91.かさなる姿
食後に大事な話があると言うことで、私とノアは後片付けを手伝っていた。お皿を落としたり、なぜか拭いたテーブルがビシャビシャに濡れてしまったりしたので、ノアが後始末をして、私だけまた椅子に座って待つことになった。
よけいな仕事を増やしてしまって申し訳なくて、せめて乾いた布巾でテーブルを拭こうとすると、アビーさんに笑顔で止められてしまった。それでまた大人しく椅子に座りなおして、アビーさんと一緒にお茶を飲みながら、片付けが終わるのを待っていた。
アビーさんが私の様子を見てから手をフィッとして、作業台の上からあの組み紐が入った宝箱を浮かせて持ってくると、私の目の前のテーブルの上に置いてくれた。
「この組み紐を眺めて待つか?なかなかに見事な出来であろう?鮮やかな麗しい色彩をしておる。」
「そうですよね。どれもすごく細かくて鮮やかで綺麗です。それに、こんなにたくさんの種類の模様が一つ一つ違うなんて、すごいです。」
私は目の前に置いてくれた箱の中の組み紐を取り出しながら、それぞれの美しい造形に見とれていた。とても緻密な細工は糸から作られているのは分かるけれど、どんな複雑な編み方をしたらこんな風に仕上がるのか見当もつかない。
「さてさて、待たせたな。ノアもありがとう。座っておくれ。」
ラリーさんとノアもそれぞれの飲み物を持って席に着いた。ラリーさんが一息ついてお茶を飲むと、なにから話そうか思案している様子でしばらく黙っていた。もう一度お茶を飲んでから、落ち着いた口調でラリーさんが話しだした。
「わしらは、一時的に王都に拠点をおいていたことがある。……ほんの少しの間だがな、アンドレが……。ノア、お前さんの父親はずいぶんと頭がよくてな、勉強が好きだった。万物の知識を得たいと言って、本もたくさん読んでいたし、幼き頃より博識で学ぶことが好きだった。」
ラリーさんは途中から懐かしそうに遠くをみながら話していた。少し涙ぐんでいて、ノアのお父さんのアンドレさんのことを思い出しているようだった。そしておもむろにに咳払いしてから、また話し始めた。
「そんな訳で少しの間だが、アンドレは王都にある大きな学校に通っていたことがあるんだ。本がたくさんあると、とても喜んでいた。アンドレは学校の寮で暮らしてな。友達がたくさんできた事も、本当に嬉しそうに話してくれた。その頃には、アンドレは人族のなかで暮らしていくのも、いいかもしれんと考えたりしたもんだ。……気の合う仲間達と毎日、楽しそうだった。」
そこまで話して、ラリーさんはアビーさんのことをチラッと見た。そして気遣うような労わるような表情でしばらく見つめたあと、また話しだしてくれた。
「……だが、王都で事件は起こってしまった。その事については、何も、詳しく話すつもりは無い。それでわしらは、今では、……それまでもそうであったように、どの種族ともあまり関わらんように過ごしている。気をつけていると言った方がいいかな。」
そこでラリーさんは私達を見て表情を緩めた。緊張をほぐすように大袈裟に笑いかけると、努めて優しく、穏やかにまた話し始める。
「いろいろな性格の者がおる。それはどの種族でも同じこと。だから、一人一人種族が違えど、分かり合おうとすれば、意見の違いは話し合いで解決することができる。種族が違えど、親しい友人にもなれるだろう。……わしもピートを気に入っておる。努力家で、気の良いやつだ。だからわしは課題を与えて、合格したピートに鉄棒を渡した。だが、わしらは便利な道具で影響を与えすぎてはいかんのだ。……それぞれ別々の種族であるとゆう事を尊重し合うこともまた大切でな。そこで、この組み紐の出番とゆうわけなんだ。」
