85.それぞれの決意
私達はそれからほんの数日で、オルケルンの町から王都に向けて出発した。主にジャンさんのお店の店員の男性たちで、なかには元兵士の人や門番の人が混ざっているとゆう話しだった。大きな2台の馬車と2台の荷馬車に別れて乗っているようで、もの凄くこまめに休憩をとりながら、馬達をゆっくりと走らせていた。
私達の荷馬車は常に最後尾で、一定の距離を空けて前の荷馬車について行っていた。私はみんなの勧めもあって、あまり荷馬車から出ないようにしていたけれど、それでも今までの私達の荷馬車の進み方とは全然違っているのが分かった。
ピートさんにとってはこれが普通で、快適な荷馬車の旅のようだった。なにしろ進みが遅いので、アビーさんが怒りだしそうだと思っていたけれど、アビーさんは悪い人達のいた建物をすべて壊し終わると、荷馬車の天井の部屋に籠ったまま出て来なくなったので、たぶんもう出発してしまっていることにも気づいていないかもしれない。
大きな王都に繋がっている街道には、店も宿も点在して建っているので、なんの不便もないようだった。出発の時にマリーさん達が心配していたような、盗賊のみなさんにも会わず、毎日のんびりとした歩みで、穏やかな日々が過ぎていった。
異変は私にだけ起きていた。はじめに気がついたのは幼精達のことだった。荷馬車の荷台に座って、麗らかな陽気を眺めていると、遠くに見える景色の地面に、色とりどりの何かがたくさん落ちているように見えた。
近づくにつれてそれが弱ったような幼精達だと気がついた。弱ったとゆうのか、不機嫌そうとゆうのか、どうしてかなぜか、一人もふわふわと浮かんでいなくて、なにか不穏な雰囲気が漂っていた。思わず荷台に座って景色を一緒に眺めていたノアにもたれてギュッとしがみついてしまった。
初めて見るその光景がなにか良くない事のような気がして仕方がなかった。気になったので、馬車の休憩時に荷馬車から降りて、幼精達に近づいてよく見てみることにした。
「どうしたのかな。みんなじっとして地面にいるままなんて、見たことない。良くない感じがするのは気のせいなのかな……。」
「ねえ、あんまり荷馬車から離れない方がいいわよ。あそこでノア達が訓練してるでしょ。あれが見えない所には行かないで。」
「そうですね。そうします。」
もっと遠くの方に行けば、浮いている子達もいるかもしれないと思ったけれど、あまり遠くには行かないようにした。見渡す限りでは、ふわふわ浮いている幼精はいなかった。いつもは朗らかなほのぼのとした雰囲気がするのに、今はなにかどんよりとしていた。
心配になって、地面にうずくまるようにしている緑色の子を、すくい上げて手のひらにのせて撫でてみる。そうして、しばらくすると元気になったのか、緑色の子は宙にふわふわと浮かび出した。その緑の子は私に纏わりついてきて、喜んでいるようだった。
私は嬉しくなって、地面にうずくまっている幼精達を、次々に手のひらにのせて撫でてあげる。そのうちに撫でなくても、しばらく手のひらにのせてあげるだけで浮かび上がるようになっていった。私が夢中になっている間に、もう休憩が終わるようで、ノアとピートさんが呼びに来てくれていた。声を掛けられていることに気がついていなくて、幼精の子をすくい上げようとした手をノアにとめられて、はじめて気がついた。
「あ、ごめんね。気がつかなくて。こうやって、手のひらにのせてあげるとね、元気になって、またふわふわ飛べるみたいなの。……どうしてかな?この辺の幼精の子達はみんな地面にうずくまっているんだけど、この辺では、これが普通のことなのかな?元気がない気がするんだけど……。」
「エミリア?なんだか顔が赤いよ?」
「……ホントだ。熱があるんじゃないか?……体調が悪いとか。」
ピートさんの言葉で、ノアが慌てて頬やおでこや首や色んな所を触って、熱がないか確かめていた。そう言われると、体が熱くてだるいような気がする。
「いつもより熱い気がする。エミリア、急いで部屋に戻って休んだ方がいいよ。」
「ちょっと~。エミリアを何だと思ってるわけ~?それくらい!すぐ調節できるんだから!そんなの、ちょちょいよ。ちょっと夢中になっちゃっただけでしょ。エミリア、できるでしょ?やってみて。足を治すより、よっぽど簡単なはずよ。」
