89.水がきれいに
ディアさんがふっわふわになって、すっかりご機嫌になったので、食堂にいるラリーさんにも見せに行くことにした。いつもより、もふもふしている気がする。
「ほお、更に手触りが良さそうになったじゃないか。これは、手入れする櫛でもあれば、もっと綺麗に整えられるんじゃないか。ちょっと、待ってなさい。すぐ作ってやろう。」
ラリーさんがなにか思いついたようで、工房に走って行ってしまった。食堂には、作りかけのお菓子が置いてあった。
「あとは焼くだけ、ですかね。それなら……」
「触らない方がいいわよ。私この間見てたけど、発酵とか言って、ず~と置いたままにしてから焼いてたわよ。」
「そうなんですね。せっかくなので、なにかお手伝いできたらと思ったんですけど、触らずに座って待ちましょう。」
「ふい~。良かったわ。美味しく食べるのは良いことよね。」
「……?そうですね?良いことですね?」
テーブルの上のディアさんと、手遊びしながらラリーさんを待っていると、そう待たないうちに、ラリーさんが小さな櫛を手に持って食堂に戻ってきた。
「こんな櫛を作ってみたんだ。工房にある綿で試したら、ふわふわになったぞ。ちょっと、わしが梳いてみてやろう。」
ラリーさんが小さな櫛でディアさんを整えるように梳いていくと、更にツヤツヤのふわふわになった。思わず触りたくなるようなふわふわ感だった。
「ディアさん!すっごくふわふわです。可愛いです!風になびきそうです。」
「そう!?そんなに?私可愛くて、ふわふわなのね?ちょっと風にあたりにいきましょう!風になびきに行くわよ!」
「はいっ!見たいです!」
ラリーさんにお礼を言ってから櫛を貰って、私とディアさんは荷馬車の部屋を出て、荷台から外の風にあたることにした。ふわふわ風になびくディアさんを早く見たくて急いで荷台に上がると、私はまた、ぞわぞわした気持ちの悪さに襲われていた。まったく油断していたので膝から崩れ落ちてしまう。
「エミリア!?どうしたの?あっ!あれ、つけてないじゃん!海の、あれ。」
「……忘れて、ました。……取って、きます。」
よろよろと荷台から降りて、まっすぐノアと私の部屋に向かった。そしてベッドの上に置きっぱなしにしていた、海の腕輪を両手に1つずつ着けた。するとすぐに私の手首にシュルシュルとちょうどよく収まって、なんの違和感もなく、すぐに何もつけていないかのように馴染んだ。
不思議といえば不思議に思えるけれど、ラリーさんが感動するほど、海は凄いらしいので、そうゆうものなんだろうなと納得する。荷台にディアさんを待たせているので、急いで部屋を出て荷台に向かう。部屋をでると、ちょうど大荷物を持って工房に向かうラリーさんに出会った。
「あれ、もう帰っていたのか。ふわふわ具合はどうだった?」
「海の、この腕輪を忘れていて、気持ちが悪くて、取りに戻ったんです。うっかり忘れていました。」
「ハハハッ。そうか、それはもう忘れんようにせんとな。ハハハハッ。」
急いで荷台に上がると、ディアさんが荷台の端に座って、風に吹かれていた。ふわふわと風に揺れる羊のディアさんが膝の上に乗ってきたので、ふわりふわりと撫でる。触り心地が格段に上がっていて、いつまでも、もふもふしていたいほどだった。
「まったく!うっかりさんなのよねえ~。ま、それが役に立っていることは確認できたわけね。忘れないように、もうずっと着けていたらいいんじゃない?」
「そうですね。つけていることも忘れそうですけど。」
「まったく~。それより、最近外に出てなかったけど、これ今どうして止まってるの?お昼なの?休憩?」
「たぶん、休憩中だと思います。しっかり何回も休憩した方がいいらしいですよ。そうじゃないと、馬達が疲れてしまうし、お水も、ごはんも、休憩も、たっぷりだと長旅でも元気でいられるそうです。」
「ふ~ん。たっぷりねえ~。そんなにゆっくりしたら、せっかちな魔女が怒っちゃうんじゃない?」
「そういえば、アビーさんはまた天井の部屋なのかな?無理してないといいんですけど……。」
「魔女は無理なんてしないでしょ。魔女はとんでもなく自由なはずよ。どんな理からもはずれているじゃない。」
