70.ひとりぼっちの嵐の夜
カラス達が荷馬車を隅の方の目立たない位置に停めた。あんまり端すぎるので、一見すると木々に隠れて見えないほどだった。
「よっこらしょっと。みんな揃っとるな。さて買い物に行こうか。旬の食材とゆうのが楽しみだ。なにやら良い香りもするじゃないか。アビーも見に行くか聞いてくる。先に行っといてくれ。」
ラリーさんが私達におこずかいをくれたので、三人で先にお店を見て回ることにした。歩いていると、そこら中に香ばしいような美味しそうな香りが漂っていた。ほとんどのお客さんが手に持っている、焼きクリンとゆう食べ物を買って、三人で分け合って食べた。
お店の人に、爪を立てるようにしてと割り方を教えてもらったけれど、とても硬い殻は、どうやっても割れない。その硬い殻をノアとピートさんは指の力だけでパキッと割っていた。
「すげえ!俺、強くなってる!指の力だけで焼きクリンが割れた!すっげえ!すっげえ!」
ピートさんが修行の成果に感激してすごく喜んでいた。強くなると、クリンの硬い殻がパカッとすぐ割れて便利になったと嬉しがっている。硬い殻の中の実は、ホクホクと甘くて、香ばしい風味がしてとても美味しい。みんなで分け合って食べても、大きな袋にたくさん入っているのでお腹がいっぱいになる。
「エミリア、はい、どうぞ。あ~ん。」
「ありがとう。美味しんだけど、もうお腹がいっぱいになってきたから、ノアが食べて。」
お土産屋さんを見たり、いろいろな食べ物を売っているお店を覗いたりしているうちに、ラリーさんと合流した。アビーさんは興味がないそうで来ないらしい。
「ピートよ、そんなに両手に食い物を持って、晩ごはんが食べられなくなるぞ?」
「師匠、これぐらいなんともないし。それにおやつは別腹だろ?次はあっちの焼いてる芋も食う。」
「ほう。人族の腹はそうなっているのか。知らなかった。」
ピートさんとラリーさんが旬の食材を、買い込むとゆうより買い占めていた。もの凄く目立っているような気がするけれど、常識担当のピートさんがしていることだから、これは常識の範囲なのかもしれない。
横に長く繋がっている建物のほとんどがお店になっていて、宿の狭い入口は端にちょこんとあるだけなので、小さな宿だと思っていたら、2階と3階部分がすべて宿になっていて、客室もたくさんあるとても大きな宿だとゆうことが分かった。
この宿の名物が旬の鍋料理と大浴場とゆうことで、ピートさんだけではなく私達も今日は宿に泊まることになった。みんなで名物の鍋料理が食べられるので、ピートさんも喜んでいたし、私も久しぶりの大浴場が楽しみだった。思えばアビーさんの魔術で、まったく汚れないで綺麗になるので、長い間お風呂に入っていなかった。
ピートさんが慣れた様子で宿泊手続きをして、私は階段を上って2階の部屋に案内された。私だけが一人部屋で、あとの三人は3階で三人部屋だった。ピートさんが部屋割りをしたので、男女に分けられて、私だけが一人になってしまった。
毎日一緒に寝ているノアと離れるのは少し寂しい気がする。ひとりで物珍しさにキョロキョロしながら部屋の奥までいくと、ベッドの向こうの窓からは街道が見渡せるようになっていた。なかなか見晴らしのいい眺めだった。窓から見下ろすと、楽しそうに食べ歩きしている人達がたくさん見えた。
「ふ~ん。宿の部屋って、割と狭いのね。こんなに大きな建物なのに。」
「一人部屋ですからね。たぶんノア達の部屋はもっと広いと思いますよ。」
振り返ってディアさんと話していると、窓の枠にカラスが一羽降り立ってきて留まった。そのままこちらを見るでもなく毛繕いを始める。たぶん見張りをしてくれるとか、そうゆう感じなんだろうと思う。
