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緑谷中学吹奏楽部  作者: taki
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白熱ウエストサイドストーリー

「うん。良いよ」

発表会の前夜、自宅のピアノ部屋で、琳太郎は雛形の指揮を褒めた。「ウエスト・サイド・ストーリー・メドレー」を指揮する中で、雛形が一番苦労したのは「アメリカ」の部分だ。八分の六拍子と四分の三拍子が一小節ごとに入れ替わる独特のリズムで、それが当初は理解できなかった。


「どっちも同じじゃない。何が違うの」

第二音楽室で初めて琳太郎に指揮を教わったとき、雛形は苦悶に満ちた表情で訴えた。

「確かに長さは同じ。でも、同じじゃないんだよ」琳太郎は優しく笑った。「拍の取り方がそもそも違う。八分の六拍子って、一小節のなかに八分音符が六個ある。そこまでは分かるよね」

琳太郎がチョークを手に持ち、黒板の五線譜に八分音符を六個並べて書いた。雛形はそれを凝視しながら頷き、自分も五線譜のノートを開き、書き写していく。

「八分音符は三つで一つ。一拍分って考える」

琳太郎はそう言って、一番目と二番目、三番目の八分音符の符幹(ぼう)の上端を横線で繋いだ。さらに四番目、五番目、六番目も同様に横線で繋いだ。

「小節の中に、塊が二つ、できただろ。全体で見ると、これは二拍分、ある。だから、この小節は二拍子って考えるんだ」

琳太郎が言うと、雛形はへえ、と頷き、ノートに書き込みを続ける。

「じゃあ四分の三拍子は何、って話だけど。こうなる。一小節のなかに四分音符が三つある」

琳太郎は、今度は五線譜の上に四分音符を三つ、並べて書いた。

「四分音符で書き表すと、三つだ。だから三拍子だってのは分かるよね」

琳太郎が聞くと、雛形は頷いた。

「八分音符で書く場合は、こう書く」

琳太郎はそう言って、八分音符を六個書いた。それから一番目と二番目、三番目と四番目、五番目と六番目をそれぞれペアにし、符幹(ぼう)の上端を横線で繋いだ。

「さっきの八分の六拍子と同じ、六個ある。でも区切り方が違うだろ。さっきは三つで一つ。その塊が二つあった。今回は二つで一つ。その塊が三つある」

雛形は説明を聞いてしきりに頷き、ノートに書き込んだ。

「そうなるとどういうことかっていうと、区切る場所が違うわけだ。拍の取り方が変わってくる。八分の六拍子は『いちにーさん、いちにーさん』、四分の三拍子は『いちと、にと、さんと』」

「うん」

「曲でいうと『タタタ、タタタ、タンタンタン』ってのが繰り返されてる。最初の『タタタ、タタタ』が八分の六。三つずつ区切ってるだろ。その後の『タンタンタン』が四分の三。二つずつ区切ってるだろ。映画のなかでもダンスシーンで、それが分かるよ。ほら」

琳太郎はそう言って、ウエストサイドストーリーのDVDを再生した。ミュージカル女優達が「アメリカ」の音楽に合わせ、スカートを手に持ち、最初の「タタタ」で左に一振り、次の「タタタ」で右にもう一振りし、「タンタンタン」で素早く左、右、左と計三回、振った。

「そうかあ。分かった」

雛形が感心して頷いた。

「だから、指揮も当然こうなる。『タタタ、タタタ』は二拍子」

琳太郎はタクトを持ち、てっぺんから下方へバウンドさせて右に振り、再びてっぺんに振り戻した。

「『タンタンタン』は三拍子」

琳太郎は、今度は三角形を描くようにてっぺんからバウンドさせて左に振り、右に振り、てっぺんに振り戻した。

「それを交互に」

琳太郎は二拍子と三拍子を交互にやってみせた。雛形はそれを真似した。

「頭の中で裏拍を感じて。ンタタ、ンタタ、ンタンタンタ。ンタタ、ンタタ、ンタンタンタ」

琳太郎が口ずさみながらタクトを振った。

「どうしてそんなのが必要なの」

「ちゃんと裏拍を感じてないと、どっしりと構えられない。地滑り起こしてグダグダな指揮になるんだ」

琳太郎が残念そうに言うと、雛形は笑って頷き、メモを取った。

「ほら。映画の中でも裏拍で拍手(クラップ)してるだろ」

雛形は映像を見た。ミュージカル俳優達が「ンタタ、ンタタ、ンタンタンタ」のリズムで拍手をした。雛形はシャーペンを机の上に置いた。それから映像の音楽とダンスに合わせ、二拍子、三拍子を組み合わせて指揮をした。琳太郎は首を縦に振った。

