92.寄せあうもの
誰かの話し声にふと目を開けると、目の前に夢のように可愛い丸い白い鳥がいた。まだ眠たくてぼおっと眺めながら、おモチみたいだなとぼんやり思った。それはなんだっけと考えていると、その丸い可愛い白い鳥に話しかけられた。
「ごめんね。起こしちゃったよね。羊がうるさくて、まだ早いから寝ていてもいいんだよ。」
「うるさいってね。あんたがその紐早く取らないからでしょ。今必要ないじゃん。エミリアに撫でてもらうつもりなんでしょ。あざとすぎんのよ。可愛い存在は私だけで十分なのよ。さっさとその紐取りなさいよ。」
枕元でノアとディアさんが小声でなにか言い合っていた。目を瞑ってもう一度眠ろうとしたけれど、目の前の光景が可愛くて、ぼんやり眺めていた。
「エミリア?起きちゃったの?眠れない?それなら、ちょっと見てもらいたいんだけど、今から見える感じの違いで、どっちがいいか見てもらえる?」
ノアが白い鳥の姿で、こっちかこっちと言いながらパッパッと変わって、見え方が少しだけ違った。どちらも可愛い丸い鳥のままだけど、ノアの存在をより感じやすい最初の方を選んで、お礼が聞こえる頃には瞼が閉じていて、また眠ってしまっていた。
二度寝から目が覚めて、起き上がるとノアはもういつもの姿だった。そして朝からとても機嫌が良さそうだった。髪の毛を綺麗にしてもらいながらノアに聞いてみると、さっき私が選んだのは夢ではなくて、重なって見えないとゆうことに成功したようだった。
「簡単そうな魔術に見えたんだけど、全然、複雑そうじゃないのに、難しくてね。でも、一つ一つ違うから面白くて。それでちょっとずつ僕を寄せていく割合を変えてみたんだけど、試していたら、ついつい楽しくて、それで微妙な差でどっちがいいかなって思ってたんだけど、ちょうどエミリアの目が覚めたみたいだから、どっちがいいか選んでもらったんだ。」
「……そう、なんだか、難しいんだね。」
「そうなんだ!難しくて!面白いよね。だから改良してもらうまでには、まだまだなんだ。たぶんなんだけど、決定的にいくつか足りない気がするんだよね。おばあ様に聞いたら分かるかな。魔法のことは、おばあ様に聞いてみないと……、あ、そろそろ朝ごはんに行こうか?お腹がへっているよね。」
ノアが朝から元気いっぱいで、すごく機嫌が良かった。言っていることは分からないけれど、変身の組み紐の勉強がよほど楽しかったらしくて、ずっとその話しをしていた。
「エミリア、ウザいならウザいって言った方がいいわよ。うるさいもの。」
「えっ!?う??なんですか?うるさくはないですよ?」
食堂ではラリーさんがいつものように朝ごはんを作っていた。ラリーさんとノアは食堂にいる間ずっと組み紐の魔術の話しをしていた。とても楽しそうだった。食べ終わってからも、二人で後片付けをしている間もずっと話していた。
私はなんとなく思い立って、そのまま部屋には戻らずに、久し振りに外に出てみることにした。もし走行中で荷台の中から降りられないとしても、朝の陽の光の中で風に吹かれるのは、心地よさそうだなとふと思いついたのだった。
「エミリア?部屋に戻らないの?」
「ちょっと風にあたろうかなと思って。天気が良ければ、日向ぼっこも気持ちが良さそうですよね。」
階段を上って荷台に出ると、荷馬車はまだ動いていなかった。荷台の隅で荷物の整理をしていたピートさんが私に気付くと、もの凄くビクッと驚いたように震えて後ずさりした。
「あ、すみません。驚かせちゃいましたか?すみません。」
「あっ、いや、いえ、全然、……大丈夫、です。全然。」
「??なんですか?なにか変ですよ?」
ピートさんがなにかよそよそしくて、落ち着かない様子で挙動不審だった。ああ、いえ、全然、等をボソボソ繰り返していた。少し不思議に思いながらも、開け放たれた荷台の端までいって外を眺めた。思ったとおり、朝の澄んだ風が心地よかった。
隅の方でディアさんとピートさんが小声で言い合いを始めてしまったけれど、いつものことなので放っておくことにした。それはなんとなく、仲が良い証拠のような気もしていた。
「ノアから、なにも話しを聞いていないのかしらあ?それとも、いつも通り、ってゆう簡単なことが分からないとか?まだ、理解できていないみたいね。態度を変えられると、人がどんな気持ちになるのか。そお、そおなの。……ちょっと待ってなさい。」
