32.魔法の練習
「よし、ノアよ、まずは火だ。これを見よ。」
そう言うとアビーさんが手のひらを上に向けて、その手のひらの中に、小さな炎を出した。それから、持って来た小枝を一本炎の中に入れて燃やした。小枝が燃え尽きると、手の中の炎を消した。
「よし、これが火だ。やってみよ。」
ニコニコしながら、アビーさんが空中に座った。目線を私達と同じ高さに合わせてくれる。えっと、私にはさっぱり分からないけれど、ノアにはなにか分かったのかなと顔を見ると、私と同じような顔をしている。
「あの、火、はどうやって出すんですか?原理とか?」
「ん?そうだな、火と思うのじゃ。」
ああ、全然分からない。チラッとノアを見ると、やっぱり困惑の表情をしている。それでも、アビーさんと同じように手のひらを上に向けた。片手は私と繋いでいる。「火、かあ……。」と半信半疑ながら、手のひらを見つめている。しばらくそのまま待ってみても何の変化もなかった。
「あの、火と思うとは、どおゆう……」
アビーさんを見ると、顎に手をあてて、考え込んでいる。そしておもむろに立ち上がった。
「最初は、水が良かったかもしれん。よし、水辺に移動じゃ。カラスども、川辺を見てまいれ。」
そして、また石像に触って、今度は細い川の近くにやって来た。川辺に近づいて行って。それからまたアビーさんが同じように手のひらを上にして、そこからザーと水を出した。
「水じゃ。出してみよ。」
またノアが同じように首をひねりながらも、一生懸命に手のひらを見つめながら、水、水、と言っている。手を繋ぎながら私もしばらく、同じように手のひらを見ていたけれど、そのうちに、小さい子達が変な動きをしている事に気がついた。
水の近くだからだろうか、水色っぽい子達が多いのだけど、その子達が、なんだかぐるんぐるん半回転のような動きをしている。それから、川の方にぐーーんと飛んで、また戻って来る。その動きを、何回も繰り返している。
気になって、その動きを目で追って、また川の方に視線を移すと、川の水がちょっとだけミョンと上に伸びたような気がした。その途端に、この前夢でみた、あの気持ちの悪い水の手の形を思い出してしまった。
「エミリア?」
気づくと、ノアの手を振り払っていたようで、アビーさんと二人で心配そうに見つめられていた。怖い夢を思い出したぐらいで、魔法の練習の邪魔をしてしまった。自分でも困った顔になっている事が分かる。冷や汗もかいている。
「あ、あの、水は、水の近くは、温泉ではだめですか?オルンさんの温泉の近くで練習できませんか?」
この川の近くには、いたくなかった。怖い夢の残像を思い出して、怖くなる。もう川を視界に入れないようにして、アビーさんとノアに聞いた。
「妾は、どこでも良いぞ。」
「僕も、温泉の近くでも、どこでもいいよ。」
ホッとして、怖い夢を思い出すから、川の近くにはいたくないと、情けないけれど、ちゃんと言った。アビーさんは笑って、ノアは心配してくれた。笑い話になって、またちょっと怖くなくなった。
そうして、オルンさんの温泉に着いて、先に小屋の方に挨拶しに行くと、オルンさんもピートさんもお留守だった。温泉の中にずっといると、のぼせてしまうので、洗濯場まで行って、盥に水を張ると、そこで水の魔法の練習をする事になった。そこでもやっぱり、ノアの手のひらから水は出なかった。
「ハア。僕には魔法の才能が無いのかもしれないなあ。火も水も出せそうにありません。どうして、飛ぶのは出来たんでしょうか。」
「それは、飛びたいと思ったからであろう。」
「全然分かりません。僕は同じように、火も水も出したいと思った筈なんですけど。まったく出ないのが、自分でも分かります。」
「ほお。出ないのが分かるのであれば、出ないのであろう。次に進むのは、火か水が出てからになる。ま、すぐじゃ。」
アビーさんは全く心配していないようで、魔法の練習は終了になった。ハア~とまたノアがため息を吐いた。気が滅入っているようで、なにか気分転換が出来ないかと辺りを見渡していると、ゴロゴロ、ゴロゴロとなにかが近づいて来る音が大きくなってきていた。
