曲決め
ゴールデンウィークが過ぎると、あたり一面に青々しい若葉が生い茂り、校庭のバラの花が咲き始めた。本入部のシーズン到来だ。入部届を出したのは十人で、そのうち七人が一年生、三人は二年生で、三年生はいない。雛形が三人の二年生の名前を並べて、琳太郎に尋ねた。
「鶴岡さんと大鷹君はよく来ていたから知ってますけど、鳳君も入部することになったんですね?」
「ああ、アルトサックス希望している奴ですね」
琳太郎が答えると、雛形が届出用紙を確認して言った。
「へー。ずっと帰宅部だったのに、何で急に入ろうと思ったんでしょうか。成績は学年トップで有名な子ですよ。何より勉強が好きみたいで」
雛形が少し興奮気味に言うと、琳太郎がなるほど、と相槌を打った。
「鳳錬三郎君。たいていのスポーツはできるようで、どの部も欲しがっていたのに、うちに来るなんてどうしたんでしょうね。吹奏楽に興味持ったんでしょうか。私達も勧誘頑張りましたもんね。毎朝毎朝。この子、ピアノも弾けるようですよ。家庭科の調理実習でも料理が上手なんで、みんなによく頼りにされてるんです。何でもできる子なんですよね」
雛形にしては珍しく、よく喋る。琳太郎の端正な顔にじっと見つめられて、雛形は顔をそらした。
「面白そうな奴ですよね」
琳太郎はペンを回しながら、ニヤリと笑ってみせた。
放課後になり、第二音楽室に新入部員が集まった。琳太郎が新入部員達にどのパートを担当するかを発表した。事前に希望は聞いていて、第一希望が通ったクラリネットの鶴岡響と鷺沼大輝、サックスの鳳錬三郎と雉谷まりあ、トランペットの鳩山結那は結果に満足していた。野球部を正式に退部し、ゴールデンウィーク中に右足の手術を終えた怜は、松葉杖をついて吹部に戻ってきた。怜は自分の処遇に特に文句をつけず、ほぼ自動的にトロンボーン担当になった。金管楽器ならどれでもいいと言った一年生の鷲宮幹生は、チューバを任されることになった。鵜森恵里菜とともにホルン担当になった百舌野史門は特に喜び、恵里菜に向かって「僕たち二人でこのパートを盛り上げよう」と唾を飛ばしながら語った。本当はトロンボーンがやりたかったのに、怜からそれを奪う勇気のなかった一年生の雁谷伊久馬は、第三希望のパーカッションに収まった。
琳太郎が、部活の基本的な流れについて説明する。
「みんな、よく来てくれた。歓迎する。うちはこれから、全国を目指す。八月に吹奏楽コンクールの地区大会と県大会、九月に西関東大会、十月に全国大会がある。全部、出る」
部員達に緊張が走った。そうだ。これは遊びじゃない。勝負なのだ。琳太郎が続ける。
「コンクールの曲には課題曲と自由曲がある。課題曲は四曲あるが、そのうち俺が聞いて一番難易度の低い『春の日を浴びて』にする」
琳太郎が机の上にノートパソコンと小さなスピーカーを置き、ビデオを再生した。先日の、演奏家達に生演奏を聴かせてもらったそれだ。部員達はあの日のことを思い出しながら、大人しく聴き入った。
「この人達の演奏は実に見事だったね」
演奏が終わると、公彦が静かにつぶやいた。
「だよね。特にフルートの人、すごくない? プロかと思った」
直樹はテンション高めに同調した。
「いや、クラも異常だから。異次元レベル」
首を横に振りながら、健治も負けじと感動を訴えた。
「自由曲は候補がいくつかあるから。どれがやりたいか、これから話し合おう」
琳太郎がそう言いながら、曲のリストが書かれたプリントに従い、再び一曲ずつビデオ再生していく。部員達は自分と同じパートを担当する演奏家達を観察しつつ、耳を傾けた。ゴールデンウィークのあの日、配られたプリントは自由曲のリストだったのかと、部員達は腑に落ちた。
