53.寂しい白夜と私の手紙
気がつくと夢の中にいて、夢をみていた。自分が今眠っている感覚ある訳ではないけれど、もう何回も体感した感覚で、ここが夢の中だと分かった。自分の体が無いような、遠いような、鈍いような、なんと例えたらいいのか、とにかく現実ではない実感がある。
そんな夢の中で、遠くにある地平線をずっと見ていた。明るい夜のような、暗い昼のような不思議な空の、昼と夜の境目がこれからどうなっていくのかを、見惚れたように静かに眺めていた。
一歩踏み出すように前にでて、片足に違和感があったので下を見ると、地上がはるか遠くの方にあった。なぜかどこかの高い場所の先端にいて、驚きと恐怖に息を呑んだ。
ここは高い山の山頂か、崖の先端だろうか。とにかく高い断崖絶壁のような場所にいて、その下の地上には、深い森が広がっていた。どこまでも続く深い森を、薄暗いような、薄明るいような空が包み込んでいた。
初めて見るこの光景のこの場所は、どこまでも美しいけれど、なぜかとても寂しく感じる。とても孤独で、寂しい気持ちに胸が締め付けられそうだった。
もう早くこの夢から覚めたらいいのに……、そう思った時に、どこか下の方から足音が聞こえてきた。カツンカツンと階段を上っているような足音が響いてきて、もの凄く驚く。
階段?この下に?ビックリして、崖の先端から覗き込むと、ずっと下の方に窓のような空洞があった。え?もしかして、これは塔?私、塔のてっぺんにいるの?高……、高すぎない?この塔!?どうしてそんな高い塔のてっぺんに?そうして狼狽えている内にも、カツーン、カツーンと足音は大きくなって近づいて来ていた。
どうして?どうして私、起きないの?このままじゃ、怒られるのでは?塔のてっぺんって、知らない人が居て良い場所じゃないよね?ドキドキしながら、なんとか夢から目覚めてと一心に願った。
もうどんどん早足になってきている足音は、カツンカツンの音も近い。そういえば夢の中で誰かに遭遇するのは初めてかもしれないと気づいて、恐怖心が一層増した。見つからないようにと、なんとか身を縮めて隠れようとしていると、カツンの音が止まって、静寂に包まれた。自分の鼓動の音だけが、やけに大きく感じた。
「……誰か、いるのか?」
とても低い男性の怒ったような声に、思わず大絶叫すると、パッと目が覚めた。ドッキンドッキン鼓動がうるさくて、口が叫び声のまま開いていた。
寝ころんだまま隣を見ると、ノアがスヤスヤ眠っていた。その幸せそうな寝顔をしばらく眺めていたら、徐々に心が落ち着いてきて、ただの夢だし、ただの怖い夢をみただけだしと思えて、私はひとりじゃないし、寂しくもなくて、隣にノアがいてくれる幸せを感じながら、またいつの間にか、眠りに落ちていた。
「エミリア?そろそろ食堂に行こうか?お腹空いてない?朝ごはんを食べに行こう?」
ノアの声がした方を見ると、ベッドの脇に腰掛けて、私を覗き込んでいた。頭がまだぼんやりしているんだけど、私はベッドに座っていて、もう髪の毛のセットも終わった後のようだった。起きた記憶も無くて、こんなに長い間寝ぼけたままでいたのは、新記録だと思う。
「……ごめん。まだ寝ていたみたい。……朝ごはん、に行こうか。」
「大丈夫?まだ眠そうだね?もう少し、寝てから行く?朝ごはんより、まだ寝ていた方がいいんじゃないかな?」
「ううん。大丈夫。もう起きるから、朝ごはんを食べに行こう?なんだかお腹が空いちゃった。」
「そう?じゃあ、行こうか。でも、無理しないでね。朝ごはんを食べてもまだ眠たかったら、眠ることにしようよ。」
心配性なノアは、私が眠たくて寝ぼけているだけで、とても焦ってオロオロしてしまう。申し訳なく思って、私は安心してもらえるように笑ってから、ノアの手を取って繋ぐと、一緒に食堂に向かって歩いた。広いホールを横切って食堂に入ると、アビーさんがデンツの木から直接実をとって食べていた。珍しく厨房にラリーさんの姿が無かった。