「オルンさんが帰ってきたのかも。見に行きましょう。」
玄関の方に向かうと、小型の馬のような動物が引いた、荷台に布の屋根がついた荷馬車に乗って、オルンさんとピートさんが帰って来た所だった。その後に続いて、同じような荷馬車が数台続いている。
「お、早いな。もう着いていたか。すまない。待たせてしまったかな?」
「待ってはおらぬ。妾達は温泉に用があって、ここにおるだけじゃ。ラリーが後でここに来ると言っていたが、もう昼なのか?」
オルンさんと話していると、到着した荷馬車から、髪の長い見事な白髪の老人が、慌てた様子で降りてきて、帽子を取りながら急いで足がもつれる勢いで近づいて来た。
「アビゲイル殿でございましょうか。初めてお目にかかります。私はホルコット村の村長のグラン・フラウトと言います。クラム・フラウトの息子です。この度は、ホルト村を救ってくださり、なんとお礼を言っていいか分かりません。本当にありがとうございました。また私の親父が、大変なご迷惑をおかけして……」
とても丁寧で心のこもったお礼と謝罪で、端で聞いている私まで恐縮するような挨拶だったのだけれど、アビーさんが、どんどん面倒臭そうに、嫌そうに顔をしかめていく。ご年配の老人で、しかも村長さんで、だから村では偉いはずで、アビーさんの機嫌が悪くなっていく様子に、ヒヤヒヤする。せめてここにラリーさんが居てくれたら……。
「妾は知らぬ。いらぬ。」
グランさんが、お礼の品の説明を色々と話していると、とうとうアビーさんが、私とノアを置いて、どこかに飛んで行ってしまった。そういえば堅苦しいのが嫌いと言っていたような気がするけれど、まさか、ここまで嫌がるとは思わなかった。グランさんは、一瞬呆気にとられて、困った顔で、私とノアを見た。
「アビゲイル殿の機嫌を損ねてしまったようです。私達の用意した品はお気に召さなかったでしょうか?ささやかですが、どうか受け取ってほしいのです。弟から、今朝方事情を聞きまして、取り急ぎ駆け付けた次第でございまして、村に戻って、もう一度……」
「あ、違います。違うと思います。お気に召さなかったとかじゃ、ないと思います。十分、お気持ちは伝わっていると思います。えっと、困りましたね。どうしましょうか。」
たぶん面倒臭くなっただけなんて、言えないです。どうしよう。困ってノアと顔を合わせる。お礼の品とゆうのを、貰った方がいいのか、貰わない方がいいのか分からない。
「……たぶん、もう少ししたら、おじい様が来る予定なので、話しはそちらにしてください。僕たちには分かりませんし、たぶんおばあ様は面倒臭がって、嫌がりますから。」
あ、面倒臭がってるって言っちゃったね。魔法の練習があまり進まなくて、落ち込んでいるせいだろうか、ノアの口調がいつもよりキツいような気がした。面食らったような顔をしたグランさんが、尋ねるようにオルンさんを見た。
「昼にラリー殿と会う約束をしているが、約束にはまだ早い。兄さんも一緒に小屋の中で待っていたらどうかな。後の者は荷馬車で待機してもらおう。エミリアとノアもおいで。菓子を買ってきたんだ。みんなで食べよう。」
小屋の中にみんなで入って、ラリーさんの到着を待つ事にした。オルンさんが買ってきた、この辺りで昔から食べられていると言うお菓子を、みんなで食べる。
店先に吊るしてあって、どこでも売っているらしい。棒状のカラフルなお菓子で、独特なしっとりもったりした甘い生地の中に乾燥させた木の実のような物が入っていた。初めての味ともっちりとした面白い食感で、どこか後を引く、ついつい食べ過ぎてしまいそうな美味しいお菓子だった。
それでも、どこか気まずい雰囲気は変わらず、ピートさんが羊を見に行くと言うので、ノアと私も一緒に連れて行ってもらう事にして、オルンさんとグランさんを残して、子供たち三人で小屋を後にした。