86.私の修行
前を走る馬車達が停まって、朝の一回目の休憩に入ったのを機に、私とノアは一旦荷馬車の部屋に戻った。部屋に戻ると、私はさっそく修行を始めることにした。
「ディアさん、私の修行って何をすればいいでしょう?」
「……エミリア、よく聞いて。私のユヌマはね、渡る人だった。とってもキレイだったの。私はね、愛する人の側にいた。それだけで、楽しかった。幸せだった。いつも側にいて、話したり、教えてもらったり、みんなに感謝されているのを見ていたわ。」
「……ええと、つまり?」
「そう、つまり、導かれていたのは私達。」
「すみません。それは、どうゆう意味でしょう?」
「もう!だからね、なんかこう、調節してたのは知ってるわ。揺れないようにしていたのもね。気をつけていたことも、知ってる。でもね、しか~し!どんな修行をして、ああなったのかはね、本人にしか分からないものでしょ。」
「そう、ですね……?」
「修行の仕方を知らないなら、知らないと、一言で言えばいい。」
「……え?……知らない?」
「ええ~?だからさあ~、知らないとは、ちょっと違うじゃない?分かる?」
「良かった……、知らないとは、違うんですね。」
「エミリア、騙されちゃだめだ。おい羊、なにが違うんだ。」
「うるさいわねえ~。ノアは邪魔だから、向こうに行きなさいよ。エミリアが集中できないでしょ。」
ノアは文句を言いながらも、私達を残して部屋から出て行った。私の修行に暗雲が立ち込めてきたような気持になった。何をどうすれば、修行なんだろう?
「エミリア、そんな不安そうな顔しなくても大丈夫よ!私、大事なことはたくさん知ってるのよ。ええとね、ゆるす……、うん、それはとっても大事だって言ってた。」
「ゆるす……、なにを、ゆるすんでしょう?」
「さあ?それに、つなぐ、とか?あと、むすぶ、とかも言ってたわ。」
「ええと、なにを?」
「さあ?知らないわ。」
私は崩れ落ちるように、ベッドに座ってしまう。ああ、どうしよう。全然分からない。どう修行したらいいかが分からない。
「ええ?分からない?だって、自分の流れは分かったんでしょ?」
「それは、分かるんですけど……。」
ボスンッとベッドに倒れ込んでしまう。不安な気持ちがどんどん膨らんでいって、自分でも、それは良くないと思うのに止められなかった。これも、たぶん揺れている状態なんだと思う。改めて、いつも真ん中とゆうのは難しいと実感する。たまらずにため息がでる。
「あらあら、ちょっと、良くない感じね。自分でも、分かってるのね。」
「はい。良くないことは分かります。」
ディアさんはフフッと笑った。私は不安な時に一人っきりじゃなくて、ディアさんがいてくれることが、とても有り難いと思った。倒れ込んだ私の顔のすぐ近くに、トストス歩いてきて座ったディアさんをよしよし撫でた。ふわふわな羊のディアさんは嬉しそうにすり寄ってきてくれる。
「いつも私のそばにいてくれて、ありがとうございます。」
「ふふ~ん。いいのよ~。それより、そんなに落ち込まなくてもいいのよ。出来ることから、伸ばせばいいんだから。ね?ちょうど今は、それが必要でしょ?足も治せたし、熱も調節できたんだから、そんなに難しくないはずよ。」
ディアさんの話しでは、あのぞわぞわに負けないように、集中して私の流れを調節し続けられたら、とてもいい修行になるとゆうことだった。
「それは……、それは、偶然ですけど、とてもいい修行の場所とゆうことですよね?」
「そうか、そうよね。なかなか無い環境よね?修行にうってつけよ!」
私は途端に前向きに考えられるようになってきた。頑張ったら、一気に飛躍的に凄く!成長できるような気がしてきた。私はすっくと勢いよく立ち上がって拳を突き上げた。
「私!頑張りますよ!もう今から荷台に上がって、修行に励みます!」
「そうそうその意気よ!頑張って!」
私は扉をバアーンと開ける勢いで、意気揚々と荷台に上がって行った。荷台ではノアとピートさんが体を鍛える訓練をしていた。荷馬車の部屋から、荷台に出た途端に気持ちの悪いぞわぞわが襲ってきた。思わず吐き気がこみあげてきて、口に手をあてる。
「おいおい、大丈夫かなのか?具合が悪いなら、部屋に戻っておけよ。」
「……大丈夫、です。邪魔にならないように、端に、座ります。」
私は頭の中でなぜか、荒療治とゆう言葉が浮かんだ。意味は分からないけれど、なにか荒々しい勢いは感じる。その勢いで、このぞわぞわを洗い流したい気分だった。荷台の隅の方に座って、呼吸を整える。
ディアさんが私の肩から膝の上に降り立って、ちょこんと可愛く座る。ディアさんを優しく撫でながら、最悪に気分が悪いのを紛らせた。ホントに、これは何なのだろう?どうして、どんどん濃くなってきているんだろう?……成分?なんの成分でこんなことに?
