7.真ん中の木
大きな木の家の中に入ると、ノアが持ってくれていた私の靴の汚れが、一瞬にして綺麗になった。今までついていた泥汚れは、どこにいったのかなとは思ったけれど、あまり考えないようにする。分かるわけないし。ノアがひざまずいて長靴を脱がしてくれてから、私の靴を履かしてくれた。
「この靴、もとの場所に戻してくるから、ちょっと待っててくれる?」
そう言って、奥の戸がついていない部屋のひとつに向かって走って行った。ひとりになって、改めて広いホールを見渡してみる。真ん中あたりにある大きな木に歩いて近づいてみた。青々と茂ったとても立派な大きな木だ。木肌は白っぽくてさらさらとしていて、さわり心地がいい。土がなくて床から直に木が生えている。
ぐるりと木の周りを歩いてみると、ちょうど黒い扉から反対側の、木の後ろ側に大きな洞があった。その空いた穴の中に、なにか入っている。少し高い所にあるのでよく見えないけれど、布か紙のような物がたくさん入っているようだった。
「エミリア、おまたせ。なに見てるの?」
「この洞のところに、なにか入ってるの。」
「え?なんだろう?」
ノアが背伸びしてよく見ようとする。ノアは私よりももっと背が低いので、よく見えないようだった。もっとよく見えるように木に近づいて、手をついてつま先立ちになった拍子によろめいた。アッとこけてしまう前に体を支えた瞬間、いきなり木がビカッと光った。一瞬だけ眩しく光ったと思ったら、すぐに元の状態に戻っていた。ふたりで顔を見合わすと、お互いにビックリした顔をしている。
「今、光ったよね。なんだったんだろう。」
「ノアも光っているの、見たことないの?」
「はじめて見た。この木に触った事って、あったかな?どうだろう?……でも、今触っていても、なにも起こらないみたいだ。」
不思議そうにノアがペタペタと木に触ってみるけれど、なにも起こらない。ふたりで木の周りを触りながら歩いてみたけれど、光らないし、なにも起こらなかった。ノアにも分からない不思議な事だけれど、ここで、ずっとこの木を調べている訳にもいかない。靴も見つかったし、ずっとここには居られない。まだ不思議そうに木を触っているノアに声をかけた。
「ノア、あのね、私、靴も戻ってきたし、村に帰ろうと思うの。何日くらい経ってるのか分からないけど、家で家族が心配してると思う。」
私の顔をみてから、ノアが悲しそうに目を伏せる。少しの間だったけれど、ここから出てノアと離ればなれになる事が、とても悲しい事に思える。なぜか、ここでふたりでいる事の方が、自然な事のような気さえしてくる。でも、帰らなければ。せっかく仲良くなれたのに、さみしいけれど。
「雨の中を助けてくれて、ここまで連れて来てくれて、ありがとう。ノアに助けてもらえなかったら、どうなっていたか分からない。本当に、感謝してる。」
まだ俯いているノアに、なるべく優しく聞こえるように、話しかける。ここで、もう二度と会えないような別れ方をしたくなかった。
「たまに、会いに来てもいい?」
「エミリアと一緒に行く。エミリアと一緒に村に行って、そこでエミリアと一緒にいる。ここには、たまに様子を見に帰ってくる。」
まっすぐに顔を上げて、真剣な顔でノアがはっきりと言い切った。あまりの言葉に、私の方が驚いて狼狽してしまう。ノアは決意した目でジッと私を見つめている。
「え?ど、どうして?ここはノアの家でしょう?この家から出るの?どうして私と一緒に……もちろん、一緒に村に行くのは、嫌じゃないんだけど。」
「ここには両親が眠っているんだ。あ、言葉のままだよ。大丈夫。本当に、眠ったままなだけで、生きてる。それで、ひとりで、いつか起きてくれるのを待ってたんだけど、ずっと、今も待ってるんだけど、これからは、エミリアと一緒にいたいんだ。」
照れたように顔を赤らめながらも、まっすぐに私の目をみて、ゆっくりと伝わるようにに話すようすに、心をうたれる。
「外は危険だから、ひとりで出てはダメだって言われていたんだ。外の人にも見られたらいけなかったんだけど。ずっと、約束を守ってたんだけど。……エミリアと離れていたくないんだ。……僕、外の事はなにも知らないから、迷惑になるかもしれないんだけど……、すぐに、覚えて、頑張るから、だから……」
ずっとひとりでいたら、心細いし寂しいと思う。そう思っているのに、どうして私まで顔が赤くなってしまうんだろう。なんだか、私と一緒にいたいと言われているようで照れてしまうんだけど、そおゆう事じゃないのは分かる。もうひとりではいたくないんだよね。ずっとひとりは、さみしいよ。
「迷惑なんて思ってないよ。ノアがいいなら一緒に行こう。私の家ね、宿屋なの。もしかしたら、働いてもらわなきゃいけないかもしれないけど、空いてる部屋はたくさんあるだろうから。ノアがよかったら一緒に行こう?それで、ここにも戻ってこようね。」
ふたりで思わず笑顔になる。なんだか、これからの毎日が楽しみになってきた。ノアが嬉しそうに笑いながら、手を繋いできた。
「それじゃ、行こうか。」
「ま、まって、ノア!荷造りとかしなくていいの?またここにも来るけど、着替えとか、大事な物とか、なにか持って行く物はない?」
「とくに持って行く物はないけど。なにか必要な物があるの?」
そう聞かれると困ってしまう。ノアにとって必要な物がなにか分からない。着替える服とか、家になにかとあるだろうし。
「う~ん。必要になったら、また取りに来ようか。」
そうしてノアは何も持たずに、ふたりで手を繋いで、この不思議な木の家を出た。