82.……かえる
予定の時刻を大幅に遅れていても、なかなか捜索本部の会合は始まらなかった。前の方で、どうなってるんだと次々に怒声が上がっていた。部屋の中はもう、人で溢れかえっていて、聞こえてくる話しによると、話しを聞くために招いていた店の店主がまだ到着していないようだった。
店の者を迎えに行かせたからと、みんなを宥めているジャンさんの声が聞こえてきていた。それからまたしばらく待っていると、入り口の扉から、でっぷりと恰幅の良い中年の男性がゆっくりした動きで部屋に入ってきて、一瞬部屋の中が静かになった。部屋に入って来たその男性は、部屋の中をジロジロ値踏みするように見渡していた。
「いやあ~。ローズさんの所は随分羽振りが良さそうですなあ~。こんなに大きな工房があるんですねえ~。従業員もさぞかし多いんでしょうなあ。羨ましいかぎりですなあ~。」
ジャンさんがその男性に近づいて行くのが、人の隙間から僅かに見えた。握手したようで、今日ここで詳しい話しをしてくれるお礼を言っていた。
「なになに、大した話しなんてありませんよ。それより、ここに噂の美少女が来ているそうじゃないですか。ずいぶん美しいそうですなあ~。ぜひお目に掛かりたいものです。いえね。うちの店の給仕が一人居なくなったもんで、困っていたんです。接客は見た目が良い方がいいですからな。どこにいるんです?」
そう言うと、また辺りをジットリと見渡している。私達の前に立っている人達が、話しの途中からよりかたまって、もうほとんど前が見えなかったけれど、わずかな隙間からその様子を窺うことができた。混雑した室内の隅の方にいた私達の誰にも目が留まらなかったようで、やっぱり私達の変装は、目立たないとゆうことに成功しているようだった。
「それは何かの間違いですね。噂の美少女?そんな人はここにはいませんよ。今日は居なくなった店員の話しを、みんなに教えてほしいんです。いつ頃、どうやって居なくなったんでしょう。やはり祭りの後半ですか。」
「そんなの知りませんよ。給仕係が一人居なくなったぐらい、なんだって言うんです?うちは飲食店なんですよ。祭りの間のことなんて忙しすぎて、誰も憶えちゃいませんよ。それより、その人探しをしてるってゆう美少女は、ローズさんとこの店員なんですか?給金はいくらです?店の方にいるんですか?わたしが本人と値段の交渉をしても問題ありませんよね。」
「そんな少女はいません。うちの店員の女の子に声をかけるのも止めてください。それより居なくなった女の子は出稼ぎの少女だと聞きましたよ。親元から預かっていたんじゃないんですか?いつ頃から居なくなったんです。」
「だから、知らんと言っとるだろう!わたしはね!町で噂になっている美少女が今日ここに来ると言うから、わざわざここまで来たんだ。居ないなら用はない!わたしは忙しいんだ!帰らせてもらう!無駄な迎えをよこしやがって!迷惑だ!」
部屋の中が一斉に怒声でうるさくなって、前の方で小競り合いが始まったようだった。その時、ピートさんが大きな声を出して店の店主の男性に聞いた。
「おじさん、その給仕係の女の子は金髪だったのか?それだけ答えてくれ。」
部屋の中が一斉に静かになった。店主の男性は掴まれていた腕を乱暴に剥がしてから、見窄らしい金髪の小娘だったさと毒づいて乱暴に扉を閉めて出ていった。騒然となった室内をジャンさんが大声で宥めていた。私達はピートさんの指示で、騒がしい捜索本部の部屋からこっそりと抜け出した。結局、期待していた新しいことは何も分からなかった。
私は、がっくりと力が抜けていくのを感じていた。それからなんとなく元気がでないまま、何日も日にちが過ぎていった。どこにも行かず、荷馬車からも出ないで、気づけば部屋の中から一歩もでない日もあった。
何度も、ノアやいろんな人に体調は大丈夫なのかを聞かれていた。その度に大丈夫と答えるのだけど、どうしてか、なぜかどうにも元気がでないで、ぼんやりとしている間にまた一日が過ぎてしまうのを、どこか他人事のように感じてすごしていた。頭の片隅では、みんなに心配をかけてしまっているのが分かっているのに、どうにも体が言うことをきかなくて、なぜか気づくといつもぼんやりしていた。
「エミリア、こっちだよ。そう、ゆっくり歩こうね。ここに座って、この石像に触るんだよ。」
「……あれ?これ……、笑った顔の石像?……どうして、ここに?」
気づくとノアと手を繋いでいて、中庭の隅の方の一角に笑った顔の石像が設置されていた。見渡すと、少し離れた所でアビーさんやラリーさんやピートさんが、こちらを心配そうに見ていた。
「おばあ様達が設置してくれたんだ。もちろんマリーさん達にはちゃんと許可をもらったんだよ。なにも心配いらないよ。さあ、行こう。」