私は全く集中できなくて、気がついた時にはベッドの中にいた。集中できていないうちに私の限界がきて、たぶんノアにベッドまで運ばれたんだろうなと思った。思っていたよりも、もっとだめな自分に思わずため息がでた。
「あ、起きた?……そんなに落ち込まなくても、すぐにコツが分かるって。」
「うっかり、考え事をしていて、集中していませんでした。」
「ええ~?うっかり?もう、ホントうっかりさんねえ~。」
「もう一度、荷台に行きます。」
「それはいいんだけどさあ~、なんの修行をするのか確認してから上がった方がいいんじゃない?」
「そうですね。それは良い考えですね。そうします。」
ノアと私の部屋を出て、荷台に繋がる階段に手をかけると、一度落ち着いて深呼吸することにした。そしてぞわぞわする嫌悪感に負けないように、よしっと気合をいれて、階段を駆け上がった。また一段と濃くなったようなぞわぞわに、負けないように集中しながら荷台の隅に座って、首から提げているお守りを握り込んだ。
それから手を開いて、お守りのカケラに意識を集中しながら、私を覆い隠そうとする、ぞわぞわするものに抗った。はじめは上手くいくけれど、少しでも気を抜くと、そのぞわぞわは浸出してくるようだった。
少しでも長い間、もう少しだけでも、もっと長い間、このぞわぞわを跳ね返すことが出来たら、外に出て、エミリアさん達を探しに行ける。探して、見つけて、助けることができる。だから集中。もっと集中して、抗う。
「エミリア、休憩にしましょう。」
ディアさんの言葉にハッと我に返って、ぐったりとしたままなんとか荷台から降りた。荷台の部屋の階段を下りきると、あまりにも疲れていて、立ち上がることもできなかった。手をついて座り込んだまま、荒い息を整える。
「なかなか、先は長そうね。他の方法を考えた方がいいかしら。」
「大丈夫です。慣れたらもっと、長い間外に居られるようになります。」
「そうなんでしょうけど、今のままだと無理よ。ずっとカケラに集中しながらで、人探しなんてできないわよね?ノア達も、大人達も探してくれるんでしょ?……任せた方がいいんじゃない?」
「……みんなで探すのは、分かってます。私ひとりで探すわけじゃないことも、分かってます。」
私は重い体を引きずるように歩いて、やっとのことで部屋のベッドに到着すると、ドサッと倒れ込むように横になった。とにかく疲れていて体を少し動かすだけでも一苦労だった。ベッドに横たわると、シュワ~と体中から何かが抜けていく気がした。目を瞑ってその感覚に集中する。
体が楽になるにつれて、だんだん思考が働いてきていた。私の周りのぞわぞわが、シュワ~と無くなってくれたら、それか、私を通り過ぎてくれたらいいのに、そんな風に色んなことを考えているうちにウトウトしてしまったようで、気がつくと眠ってしまっていた。慌てて起き上がってまた荷台に向かう。
「え?エミリア、また荷台に上がるの?また明日にしたら?もう夜で、外は暗いはずよ?」
「寝てしまったので、少しだけ、もう少しだけ外に出てきます。」
部屋をでると、食堂からいい香りがしてきていた。話し声で、ノアとラリーさんが晩ごはんを作っているのが分かった。私は食堂には寄らずに荷台に上がる階段に手をかけて上がっていった。荷台に上がった途端に、今までよりも、もっと濃い霧のように纏わり付くぞわぞわに驚いて、急いで荷台の中に戻る。
一気に動悸が激しくなって、胸が苦しくなった。よろよろと階段から降りて、へなへなと床に手をついて座ると、背中に冷や汗が伝っていった。……これは?いったい何なのだろう?こんなに濃くては無理だ。これでは外に出られない。外に出られなければ、探しにも行けないのに、私は悔しくて、悲しくて、絶望に打ちのめされて、次から次に涙が溢れてきた。
これは、これはいったいなに?邪魔をしないで、私は外に出て、メイベルさん達を探したいのに、どうして、纏わりついてくるの?どうして邪魔するの?どうしてそんなに気持ちが悪いの?わあわあ泣けて、悲しくて辛くて声を上げて泣きじゃくった。
慌ててノアとラリーさんが食堂から何事かと出てきたけれど、私は悲しくて悲しくて、いつまでも、いつまでも泣き続けた。辛い苦しい悲しい気持ちが通り過ぎていくと、ピタッと涙が止まって、不思議なほど心が平穏に戻っていた。床に座ったままの私も、ノアもラリーさんも、みんなが不思議そうな顔になって首を傾げた。
「……これは、精神に干渉するなにか、かもしれんな。だとしたら外は危険だ。理由は分からんがエミリアはそれに敏感な体質なのかもしれん。」
ラリーさんが言うには、外はとても危険かもしれないので、アビーさんが出てきて調べてもらうまでは外に出ない方がいいとゆうことだった。
「……そんな、私、まだ修行が……。」
また絶望するような悲しみが戻ってきたような気がした。私が未熟すぎるから、外にも出られない……。また目に涙が滲んだ。
「はい!止まって!今、ゆるしてみて!」
「……えっ?ゆるす?」
「そう!今!まさに今!自分のことだめだめじゃんって思ったんじゃない?それ、ゆるしてみて?」
ゆるす?自分を?どうやって?私の、はてなだらけの顔がよほど面白かったのか、ディアさんが盛大に笑った。可笑しそうに大笑いした後に、それでもちゃんと説明してくれる。
「ふふふ。はあ~。おかしい。ちょっと待ってね。コホンッ。まずね、今エミリアがブレブレに揺れてるのは分かってるわよね。うん。それでね、そうゆう時に、もお、いいわよってゆるしてあげたり、まあ、しょうがないわねって、みとめてあげたりするのって、とっても大事なの。それがもう修行なのよ。そうしながら、いつも真ん中にいるの。」
ゆるすと、みとめる。分かったような、分からないような、曖昧な摩訶不思議な気分だった。けれどなにか確かに、とても大事な重要なことのような気はしていた。