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緑谷中学吹奏楽部  作者: taki
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講師たち

翌日、琳太郎が七人の人間を連れてきた。部員達は驚いてざわざわし始める。

「こないだ会ったよな。帝国フィルハーモニーオーケストラの方々だ」

琳太郎が紹介した。

「帝国フィルハーモニー?」

梅子が素っ頓狂な声を上げた。帝国フィルハーモニーオーケストラといえば国内でも有数のプロの演奏団体である。海外でも数々の演奏実績を積み、その活躍ぶりは国内外を問わず知られていた。梅子はアマチュアの市民楽団だと思い込んでいたのだ。ほかの部員達も似たようなものだと思い込んでいたらしく、驚愕した様子だった。

「竹田友徳。専攻、バスクラ。よろしく」

おそらく六十代くらい、髪の生え際がM字型で、わし鼻の男がぶっきらぼうに挨拶した。

「桜川晴子です。フルート専攻です。琳太郎先生とは学生時代から知り合いで、私の方が『先輩』です」

三十代初めくらいの、セミロングの髪をダークブラウンの染めた女性が、ちゃめっ気ある笑顔で挨拶した。

「自分はサックスやってます。主にアルトですが、ソプラノ、テナー、バリトン、全部指導できます。後藤正です、よろしく」

こちらも三十代くらいだが、男性だ。

「トランペットの(くすのき)庄五郎といいます。コルネットもやってます。あの楽団で一番の年寄りで、今年で六十五になります。世間だと定年退職させられてしまう歳ですねえ。はっはっは。一番のご意見番ですから、練習は厳しいですよ皆さん。ここに来られて僕は嬉しいです。都内からだと遠いですけどね。非日常感じられていいですね、緑谷町って。そうそう、僕の好きな色は空色。好きなものは水饅頭です。差し入れは歓迎します。ほお、いいですねえ、皆さん。いい顔をしてますよ」

いかにも好々爺(こうこうや)然とした恰幅のいい男性が、ミド中吹部に微笑みかけながら言った。

「皆さんこんにちは、松野翔平です。チューバです」

二十代と思われる、背が高くて痩せた男性が挨拶した。

「こんにちは! 杉田文子です。こんな体型ですけどトロンボーンです」

三十代後半くらいの、背が低くてまん丸に太った女性が快活そうに笑い、短い両腕を広げて挨拶した。まるで梅子のお母さんではないかというくらい、似た背格好をしていた。

「僕は椎名英雄です。帝国音楽大学卒で、専攻はホルンです。こないだ皆さんにきてもらったけど、普段はここにいるメンバー達と帝国フィルハーモニーオーケストラで団員やってます。個別指導もしていますが、中学生の指導は初めてです。皆さんどうぞよろしくお願いします」

四十代くらいで脂っぽい黒髪をセンター分けし、太ってる男が柔らかい声で、丁寧に挨拶した。

「これから皆さんには毎月来てもらって、指導してもらうことになった。竹田さんと椎名さんだけは、毎週来てもらう。木管が竹田さんで金管が椎名さんの担当だ。一同、礼!」

琳太郎がお辞儀を促すと、部員達は「よろしくお願いします!」と言って頭を下げた。

「よし。クラとフルートは多目的室に来い」

バスクラ講師の竹田が部屋の鍵を持って、クラリネットとフルートのメンバーの退室を促す。健治、響、大輝、直樹は楽器と譜面台を持って足早に続く。そこにフルート講師の桜川も続く。