「その調子。楽しいだろ」

琳太郎が愛しそうに笑いかけた。

「うん」

雛形は無心で振り続けた。


埼玉県北部地区の吹奏楽発表会当日の朝になった。琳太郎はクローゼットの扉を全開にし、服という服のポケットに指を突っ込んだ。

「ない」

「どうしたの」

雛形が尋ねた。

「ドテカボチャ」

琳太郎は再び捜索を開始した。

「そうなんだ」

雛形は知らん顔した。

「おっかしいなー。確かジャケットのポケットに入れといたのに」

琳太郎は首を傾げながらもう一度、同じジャケットのポケットに手を突っ込みながら言った。

「コンクールじゃないし。なくてもみんな大丈夫だよ」

雛形はいい加減に言った。

「前に好評だった副校長先生がいればな。あのお腹」

西関のときのことを持ち出し、琳太郎がふざけながら寂しそうに言った。今日は副校長は引率に来ない。雛形が鷹揚(おうよう)に頷いた。

「もっといいのがいるよ」


冬季同様、発表会は平日の白錫文化ホールで開催された。地域の中学校、高校の団体が多数参加し、会場は賑わっていた。

「一年のデビュー戦だな」

琳太郎がステージの袖で小声で言い、雛形が黙って微笑むと、部員達は興奮した様子で互いを見合った。特に一年生達が緊張しているのが上級生にも、教師二人にもよく分かった。

「先生、ドテカボチャは?」

直樹が尋ねた。

「あいつ今、旅行中なんだ」

琳太郎が口をすぼめて言った。

「えー? ないんですか」

直樹が露骨に嫌そうな顔で言った。

「でも、代わりはある」

琳太郎はちらりと雛形を見ると、雛形がくすくす笑い出した。琳太郎は皆を見回し、後方に太陽の姿を見つけた。それから熱心に手招きした。

「おい。太陽、ちょっと来い」

「え、なんすか」

「いいから、来い」

太陽は訳が分からず琳太郎の隣に進みでた。琳太郎は不敵に笑うと、雛形が後方から近づき、いきなり太陽を羽交締めにした。

「ぐええ。なんすか、先生」

太陽はうめいた。うめきながらも首の辺りに雛形の胸があたり、わずかにニタリと笑った。それに気づいた琳太郎が目を細め、もっと締め上げるように雛形にジェスチャーを送った。雛形が力を込めると、太陽はさらにうめいた。

「よーく聞け、お前ら。副校長先生のありがたーいお腹はないが、ここにありがたーいジョリジョリがある。これに触れ」

琳太郎が太陽の坊主頭を指さし、それから皆を見て言った。一年生達は動揺して誰一人触ろうとしない。新参者とはいえ、太陽は一年生達から「警察の世話になった怖い先輩」と恐れられていた。真っ先に手を伸ばしたのは三年の男子達だった。錬三郎だけは白けた目で見て、近づこうとしなかった。

「いいねーこれー」

「これがクセになるんだよな」

「太陽発電。ジョリジョリー」

「ちょっと、やめてくださいよ」

太陽がジタバタもがくが、雛形だけでなく、琳太郎まで押さえ込みに加勢したので逃げられなかった。一年生達はくすくす笑い出した。そこへ、三年の女子達が尊大ぶって触りにきた。

「意外といいかも」

「うん。なんか有り難くなってきた」

「イタ気持ちいい」

「なんなんすか、本当に」

太陽はまだ暴れる。まりあ以外の二年生達も面白がって触り出した。一年生達は「すいません」と言いながら、恐る恐る太陽に触り、くすくす笑い合った。

「よし。これで緊張は解けたな」

皆が笑うと、琳太郎と雛形はようやく太陽を解放した。太陽はフラフラしながら力なく笑った。その様子を見た会場スタッフに今日も睨まれ、琳太郎はまたしても怒られた。それから、ミド中の名前が司会にアナウンスされた。