「そんなことありませんよ。アビーさんは、いっぱい無理して頑張ってくれるんですから。私は時々、すごく心配になります。」
しばらく風にあたりながら荷台に座って、ディアさんとお喋りしてすごした。そうしながら、外に出ている自分の体調の変化がないか様子をみていたけれど、なんの異変もなさそうなので、荷馬車から降りて外を歩いてみることにした。
「遠くに行っちゃだめよ。馬車が見える所までにしてね。」
「じゃあ、あの木が生えている所にいるノア達の近くに行ってみてもいいですか?」
ディアさんがいいわよと言って、ふわりと肩に乗った。久し振りの外歩きは、冷たい風が肌にあたる感覚も心地よくて、つい浮かれそうになってしまう。けれど、大きな道から外れて歩いていると、予想していたとおりに地面にうずくまっている幼精達の姿がチラホラ見えた。
ゆっくり慎重に歩きながら見ていると、極端に幼精達の姿が少ないように思えた。地面から生えている草が長めに伸びているので、見つけにくいだけなのかもしれない。そうだったらいいなと思いながら、だんだんとノア達がいる場所に近づいていた。
「後ろの感覚って難しくねえか?頭とか足ならなんとなく分かるんだけど、思いもよらない角度とかだと全然分からん。それって、剣とかだったら致命傷だよな?」
「うん。剣だと切られているか、刺されてるんだろうな。全部防ぐのは難しいよ。なにかコツがないか、おじい様に聞いてみよう。それに、この間みたいに稽古をつけてもらうとか。」
「あれか……。ぶっちゃけあれ、キツすぎねえか。もっと手加減してくれたらな……。」
「あま~い。あまあま!甘ちゃんなのよね~。そんなんで最強とか!なれると思ってんの!?さっさと強くなって、ちゃ~んとエミリアのこと守ってくれないと困るんですけどお~。」
「なに~!これでも岩を割ったんだぞ!?ちゃんと折るのはほとんど完璧なんだぞ。」
「ほ・と・ん・ど!ちょっとちょっと!それで大丈夫なの!?」
ノアとピートさんの訓練の邪魔はしないようにしようと思っていたけれど、ディアさんとピートさんが言い合いを始めてしまったので立ち止まった。
「エミリア、体調は大丈夫?気持ち悪くはない?その腕輪がキツくなったりしてない?」
「大丈夫。なんともないよ。久し振りに外を歩けて嬉しい。」
「そう、良かった。二人はああなったら長いから、あそこの木陰で座って待ってたらいいよ。」
ノアがすぐ近くの背が高い木が生えて木陰になっている場所を指した。ディアさん達を見ると、なんだか楽しそうなのでそのままにして、木陰まで行って座って待つことにした。歩いて木に近づいていくと、木の向こうに隠れるように小さな池があるのが見えた。真四角な形の人工の池のようだった。
辺りはなんの手入れもされていなくて水も濁っていた。今は雨水が溜まるだけなのか底も見えなくて、とても飲み水には出来そうもないほど水が濁っている。それがなぜか気になって、その小さな池に近づいて行く。背の高くなった草を慎重にかけ分けて池に近づくと、縁に立派な彫刻がしてあって、小さいけれど、しっかり頑丈そうな凝った造りの池だった。
縁に腰掛けて濁った水を見ていると、とても悲しくなってくる。ここにいる幼精達のことも、もし一人一人を手に乗せて元気にしてあげられるなら、そう、してあげたいと思った時もあったけれど、これは、たぶん違うんだと思う。
ディアさんにも分からない、呪いかなにか、それがここまで影響していて、それはたぶん、王都か、そうじゃなかったら王都のもっと向こうとか、とにかく私達の向かっている方向に元凶があって、それが無くならないと、たぶん元には戻らない。それが何なのか、どうしてこんなことになっているのかも、今はなにも分からない。
思わず遣る瀬無くて、ため息が出てしまう。元気のない幼精達を眺めていたら、悲しくて、この濁った池の水が悲しくて、どうして、どうしてと気持ちが沈んでいく。綺麗な水だったはずなのにと、池の水に手を浸した。ぬるくて濁った水によけいに悲しくなって、手で水をかき混ぜた。
綺麗な水に戻ったらいいのにと思っていると、私の手が指先まで見えた。ん?と見てみると、池に浸した私の手の周りだけ綺麗な水になっていた。試しに両方の手を浸した途端に、どんどん池の水が透明に綺麗になっていった。