「サックスは廊下でやりましょう」

サックス講師の後藤が錬三郎とまりあに声がけした。

「金管は階下の教室を使うか」

トランペット講師の楠がほかの講師とともに金管メンバーを誘導した。放課後なので、誰もいなくなった各教室へパートごとに分かれて入った。

残されたパーカスの銀之丞と伊久馬、音羽は、ポツンと座っていた。

「よし。お前らはここで練習な」

琳太郎が言った。

「先生。パーカスの講師は?」

銀之丞が心細そうに聞いた。音羽はぼんやりと窓の外を見つめている。

「俺」

琳太郎が自分の顔を指差しながら答えた。

「え?」

伊久馬は怪訝な顔をした。

「そっか。だよね」

銀之丞は琳太郎が初日にドラムを演奏してくれたのを聞いている。あの素晴らしいドラマーぶりを伊久馬が知ったら、どんな顔をするだろう。

「銀之丞、伊久馬、音羽。準備室から楽器、全部ここに出すぞ。ティンパニもな」

琳太郎が言うと、三人は急いで準備を始めた。


多目的室につくと、竹田率いるクラリネットパートは部屋の前方へ、桜川と直樹のフルートパートは部屋の後方へ分かれた。竹田はクラの三人に長机を用意させると、そこに楽器ケースやメトロノーム、チューナー、メンテナンス用品や教則本などを置いた。それから正しいクラリネットの組み立て方や持ち方、音の出し方など、ごく初歩的な指導から始めた。

「違う。そうじゃない」同じ音を継続して出し続ける基礎練習・ロングトーンのやり方を見て、竹田は腕組みしながら首を振った。「まったくできてない。お前は豊かな息を出すことを忘れている。だからそんなに不安定なんだ。そっちで繰り返し練習しろ」

健治はうつむいて、部屋の隅に移動した。自分は一年間やってきたから大丈夫と思っていたのに、全然ダメらしい。そんな健治を尻目に、響は意気揚々として吹いた。竹田は表情一つ変えずに見つめている。

「お前は自分の音を聞けていない。どんな音が出ているか、捉えきれてないんだ。それが出来るまで、そっちで練習」

竹田に厳しく指摘されると、響は真っ赤になって逆上しかかった。健治同様、自分がこんな屈辱的な目に遭うとは思いもしなかった。反発したいのを堪え、健治の隣に移動して、おとなしく基礎練に励む。

「えーと、お前は?」

竹田が大輝に聞いた。

「はい、鷺沼大輝です。よろしくお願いします」

大輝は堂々と自己紹介したが、先輩二人の処遇を見て不安になった。

「そうか。お前がバスクラなんだな」

「え?」

大輝は動揺した。響と健治も反応した。バスクラとはバスクラリネットのことである。I型のクラリネットとは異なり、J型の形状をしている。クラリネットよりも長くて大型なため、深い低音が出る。木管パートを支え、金管の低音楽器とも連携しながら全体をも支える、重要なポジションの楽器だ。

「琳太郎にも言ってある。クラ三本より、クラは二本とバスクラ一本の方がいい。木管に低音がいないと締まらないしな。お前ついてるな、俺はクラも吹けるけど、専攻はバスクラだ。きっちり仕込んでやろう」

竹田がニヤリと笑い、バスクラリネットをケースから取り出した。これは竹田本人の楽器らしく、目の前で音階を吹いてくれた。響も健治も少し離れたところから見ている。竹田の奏でるバスクラリネットの音色は深く豊かだった。大輝が「おおー」と言いながら食らいついているので、今度は八分音符や三連符でさまざまな音階を吹いてみせた。それから竹田は自分の楽器を机に置いて、もう一つの楽器ケースを開いた。竹田のものより古いバスクラリネットが入っている。こっちは学校の楽器らしく、竹田が手際よく組み立てていく。

竹田はリードを一枚、箱から取り出して、マウスピースに取り付けた。リードとは、西洋葦(せいようあし)から作られた薄い板だ。バスクラリネットに限らず、クラリネットやサックス、オーボエ、ファゴットなどの木管楽器も、形や種類は違えどリードを必要とする楽器である。振動することで音色が生まれるリードは、植物でできているがゆえ、破損することは日常茶飯事だ。箱買いしても中に入っているリードがすべてまともに使える代物とは限らない。どれが当たりでどれが外れかは吹いた本人との相性でも異なる。消耗品として、竹田は何箱も持ち込んでいた。一枚一枚試してみて、状態の良いリードを取り付けてやり、大輝の前に差し出した。大輝は少しの間、何も言わなかったが、目を輝かせて楽器を受け取った。

「かっこいい」

その後、クラリネットパートはバスクラリネットの大輝をまじえ、基礎練習をみっちり仕込まれた。

一方、同じ室内ではフルート講師の桜川が直樹の吹き方をチェックしていた。直樹は低音もよく出ないし、高音もろくに出なかった。なんとなく中音域だけは出せているが、根本的に問題があると桜川は理解した。