「雛形先生」琳太郎が学校仕様の声で言い、長いまつ毛越しに見据え、にやりと笑った。「みんなをしっかり、率いてやってくださいね」

「もちろんです」

雛形も学校仕様の声で答え、部員達を背にすると、琳太郎にだけ分かるように高速でウインクした。


ステージでの椅子と打楽器の配置が整い、雛形は袖から登場した。ステージ中央に辿り着くと、客席に向かって礼した。それから部員達に向き直った。全員に楽しそうに笑いかけると、タクトを振り上げた。

音羽がティンパニでひそやかにロールを始めた。次第にクレシェンドをかけ、音量を上げていくと、管楽器の部員達が息を合わせ、高らかに「ウエスト・サイド・ストーリー・メドレー」のオープニングを奏でた。

最初の曲は「アメリカ」だ。速いテンポで八分の六拍子と四分の三拍子のリズムを交互に、雛形がタクトで軽やかに振った。木管を中心に明るいメロディーが展開され、ティンパニとドラム、タンバリン、低音部隊がキビキビと裏拍のリズムを取りながらベースを支えた。木管が女性のように可愛らしい高音で楽しげに問いかけると、金管が男性のようにパワフルで張りのある音を投げかけ、それに呼応した。それぞれが掛け合い、混ざり合い、溶け合いながら、その独創的で迫力に満ちた旋律は鮮やかに進行してゆき、客席全体を席巻した。

雛形が大きくタクトを振り、ゆっくりなテンポの四分の四拍子に切り替えた。賑やかさがフェードアウトし、代わりに静謐な調べをサックス、フルートとクラリネットが奏でた。突如、トランペットの威勢のいい高音、深く弾むホルンの音色を皮切りに、曲は「トゥナイト」へ移ろった。一年生の太一がボンゴで果敢にソロをやり、伊久馬がドラムのバスドラムで土台を築くと、美咲がカスタネットを、太陽がマラカスを、銀之丞がシロフォンを、音羽がコンガを鳴らし、それに続いた。

ユーフォニアムとサックスが柔らかく混ざり合いながら、豊かでゆるやかな旋律を吹いた。フルートが明るい音色でそれを引き継ぎ、さらにファゴットとオーボエ、クラリネットへたすきを渡した。トランペットが華やかな音色で張りを与えた。ホルンが天に昇るように羽を広げ、絢爛なハーモニーを響せた。クラリネットが煌びやかな十六分音符で駆け抜けた。

雛形はタクトを振りながら、その先端から、一人一人に繊細な指示を送った。ここは豊かに膨らむところ。さらりと流すところ。ふわっと浮かび、舞い踊るところ。皆はそれに応えた。膨らんで流れ、浮かんで舞い踊った。雛形は笑みがこぼれた。タクトで空を切り、突き刺しながら、作中のトニーとマリアの心を精細に描いた。

曲はテンポをあげ、二分の二拍子の「マンボ」へ移り変わった。雛形はタイトに二拍子の指揮を振り、皆を力強く先導した。パーカッションの音羽や美咲、太一はノリノリで情熱的に叩いた。太陽は練習通り、カウベルを冷静かつハードに叩いた。合間合間に雛形がおどけて合図を送ると、皆が一斉に「マンボ!」と叫んだ。公彦が率いるトランペットの一団が、金管楽器を引き連れ、キメキメなテーマをユニゾンして吹き鳴らしながら、脇目も振らずに前進した。シロフォンが明るく速弾きし、トロンボーンとユーフォニアムが硬派に切り込み、チューバ主体の低音部隊が張り切って底上げし、盛り立てた。管楽器全体で唸るようにグリッサンドをかけながら、のぼり切ったところでドラムのシンバルが響き渡り、盛大にフィナーレを迎えた。

雛形は額に汗をかき、タクトをおろした。それから部員全員に穏やかに笑いかけ、起立させた。雛形がお辞儀をすると、客席からは割れるような拍手が沸き起こった。

つづく

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