「……大切かしらんが、そなたの話しは回りくどくて長いのじゃ。ようするに、妾達は目立たんように、この組み紐を使って王都にいる間は姿を変えておる。目的の為に王都に入るが、妾は奴らと馴れ合うつもりはない。そなたらもこれを好きに使うがよい。変装道具でもどちらでもよい。ただし無くさぬように。決して人族に譲渡してもいかん。」
「それは、はい。分かりました。その、事件とゆうのは、どうしても教えてもらえないんですか。……気になるんですけど。」
「ノアよ、それは気にせずともよい。気に食わぬことがあった。それだけじゃ。」
アビーさんはとうとうガタっと椅子を倒して立ち上がると、ヒューンと一回転して飛んでいってしまった。ラリーさんが椅子を元に戻してからノアに説明した。
「気になるだろうが、まあ、知らんでも良いことはあると理解してくれ。すまんな。それより組み紐の説明をしよう。こっちが本題なんだ。」
この他の生き物に変身できる便利な組み紐は、実は変化の魔法とは少し違っていて、変身とはまた少し違う類の物で、いくつかの注意事項があった。肌にピッタリくっつけて結ばないといけないし、切れたり破損してしまったら使えなくなるらしかった。
「それに、どうやらエミリアには見破られるようだ。まあ、これはなんと言うか、玩具のような物でな、多少の不便は承知の上の物なんだ。万一の時の為に、好きな物を選んで持っているといい。」
私は目についた組み紐を試しに使ってみることにした。腕に巻いて言われた通りに結んでみた。それからノアの方を向くと、なぜか驚いた顔をしていた。
「変わってない。変身していないよ?」
「え?ホントに?ちゃんと結べていなかったのかな?」
私は慌てて組み紐を腕から外して、今度は指に結んでみた。けれど私の姿は一切変化していないようだった。髪に結んだり足に結んだり、違う組み紐にしたり、いろいろ試してみたけれど、全部だめだった。
「エミリアには効かないようだ。これには本式の魔術は組み込んでおらんし、そうゆうこともあるんだろう。エミリアには変身道具の方が良さそうだな。」
ノアが一本の組み紐を適当に掴んで腕に結んだ。すると途端にノアの姿が、とても小さな白い鳥に変化した。ノアは体をいろいろと動かしながら確認している。
まん丸い白い鳥は目もまん丸で、瞼が少し黄色がかっていた。小さなくちばしも目も足も黒くて、羽は茶色や黒色をしていた。小さな体の割に大きな翼は、広げると思いの外シュッとしていた。けれど、丸々とした体は見る角度によっては真っ白な完全な球体にも見えて、とても、とっても……!!!
「これは?本当に鳥ですか?こんなに丸々としているのに?なんだか鳥らしくないような……」
「可愛い!!!すっごく可愛い鳥です!!ノアが可愛い!触ってもいい?」
「……えっ!?」
丸い体の小さな白い鳥は信じられないぐらい可愛くて、手のひらにのせて、うっとりと見つめてしまう。思わず撫でて頬ずりして、その可愛いまん丸い頭にチュッと口づけする。可愛い、可愛すぎる。ずっと抱きしめて見つめていたい。けれどやっぱり時折ノアの姿と重なって見えて目が疲れてしまう。なんとか集中して鳥の姿だけ見ようとすると、多少長い間は鳥の姿のままで見ていられるようだった。
「目がやっぱり疲れます。残念、ずっと可愛い姿を見ていたいのに。」
いろいろ試してみると、ギュッと目を閉じてから鳥の姿の方に集中すると、より長く鳥の姿が見えるようだった。ため息がでるほど、丸い白い鳥は可愛い。なぜか頭の中に、シマエナガとゆう言葉が浮かんだ。それは可愛くて大変な人気者な気がした。
「僕はもうずっとこのままの姿でいます。……じゃなくて!!んんっ!そうだ!これは、これは頑張れば、僕が寄せていけるような気がする。……魔術がそんなに複雑じゃないような……?」
