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95.濃厚で深い海の指輪

 私の、手のなかに、やさしく、ゆっくり、やわらかくと集中していると、階下のどこかでガタガタと大きな音がした。気がつくと、私は宿の部屋のベッドに座って修行していた。とても集中していたようで、何をしていたのか意識がはっきりするまでは、しばらくぼんやりとそのまま漂っていた。


 ディアさんが囁くように何か言っていたけれど、とても声が小さなその呟きは、よく聞き取れなかった。それがとても残念に思えて耳を澄ませていると、階下からなにかをギイーと引きずるような音と、女の子達の笑い声が聞こえた。笑う声は、なんて幸せな響きなんだろうと思わず笑みがこぼれて、そして急にハッと気がついた。メイベルさん?メイベルさんが笑っている?


 ガバッと勢いよく立ち上がって、一目散に急いで部屋を出て階段を駆け下りると、お揃いのエプロンをつけた誰か知らない女の子達が掃除をしていた。熱心にテーブルを拭いていた女の子が私に気付くと、もの凄く驚いて大きな悲鳴を上げた。驚いた女の子達三人はみんな持っていた掃除道具を取り落として、走って逃げるように部屋から出て行ってしまった。


「なんなの?どうして叫んでたの?あの子達はなに?」


「知らない女の子達でした。とても驚かせてしまったみたいです。私、勘違いして急いで階段を下りてきたから、怖がらせてしまったのかもしれません。後で謝りにいかないと……。」


 私の肩に乗ったディアさんは、小さな声で話していた。いつもより耳元に近づいていて、肩とゆうより首にもたれるようにして話している。


「そんなことより、どうして掃除道具を放り出していったのよ?これはこのままにしておくものなの?邪魔じゃない?」


「こんなに広いんですから、邪魔にはなりませんよ。せっかくですから掃除の続きをしましょう。雑巾も、箒もあります。掃除が終わってから返しに行きます。」


 腕まくりをして、掃除に取りかかろうとしていると、部屋の扉をコツコツ叩く音がして、見ると開け放たれた部屋の入口に宿の主人の老人がいた。名前が思い出せなくて、少し焦りながら扉に近づいていくと、礼をして頭を下げた老人はアリウスさんと名乗ってくれた。


 アリウスさんの後ろには、さっきの三人の女の子達が泣きながら項垂れていた。首を傾げてアリウスさんを見ると、腰をグインッと勢いよく曲げて謝り始めた。


「申し訳ございません!お嬢様がご在室中に、掃除に入るなど!あってはならない失態でございます!まことに申し訳ございません!!」


 それから切々と何度も謝りながら話している説明を聞いていると、どうやら中に人が居るときに掃除をするのは、もの凄くだめな事のようだった。どうしてそんなにいけないのかは、聞いていてもよく分からなかった。そして突然女の子の一人が、泣きながら話しはじめた。


「でも、でも、札が、つけてあったし、出かけていく、あのカッコイイ男の子に、話しかけたら、掃除してもいいって、言ってたから、私達、誰も、居ないと、お、お、思って……。」


 その女の子の言葉に、アリウスさんがグインッともの凄い勢いで後ろにいる女の子達に向き直って、女の子達はみんな震え上がってしまった。ディアさんがより一層小声になって、私だけに聞こえるように囁いた。


「これ、ノア達が悪いんじゃない?もしかしてあの子達、悪くないんじゃない?」


 私もそんな気がしてきていた。私もノアもあまり宿に泊まっていないから慣れていないし、たぶんノアも掃除がだめなことだなんて思っていなかったと思う。女の子達は悪いことなんて何もしていないのに、怒られてしまっている気がする。


「あ、あの、ちょっと待ってください。その女の子達は何も悪くありません。私達が宿に慣れていなくて、知らなかったんです。ごめんなさい。掃除をしてくれていたみなさんは悪くありません。怒られるなら、私達の方なんです。ごめんなさい。」


 私が頭を下げて謝ると、アリウスさんに慌てて止められてしまった。それで、私達が知らなくて、迷惑をかけてしまったことをなんとか説明して、女の子達を怒らないでもらえるように説得した。そうして、なんとかやっと話し合いが終わって、掃除道具と一緒にみなさんが帰っていった後には、もうくたくたになっていた。


 メイベルさんと同じような年頃の、小さな女の子達が泣いている姿を見ているのはとても辛い。それが自分のせいだと思うとよけいに身に応えた。手すりにもたれ掛かりながら階段を上がって奥の部屋に入ると、力を振り絞って洋服箪笥を開けた。鞄を開けて覗き込むと、荷馬車から見える光景と同じだった。私は洋服箪笥の中に乗り上げると、階段を下りて私とノアの部屋に帰った。とても疲れていたので、そのままぐったりとベッドに倒れ込むように横になった。