「待て!羊!いい加減なこと言うな!簡単って、この間足を治した時には、なにかおかしくなっただろ。僕は憶えてるぞ!あの時は結局原因が分からなかっただろう!?」
「いい加減ってなによ!?簡単は、簡単なのよ!あんまり甘やかしてたら成長しないんだから、あんたは黙ってなさいよ!」
ノアとディアさんが言い争いを始めてしまって、ピートさんが仲裁に入っていったけれど、とまらなくて長くかかりそうだった。私はなんだか体がだるくて、頭が少しぼんやりしていた。
それで、ディアさんが調節と言った意味が分かる気がしたので、言い争いが終わる前に調節して、先に治してしまうことにした。私の巡る流れを調節して、ちゃんと元に戻すと、簡単に、あっという間に体のだるさも熱も元に戻すことができた。
「あっ!ほら、治ったでしょ?他人を治すより、よっぽど簡単なんだから、ああ、でも、エミリア。休息が必要ないわけじゃないのよ?そこんとこ忘れちゃだめよ?」
体調が万全に戻った私のおでこや頬を触りながら、ノアが本当にもう何ともないのかを聞いていたけれど、私はさっきと違って本当に何事もなく元気だった。
「おい。それって……、なんて言うか、いや、俺も詳しくはねえけど、それは……、そんな事ができるのは……、」
ピートさんが珍しくモゴモゴ言いながら、まごまごしていた。すると離れた所にいる先頭の馬車の御者の人が、こちらに向かって大声でもうすぐ出発すると教えてくれていた。
「急がないと。ピート、モゴモゴ言ってないで走るぞ。エミリア行こう。」
ノアに手を引かれて駆け足で私達の荷馬車に戻った。荷台に戻ってからもピートさんは珍しく静かで、難しい顔をしていて、なにか考え込んでいるようだった。その様子は気になったけれど、ノアの勧めで荷馬車の部屋に戻って、休息をとることにした。
まったく疲れてもいなかったけれど、あまり心配をかけたくなくて、言われるままにベッドに横になって、目を瞑って少し眠ることにした。すると一瞬で深い眠りについていたようで、次に起きた時にはもう朝になっていた。
朝ごはんの後に、いつものようにノアと一緒に荷台に上がると、ピートさんはもういつも通りで、朝ごはんに食べたお肉の話しをしていた。普段通りでホッと安心する。異変はやっぱり私だけに起こっているようだった。今日は荷馬車の部屋を出て、荷台に上がった瞬間に分かった。
ぞわぞわと気持ちが悪いような、吐き気が起こるような空気が、昨日までよりもっと濃くなっていた。思わずそのまま口に手をあてて座り込んでしまう。
「エミリア?どうした?気分が悪いのか?ここに横になれ。」
ピートさんが寝袋と一緒に隅の方に置いていた毛布を広げてくれたので、その上に横になることにした。横になっても治らないのは分かっていたけれど、ピートさんの気遣いが嬉しかった。
「風邪をひいたのかもしれないぞ。もうすっかり寒くなったからな。外に出る時は上着を忘れたらだめだ。」
ピートさんが体にもう一枚毛布を掛けてくれた。毛布に包まれるようにして、私は自分の巡りを整えた。フウッと息をはいてから正常な流れを確認する。もうしっかり気をつけていないと、その気持ちの悪さに負けてしまいそうだった。
「……やっぱり、具合が悪いんだね。どうして僕に言ってくれないの。」
私のすぐ横に座って、ノアが怒るでもなく冷静に聞いてくれる。悲しそうなその声に、私は誤魔化したり言い訳したりする気持ちがなくなってしまった。
「ごめんなさい。私、どうしても引き返したくないの。どうしてもメイベルさん達を探したい。見つけ出したいの。私に出来ることが、あるような気がするの。」
「エミリア、忘れないで。僕は一番の味方だよ。エミリアの思うままに何だってする。味方なんだよ。……今、どうゆう状態なの?」
「あの帽子を拾ってくれた男の子が近くにいるみたいな、……ぞわぞわ気持ち悪い感じ……かな。」
私の吐き気を伴う、ぞわぞわするような気持の悪さは、他の誰も感じていないようだった。みんな普段通りで何も変わらなくて、ただ私だけがなぜか、どんどん近づいてはいけない所に近づいて行っているような気がしていた。それでも、この先にはメイベルさん達が居ると思うと、前に進む以外の選択肢はなかった。
