77.オルケルンの町 3
夢中で走り続けて、気がつくと道が狭くて入り組んだ坂道や階段ばかりの場所に辿り着いていた。ハアハアと息が上がって苦しかった。振り向くとノアとピートさんは辺りを見渡して警戒していた。二人はまったく息が切れていなかった。
呼吸が苦しくて、私は思わず階段にそのまま座ると、ゆっくり深呼吸しながら息が整うのを待った。その間にも、二人は周りを警戒していて、いつでも鉄棒が出せるように手は鞄に添えていた。
「二人とも、ごめんね。地図も、見ないで、走って、ここは、どこだろう。」
「エミリア、大丈夫だよ。ゆっくりこれを飲んで。怖かったんだね。ごめんね。僕達が離れていたから。もうこれからは、絶対離れないようにするから。」
「何かされたのか?悪いやつだったのか?」
「ううん。帽子を拾ってくれた、ただの、親切な人だと思うんだけど。なにかぞわぞわ気持ちが悪くて。気のせいだったのかな。」
「いや。エミリアの気のせいじゃないよ。用心した方がいい。おばあ様が昨日妙な気配がすると言っていたよ。だから気にくわないんだって。帰ったら聞いてみよう。」
私達は階段に並んで座って、ピートさんが買ってくれていたパイを分け合って食べた。パリパリするほどに生地がサクサクで、お肉と野菜が入ったパイはとっても美味しくて、長い行列に並んででも食べたい気持ちが分かった。
「ピートさん、ごめんね。次のお店に並ぶ予定だったのに。」
「気にすんな。今からまだまだ食べに行くし。次は甘い系だな。」
「なに言ってんだ。今日はもう帰るだろ。またあの変な奴に出くわしたら、どうするんだ。あれ、絶対大人が一緒だったのに、一人って言い切ってたぞ。怪しすぎる。」
「でも今日にはもうここを発つって言ってたから、もう居ないかもしれないよ。」
「ふ~ん。どうすっかなあ~。」
ピートさんが地図を見ながら、頭をガシガシと掻いた。ピートさんの髪の色は金髪のようにも見えるほど薄い茶色で、いつも短く切りそろえていた。その髪をなんとなく見ていると、同じ茶色い髪色だけど、さっき会った男の子の髪の色は、もっと濃い色をしていたなと、ぼんやりと思い浮かんできた。すると、ぞわぞわと気持ちが悪くなった時のことまで思い出してしまって、大急ぎで頭をふるふる振って、その考えを無理矢理追い出した。
「エミリア?大丈夫?まだ気持ち悪い?もう帰ろうか?」
「ううん。もう大丈夫。もう考えない。アビーさんに聞くまで思い出さないことにするから。大丈夫。」
「今日は、もうメイベルの家に寄って帰ることにするか。観光なんて、いつでも出来る。明日でも明後日でも、美味いもんが無くなる訳じゃねえし。」
ノアがメイベルさんの家の行き方を詳しく書いてもらった紙を出して、みんなで地図と見比べてみると、今いる場所からはそう遠くないことが分かった。中央広場からは大分離れてしまっていたようで、坂道や階段で入り組んでいて起伏の多い道を、三人で時折地図を確認しながら歩いた。
この辺りは住宅街で、お店も殆どなくて、細い道が多かった。マリーさんのお店がある辺りとは雰囲気も違って、子供達が走って遊んでいたり、洗濯物が建物の上からぶら下がっていたり、お年寄りが階段に座って賑やかに笑い合っていたり、そこには共同の生活が身近にあって、賑やかで楽しそうな暮らしがあった。
メイさんの家は長い階段をずっと登った先にあって、見た目が同じ続きの建物の一室のどれかのようだった。扉の前の表札を見ながら探していると、見覚えのある可愛い布の柄が窓から見えて、表札を確認すると、メイさんの家だった。
やっと見つかった喜びに、三人で手をあわせ合って大喜びした。ピートさんが扉を叩いて、三人で代わる代わるメイさんやメイベルさんの名前を呼んだ。何度呼びかけてみても、家の中は静まりかえっていて、留守のようだった。
「しゃあねえな。こうゆうこともあるさ。家が分かったんだから、出直そう。あ、手紙だけ置いておくか。」
ピートさんが紙に今日来たことを書いて扉の隙間に挟んだ。私達は地図を確認しながら、ぶらぶら歩いてマリーさんの店まで戻った。お店の前にちょうどマリーさんがいて、私達を工房の裏の入口の方まで連れて行った。
