65.目指せ最強!鉄棒の練習 1
どこかで鳥がピチピチ可愛く鳴いている。青々とした広い空には、薄い雲が少し泳いでいるだけで、澄み渡った空色がずっと遠くの方まで広がっていた。
新しく改造された、もっふうと体を支えてくれる屋根の上で、手足を伸ばして寝転んでいると、どこまでもやさしい青い色合いの空に、あたたかく包まれているようだった。風も穏やかに心地よく吹いていて、晴れ渡った朝の一時をやさしく撫でていた。
「私、すごく良いこと思いついたの。動じないって、すごく大事よ。だって、なにがあっても動じないのよ。つまり平常心よ。この刺繍と一緒なの。」
「ママ、言ってる意味が分からないんだけど……。」
「メイベルよく聞いて、とっても大事な事よ。ママはね、縫い物や刺繍や編み物をしてる時って、すごく落ち着くのよね。動じないの。だからね、驚くことがあったら、こうやって刺繍してる気分になったらいいんじゃない?」
メイさんとメイベルさんが荷台で仲良く刺繍している。二人は今までもよく荷台で刺繍や編み物をしていたらしくて、道具はすぐに手に取れる所に置いてあった。手慣れていて、すっかりいつもの様子で、お喋りしながらのんびり過ごしている。
ピートさんだけは少し離れた所で、また棒を上げたり下げたりを繰り返していた。耳を澄ましてみると、せいせいだけじゃなく、ふんふんとも言っている気がする。気分で使い分けているのかもしれない。うららかな陽気でおだやかな朝だった。
ギイギギギイイイイイイイン!!!ボッガアーーーーーン!!!!
地を裂くような大音量のギイーとゆう音のあとに、爆発音がして、ボフンッと荷馬車が一瞬宙に浮いて落ちた。屋根の上にいた私とノアの体も一瞬浮かび上がって、屋根の上にまふっと着地した。
何が起こったのか驚いてノアと顔を見合わせていると、向こうに見えるピートさんも、がに股の中腰になってこちらに目を凝らしていた。やっぱり錯覚じゃなく一瞬浮いたんだと思う。ノアと地面に降りて荷台にいる二人に声を掛けると、驚いていたけれど怪我もなくて、動じない平常心と言って刺繍の続きを始めていた。
ノアと様子をみに荷馬車の部屋に入っていくと、何ごともなかったように静かで、誰もいないようだった。食堂に入っていくと、テーブルの上に羊のディアさんが転がっていた。
「ディアさん、ディアさん?そこにいますか?どこに行ったんです?」
「……え?ああ、エミリア?別にどこにも行ってないわよ?私の泉にいただけ。どうしたの?」
「ディアさんが羊の中にいないように感じただけです。ずっといる訳じゃないんですね。」
「いるわよ。ずっといるわ。でも、そうねえ、私は泉だし、羊?とか動物みたいとは違うのかもねえ。生き物とは感覚が違うらしいし。不思議よねえ。」
ディアさんが羊のぬいぐるみの中にいないような感覚がしたんだけど、気のせいだった。そこにいるような、いないような感覚は確かに不思議だった。
「ディアさん、さっきすごく大きな爆発音がしませんでしたか?たぶんこの荷馬車の部屋からしたと思うんですけど。」
「爆発?なにか爆発したの?この部屋で?それって、大丈夫なの?壊れたりしないの?ここ。」
「……さあ、見た目はどこも変わらないみたいだな……。さっき浮いたのは、気のせいなのかな。」
ノアとディアさんと三人で不思議がっていると、どこかで扉が開いた音がして、ラリーさんが工房から出てきた所だった。
「あ、おじい様、さっき爆発音がして荷馬車が浮いたんですけど、何か知ってますか?」
「爆発音?工房の音が漏れたか?おかしいな、アビー。」
「なんじゃ、妾まだ全部切り終わっておらぬ。」
「音が漏れておったらしい。ノアが荷馬車が浮いたと言っておる。」
「なにい~?そんなに薄い防音じゃったか?もう何重かかけておくか。」
工房の部屋の奥からアビーさんも現れて、工房の部屋の壁と扉をポンポン触っていく。ガシャンガシャンと変わった音がして、触るごとに光っていた。
「ノア、ちょっとこの棒を持って振ってみてくれ。重いか軽いか、長いか短いか、感想を聞かせてくれ。」
ラリーさんがノアに木の棒を渡して試させていた。ラリーさんが持っていた黒い棒と違って木肌の色そのままなので、本当にただの棒に見えた。
「軽い……、気がしますね。長さは、特になにも思いません。」