しばらく清々しい風に触れながら、その朝の快さに身を委ねていた。澄み渡る青い空をもっと感じていたくなって、朝の散歩に出かけてもいいか聞こうと振り返ったときに、ちょうど荷台の部屋からラリーさんとノアが出てきた所だった。
「あ、ノアちょうど良かった。まだ出発しないようなら、ちょっと散歩に行かない?」
「ああ、エミリア。残念なんだけど、今からおじい様に稽古をつけてもらうんだ。また後で一緒に散歩に行こうね。」
こんなに朝早くからラリーさんと稽古するのは珍しいけれど、見るとラリーさんはもう自分の鉄棒を手にしていた。しかも両手に2本も持っていて、気合十分な様子だった。まだ朝露が残っている草むらに消えていく三人を見送って、その後ろ姿を眺めていた。
「なんだかピートさんの元気がなかったですね。せっかくラリーさんとの稽古なのに。珍しいです。」
「そお?まだ眠かっただけじゃない?稽古でもつけてもらったら、目も覚めるでしょうよ。それより、朝からずっとここにいたら寒くなるんじゃないの?」
「そうだ。忘れてました。外に出るときは上着を着るんでしたね。部屋に戻りましょう。」
その日は結局、一日中浄化の練習に集中してしまって散歩には出なかった。少しずつ、とゆうのは思いの外難しいけれど、それよりも私のなかで、朝の澄み切った空や清々しい風が、なにかとても心に引っかかって、その清らかさのことばかり考えてしまっていた。ディアさんは良い調子と褒めてくれるけれど、加減の修行は一向に進んでいなかった。
そんな、何か掴めそうな、掴めなさそうな、どこかあやふやな日々を過ごしていたある日、晩ごはんを食べていると、ノアが一気に目が覚めるような発言をした。
「それで、今日泊る宿が、最後の宿と言われていて、明日は朝早くに出発したら、休憩せずにそのまま王都に到着するみたいです。王都に入る時には人数確認があるから、荷台に座っていないといけなくて、ピートが呼んでくれると言ってました。あ、エミリアはあのぐるぐる眼鏡を忘れないようにって言ってたよ。」
「明日王都に着くの?朝に?」
「そうだよ。あと、みんな地味めな恰好がいいとも言っていたけど、普段から誰も派手じゃないよね。」
晩ごはんの後は俄かに慌ただしくなった。とうとう明日到着すると聞いて、訳もなくアタフタしてしまうし、ラリーさんは片付けを早々に終わらせると、アビーさんに話しに急いで食堂を出て行った。落ち着かなくてウロウロしてしまうけれど、私には何も用意するような物はなかった。
ノアに宥められて早めにベッドに入って、もう寝てしまうことになった。明日の朝は早いしと言われて頑張って眠ろうとしたけれど、なんだかもう緊張してしまって、なかなか寝付けなかった。布団の中にいるのに眠れないのは珍しいので、ノアが持っている本をベッドの中で読んでくれることになった。
それは男の子の冒険の物語で、楽しくて続きが気になって、もっと眠れなくなると思っていたけれど、ノアの落ち着いた少し低い声が心地よくて、最後まで読み終わる前に眠ってしまっていた。
朝目覚めた瞬間から、今日の王都到着のことで頭がいっぱいでドキドキしていた。私達はピートさんに呼ばれるまで待っているだけなので、いつもと違うことは何もないけれど、そわそわしてしまって仕方がなかった。
そうこうしているうちに、とうとうピートさんが私達を呼ぶ声が聞こえた。私とノアとラリーさんが荷台に上がる。アビーさんはやっぱり王都では姿を見せるつもりはないらしくて、出てこなかった。ピートさんが私達一人一人に、大事そうに小さな冊子を配ってくれた。
「王都じゃ、この身分証がないと、どこにも行けないらしいから絶対無くすなよ。今から門番にここに判子を押してもらって、それがないと中に入れないからな。怪しまれるような真似はするな。極力喋るな。」
ピートさんが細々とした注意事項を教えてくれている間に、だんだんと、凄く緊張してきていた。ここで怪しまれて王都に入れなければ、探すことも何も出来なくなってしまう。胸がドキドキしていた。ピートさんは最後に私達を見渡して、考え込んでため息をはいた。
「ノアは、念の為顔を隠すような地味めな帽子をかぶれ。エミリアは……、その眼鏡はいいけど、もっと目立たない髪形に、……とりあえず帽子でいいな。あと服はもっと地味な方がいいぞ。師匠は、そのゴーグルは隠して、あの眼鏡にした方がいい。あと、袖のついた服は持ってないの?」
