35.出発の前に
アビーさんとラリーさんが選んだ荷馬車は、思ったより小ぶりで、もしこの中に全員が乗り込んだら、ぎゅうぎゅう詰めになるような大きさだった。荷台には所狭しと果物や野菜が積んである。グランさんが見せ荷と言っていた。
田舎から農作物を売りに来る農民とゆうのを演出していて、これで誰にも怪しまれないし、そうそう盗賊などにも狙われないらしい。まだ見せ荷とゆうのが足りないらしく、明日の朝、出発前にホルコット村によってからの出発となった。
それまでにオルンさんの小屋の前に荷馬車を置いて、アビーさん達が、荷馬車の中に部屋を作って改造したり、ラリーさんの用意した荷物を積み込む事になった。明日の出発に備えて、みんなそれぞれ誰もが忙しく、バタバタと忙しない雰囲気が漂っていた。
みんなと同じように、私とノアが忙しいかとゆうと、全然まったくそんな事はなく、オルンさんが用意してくれた、私とノアの服を荷馬車に積んだら、後はまったくやることが無くなった。
私たち以外のみんなは、オルンさんもピートさんも、グランさんと一緒にホルコット村に行ってしまったし、アビーさんとラリーさんは、なにか細かい打ち合わせをしながら、荷馬車に魔術をかけたり、はたまた解いたり、更には重ねてかけたりしていた。つまりとても忙しそうだった。
私達は邪魔にならないように、洗濯場でノアの水の魔法の練習をしていた。ずっとここで、時折、水、水と言いながら、手のひらを上に向けて、水を出そうとしているけれど、まったく水は出てこない。
それでも何回でも、繰り返し何回も魔法の練習をするノアは、本当に根気強くて、偉いと思う。もう私とノアは手を繋いでもいない。ノアが色々試した結果、体の部分の何処かが触れていたらいいらしくて、背中合わせになって、私はただ何もせずに座っている。
天気も良く風も心地よく吹いて、ノアにもたれてじっと動かずにいると、こんなに明るい昼間から眠たくなるほどだった。機嫌が良さそうな小さい子達もくるんと回ったりふわふわしている長閑な風景に、今にも瞼が閉じてしまいそうだった。
ハア~っと、ノアが大きくため息を吐いて、とたんに眠気が覚めた。
「大丈夫?ちょっと休憩する?」
「いや、疲れてる訳じゃないんだ。自分が情けなくて。たぶん火や水は基本中の基本なんだよ。それなのに僕はまったく火や水が出せない。才能が無いのかもしれない。エミリアは、僕が魔法使いなのに、魔法が使えなかったら、嫌いになる?情けなくて、もう一緒に居たくないと思うかな。」
ノアがもの凄く落ち込んでいた。そんな事で嫌いになる筈が無いのに、とても気が滅入って、暗い気持ちになっているようだった。私は少し考えてから、話した。
「ノアは私が、なにか練習しても出来ない事があったら、私の事を、」
「ならないね。なる訳がないよね。……ごめん。変なこと聞いて。」
ハア~と今度は小さくため息をついた。情けない……と呟いて。
「ノア、私はノアがすごく努力家な所を尊敬してる。何回も何回も、根気よく練習出来るなんて凄いよ。だから、今、火や水が出なくても、落ち込まないで。火や水が出せなくても、魔法が使えなくても、私はノアのことが大好きだよ。」
ノアの顔をまっすぐ見て、落ち込んでしまっているノアにハッキリと言った。
ノアはたくさん凄いのに、自分の事を情けないなんて思ってほしくない。たとえ魔法が使えても、使えなくても、ノアは私の大切な半分ずつの友達だもの。
その途端急に、全身が真っ赤になったノアが地面にぐらりと倒れ込んで、おかしなうめき声をあげた。
「え?大丈夫?どうしたの?どこか痛いの?どうしたの?」
どうしたのか、大丈夫なのか、ノアに手が触れたとたんに、ヒュンっと音がして、気づくとオルンさんの小屋の屋根の上にいた。
「ええ?なになに?屋根!ここ屋根の上!」
飛んで行ったんじゃなく、笑った顔の石像を触った時のように、瞬間で移動したみたいだった。ノアもその感覚にすごく驚いていた。
「……今、飛んできたんじゃないよね?なんだろう?瞬間で屋根の上に来たみたい。一瞬でいる場所が変わった変な感覚がする。」
「そうだよね?飛んで来たんじゃないよね?……やっぱりノアは魔法が使えるんだよ。今みたいに感覚が分かれば、アビーさんみたいに魔法が使えるんじゃないかな。きっと、慣れたら火や水も出せるようになるよ。」
「……感覚か。そうか、感覚を掴まないと魔法は使えないのかもしれない。僕、やってみるよ。ありがとう。エミリア。」
ノアがもう落ち込んでいないようで、嬉しい。今度は一瞬で下に降りてみるとゆうので、ノアと手を繋いだ。何回も試したけれど、同じように一瞬での移動は出来なかった。それでもノアは落ち込んでいないようで、二人で手を繋いでふわふわ浮いて、ゆっくりと地面におりた。地面に着地すると、ノアがまっすぐに目を見つめて、
「ありがとう。エミリア。僕もとってもエミリアが大好きだよ。」