「さて。どれがやりたい」
琳太郎が皆に聞くと、梅子が手を挙げる。
「やりたいっていうか、先生は現実的に、どれならやれると思いますか」
「それはお前達次第だよ」
琳太郎が両掌を天に向け、おどけて言ってみせた。
「僕は『展覧会の絵』一択ですね。ほかは全部なしです」
公彦が堂々と発言した。
「おお。言うねえ公彦。まあ、これは本当にかっこいいよな」
琳太郎に下の名前で呼び捨てにされて、公彦は肩をすくめ、でもちょっと嬉しそうに頷いた。雄大なトランペットのソロから始まる「展覧会の絵」はロシアの作曲家・ムソルグスキーの名曲だ。元々はピアノの独奏曲だが、ムソルグスキーの死後にラヴェルが高度なアレンジ力を駆使してオーケストラに編曲したところ、世界的に広まった。特にトランペット担当の公彦にとっては、一度は演奏してみたい曲の一つなのだろう。
「こんなの、十五人でできるんですか」
梅子が率直に聞いた。「展覧会の絵」は弦楽器を含め、大編成向けの楽曲であるはずだ。吹奏楽で、しかもこんなに少人数の自分達で、とても演奏できるとは思えなかった。
「少人数編成用に編曲した吹奏楽の楽譜で演奏してるんだ。問題ない。この人達も、同じくらいの人数でやってるだろ」
琳太郎は映像の中の演奏家達を指さして言った。
「でも、この人達は大人です。私達は中学生だし」
梅子は、トロンボーン奏者の演奏ぶりを見て、自信喪失しているらしい。
「同じ人間だろ」
なぜか不機嫌そうに怜が言った。梅子はその言葉を受けてちょっと驚き、「確かに」と思い直したように呟いた。
「俺もほかの曲は知らないけど、展覧会の絵なら聞いたことあるし、すごい有名だし、すごいやってみたいです。でもこれって、一人一人、すごい責任重大な曲ですよね」
直樹が不安そうに言った。
「安心しろ。ほかの曲も全部、責任重大だ。分かってると思うが、うちは十五人しかいない部なんだ。一年も全員出場するんだぞ。補欠は無しだ」
琳太郎が楽しげに笑いながら言った。一年生達は急にそわそわし出した。まりあは結那の制服の裾を引っ張って、無言で困ったように笑い合った。伊久馬は何度も椅子を座り直した。史門はさっきから何度も髪を一本ずつ、引っこ抜いている。
「だったらみんなが知ってる曲がいいと思います。展覧会の絵は何となくとっつきやすいし、かっこいいし」
梅子が賛同した。梅子の意見にほかの部員達も頷く。
「じゃあ、やってみよう。言っとくが、まー、難しいぞ。覚悟しとけよな」
「は、はい」
琳太郎の「お前らもう後には戻れんぞ」とでも言いたげな呼びかけに、部員達は不安げに返事した。琳太郎は微笑んで言う。
「それと、発表会の曲も決めよう」
近隣市町村の中学校・高校との合同で、吹奏楽発表会が六月に行われる。去年は三年生だけが演奏して、当時一年だった直樹達は準備や片付けの手伝いに来ていただけだった。三年生が引退し、冬にも発表会はあったものの、たった五人になってしまったので出場を見合わせた。つまりは、これが直樹達にとっても初めての舞台である。
「これはコンクールじゃないんだ。発表会なんだ。気楽なやつにしよう」
琳太郎が回転椅子の背もたれに寄りかかってクルクル周り、くつろいだ調子で言った。
「去年だとうちの三年生は、『吹奏楽のための日本民謡変奏曲』とかやってましたけど」
梅子が具体的な曲名を提案した。
「そんなお行儀いいやつ、誰が聞くんだよ」
琳太郎のうんざりした様子に生徒達はもっともだ、という顔をした。
「客はずーっと席に座りっぱなしだろ。お前らどう思う? 各校の演奏会、似たような、吹奏楽部じゃなきゃ知らねえような曲ばかり流れてくる。寝るだろ、普通に」