「ねえねえ、靴は脱いだ方がいいんじゃない?どうしたのよ?眠いの?」


 寝転がったまま靴を脱いで、そのままもぞもぞとベッドの中央まで移動する。とても疲れていて、起き上がることもままならない。


「……あんなに楽しそうに笑っていた女の子達を、泣かせてしまいました……。」


 やっとそれだけ言うと、引きずられていくように深い眠りの中におちていった。どこかから、小さく波の音が聞こえてきていた。ザザア~ザザア~とだんだん間近に迫ってくるさざ波の音に、ゆっくりと心が穏やかに凪いでいく。深く大きく深呼吸を繰り返しながら、次第に深い深い海の底に沈んでいった。


 徐々に波の音も聞こえなくなって、海のくぐもるような静けさに耳を澄ませた。海の底の底の、もっと深い神聖な場所、清らかで尊いその場所に、祈るように厳かに手をのばした。ふと私のなかを寂しさが過っていく。不安定なものが揺らいで、行く手を阻もうとするのを、微笑みながら抱きしめて、大丈夫だよと教えてあげる。大丈夫。大丈夫なのよ。私は、……そう、わたしは、……わた……る、だいじょうぶ、のぞんで、せいじょうに、するの。


 目を開けると、手足をまっすぐにのばして、ベッドを横断するように寝転んでいた。その手のひらの上には、海の腕輪があった。その手の中の海をしばらくジッと見つめる。


「あっ、起きた?ふふっ。ねえ、すごい寝相よ?ふふふ。」


 小さく身を屈めて丸まって、その海ごとギュッと包み込む。もっと、もっともっと深く、濃く、深海の、もっとその先の、ギュウーッともっと濃密に、もっと……。


「わっ!!??光った!?なんか今光った?なに今の?ねえ?なに?なにしたの!?」


「……ここは、……です、からね。ディアさんの声も、ちゃんと、……聞いて、いたい……、ですから、ギュウッ……って……。」


「ああ!待って!待って!寝ないで!説明!あああ!……寝ちゃった。もう!起きたら、ちゃんと説明してよね!?」


 スッキリと清々しい気分で目覚めると、ディアさんが目の前でプリプリ怒っていた。ぽよんぽよんと跳ねながら、説明、説明と言いながら怒っている。何の説明なのかを聞いてみたら、更に怒らせてしまった。ベッドの上で起き上がった私の足の上に乗ると、ボスンッと私の胸に突進してから、また元にもどる。


「じゃあ、それ、なに?手!見て!」


 言われた通りに手を持ちあげてみると、海の腕輪が無くなっていて、両手の右手と左手のそれぞれ違う指に一つずつ海の指輪が嵌まっていた。いつもの海の腕輪よりも、もっと濃い、濃厚な海の色をしていた。もっと深い海だった。


「……腕輪が指輪に変わってますね。」


「のん気!!どうして!?なにしたのよ!?だって!!海なのよ!?……どうして、そんな事ができるの!?」


「私が何かしたわけじゃ……?……したのかも、しれませんけど、詳しくは憶えてません。……海の夢はみたような気がします。」


「もお!!ちょっと~!じゃあ、寝ぼけて何かしたってこと?大丈夫なの?それ?」


「……さあ……?どうでしょう?」


 私は改めて両手の指輪を見てみる。腕輪の時と変わらずに、何の違和感もなく馴染んでいて、何かをつけている感覚もない。ただなんとなく前より親密になったような、もっと身近になったような、何とも言えない、不思議な感覚はあった。


「……前より愛着は湧いている気はします。」


「そりゃ、ずっと着けてれば、愛着ぐらい湧くでしょうよ。……もう、いいわ。いつものことよ。なんだか更に凄くなってるんだけど……、いい、いい。もう何でもいいわ。」


 すっかり疲れもとれて、スッキリとしているので、ベッドから出て、また宿の部屋に戻ることにした。荷馬車の部屋から出ようと階段を上がると、扉の取っ手が一つ増えていた。鞄の取っ手のような持ち手を持ち上げて開けると、宿の部屋の洋服箪笥の中に置いてある鞄に繋がっていた。


 箪笥から降りると、部屋の景色が一変していた。夕日が目映いほどに輝いていて、大きな窓からさし込む夕方の日の光に照らされて、部屋の中が真っ赤に染まっていた。その壮麗さにしばらく身動ぎもせずに見とれてしまう。いつもの何気ない一日の終わりが眩しいほどに美しかった。


 それからしばらく沈んでいく夕日を眺めていると、ノア達が部屋に戻ってきたようで、下の階から騒がしく物音がしてきていた。すぐに階段を上がってくる音がして、ノアが急いたように部屋に入ってきた。


「ただいま。もう帰ってきたんだ。僕たちは日が沈む前に帰ってないと、次の日は出かけちゃいけないんだって。治安が悪いって、本当に不便だよ。」


 ノアと話しながら下の階に降りて、ピートさんも交えて初日の王都の様子を聞くことにした。階段を下りながら、今日は何事もなかったかノアに聞かれたので、掃除係の女の子達の話しをどう説明したらいいか考えていると、ディアさんが私の凄い寝相のお昼寝の話しをしていた。ノアは楽しそうに聞いていたけれど、私は少し恥ずかしかった。

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