と言って笑った。ついさっき自分が似たような事を言った気がするけれど、なんだかその時より、もの凄く照れる。真っ赤になって、汗がどっと出てくる感覚がする。これは、心臓に悪いかも。あんまり大好きとか言わないようにしようと、密かに決めた。ちょっと、これは、ドキドキしすぎて体に悪いかもしれない。
「疲れた!!妾はそんな細かい設計図はもう見とうない!全部いっぺんにガッとやりたい!!もう嫌じゃ!!」
「待って、待ってくれ、アビー、休憩、休憩にしよう。なにか飲んで食べて、休憩にしよう。今日中に終わらせんと、明日に出発できん。気分を変えて、美味いもんでも食べよう。」
玄関先で、ラリーさんが必死でアビーさんを落ち着かせていた。洗濯場から移動すると、アビーさんが、なぜかはるか高い所に浮かんで、ふてくされていた。ラリーさんがなにか甘い物でもと言って、荷馬車に出来上がっていた扉から、クッキーをだした。
「妾、今は甘い物の気分ではない。いらぬ。」
「よしよし、辛い物だな。」
と言って、ラリーさんがオルンさんの小屋に走って入って行った。
「おばあ様、あんまり我儘言っちゃだめですよ。ここは家じゃないんですよ。オルンさんの家ですよ。つまり他人の家なんです。好きなようには出来ませんよ。」
ノアがアビーさんに子供に言い聞かせるように注意している。アビーさんは上空から、ノアに不機嫌に言い返した。
「愚かな。よいか、ノアよ。ラリーは妾の半身であるぞ。ラリーに出来ないことなど、なにもない!」
なんだかアビーさんが変な風にまたへそを曲げてしまった。ちょっとややこしいんだけど、ラリーさんじゃなくて、アビーさんはノアに憤慨している。いつの間にか、すり替わってしまった?いつの間に?
「やれやれ、八つ当たりしないでください。」
ノアがしょうがないね、やれやれとゆう仕草をした時、小屋の中から、ラリーさんの声がした。
「できたぞ~おやつにしよう。降りておいで~。」
「は~い。」とご機嫌な様子でアビーさんが、私とノアの前を通り過ぎて、小屋の中に飛んでいった。小屋の中から、そなたらも早うまいれ。と声がする。ノアとこんなに早くなにを作ったのかなと言いながら、小屋に向かって歩いた。
「手で食べるから。先に手を洗ってきなさい。」
ラリーさんが小屋に入る前に声をかけてきたので、近い方の井戸で手を洗った。小屋の中に入ると、テーブルの上のお皿に、もの凄く薄い食べ物が山盛りになっていて、すでにアビーさんがご機嫌で食べていた。パリパリ、バリバリと音がしている。
「芋を揚げただけなんだが、こっちのが塩味でな。こっちのちょっと赤いのは辛くしてある。このちょっと緑のは風味がまた美味いぞ。好きなのを、手でとってお食べ。」
ノアと席について、まず塩味とゆうのを手にとった。もの凄く薄くて、力を入れると、パリッと割れてしまいそうな程だった。アビーさんを見習って、そのまま口にいれると、パリッとした食感が独特で、噛むとザクザクとなんだか楽しい。絶妙な塩加減に、お芋と油の良い風味がして、何回でも食べたくなる止まらない美味しさだった。
「美味しい!なんだか楽しい食べ物ですね。」
「うす~く、うす~く切るのがコツだな。パリパリになって、美味い。アビー、美味いか?こっちのは辛すぎんか?」
「ちょうど良い。そなたの作る菓子はいつも美味いのじゃ。不味いわけがなかろう。」
「そうか、そうか。」
ラリーさんも嬉しそうに、揚げたお芋のお菓子を一緒に食べた。みんなで、パリパリ、パリパリくせになる程、止まらなくて沢山食べた。ノアがなるほど、食感がこんなに大事だったなんて!といたく感心していた。
おやつ休憩の後はアビーさんとラリーさんが協力しあって、急ピッチで作業が捗っている様子だった。日が暮れるよりずっと前に、荷馬車は全部の作業が終わったと言っていた。オルンさん達が帰ってくる前に、荷馬車を一旦ここに置いて、木のお家に帰る事になった。
明日はとうとう出発なので、それぞれがアンドレさんに、しばらくのお別れをする。今度はもっと頻繁に帰って来られるようにすると言って、アビーさんとラリーさんが、アンドレさんの部屋と中心の木の洞になにか丸いピカピカ光る石のような物を置いていた。いつアンドレさん達が元気になって起き上がってきても、これですぐに分かるらしい。ノアがとても喜んでいた。
ノアとラリーさんで夕ごはんを一緒に作って、ラリーさんに教えてもらって、ノアはめきめき料理の腕が上がっているようで、とても生き生きしている。絶妙な塩加減について熱い議論を交わしていて、一朝一夕では身につかないと、その奥深さに唸っていた。とても楽しそうだった。
アビーさんも席について、この木の家での、私にとってはもしかしたら、最後かもしれない晩ごはんをみんなで食べた。便利な魔法で、またすぐここに帰って来られるのかもしれないけれど、やっぱりどこかしんみりした気分になって、出発の前日が過ぎて行った。