言になっている怜の代わりに答えた。怜はちょっと公彦を睨んでから、練習に戻る。
「俺、なんか嬉しいんだ。怜が一緒に頑張ってくれて。ありがとうな」
直樹が公彦を無視して、尚も言った。
「直樹。君はね、よくそういうクサいセリフを平気で言えるね」
公彦は赤面して、さらに直樹に言った。
「そうかな。大事なことだよ」直樹は公彦の方を初めて向いて言った。「怜が練習に来てくれて嬉しい。俺達はやれる。もう、そんな気しかしないよ」
直樹は頬を紅潮させて、フルートを構えた。今日もまた、唇の当てかたの練習を繰り返す。その吹きかたでロングトーンで何拍まで行けるかを試している。最初は八拍出すのがやっとだったのに、この一週間で、中音域なら十二拍までいけるようになった。五線譜には日々の記録をシャーペンで書き込んであり、連日の特訓の成果は如実に現れていた。みんなもそうだろう。ここへ来るたび、一日、一日と進歩している。どんどん高みに上っている。
「俺達はやれるんだ」
直樹は同じセリフを、力強く繰り返した。怜は一瞬吹くのをやめて直樹を見ると、再び練習に戻った。