「おばあ様、行儀が悪いですよ。ちゃんとお皿に入れてテーブルで食べてください。……おじい様は、まだ寝ているんですか?」
「いや?ラリーは地下じゃ。あの海の奴は、余程面倒臭い物のようじゃな。いちいち加工に手間がかかる。妾の出番はまだ先じゃな。」
「……そうですか。それでは今日の朝の出発は無理そうですね。エミリア、やっぱり朝ごはんを食べたら、もう一度眠りにいこうか?」
「ううん。大丈夫だよ。もう目が覚めたから、心配しないで。」
「なんじゃ、エミリアはまだ眠いのか?眠いなら寝ておくがよい。朝ごはんは、それ、この実を食べておくがよい。」
「朝ごはんは僕が作ります。ね?エミリア、なにが食べたい?ここは何でも揃っているから、なんでも作れるよ。ああ!考えるだけでも楽しい!」
ノアが久しぶりに好きに料理できるのがすごく嬉しそうなので、好きに作ってもらうことにした。腕を振るって、美味しい物を作ると張り切っている。料理の本をたくさん読んでいて良かったと、とても喜んでいた。アビーさんはまったく興味なさそうに空中で円を描くように伸びをしている。
「アビーさん、ノアが作った朝ごはんを一緒に食べますよね?」
「なぜじゃ?妾はもう腹が減っておらぬ。」
「せっかくノアが作ってくれるんですよ。一緒に食べましょう。少しでもいいですよ。一緒に食卓を囲めるのが嬉しいんです。ラリーさんも、アビーさんが食卓にいて、一緒にごはんを食べてくれたら、すっごく喜ぶと思います。」
「そうか?知らなんだ。ラリーは何も言わぬが、そう思っていると思うか?」
「思います。ラリーさんも、アビーさんにたくさん美味しいものを食べさせたいって言ってましたよ。」
それで、ノアがあちこち忙しくしながら、楽しそうに朝ごはんを作っているのをアビーさんと二人で眺めながら、ノアが淹れてくれたお茶を飲んでお喋りしていた。朝のうちの出発は無さそうなので、ノアと二人で少しだけオルンさんに会いに行くことしした。準備ができたらアビーさんが呼びに来てくれることになった。
ノアが作ってくれた朝ごはんはとても豪華だった。赤い温かいスープは、爽やかな酸味と野菜のこくと旨みが美味しかったし、二つに切ったパンにお肉やチーズや野菜を重ねて挟んだ分厚い丸いパンは、いろいろな味が絶妙に合わさっていて、くせになりそうな程美味しかった。アビーさんは赤いスープを気に入っていた。
朝ごはんを食べ終わってもラリーさんが地下から上がって来なかったので、私達二人はオルンさんの小屋に行くことにした。後片付けのあとに黒い玄関を出て、笑った顔の石像まで歩いていると、クロが目の前に降り立った。
「あれ?クロ、アビーさんを追いかけてきたの?アビーさんなら、家の中にいるよ。満腹になったから、今から寝るって言ってたよ。だからたぶん、今は出てこないと思うよ。」
クロは一つ頷いてから、また木の上の方に飛んで行ってしまった。私の後ろにいたノアがワッと熱くなった気がして、振り返ると別段平気そうにしていた。……気のせいなのかもしれないけれど、なにか不思議な感じがする。
オルンさんの小屋に着くと、とても喜んで私達を迎えてくれた。待ちに待ってくれていたそうで、久しぶりの再会に話が弾んで、旅の話しもいろいろと話しながら、三人でお茶を飲んだ。
「そうそう、クレア達から預かっている物があるんじゃった。奥の部屋にまとめてあるんだ。」
私とノアはビクッとなってしまう。まさか、また、服じゃないよね?たぶん私はまだ、貰った服を全部着れていないんだけど……。ノアが恐るおそるといったようにオルンさんに聞く。
「……まさか、服じゃ、ないですよね?」