「……どこに、行くの?」
「エミリアは疲れているんだ。でも大丈夫。あのご神木の家にかえって、ゆっくり休んだら、すぐに良くなるよ。僕はずっと一緒にいるからね。なんにも心配しなくていいんだよ。」
またぼんやりしていたのか、気がつくとノアに抱きしめられていた。あれ?さっきまで話していたような気がしたんだけど……。そして、ノアに促されるままにしゃがんで、手を繋いだまま笑った顔の石像に触れた。視界が揺れて一瞬の目眩がおさまると、見覚えのある、懐かしい場所に到着していた。
「あれ?ここは?……違う……。」
「おお!帰ってきたか。随分久し振りじゃないか!!よく来たよく来た。待ってたよ。おかえり。」
「……お、……お、……オルンさん!!」
すごく、もの凄く会いたい人に会えた気がして、私は無我夢中で勢いよくオルンさんに抱きついた。オルンさんがガッシリと私を抱き上げて、泣きじゃくる私をずっと抱きしめてくれていた。温かくて懐かしい匂いに包まれて、幸せな心地に安心しきって、深い深い眠りに落ちた。
どこか遠くの方で、子供が泣いている声が聞こえるけれど、姿はみえない。不思議に思いながらも、私はふわふわと浮かんでいた。思いついてくるんっと回ってみると楽しくて、何度もポヨンと弾んでみたりしながら、ふわふわと心地よく漂っていた。ぽかぽかとあたたかくて、やさしいお花のような良い香りがしていて、もうずっと、ずっとこうしてこの居心地がいい場所にいたいと思った。
なぜか今まで、言い知れない薄気味悪い場所にいたような気がして、ブルッと震えた。そうしている間にも、子供の泣き声は大きくなってきていて、そのとても悲しそうな泣き声が、気になって、とても心配になってきていた。どうして、そんなに泣いているの?なにがそんなに悲しいいの?わたしになにか、できることがある?
目が覚めると、誰か知らない黒髪の男の子に全身でしがみつかれていた。両手と両足でガッチリと密着されていて身動きがとれない。これは、どうゆう状況?私は首だけを動かして、そのしっかりと私にしがみついて眠っている男の子の顔を覗き込んだ。とても整ったほれぼれするほど綺麗な顔をした男の子だった。
その男の子は眠りながら泣いていた。スンスン息をしながら、涙が流れ続けていた。なにかとても悲しい夢をみているその男の子を、起こしてあげた方がいいのか、なにをどうすればいいのか分からない。
どうしたらいいのか途方に暮れながら、流れ落ちた涙がシュワッと蒸発したように一瞬で乾いていくさまが不思議で、ぼんやりと眺めていた。そのうちにふと、その黒髪の男の子が、ボソボソ寝言を言っているのに気がついた。なにを言っているのか耳を澄ませてみても、何を言っているのかは分からなかった。
最後にかすかに「どこまでも、ずっと一緒だよ。」と言う言葉が聞こえた気がした。ずっと一緒?誰と?……私と?私と、ずっと一緒にいるの?……ずっと一緒にいてくれるの?どうして?……ああ、そうか、そうだった。だって、私達は……。
深い深い森の中、静かな湖のほとりで、綺麗な水がぽこぽこ湧き出ているさまを見ていた。いつまで見ていても見飽きないとても綺麗なその光景を、なぜか知っている気がして不思議に思っていると、水面がゆらゆら揺れてウミョンと水が浮かび上がった。
「ほ~らね!やっぱり!会いにきたんでしょ!?私に!!私に会いに来たのよね?」
「……??」
「あら?……エミリア?」
エミリア?って、誰のこと?……もしかして、私?……私のこと?……ああ、そうか、そうだった……。
「エミリア?……エミリア!?あれ?ねえねえ?……エミリアよ、ね?」
突然ヒューーーンとゆう感覚がして、気がつくとまた、大きなベッドに横になっていた。今度はさっきと違って、黒髪の男の子は私の腕にしがみついて眠っていた。私は頭がクラクラして、なんだか酔ったように気持ちが悪くて、目を瞑ってゆっくりと深呼吸を繰り返した。
「……もうどこにも行かないで、僕とずっとここにいよう。なにもしなくてもいいんだよ。なにも傷つかなくていいんだ。僕はずっとここで、一緒にいるよ。」
目を開けてみると、私の腕にしがみついた男の子が、真剣な顔をして、私を見上げていた。……ずっと、ここに?どこにも、いかないの?なにも、しないの?それは、それでも、いい気がする。どこにもいかないで、なにもしないで、ずっとここにいるんだ。それでも、一緒にいてくれるんだね。私は安心してまた眠りにおちていった。
良かった……。外は、外の世界は、なんだか気味が悪いもの。変な、異様な感じがするの。だから、もう、どこにも行かないんだ。ここに、ノアとずっとここにいるんだ。……ノア?……ノアとずっとここに?……いいの?ノアはそれでも、いいの?