鳥じゃない方のノアがあごに手をあてて、なにか考え込んでいた。何かブツブツ言いながら、腕に巻いている組み紐をジッと観察していた。可愛い鳥を見ようとし過ぎて、目が凄く疲れていた。瞬きしてから目を押さえていると、ノアが腕に結んでいた組み紐をほどいてしまった。
「おじい様、この組み紐を箱ごとお借りしていいですか?ちょっと練習してみます。」
「それは、もちろんいいが。練習とは?」
「この組み紐の魔法に僕の方が寄せていける気がするんです。成功したらエミリアの目が疲れないですみますし、そうなったらもっと改良できますよね。」
「ほお、それは助かる。変化の魔法が詳しく分からんから組み紐なんだ。もし改良できるなら、もっと安定の良い装飾品に作り変えて使いやすくできる。仕組みが分かったら教えておくれ。」
ノアは午後からのピートさんの訓練を取りやめにして、部屋に戻って変身する組み紐を研究することになった。ノアがその旨走ってピートさんに伝えに行ったので、私は箱を持って先に部屋に戻っておくことにした。
「ディアさんも試してみませんか?」
「私?私の姿が変わるの?えっ?どうゆう仕組みよ?」
「やってみましょう。可愛いですよ。きっと。」
私は箱の中から一つ手に取ってディアさんの体に結んでみた。するとディアさんが胴の長い白い可愛い動物の姿になった。イタチ……だろうか?
「とっても可愛いです。……でもやっぱり重なって見えます。」
それから何種類もの組み紐をディアさんに結んだりほどいたりして試していた。小動物が多くて概ね可愛いけれど、時折爬虫類に変わる物も混ざっていた。蛇に変わったディアさんに驚いて慌ててほどいた。
「ちょっと~。なんの動物になるか確認してから結んだ方がいいんじゃないの~?」
「たしかに。あっ!ディアさんのふわふわな体に結び後のかたがついてしまいました。すぐに綺麗に梳いてあげますね。」
「これ、あんまり私には向いてないんじゃない?意味なくない?」
「ちょっと、楽しんじゃいました。可愛い姿がもっと見たくて。」
「それで疲れていたら本末転倒だと思うけど?それより、どっちかを見ておけるように練習しなくちゃ。」
「そう、ですよね。」
ディアさんを櫛で整えながら話していると、ノアが急いで部屋に戻ってきた。走ってきたようで、息が上がっていた。
「お待たせ。ちょっとだけ打ち合いをしていたら、遅くなちゃって。ごめんね。すぐに始めよう。」
「急いでないからいいよ。気にしないで。」
ノアがまず、あの可愛い丸い白い鳥になる組み紐を取り出して、ジッと凝視している。なにか呟いていたり、目を瞑ってじっとしていたり、なにかを試しているようだった。私は時折ノアに言われた時にだけ、重なって見えるかの確認をしていた。
そのうちにノアは箱ごとテーブルの所に移動して、椅子に座って机の上の紙になにかサラサラ書きながらブツブツ呟いていた。その姿はまさに勉強といった感じで、もの凄く細かく書き込まれた紙が何枚にも増えていく。組み紐もすべて分類分けしてテーブルの上に置かれていた。
なにか解読しようとしているようだけど、とてもあのたくさんの組み紐すべてを調べるのは大変なことだと思う。けれど、ノアがずっと集中し続けていて、むしろ机に向かっているのが楽しそうだった。晩ごはんになってもノアは勉強し続けて、ラリーさんが手慣れたようにノアの勉強しているテーブルにサンドイッチとお茶を置いていくと、無意識なのかちゃんと書きながらも食べていた。
夜も更けて私とディアさんはノアに声をかけて、先に寝ることにした。布団に包まって目を閉じながら、もの凄い集中力で、どこか楽しそうに机に向かっているノアの姿は、勉強が好きだったとゆうノアのお父さんに似ているんだろうなと、眠ってしまうまでの間に、そんなことをなんとなく考えていた。