「寝ますね、普通に」
公彦が琳太郎に口調をそろえた。
「そこへ俺たちのようなのが出てくる。周りからは異端視されるかもしれない。なんだあいつらってヤジられるかもしれない。でも、それでいいんだよ。スパイスなんだよ」
琳太郎が部員達を肯定するように、堂々と言ってみせた。
「俺らは退屈なホワイトシチューの上に振り掛けられた黒胡椒なんですね」
直樹が詩人のようにロマンチックな口ぶりで言った。
「お前、シチューに黒胡椒なんかかけるのかよ」
怜が物凄く嫌そうな顔をした。
「そうだよ。なんで? かけないの、怜は」
直樹は不思議がって聞いた。
「かけねえよ。シチューはシチューだろうが」
怜はもっともらしい理由をつけた。
「ああ、怜って酢豚にパイナップル入ってるのも嫌なタイプ?」
直樹が両手を広げて首をすくめ、悪気なく聞いた。
「ったりめーだろ! あんな気色悪いもん料理に入れんな」
怜が松葉杖を振って怒って言った。
「私はライスにレーズン混ぜて炊いたやつ、好きだけど」
梅子が横槍を入れた。怜がそれを聞いて「最悪だ」と言う表情で答えた。
「俺は校門の前で聞いた、マリオブラザーズがやりたいです」
ずっと黙っていた錬三郎が、会話の流れをぶった斬ってきた。みんなは一斉に錬三郎の方を見る。新入生の勧誘時には少ない楽器をサポートするため、琳太郎がキーボードでサポートしていた。十五人いれば、それなりの演奏が成り立つのではないか。
「俺も、あれやってみたいっす」
一年生の大輝も手を挙げながら言った。ほかの部員達も首を縦に振る。
「楽譜買わなくていいし、賛成です」
楽譜を管理している梅子が言った。
「よし。マリオやりたいってやつは手を挙げろ」
琳太郎が問いかけると、全員が手を挙げた。
「満場一致だな。よし、発表会はマリオだな。俺達は誰よりもかっこいいマリオを演る。周りに流されない。楽しむぞ」
琳太郎が言うと、一同は歓声を上げた。
「これから部活の時間についても話しとくな。基本的に平日の朝練は七時半から八時まで。午後は三時半から六時まで。部長と副部長の指示に従うこと。週一回はレッスンが入る」
直樹と梅子は目配せした。二人とも背筋を伸ばして、琳太郎の話に耳を傾ける。
「日曜は朝九時から夕方四時まで。大会前は遅くなるかもしれない」
「あのう、あんまり遅くなると親に怒られるんですけど」
いつも母親に送り迎えしてもらっている伊久馬が、恐る恐る言った。
「四時で遅いとかお前、何だよ。ママと一緒に部活に来いよ」
怜が迷惑そうに言うと、一同爆笑した。
「土曜日はどうするんですか?」
響が琳太郎に聞いた。
「土曜は休み」
とっさにガッツポーズを決めたのは健治だった。健治は土曜日にある、えりジェンヌの特別配信をいつも楽しみにしているからだ。
「えー。何でですか?」
響は不服そうだった。琳太郎はニコニコして答える。
「練習はキツくなるし、夏のコンクールまで全力疾走だ。それに耐えるには、しっかり休む日も必要だ」
響は一旦、黙り込んでから、また口を開いた。
「じゃあ平日、もっと遅くまでやりたいです」
「それもダメだ。習い事に行く奴もいるだろう」
琳太郎が言うと、直樹は以前、副校長に琳太郎が怒られているのを思い出した。
「じゃあやっぱり、私、土曜も練習した方がいいって思います」
「そんなに土曜にやることないんだったら、俺んちで洗濯と掃除、やりに来てくれてもいいけどな」
「えっ!」
予想外の言葉が返ってきて、響は固まった。琳太郎が笑いながら答えた。
「冗談に決まってんだろ」