捜索本部の話しを纏めたピートさんの詳しい話は、確定ではない情報ばかりだったけれど、それでも私にも王都が一番怪しく思えた。なかでも門番の人が話したとゆう、祭りの後半頃に通った怪しい豪華な馬車の話しは私の心を深く抉った。
白い馬、白い金ピカな三台の馬車。その他の馬車を押しのけて、もの凄い速さで進んでいた白い馬車。私はその白い三台の馬車が目の前を通り過ぎた朝のことを憶えている。もし、あの馬車の中にメイベルさん達が居たんだとしたら……。私の目の前を通り過ぎていたのに……。私はまたメラッと揺れた。
「……エミリア。だめよ。」
「ごめんなさい……。」
深く深く、呼吸をゆっくり整えるように深呼吸する。目の前にはノアが私の手を握って、辛そうに目を瞑っていた。そんな顔をしてほしくなかったのに、私がまだまだだから、ノアに気付かれてしまって、また心配をかけてしまうんだ。……それがとても悲しい。
「……分かった。僕たちは約束したんだ。一緒に見つけよう。引き返そうなんて、言わないよ、絶対。」
ノアが目を開けて、私の顔を見る。見つめ合いながら、微笑んでくれる。心配している顔をしているのに、ノアは一緒に見つけようと言ってくれていた。
「……いいの?私も一緒に探してもいいの?……無茶はしないつもりだけど、また心配をかけちゃうと思うんだけど、本当にいいの?」
ノアは今度はしっかりと頷いて、安心させるように大袈裟に笑って、もちろん!と言った。私は飛び起きて、すごく嬉しくてノアにギュッと抱きついた。
「ありがとう。ありがとうノア!私、絶対にメイベルさん達を見つける!一緒に見つけようね。」
ノアが背中を撫でて抱きしめ返してくれてから、体を離して笑顔でうんうん頷いてくれていた。私は嬉しくて、涙がでそうだった。
「……それで、どうしたらいいんだ。羊。」
「あら?気のせいかしら?トゲがあるわ。私のなにが、気にくわないのかしら?」
「エミリアは、どうしたらいいんですかね。羊さん?」
「ふ~ん。いいわねえ~。これからは、さんづけもいいわよね~。」
「僕の声が聞こえているのかな?まったく答えが返ってこないよ?」
なぜかノアとディアさんの間に、バチバチと火花が散っている気がした。丁寧な言葉遣いだし、私の気のせいかも、しれないんだけど。
「そうね。まず、修行よね。あんた達もやってたじゃない?結局、コツコツやるしかないのよね~。」
「は!?エミリアも一緒に訓練すんのか?強くなったらいいのか?」
ピートさんの素っ頓狂な答えが余程気に入らなかったのか、ディアさんは深くため息をついてから、話し出した。
「ま、あえて無視するけど。エミリアの修行はもちろん、あんた達のものとは別物よ。……それに、エミリアはまだ子供だし、まず、慣れないと……。」
それからディアさんはしばらく無言になって、動かなくなった。私達は固唾を呑んで見守りながら、ディアさんの次の言葉を待った。
「そうね、たぶん。今の起きてる間の、半分、以下、かな……、うん。たぶんそのぐらい。このまま進むんなら、それぐらいの間しか、普通に動けないでしょうね。それも、揺れない修行が順調に進んだら、だけど。一定の流れよ。分かるわよね。」
私はディアさんに頷いた。たぶんこの、気を抜いたらいけない感じを一定に保つんだと思う。それはそんなに難しくはない。……心を乱さなければ。
「それは、半分以下とはどうゆう事だ?普通に動けない時はどうなっているんだ?」
「そんなの決まってるでしょ。動けないなら回復させないと、休息よ。全部止まって眠ったままになるでしょうね。たぶん。一日の大半か、一日中眠ることになるわ。休息って大事なんだから。それでも行きたいなら、しょうがないじゃない?」
ディアさんの話しでは、このぞわぞわする所に留まるなら、一日の大半が強制的に眠ることになって、起きていられるのは、正常を保っていられる少しの間だけになるとゆうことだった。修行をしたら多少その時間を伸ばせるらしい。
「……その、エミリアが気持ち悪くなるのは、いったい何なんだ?」
「そんなの私に分かるわけないでしょ。知らないわ。でもたぶん呪いか何かじゃない?ね?呪いとか、気持ちわる~い。キモイわあ~。」
「どうして呪いなんかが、王都に……。」
最後のピートさんの言葉に、みんなが黙り込んだ。本当に呪いなのかも分からないけれど、一番多く人が住んでいるはずの王都に、どうしてそんなものが、とゆう思いがみんなの胸に渦巻いていた。