「ふむふむ。軽いか、それならまだ付加できるな。長さは、まあノアは自分で決めたらいいさ。ちょっと、ピートにも触らせてくる。」
ラリーさんが弾む足取りで外に出て行った。道具を作ったり改造したりするのが、とても楽しそうだった。好きなことに燥いで夢中になっている姿はとても素敵だと思う。ラリーさんは見送ったと思ったら、すぐに戻って来た。
「よしよし、いいぞいいぞ。この素材は良い!あ、二人とも調整したらすぐに出来上がるのでな、外で待っていてもいいぞ。そうだ、ピートが色はわしの奴のように黒い方が良いと言っとるが、ノアはどうする?」
「僕は、なんでもいいです。こだわりはありません。」
「そうか?それならこのままにするか。わしも最近は素材を活かすことにはまっておってな。よしよし、それなら、そのまま活かそう。」
ラリーさんがご機嫌で楽しそうに工房の中に入って行った。アビーさんが最後に工房の扉を閉めてぐるっとなぞるような動作をすると、フワッと一瞬赤く光った。
「よし、完了じゃ。もう鉄棒が出来上がるようじゃな。妾達は外に出ていよう。さあさあ、練習じゃ、最強への道じゃ!強くなるのじゃ!ふふふっ。妾もう訓練場所も見つけておる!早う来ぬか。」
なぜか、アビーさんもご機嫌で楽しそうだった。弾むように飛んで、早々に部屋から出て行った。なぜか、なんだか、嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
「エミリアも外に行くの?じゃあ、私も持って行ってよ。ここの出入りって、エミリアに触れていないと出来ないみたいなの。……強力よね~。あの魔女って、ホントに神ってるわよね~。」
「いいですけど、外には私達以外にも人がいますよ。ピートさんに、サビンナの集落にいたメイさんとメイベルさんです。」
「ふ~ん。ま、今更って感じがするけど、一応ぬいぐるみのフリでもするわ。エミリアの肩に乗っておくとか?……今更だけど、はあ~。」
羊のぬいぐるみのディアさんをかたに乗せて、ノアと一緒にへやを出ると、アビーさんが大声でいろいろな指示を出していた。
「小僧めが、さっさと戻って来ぬか!クロ!早う位置につけ!」
荷台から覗くと、ピートさんが慌てて荷馬車に走って戻って来ている所だった。ピートさんを追い立てていたクロが、スイーっと飛んで来て馬に変わった。ゼーゼー言いながらピートさんが荷台に乗り込むと、御者の席に立っていたアビーさんが手をフイッとして、荷台を閉めた。
「よし、クロよ、ペガじゃ、一気に行く。」
アビーさんがそう言うと、クロの馬の姿から大きな黒い翼が生えてバサッと羽ばたいた。その瞬間に、フワッと荷馬車が浮き上がって空を飛んで行く。バッサバッサと羽ばたくごとに荷台が揺れるので、あまり乗り心地は良くいないけれど、全員で荷物ごと空を飛べるのは、すごく便利だと思う。
どこかに掴まっていないとゴロゴロ転がってしまいそうで、メイベルさんに教えてあげようと振り向くと、もうすでにゴロゴロ、ゆらゆら転がっていた。私が転がっていないのはノアと手を繋いでいるので、ちょっと浮いているせいだった。
「あの、アビーさん、みんなが転がっています。このバサバサ揺れるのは、止められませんか?」
「おばあ様、飛ぶなら飛ぶと先に言っておかないと!誰もどこにも掴まってませんでしたよ。」
「ん?すぐに着くぞ。転がるぐらいなんじゃ?そなたらは転がっていないではないか。」
そうは言っても、アビーさんは優しいので荷台の三人に向かって手をフイっとして、壁にビタンッとくっつけた。荷台と一緒にゆらゆら揺れるけれど、転がるよりはいいので良かった。安心して前に向きなおると、もうずいぶん高く昇っていて、雲よりも上にいるようだった。力強く黒い綺麗な翼を羽ばたかせる筋肉質なクロは、羽がない時の馬の姿よりも格好良く見えた。
「綺麗な羽ですね、アビーさん。馬に羽が生えていると、こんなに格好良いんですね。」
「そうであろう。妾、羽がない馬はどうも物足りん。羽がないと飛べないであろうに、なぜ羽がないのじゃ?捥いだのか?不思議でならん。」
力強い羽ばたきで、しばらく空の上を飛んでいたけれど、やがて少しずつ降下していって、滝の近くの雑木林の中に降り立った。大きな滝はとても高い大きな岩からゴウゴウと水しぶきを上げて流れていた。見たこともない程の豪快な景色だった。
