部活は楽しいのが一番
第二音楽室のステージに椅子を半円状に並べ、琳太郎は吹部の部員達と向き合った。部員達は緊張した面持ちで、琳太郎の言葉に耳を傾けた。
「白鳥、目白、鴨井、千鳥川、烏川。みんなに会えて嬉しいよ。よろしくな。部活は楽しいか?」
琳太郎の問いかけに、一同は押し黙る。
「まあ、楽しいと言えば…、楽しいですけど」
直樹がもじもじして、歯切れ悪く答えた。
「もっと人数がいればいいとは思っていますね」
公彦が淀みない声で、礼儀正しく言った。
「まー、五人だしな」琳太郎は朗らかに言う。「それで、今後、この部をどうしたいって思う?」
再び沈黙が訪れる。部員達は、どう答えたらいいのか分からないようだ。
「質問の仕方を変えよう。何か、目標はあるか?」
琳太郎が、つとめて明るい調子で尋ねた。
「それは、」
直樹が言いかけたが、言葉に詰まってしまった。琳太郎は直樹の目を見て復唱する。
「それは?」
「ないです。目標とか、ないです」
梅子が直樹の代わりにきっぱり答えた。
「ない?」
琳太郎が梅子の瞳をじっと覗き込み、聞き返した。
「三年間楽しく過ごつ! いや、過ごす! それができればいいと思っていましゅ。います! 先生にも、私たちにも無理がないのがいいと思います」
梅子は琳太郎に見つめられることに耐えられない。懸命に動揺を隠しつつ、挑戦するような物言いで言った。
「楽しく、か」
「そうでさ! じゃなかった、そうです!」
「具体的に、どう活動するのが楽しいことになるのかな」
琳太郎は静かな声で尋ねた。
「それは…、吹奏楽コンクールには出ないけど、地区の発表会には出る。定期演奏会は、人が集まるなら、やりゅ。…やる。私は、それでいいと思います!」
梅子が勇気を振り絞って言った。決して部活を怠けたいと言っているわけではない。現実的に考えていきたい。それが伝わってほしい。梅子はそう願いを込めた。琳太郎は頷いて、直樹の方を見た。
「えっと…。俺はコンクールに…出てみたいです」
直樹がうわずった声で、後半は尻すぼみになりながらも言った。
「去年はどうだったんだ?」
琳太郎が穏やかな調子で尋ねた。
「去年の吹部は…、俺たち一年で、二年生はいなくって、三年生がいて。三年生は十七人いました。地区大会は銅賞で、県大会には出られませんでした」
直樹は無念そうに言った。
「三年生がそんなにいて、二年生は一人も入らなかったのか?」
琳太郎が不思議そうに聞いた。
「二年生、俺ら見たことないです。昔、うちの部には、怖いけど、すげーいい先生が居たんです。部員も、たくさんいたらしいです。そんで、うちの部、すげー強かったんです。十年以上、ずっと県大会に出てたし。でも、俺らが入る前に、その先生はほかの学校行っちゃったんです。そしたらどんどん弱くなっちゃって。二年生は、本当はいたらしいけど、三年生と喧嘩してみんな辞めたって聞きました」
直樹がたどたどしく、悲しそうに説明した。
「僕は普通でいいんですよね」公彦が冷めた目で言った。「僕たちの本分は勉強ですよね。これはクラブ活動ですよね。県大会は別に出られなくてもいいと思うんですね。現実的にこの人数と実力じゃ無理ですしね」
現実的に、という言葉が出てきて、梅子は公彦の方を見ながら二回、力強く頷いた。
「現実、か」
琳太郎は顔から表情を消し去ると、言葉を挟んだ。
「はい。だって普通に考えて無理ですよね。新入生を勧誘したって、地区大会も無理だって思いますね」
公彦がムキになって言ってのけた。表情は暗い。
「また、無理、か」
琳太郎が再び公彦の言葉を拾った。
「私も厳しいと思います」
梅子が公彦に賛同した。表情は強張っている。
「だったら、そういうの抜きにして、みんなで、毎日楽しくやれればいいって思うね。競わなくていいと思う。ね」
公彦が梅子の方を見て確認するように言った。梅子も頷く。
「俺も楽しく部活やりたい。でも、県大会には、行ってみたい、かな」
健治が公彦と梅子の厳しい視線をよけながら、直樹の方を見て言った。直樹は少しだけ口元に笑みを浮かべた。