「ちょっと~、そこのカラス。そんな所に居られたら窓が閉められないじゃない。どきなさいよ。もうすぐ大雨が降るのよ。部屋の中が濡れちゃうわ。」
「もうすぐに、大雨が降るんですか。」
「そうね。夜はもう大雨よ。」
ディアさんの言葉で空を見上げてみると、さっきまでと違って、暗い雲が広がっていて風も強くなってきていた。その時コンコンと扉を叩く音がして、すぐに扉が開いた。
「エミリア。やっぱり鍵を掛けていなかったみたいだね。確認しに来たんだ。危ないから、いつでも部屋の鍵は掛けていないとだめだよ。また僕が確かめにくるけど、忘れないでね。」
「分かった。忘れないようにするね。ありがとう。」
「それと、早めに晩ごはんを食べるらしくて、迎えに来たんだ。」
私達は少し早いけれど、名物の鍋を食べに行くことになった。旬の鍋とゆうだけあって、さっき買い占めていたような食材が、全部一遍に入っている豪華な鍋だった。みんなで大きな鍋を囲んで、採れたてのキノコや野菜やお肉や魚をたくさん食べた。
いろいろな具材が溶け込んだスープは、とても複雑な味がして美味しかった。ピートさんがお肉を追加したり、ラリーさんがお酒を追加したり、賑やかな晩ごはんだった。お腹もいっぱいになって、私達はそれぞれの部屋にいったん戻ると、ノアが迎えに来てくれたので大浴場に行くことになった。
ディアさんは部屋でお留守番していると言うので、私だけノアと一緒にお風呂に向かった。久し振りのお風呂は温かくて心地よかったけれど、ホルコット村の大浴場のように広くはなくて、湯舟に浸かって体が温まると、ノアに送ってもらって早々に部屋に戻ることにした。
「おかえり、エミリア。ねえ、さっきって、この部屋の鍵をかけて行った?ついさっき知らない男の人が入ってきたわよ。」
「知らない男の人?何の用だったんでしょう?鍵は……、掛けたと思うんですけど、たぶん。」
ベッドに腰掛けて、落ち着いて思い出してみても、鍵の事は確信が持てなかった。もしかしたら、鍵が開いていて部屋を間違って入ってしまったとか?こんなにたくさん部屋があるんだし。そう思うと、そうに違いないと思えてくる。
「……そんな感じじゃなかったけど。ねえ、今からでも、荷馬車の部屋の方に戻らない?あっちには、あの魔女がいるんでしょ?ひとりで残っているのよね。」
「そうですね。そういえば、アビーさんがひとりぼっちになってしまいますね。私も、この部屋で一人は寂しいなって思っていたので、もう今から、アビーさんの所に行きます。」
アビーさんのいる荷馬車に戻ることを、ノアに言っておこうかと思ったけれど、ノア達の部屋がどこにあるのか聞いていなかったので分からなかった。ディアさんと階段を下りて宿の出入口から外に出ると、すっかり暗くなっていて、お店もすべて閉まっていた。雨が激しく降っていて、飛ばされそうなほど風が強く吹いている。
なるべく閉まっているお店の屋根伝いに歩いたけれど、雨がもの凄く降っていて、少し歩いただけでもずぶ濡れになってしまった。慌ててディアさんを服の中に入れて押さえながら歩いた。ガランゴロンと大きな音がした方を見ると、大きな木箱が転がりながら風で飛ばされていた。もし当たってしまったら大怪我をしてしまうと少し怖くなる。
私達の荷馬車は一際隅の方に停まっているので、ぬかるんだ地面に気をつけながらのゆっくりな歩みでは、まだまだ着きそうになかった。なぜか横向きに降りつけてくる大雨と、飛ばされてしまいそうな強い風に苦労しながら、ようやく馬車や荷馬車が停まっている辺りまで来ることができた。