「服?いいや、手紙じゃよ。箱に入れて、向こうの部屋に置いてあるから、持ってくるのを手伝ってくれんか?」
ホッと安心したノアと、オルンさんが奥の部屋に手紙を取りに行ってくれた。私も安心して、オルンさんが淹れてくれた美味しいお茶を飲んで待った。手紙なら私も文字を全部覚えたら読めるようになるし、文字が上手に書けるようになったら、返事をかける。良いことずくめ気がした。
奥の部屋に続く扉のすぐ向こうがワッと熱くなったと思ったらすぐに、ノアとオルンさんが大きな箱を持って現れた。箱からは手紙や紙が溢れていた。
「やっぱりあの人達、おかしいよね。毎回、量が多すぎるんだよな。まだあっちの部屋に同じような箱がたくさんあるんだ。」
「ど、ど、どうしよう!?私まだ文字が全部読めないのに……。どうしよう?手紙って、たしか返事を書くものだよね?こんなに……!?」
「大丈夫、落ち着いて。僕が全部先に読むよ。返事は書かなくてもいいと思うよ。必要そうなら、僕が教えるから、エミリアは読まなくてもいいよ。」
クレアさん達からの手紙は全部で6箱あって、大きなどの箱からも溢れていた。ノアは読まなくてもいいと言ったけれど、私に書いてくれた手紙なんだし、少しずつ読んでみることにした。横では、ノアが高速な流れ作業で手紙を読んでいた。開いては閉じるスピードがもの凄く早いけれど、ノアは真面目なので全部読んでくれているのが分かる。
私はやっと一通読み終わって、ノアが今から読む箱に入れた。ほとんど内容が分からなかった。なにか、けついとか、じょうねつみたいな文字が多かった気がした。他の箱を物色していると、絵を描いてある紙がたくさん入っている箱があって、見てみるとどれも赤い髪をした女の子が凝った髪形や、いろんな服を着ていて、色もいろいろな色が塗っていて綺麗だった。
「ノア、見て、すごく綺麗な絵だよね。」
「うん。でもこのスカートは短すぎるし、こっちのは頭が引っ張られて痛そうだよね。現実的じゃないかな。」
「なるほど……、そう、なんだね。」
まさかこの絵がホントの服になる絵だとは思わなかった。この凝った髪形もホントに出来るとは思えないんだけど、頭が重くないのかな?
「オルンさん、これは流石に多過ぎませんか?こんなに溜まる前に断ってもよかったのに。これからは要らないと断ってください。」
「いや、さすがに断るのはどうかと……、せっかくここまで持って来てくれたんじゃし、グランの所にも預けとるらしいしな。それにこれからは持って来れんじゃろう。その中の手紙にも書いたと言っておったが、この手紙を書いたクレア達はオルケルンに行ったんじゃ。若い娘さん達の団体なんでな、兵士を何人も雇って、大々的に出発したんだ。マリーの所でも何人か世話するらしい。」
「え?オルケルンに?たしかここから遠いんですよね?なにをしに行ったんですか?」
「若い娘の話しはよく分らんが、なにか夢とか希望とか言っておったな。あと、待ってるだけでは始まらないと、ずいぶん勇ましくクレアが息巻いていた。……何のことか、よく分からんかったが。」
「まあ、放っておきましょう。僕たちには無関係です。」
それから、ノアが手紙を読み終わるまで横に座っていたんだけど、なんだか何時にも増して、ノアの周りがワッと熱くなったり、ヒヤッと寒くなったりした。本人はまったく気付いていないようなので、言わない方がいいのかなとも思う。魔力が安定していないと言っていた事と関係しているかもしれないから、体が魔力に慣れると収まるのかもしれない。
オルンさんの勧めで、朝から贅沢にも温泉に入ることになった。オルンさんの温泉は良い香りがして、少しとろみがあって、本当に心地が良い。ほかほかに温まって、疲れも取れた気がする。アビーさんはまだ迎えに来ていないけれど、オルンさんにまたしばらくのお別れをして、ノアとご神木の家に戻ることにした。