「入れ違いにならなくて、ちょうどよかったわ。エミリアに話しがあったの。父の手紙に書いてあったんだけど、あの羊毛でね、冬用の服を作るじゃない?その話をしたらね、盛り上がっちゃって。ちょっと大変なことに……。あ、大丈夫!迷惑がかからないようにするわ!それでね、競技会方式にしたのよ。だから、その、希望とゆうか、洋服の好みなんかを教えて欲しいんだけど。規準をね、最初に設けていた方が好みに合う服が出来上がると思うの。」
ノアが変なことに巻き込まないように怒っているけれど、オルンさんの家の羊毛で作る服は、そういえば前から楽しみにしていたし、私に怒る気持ちは全くなくて、出来上がるのが楽しみなんだけど、困ったことに服の好みが分からなかった。
服と言われて、ラリーさんのポケットがたくさん付いた便利な服が思い浮かんだので、ラリーさんのようなポケットがたくさんある服とだけ言っておいた。なぜかピートさんが微妙な顔をしていたけれど、私は便利な服が出来上がるのが、とても楽しみになった。
ディアさんが入るくらい大きなポケットでもいいかもしれないと思って、肩に乗っていたディアさんを持って、このぬいぐるみが入って、外が見えるようにポケットに穴が空いている服と注文すると、今度はマリーさんが微妙な顔になった。
それは難しい事なのかもしれないので、無理そうなら、なんでもいいことを伝えて、私達は荷馬車が置いてある中庭に向かって急いだ。もう昼近いので、ピートさんは従業員用の食堂に向かって、食後に中庭でまた訓練することをノアと約束していた。
私は焦る気持ちを押さえながら荷馬車の部屋に入ると、部屋の中の様子が少し変わっていた。高い天井の上に新しく大きな扉がついていた。あの部屋を使うのはアビーさんなんだろうなと思った。私達はしばらく扉を眺めてから、良い香りがする食堂に入って行った。
「おじい様、天井に扉を作ったらだめじゃなかったんですか?」
「二人とも、おかえり。新しい部屋のことだな?……まあ、事情があってな。」
ラリーさんは料理を作りながら、言葉を濁していた。ノアがなおも食い下がって、前に間違って落ちたら危ないと言っていた話しをしている。
「それは、大丈夫だ。あの部屋はアビーにしか入れん。その、つまり、修行の部屋なんだ。危ないから近づかんようにな。万が一の念の為に、間違って入らんように上につけたんだ。」
あまり言いたくなさそうなラリーさんは、ノアの疑問が解消されるように、少しだけ説明してくれた。つまりアビーさんは、魔術の練習に集中したくて、しばらくあの部屋に籠ることになりそうだった。大事なことだから邪魔しないように、天井の部屋に近づかないようにと、もう一度注意された。
「アビーさんに聞きたいことがあったんですけど、今日はもう出てきませんか?何日ぐらい籠るんですか。」
私はさっき会った男の子に感じたぞわぞわした気持ち悪さについて、ラリーさんに説明した。もしかしたらアビーさんが言っていた妙な気配のことなのか聞きたいとゆう話をラリーさんにしていると、荷馬車の入口からピートさんが大声で呼んでいる声が聞こえてきた。すごく焦った様子で私達を呼んでいた。
「師匠!師匠!ノアのばあさん!助けてくれ!出てきてくれ!師匠、いないか?ノア!」
なにか大事件が起きたようなピートさんの緊迫した様子の声に、私達三人は急いで荷馬車の部屋を出ることにした。大急ぎで部屋を出ると、目の前にいたピートさんの緊張した顔が少し和らいだ。外で説明すると言うので、私達全員が荷馬車から出ると、中庭には大勢の人達がいて、荷馬車を取り囲んでいた。
人集りの中から出てきたマリーさんが憔悴した女性を支えながら、私達の前にゆっくり連れて出てきた。歩くのも覚束無い様子のその女性は、髪も服装も乱れていて、痩せ細っていた。今にも倒れてしまいそうで、マリーさんが支えていないと一人では立てない様子だった。汚れたハンカチを握りしめていて、ずっと小さく啜り泣いている。私の隣にいるノアが警戒して庇うように一歩私の前にでた。
「助けて、ください……。メイ、ベルが、ずっと、……帰って、こないの。」
小さく呟くようなその声を聞いて私達は驚いて息を呑んだ。話すのもやっとな様子の憔悴しきったその女性は、メイさんだった。あまりの変わりように驚いて声も出せずにいると、メイさんを抱きかかえるように立っているマリーさんが、説明するように話しだした。