ノアはなにか、大事なものを探していた気がするんだけど、本当にいいの?それは、なんだっけ?大事なものでしょ?いらないの?我慢するの?……私の為に?そんなの嫌だよ。……私の為に、無理しちゃだめだよ。また私の為に、むりやり無茶しちゃだめなんだから。その分、私が、ちゃんと、その分までわたしが……。
目が覚めると、一人でベッドに寝ていた。ぼんやりした頭で起き上がると、枕元に赤いふわふわな毛玉があった。まだ寝ぼけたような頭で、なんとなく私の髪の色と同じ色だなと思った。
「ああ、起きてたんだね。良かった。気分はどう?起きた時に、なにか食べた方がいいと思って、果実水とデンツの実を持ってきたんだ。もっと食べられそうなら、食堂でなにか作ってくるよ。」
木のトレイの上には、コップに一杯の果実水と、お皿には2粒の干した果物がのっていた。勧められるままに口にしてみると、果実水はさっぱりと甘くて美味しかった。そして小さな実は思ったよりねっとりとした歯ごたえがあって、濃厚な甘さが口の中に広がっていく。なんだか懐かしくて美味しい味かした。
「ああ……、羊?ずっと眠ったままなのか、動きもしないし、喋らないんだよね。……そのうち起きるよ。心配しなくてもいいよ。」
羊?この毛玉が?赤いのに?私はなにか腑に落ちない気分で、枕元の毛玉に手をのばした。手のひらにのせて観察してみると、やっぱりピクリとも動かないし、この毛玉が喋る訳が……。
どこかで、ピチョンと水の音がした。ピチャンピチャンと反響した水の音がだんだん早くなって、やがてゴウゴウと流れるような激しい音に変わっていた。その流れはやがてドクンドクンと脈打つようになって、私の鼓動と重なっていった。
「……ディアさん?どうして黙っているんです?どこか具合が悪いんですか?」
「わ!わ!私じゃないでしょ!!エミリアでしょ~が!!あなたね!分かってんの!?」
「え?え?私?なにか、ありましたか?」
ボッスンと音がして、ノアが突進するように私に抱きつくのでベッドに倒れ込んでしまった。ギュウギュウにしがみついているので、少し苦しい。
「ノア?どうしたの?あれ?ここは、……木の家?」
ベッドの上で仰向けに寝転びながら辺りを見渡して見る。やっぱり、荷馬車の部屋ではなくて、あのご神木の家の、ノアと私の部屋だった。
「また戻ってきたの?誰か怪我したの?あ!ノア!?また魔法が不安定に……?私!?私が怪我したの?あ!思い出した。足だね?靴が、たしか足から血が……」
「それは自分で治したでしょ!ちょっと!発情男!!どきなさいよ!!話ができない!!」
ノアがやっと私から離れて起き上がってくれたけれど、もの凄く、声もかけられないほど号泣していた。今まで声を我慢していたのか、大きく口をあけると、突然大声で泣き始めた。
見たこともないほど大泣きしていて、アワアワとうろたえながら、ずっと泣き続けているノアの側にいた。ディアさんが、エミリアのせいなんだからねとプリプリしながら教えてくれるので、ずっとノアの側でオロオロしながら謝り続けていた。