そこは横倒しに倒れている馬車や、隣の荷馬車にぶつかっていたり、風の強さに大きく揺れて、今にも倒れそうな馬車が何台もあって、大変な有様だった。馬車を引いていた馬達が一頭も居なくなっているので、どこかに避難しているのかもしれない。
私達の荷馬車は端の方で、たしか木々の近くに停まっていたように思えて、木が生えている辺りをウロウロ歩いて探し回った。すると、遠くの方に変わった荷馬車が見えた。その荷馬車はまったく風雨の影響を受けていないようで、揺れてもいないし、荷馬車の周りは雨が跳ね返っていて、まったく濡れてもいなかった。
私はまっすぐにその荷馬車を見ながら歩いた。近づいていくと、荷台にアビーさんがぽつねんと座って居るのが見えた。後ろ姿なので表情は分からなかったけれど、その背中がとても寂しそうで、なにか悲しそうで、オルンさんの小屋の前で絨毯の上から降りて来ないで、夕日を眺めていたアビーさんの姿と重なって、思い出された。あの時にも似た、とても寂しいような、落ち込んでいるような背中だった。
「アビーさん。」
思わず荷馬車に近づく前に、名前を呼んでいた。どうして、そんなに悲しそうなのかがとても気になってしまう。大雨にかき消されるようなその小さな私の呟きが聞こえたのか、アビーさんが驚いて振り返ると、目と口を丸くしながら手をフイッとして、私を荷馬車の中に急いで入れた。雨の中で水が跳ね返っているのを感じて、荷馬車の中に到着する頃には、ずぶ濡れだったディアさんと私はカラリと乾いていた。
「そなた!なぜ、このような嵐のさなかに外におる?今夜は宿に泊まる筈じゃろう。よいか、エミリア。いくら嵐の夜が楽しげでも、そなたはまだ子供じゃ。すぐに風邪をひいてしまうのじゃ。雨が降っておれば、濡れぬように部屋の中に居らねばならぬ。」
「私、外が楽しそうだから、部屋から出てきたんじゃありませんよ。宿の部屋で私ひとりで、アビーさんも今夜ひとりだと思ったら、寂しいような気がして、それで、アビーさんに会いに来たんです。二人一緒なら、もうひとりぼっちじゃありません。」
「エミリア、そなた妾の為に、この嵐の中を……。しかし、無茶するでない。このお転婆娘め。」
「すみません。こんなに雨も風も強いなんて思っていなくて。」
私はアビーさんの隣に腰を下ろして、しばらく二人で空を見上げていた。空には葉っぱや木切れや、いろんな物が巻き上げられて、飛ばされていた。荷馬車の外はとても風雨が強いことが分かる。今更ながら、ゴオオーと響く風の音が不気味に恐ろしく思えてきた。空を見上げながら、アビーさんがぽつりぽつりと話してくれる。
「妾、そなたと同じで、このような嵐が楽しくてな。喜び勇んで渦を蹴散らしに行ったものじゃ。消してしまうなと、兄上にはよく叱られたがな。自然の摂理に反すると。嵐には嵐の理があり、神羅万象それぞれの役割が……。遠い昔の話しじゃ。……忘れるがよい。」
「昔のことを思い出して寂しかったんですか。アビーさん。」
「寂しい?……妾が?寂しくは、ないだろう。妾にはラリーがおるし、息子も孫も、そなたも、家族が側におる。これ以上の幸福はあるまいよ。」
アビーさんはそう言ったけれど、なんとなく、昔を懐かしんでいただけではないような気がした。私達はまたなんとなく空を見上げて、吹き荒ぶ嵐の夜を二人でいつまでも眺めていた。
この嵐にもなにか意味があって、自然の摂理に従うと、この後どうなっていくのかなと難しいことを考えていた。するといつの間にか、アビーさんにもたれて眠っていたらしかった。