そのまま浸し続けて、とうとう池の底まで見えるようになると、今度はうずくまっていた周りの幼精達が元気になったのか、ふわふわ浮かび出していた。そうしている間にも、見慣れた幼精達の動きに戻っていく。そこら中から集まってきたのか、たくさんの幼精達が私の周りを集まって回り始めて、心なしか周りの木々が青々と茂っているようにも見えた。とても、嬉しい。とても、楽しい。水が綺麗になって、幼精達が元気になって、草木が青々と茂って、これは?これは……。
「エミリア!!」
「あっ、ディアさん、おかえりなさい。見てください。水が綺麗になったんです。それに、周りの……」
「エミリア、もういいわ。手、もう手出して。もう十分でしょ?」
ディアさんはなにか怒っているようだった。池に浸していた手を戻すと、すぐ近くに来ていたノアが濡れた手を丁寧に綺麗に拭いてくれた。
「……エミリア、浄化は後回しにする約束だったんじゃないの?いきなりこんなに盛大に……。エミリアはまだ子供なのよ。まだ大人じゃなくて、完全じゃないのよ?それなのに、こんなに……!?……なんともないの?平気なの?」
「えっと、ごめんなさい。……なんとも?ないですけど……?ええ!!これって、今のが浄化ですか!?浄化って、水を綺麗にすることなんですね?わあ!すごい!」
「え!?違うけど……、いや違わないけど、それだけじゃ……。それより!!すごいじゃないわよ!こ~んなに派手に浄化しちゃって!絶対!おかしいでしょ!?体調は?熱は?流れは?体調を聞いてんのよ!?」
ディアさんが急かすので、私は何もなんともないけれど、集中して自分の巡りを確かめてみた。すみずみまで確認してみたけれど、やっぱり特になにも異変はなくて、すこぶる体調もいい。
「とくになにも、変わりません。元気です。」
「ええ~?どうなってんの?ホントに元気そうなんだけど。ええ~?だって、こんなに……。ええ~?」
「それより!ディアさん!ディアさん!これが浄化なら、私、いろんな場所を綺麗に出来ますよね?前に通った所も、この先も幼精達の元気がない所を全部綺麗にしていったらいいんじゃないですか?私、出来ますか?出来ますよね?」
「待って!待って!!ああ、間違いなく子供。……子供ね。待って!!ちょっと待って!その件は、待って。ちょっと考えさせて。……落ち着いて、考えさせて。お願い。」
「はい。すみません。」
私は水を綺麗にできたことが嬉しくて、つい興奮してディアさんに詰め寄ってしまった。ディアさんが落ち着いて考えてから答えると言うことなので、ノアの提案で荷馬車に戻ることにした。もうそろそろ出発する頃らしい。
ノアが手をとって、そのまま手を繋いで荷馬車に戻ることにした。ふと見ると木陰の木のすぐ横にピートさんが立っていた。ピートさんはなにか手を合わせて組んで、呆然とこちらを見ていた。
その横にはクロがいた。クロと目が合うと、私に向かって膝を折って頭を下げた。初めて見る仕草に不思議そうな顔をしたのに気がついたのか、小さくフンッとして飛び立っていった。
「いま、クロが、なにか変な……、」
ノアにクロが変なことをしなかったか聞こうとした時に、ピートさんがこちらを拝んでいるような姿が見えた。えっ?と思った途端にノアが急に方向を変えて歩きだした。早歩きになったので、すぐに歩くのに必死になってしまった。
「今、クロとピートさんが、変じゃ、なかった?」
「……そう?どっちも、いつも、ちょっと変じゃない?」
どっちも、いつもちょっと、変?そう言われて想像してみると、なんだかおかしくて笑ってしまう。ちょっと変なことをする、クロとピートさん?ノアも想像したら面白かったのか、ブフッと吹き出して笑った。
それで笑いが止まらなくなって、いつの間にかもう荷馬車の部屋に入っていた。もしかしたら楽しくて、ちょっと浮かんで飛んでしまっていたのかもしれない。
部屋に戻っても、何回もディアさんに体調を聞かれることになったけれど、本当にどこもなんともなく健康そのものなので、その度に集中してみる方が大変だった。これも修行の一環なのかもしれないと後になってから、ようやく気がついた。