「みんなに聞きたいんだが、『楽しい』の定義って、何だ」
琳太郎がゆっくりとした静かな口調できいた。皆、再び押し黙る。
窓から風が吹き込んだ。少し寒いけど少し暖かい、春の風だ。風が六人の顔や手を撫でた。遠くでウグイスが鳴く。最初に口を開いたのは銀之丞だった。
「毎日充実することかなー。楽しいって思ってることもー、辛いとか苦しいって思ってることもー、全部忘れるくらいー」
琳太郎は銀之丞の顔を見た。銀之丞はのんびりした雰囲気と、堂々とした雰囲気を併せ持っている。琳太郎は感心しながら、
「いいこと言うな。俺もそう思う」
と、銀之丞に微笑みかけた。
「いくら毎日、喧嘩もせず、仲良くやっててもな。ある程度のレベルまで鍛えて上達しないと、そこに喜びは生まれない。心からの楽しさはない。充実しなくて、釈然としない何かにぶつかるんだ。だから鍛える。やり抜く。吹けるから。叩けるから。上手くなるから。それらが実感できるから、楽しくなるんだ。楽しくやるっていうのは、そういうことだ。違うか?」
琳太郎は語気を強めて話した後、一呼吸置いた。誰も何も突っ込まず、黙って続きを待った。
「県大会に出たいっていう直樹の気持ちに、俺は応えてみせたい。県大会を目指すことが、楽しくないことだと思うか、公彦?」
「いえ、別に。取り立ててそのようなことは、ありませんね」
公彦が首を小刻みに横に振りながら言った。
「俺は、鳥飼先生がいれば大丈夫だと思います!」
直樹は健気な声で言った。ついさっきまで、新しい顧問になど興味なかったのに。自分でも自分の気持ちの変化に驚いて、自分自身を制御できなくて、直樹は動揺していた。
「俺もー。先生はすげー人なんだと思うー。もっとドラム叩いてほしいでーす」
銀之丞がつぶらな瞳をきらきらさせて言った。
「先生って音大出てるんですか?」
梅子が大真面目な表情で、急に琳太郎に食らいついてきた。
「そりゃあな。音楽教師だし」
琳太郎が頬を掻きながら答えた。
「じゃあ私も信じます」
梅子が首を縦に振って言った。
「俺も!」
直樹がすかさず賛同した。
「でもな、」
琳太郎が制止して、黒い瞳を光らせる。その顔が男前すぎて、梅子は赤面する。
「俺は県大出場なんてショボいまま終わらせるつもりはない」
「え?」
健治が素っ頓狂な声を出した。
「どうせやるなら、全国大会目指す」
琳太郎が、白い歯を見せつけながら豪快に笑ってみせた。一同は固まってしまい、何も言えずにいた。
(全国…全国…全国だって?)
直樹は頭の中で繰り返した。日本語ではない別の言葉が混じり混んできたような気がした。
「それはさすがに無理じゃ…」
公彦が腰に手を当てながら難色を示した。
「何で無理なんだ?」
琳太郎が急速に笑みを消して、不思議そうに聞いた。不思議そうにしている琳太郎を、梅子は不思議そうに見つめた。琳太郎の顔にはふざけている様子もない。嘘をついている様子もない。
「そりゃな、お前らが毎日、今のまま、普通の練習してたら、普通のまんまだろうな」
琳太郎が足を組みかえて言った。次の言葉を待ちながら、直樹は椅子を前に寄せた。公彦は微動だにせず、琳太郎を仏頂面で見やった。
「俺だぜ。まだ信じられないだろうけどな。俺はお前らをとびきりの『上級吹部』にしてみせる。大抵の楽器はできるし、あとはお前らが俺を信じるか、信じないかなんだよ」
「上級吹部ー」
銀之丞が手を叩いて笑った。嘲笑する様子はない。
「でもまあ、突然現れた人間に、突然こんなこと言われても、お前ら困るよな。信じる信じない以前の問題だよな。のんびりゆっくり、楽しく平和に、疲れずに、無理なく、がいいのかもしれない。確かに中学生は勉強が本分だし、たかがクラブ活動だし。ガハハハ。じゃ、また明日な」
「先生。明日も来るんですか」
席を立つ琳太郎を追いかけるように、直樹も椅子から立ち上がった。
「放課後に集合な」
琳太郎は豪快に笑い飛ばすと、左手を左こめかみあたりにかざして、敬礼のふりをしながら第二音楽室を後にした。