「マウスピースを、唇に強く押しつけるのは駄目」

桜川が自分のフルートを持ちながら、駄目な仕草を再現した。直樹は「はい」と答えた。

「唇の自由を奪ってしまうでしょ。それでも吹けるけど、鳴らないし、響かない。単純に音が出てる、ってだけになる。ほら、こうよ」

桜川が実践してみる。唇の真下にあって顎より少し上の部分、顔の肉が少し窪んだ部分にマウスピースの歌口をあてた。

「こうですか?」

直樹はよく分からず、下唇に歌口を押し当てた。下唇は上方へ盛り上がり変形している。

「違う。下唇は、ぽってり乗せるだけ」

桜川が言った。直樹はもう一度真似をして、ぽってり乗せてみる。

「それで吹いてごらん」

直樹は低音域のG、F♯、F、Eを順に出していった。いつもより明らかに、滑らかに出る。

「高音も」

桜川に言われて、今度は高音域のC、D#、D、E♭を吹いてみた。いつもより太く、豊かにでた。心なしか、音自体もフルート独特の可憐な音色に様変わりしているように聞こえた。

「ほら、全然違うでしょ?」

桜川がにっこり笑った。直樹は感激して、そのままもっと色々な音出しにチャレンジしていった。

サックスの二人は第二音楽室前の廊下でレッスンを受けた。レッスンといっても、錬三郎とまりあはどちらも初心者なので、講師の後藤は吹き方以前に組み立て方から教えることにした。アルトサックス担当の錬三郎は多少知っていることがあるようだが、テナーサックス担当のまりあはまるで分かっていないことだらけだったので、後藤は辛抱強く丁寧に、同じことを繰り返し説明した。組み立て方を覚えた後は、ロングトーンの練習になった。四拍吹いて、四拍休むという練習の仕方は簡単なようでいて、なかなか気を遣う。出だしを綺麗にする、タンギングせずお腹から息を出すという基礎を培うことになるので、なかなか難しいものになった。ただ、後藤は穏やかで紳士的だったので、二人は安心して取り組むことができた。

「帝フィルにはサックスがいないのに、後藤さんはどちらからきたんですか?」

錬三郎は、ずっと気になっていたことを聞いた。この間のホールでの演奏の時にも、弦楽器の一団がいた時にはサックス奏者の姿はなかった。途中で十六人編成にした時に、どこからか登場したのが後藤だった。

「オーケストラにはサックスはいない。オーケストラは古典的な音楽だけど、サックスは比較的新しい楽器だからね。元々必要なかったし、居場所がないんだよ」

後藤が少し悲しげに笑って言った。

「じゃあ後藤さんはあたし達のためにサックスを始めたんですか?」

まりあが言うと、後藤は声を立てて笑った。

「そういうわけじゃないよ。僕はあの楽団には属してない。僕だけ個別に、琳太郎君に呼ばれたんだ。普段、なかなかオーケストラの方と仕事することもないから、混ぜてもらえて光栄だよ」

「サックスのプロの人って、普段はどんな仕事してるんですか?」

錬三郎が興味津々で聞いた。

「スクールの講師だよ。バンドを組んでジャズバーで演奏したりすることもある」

「ジャズバーってかっこいい」

まりあが感激して言った。

「バーは大人がお酒を飲むところだから、君たちはまだ早いところだよね。吹奏楽だとサックスは重要なポイントにいると僕は思っている。柔らかい音で、金管とも木管とも親和性が高い。潤滑油みたいな立ち位置だよ。だから君たちは橋渡し役として、その場で力を発揮していくといいよ」

後藤が言うと、錬三郎もまりあも嬉しそうに微笑んだ。


一方で金管は、どのパートも平和な雰囲気のなか、レッスンが行われていた。ホルンパートは椎名がレッスンを続ける。

「みんな、まずはコレね。マウスピースだけで。基礎から」

史門も恵里菜も言われたように吹く。簡単なようでなかなかできない。

「大丈夫。最初はみんなこうだから。百舌野君は姿勢が悪いな。こうだ。よく見て」

史門の猫背を正しながら、椎名が見本を見せた。

「鵜森さんは姿勢がいいね。音もまあ、出てる。そのままそれ、続けて」

恵里菜は頷いて、マウスピースを吹き続けた。

チューバ講師の松野は幹生に指導していた。松野は口数が少なく、幹生もまた同類だったので、二人のやりとりは楽器そのものの音以外、とても平穏で静かだった。幹生は静かに着実に遂行するタイプだ。松野はこの素直で真面目な生徒への指導に無上の喜びを感じていた。