「私達も今さっき聞いたんだけど、メイの話しでは、メイベルがもう何日も家に帰って来ていないらしいの。生誕祭の時からだって言うから、もう何日も経つわ。いま若い子達が町中慌てて探し回ってくれているんだけど、それでね、あなた達は、その、ほら、あの、私達とは、違う探し方が出来るんじゃないかって、だから、その、力を貸してもらえないかと思って。」
「メイベル!メイベル!メイベル!」
ふらふらしたメイさんが、とうとう倒れ込んでしまった。メイベルさんの名前を呼びながら、嗚咽を上げて泣き崩れていた。マリーさんがしゃがみ込んで、背中をさすっている。メイさんの大きな泣き声に、私はショックからやっと我に返って、急いでアビーさんを呼びに行こうとした。そんな私の肩をラリーさんがそっと押さえた。
「あの天井の部屋は、外の声が届かんようになっておる。まあ、待ちなさい。」
ラリーさんが私の肩から手を離すと、難しい顔をして、一つため息をついた。それから、みんなから少し離れて後ろを向くと、赤い首飾りをだして、ボソボソとなにか言っていた。話し終えて、私達の隣に戻ってきても、ラリーさんはまだ難しい顔をしたままだった。初めて見るような厳しい表情に、私の不安は増して、恐ろしい事件の予感に震えが止まらなかった。
ノアが私の手をキュッと握ってくれて、顔を見上げると、心配そうに私の顔をみていた。その労わってくれている表情にたまらずノアにギュウッと抱きついた。怖くて恐ろしくて悪い予感を振り払いたくて、しがみついていると、ノアが大丈夫だよと言うように、優しく背中を撫でてくれていた。
ふいに荷馬車の部屋の扉が開いたような音がして、荷台をカツンカツンとゆっくり歩いて来る音がした。どこかで聞いたことのある音だった。珍しく歩いているんだなと、ぼんやりそんなことを思った。
荷台の端にアビーさんが立つと、ザッと音がして、中庭にいる人達全員が膝をついてひれ伏した。アビーさんが嫌そうに目を細めて、睨みながら辺りを見渡した。
「……何ごとか。」
アビーさんのその言葉に、全員が恐るおそる顔を上げたけれど、水を打ったように誰も何も話せずにいた。全員の視線を平然と受け止めているアビーさんは、なんだか為政者の風格があって、誰かが以前に、アビーさんは偉い人なのかを聞いていたことを思い出していた。
「……人集りは好かぬ。……散れ。」
もの凄くアビーさんの機嫌が悪かった。アビーさんのその言葉を聞いた瞬間に、マリーさんとメイさんを残して、ザザッとゆう音と共に集まっていた人達が、一斉に中庭からいなくなった。それと同時にクロが降り立ってきて、カアーカアー鳴いていた。それを聞いていたアビーさんの辺りがギュウーッとなって、ますます機嫌が悪くなったようだった。すごく険しい顔に、マリーさんがヒイッと悲鳴を上げた。
「エミリアにちょっかいをかけたおのことは、どこのどいつじゃ。」
地を這うような低い声に、今度はメイさんが悲鳴を上げた。アビーさんは何か誤解をしているようだった。クロの説明が悪かったんだと思う。その誤解を解かないと、とんでもない事態になる予感がした。私は慌ててノアから離れてアビーさんに近づいていった。
「ち、違います!私の話しじゃないんです。メイベルさんが、メイベルさんがいなくなって!大変!大変なんです!う、うわあ~ん!メイベルさんを助けて!!」
話している途中で、メイベルさんのことを思うと泣いてしまって、私はわんわん泣きながらアビーさんに話した。涙が止まらなくて、メイベルさんを助けて欲しくて泣いていると、いつの間にかアビーさんの腕の中にいて、抱きかかえられていた。小さい子にするみたいに撫でながら、アビーさんが優しい声でなぐさめてくれる。
「よしよし、もう泣くでない。妾が何でも解決してやろう。そなたは何も心配いらぬ。コラッ、そんなに目を擦る奴があるか。赤くなっておる。やめぬか。」
わんわん泣いて、アビーさんに抱きかかえられていると、だんだん落ち着いてきた。私はしゃくり上げながら、もう一度メイベルさんの話しをした。話の途中でアビーさんが、クロにその娘を探してまいれと指示を出した。クロが飛び立って行くのを見送りながら、私は、どうか早く見つかりますようにと願った。空には無数のカラスが集まり始めていた。