「着いたぞ。さあ、最強の修行じゃ!!」
ウキウキと上機嫌なアビーさんが荷台を振りむくと、壁からベシャッと床に落ちた三人は、それぞれそのまま起き上がって来なかった。
「だ、大丈夫ですか?どうしました?」
三人とも具合がとても悪そうで、言葉にならない様子だった。ぐったりしたまま口を押さえたり、話そうとしても声にならなかった。みんなの突然の体調不良にオロオロしてしまう。
「エミリア、落ち着いて。大丈夫。揺れていたから、ちょっと酔っただけだよ。しばらく横になっていたら治るよ。ここにしばらくそっとしておこう。」
「そう?ホントに?すごく気持ち悪そうだけど、寝ていたら治るの?大丈夫?」
「なにも心配いらないよ。僕たちも少し休憩しよう。滝を見に行こうよ。」
ノアと手を繋いで、滝のそばまで景色を見ながら歩いて行く。水量も豊富で、川底を泳ぐ小さな魚が見えるほど川の水は澄んでいた。手を浸してみると、とても冷たくて驚いた。滝に続いている大岩の前で、アビーさんが腕を組んで待っていた。
「早う来ぬか!訓練の始まりじゃ!妾がそなたらを最強にしてやろう。」
とても張り切っていて、やる気に満ち溢れているアビーさんからは、嬉しそうにメラメラとなにかか湧き上がっていた。
「おばあ様、なにか勘違いしていますね。僕はおじい様に鉄棒の技を教えてもらうんですよ。それに、まさかとは思いますが、エミリアは人数に入ってませんよね。」
「なにも勘違いなぞしておらぬ。妾はその鉄棒の技を教えるのではない。強くなる為に体を鍛えるのじゃ!もちろんエミリアも人数に入っておる。仲間外れにはせぬ。体は丈夫な方がよい。まずは、この岩を素手で登るがよい!」
見上げた大岩は天まで届きそうな程高くそびえ立っていて、断崖絶壁とゆう言葉がピッタリだった。まっすぐに切り立った大岩は、どこにも登れるような突起がついていないけれど、どうやって登るのかなと疑問に思ってしまう。
なんとなく頭の中で、崖から突き落とすんじゃなくて、登らせるんだなと不思議に思った。そう思うと、突き落とされるよりは大分マシなことに思えてきて、登れるような気がしてきた。
大岩に近づいて手をかけようとすると、ノアがスッとその手を取って止めさせた。顔は笑顔で笑っているんだけど、久しぶりにノアからヒヤッと冷気がもれていた。なんだろう?笑顔なのに迫力がある。滝の近くだからだろうか、ゾクゾクするほどの寒気がしていた。
「お~い、アビー、あの三人はどうした?具合が悪そうだが、変なもんでも食ったのか?……見事な滝だなあ。良い場所じゃないか。」
ラリーさんが荷馬車の部屋から出てきたようで、私達のいる滝の近くまで駆けてきた。手には二本の棒を持っている。黒い木の棒と、木肌の色そのままの木の棒だった。
「ラリー、ちょうど良かった。見本を見せてやってくれ。ここを手で登る訓練をするのじゃ。……足だけの方が良かったか?」
「どうかな?どっちも鍛えられるとは思うが、最初は好きな方を選ばせたらいいんじゃないか?見本か、やってみよう。」
ラリーさんが荷物を地面に置いて、大岩の前に立って見上げると、小柄なラリーさんにはとても高すぎる大岩に思えた。そしておもむろに大岩に手をかけると、手の力だけでヒョイヒョイとあっという間に頂上まで登ってしまった。そして足の力だけで軽々と大岩から降りてきた。どこに手足をかけていたのか、まったく分からなかった。
「ふむ。最初は手足を両方使って、慎重に登った方が良いかもしれんな。その方が全身鍛えられるんじゃないか?」
「なるほど、そうじゃな。よし二人とも手足を両方使って登るのじゃ。」
「絶対ムリーーーーーー!!!」
いつの間にか背後にいたピートさんが大絶叫していた。悲鳴のような大きな叫び声だった。みんなが驚いて振り向くと、ピートさんの長いお説教が始まった。常識担当のピートさん長い長いお話では、つまり全部が全然だめらしかった。
アビーさんは途中で飽きてどこかに飛んで行ったけれど、ラリーさんは真面目に最後まで話を聞いていて、しょんぼりしていた。たくさん話して溜飲が下がったピートさんが、今度は落ち込んでしまったラリーさんを励ますことになって、なんだかもう、訓練どころでは無かった。最強に強くなるのはやっぱり、大変なことなんだなと思った。