トランペットのレッスンは活気づいていた。講師の楠は、特徴的な包容力のある深い声で、小まめに褒めて喜び、公彦と結那のやる気を引き出していた。

「千鳥川君はこの音までは調子いいみたいだね。この上の音、行けるようになろうか。僕がお手本やるから見てて」

楠は何も見ないで、「ルパン三世」のサビ部分を吹いた。何のウォーミングアップもせずにいきなりアタックの強い高音を潔く吹きこなすその技術と度胸に、公彦も結那も聞き惚れてしまった。完璧にキマっている吹きっぷりに、部外者の生徒まで廊下からチラチラ見てきた。楠は吹き終わると、公彦に指導する。

「そうそう。それでいい。そう。そうだ完璧だ。そこを耐える。耐えていけばいい。慣れてくるから、その口の形に。…よし。いけ。できるぞできる…。できたー。ほらできた。素晴らしい」

楠が絶賛すると、公彦は恥ずかしくて小さく頷くだけだった。

「さて、次は鳩山さんだ。鳩山さんは、息は出せてる。音は出せてない。まず、音にするためにはほら、千鳥川くんのようにこうだ。やってみなさい。…そうそう。そうだ、できたー。やったー。よくできた。それでいい。それは音だ。その音を出す時の感覚を掴め。できるぞ」

結那も、幼児相手のように大げさに褒められて恥ずかしかった。しかし、二人とも楠に言われたことをやればすんなりできることに気づき、次第に恥ずかしさを忘れていった。

トロンボーンパートもなかなか生き生きと取り組んでいた。梅子も怜も真面目に杉田の話を聞いてレッスンに臨んだ。

「大鷹くん。その調子」

講師の杉田はハキハキした声でにこにこしながら、怜の音出しをチェックした。

「はい」

「いいもの持ってるね。そんなに腕が長かったら、私ももっと苦労しなかったのにな」

杉田は自分の短い腕と怜を交互に見ながら言った。

「梅子ちゃんは、私を見習ってね。小さい体でもやればできるってことを証明してるから」

梅子は笑いながら頷き、杉田のことが大好きになった。自分と同じ、手足の短いトロンボーン奏者の言うことは信頼できる。ただ鳴らすだけでなく、どうやったら吹きやすくなるかなど、ちょっとしたコツやテクニックを教えてくれた。


講師達が帰るので、駐車場まで琳太郎と雛形が見送ることにした。竹田以外のメンバーが車に乗り込むと、竹田が琳太郎の首を自分の腕の中へ引き寄せた。何やらヒソヒソと密談をしている。雛形が見ている前で竹田がニヤリとして、琳太郎が困ったような笑い方をした。二人とも行儀良く頭を下げて、手を振ると、雛形がいきなり琳太郎に向き直る。

「鳥飼先生。あの人達の講師料、どうしたんですか。ちゃんと請求書、いただきました?」

雛形が、分厚いレンズ越しに目を大きく見開いて聞いてきた。琳太郎は動揺して両手を振った。

「え? ああ、あれはまあ、友達プライスで安くしてもらうよう交渉しましたよ。大丈夫です」

「この一回限りじゃないですよね。毎週呼ぶんでしょ。しかも二人。無茶じゃないですか」

「大丈夫ですよ。ちょっとした頼まれごとを引き受けたけど…、まあ、大丈夫です」

「頼まれごと? 何ですかそれ」

雛形が興奮して琳太郎のジャケットの襟を掴んだ。

「大丈夫です。心配いらないです」

琳太郎はしまったと思いながら、真剣な表情を無理やりつくって誤魔化した。

「心配です。何か悪いことでもさせられるんじゃないですか」

「そんな。僕は公立中学の教員ですよ。するわけないじゃないですか」

琳太郎は必死に否定した。まるで猫に睨まれたネズミのように怯えた。

「本当にー?」

雛形は襟を離さず詰め寄った。琳太郎は振り払うことなく、必死で言い訳を続ける。

その様子を、響が昇降口の影から見ていた。

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