ピートさんが急いで荷物の中から、帽子と上着をだして、私達に貸してくれた。ノアが帽子を目深にかぶると、なるほど顔が見えにくくなった。私はピートさんに上着も借りて、ノアと同じように帽子を被った。ラリーさんにはピチピチでちょっと小さいけれど、袖のある服をピートさんに借りて、眼鏡を変えた。これだけでもみんな、いつもと印象がずいぶん変わって見えた。
「よし。それで馬車が止まったら、前の方から調べられるから、俺たちが最後になる。喋らずにじっとしているんだぞ。」
ピートさんが話し終わると、しばらくして馬車が止まった。私達は一言も話さずに、身動きもせず緊張しながら門番の人が回ってくるのを待っていた。すると何人かで手分けして回っているようで、外で話し声がしたと思っていると、すぐに若い兵士のような人が私達の荷台に近づいて来た。
「1、2、……、身分証。」
私達はそれぞれ緊張しながら身分証を差しだしたけれど、急いでいるのか、兵士の人は誰の顔も碌に見ずに、ポンポンと判子を押して戻って行った。一瞬の出来事だったけれど、終わってみると緊張が少し緩んで、みんながホッと一息ついた。しばらくそのまま待っていると、荷馬車がゆっくりと進みだしたので、そこで初めて隙間から外を見てみた。
大きな柵でどこまでもぐるっと囲まれた向こう側に、建物が所々にポツポツと建っていた。詰所と併設した大きな門を荷馬車がくぐると視界が開けて、だだっ広い土地に建物はまばらで、道の仕切りのような看板がそこら中に立っていた。見渡してみても閑散とした雰囲気だった。
「王都って、なにもないんだね……。」
「バッカ、エミリア。ここはまだ外側なんだよ。人が増えたら外側に住める所を増やして、広げていくんだって。俺たちが入る商人の門にもまだ到着してねえよ。」
どうやら王都はとても広くて、まだ外側に着いただけのようだった。そして身分とゆうものに応じて、壁と門で仕切られていて、身分証をみせて門を出入りするらしい。なんだかややこしい仕組みになっていて、絶対に身分証を無くしてはいけないことは分かった。
「俺たちは商人の門から入るから、着くのはいわゆる下町だな。それでも、こんだけの大所帯だから中心の方の大きな宿を拠点にするらしいぞ。俺も初めて来るから詳しくねえけど。」
ピートさんの話をみんなで聞いているうちに、前方にとても高い塀が見えてきていた。見上げるほど高い壁は今まで見たこともないほど高くそびえ立っていた。とても頑丈そうなその高い壁の上には等間隔に塔があって、この高い壁の上には人が行き来しているようだった。物珍しさに思わずみんなが身を乗り出して見上げていた。
「やあ、こっちはおチビちゃん達の馬車か。ははは。とっても立派な城壁だろう?町をぐる~と、まるごと全部守っているんだよ。」
私達があまりに高い塀に夢中になっている間に、いつの間にか荷馬車は止まっていたようで、門番の兵士のらしき人が近づきながら話しかけてくれていた。さっきの門番の人と違って明るい雰囲気の兵士の人だった。
「人数は、大丈夫だな。身分証を出してくれる?……はい。この身分証は絶対になくしたらだめだぞ?滞在の間はずっと持っておくように。エルドランは広くてどこも入り組んでいるから、親父さんから離れないようにな。」
話し好きそうな、終始にこやかな若い兵士の人は、全員の身分証に手際良く判子を押すと小走りで戻って行った。動き出した荷馬車の中で、私達はその愛想のいい門番の兵士の人に呆気にとられたようになって、誰も何も話さなかった。
私達はなにも怪しまれることなく商人の門を通過することができた。門の詰所の前を通り過ぎると、さっきの兵士の人が小さく手を振ってくれていた。これから王都で成し遂げようとしていることを、応援してくれているような気がして、とても嬉しくなった。
私はお返しに元気よく大きく手を振り返した。その名前も知らない兵士の人は笑顔になって、答えるように大きく手を振って見送ってくれた。
その姿を見ながら私は、心の中で誓いを立てていた。次にこの門を通る時には、メイベルさんと一緒にいるんだ。必ず見つけ出して、この門から出て、メイさんの待つオルケルンに連れて帰るんだと、揺るぎない決意を伝えるように、私は力強く手を振った。