24.小さい子達の大群衆
あれからずっと、つまりアビーさんが昼寝に行って、食堂で二人っきりになってから、ずっと。ノアはリボンを結んだり、解いたりしている。傍目に見ているだけでも、結び方が格段に上手になってきているのが分かる。綺麗な左右対称になっているだけじゃなく、なんだか見たこともない程の複雑な結び方をしたり、輪が幾つもできて、お花のような形になったり、とても器用だと思う。
一度、「とっても綺麗に結べているね。」と褒めたら、もの凄く嬉しそうに笑っていた。ノアはとても充実していて、達成感を味わっているようだけれど、私はさすがにちょっと、退屈になってきていた。
「……ちょっとだけ、外に出てみない?」
なにげなく呟くと、すごく意外な事を言ったように、ビックリされてしまった。
「え?どうして?……ああ、そうだった。外に出てもいいんだ……。」
ノアはずっと両親の言いつけを守っていて、外に出ずにいたから、もしかしたら今も少し、外に出ることを悪いことのように、思えてしまうのかもしれない。ノアのご両親は、子供を危険な目に遭わせたくなくて、そう言ったんだろうし、ひとりで閉じ込めておきたくて言った訳じゃないと思う。
たぶんノアも、それを分かっていると思う。でも、両親との大切な、約束だったから。だからちゃんと、守っていたんだね。なんだか切なくなって、胸がつきんと痛んだ。今はラリーさんもアビーさんもいるし、私も……、頼りないかも、しれないけれど。
ノアのご両親だって、ノアが嬉しそうに楽しそうにしていた方が、喜んでくれると思う。絶対。だから、ノアといっぱい楽しいことや、面白いことしようと、密かに心の中で決意する。そう心の中で興奮していから、呼吸がフーフー荒くなってるけど、口には出してないから、この熱い決意はノアにはバレていないと思う。ちょっと涙目になってるだけで、大丈夫。
「……エミリア?外に行きたい?」ほら全然、バレてない。全然!
「全然!あ、じゃなくて。」
あぶない、あぶない。このままでは、不審に思われて、心配されてしまう。
「……少し、外に出たら、なにか楽しいことがあるかも、なんて。面白いこととか、分からないけど……。」……さり気なくって、難しい。
「そう、だね。少し気分転換に、外に行ってみようか。」
機嫌が良さそうに笑ってくれたので、結果的に、うまく誘えたんだと思う。
良かった。成功したみたい。
「あんまり遠くに行かないように、気をつけようね。」
と言いながら、ノアと手を繋いで黒い扉の外に出た。
少し外を歩いて、森の新鮮な香りに触れて、きれいな草花を見てから、遠くに行かないように、気をつけて帰ろうとしていた、だけなんだけど。
あとそれに、あのフワフワと漂っている小さな子達を、微笑ましく眺めようとは思っていたけれど、まさか、視界いっぱいに集まっていて、景色も見えない程に、みっちり大群衆が集まって来ていたなんて、想像もしていなかった。……えっと、どうしたの?
「エミリア?どうしたの?」
一歩外に出たとたん固まってしまった私に、その場で心配そうにノアが聞いてきた。一歩も動けない。一歩でも動いたら、集まっている小さい子達を踏んだり、押しのけたり、しないといけないから。
「あの、みんな、どうしたの?どうして、こんなに集まっているの?なにかあったの?」
言葉が通じるのか、ちゃんと確かめた事はないけれど、とりあえず、ここにいるみんなに向けて聞いてみた。すると、徐々にザワザワ、ザワザワと動き出して、やがてフワッとなにかがほどけるように散り散りになっていった。
そのまましばらく遠ざかっていく子達を眺めながら待っていると、いつもの景色に戻っていって、何事も無かったように、小さい子達も普通に、いつも通りにフワフワしている。
「……今まで、すっごくたくさん小さい子達がいたんだけど、……帰ったみたい。」
見えないけれど、ノアがいつもと違う所はないか、じっくり周りを見渡しながら言った。
「特に、変わった所は、無いみたいだね。」
今見た光景の方が幻なんじゃないかと思うくらい、何もかもが、今まで通りな景色だった。あんなにたくさんの小さい子達は、どこから来て、どこに行ってしまったんだろう。不思議で、その場で呆然と考え込んでしまう。
「エミリア。少し歩いてみようか。」
ノアが優しく手を引いたので、ようやくその場で、固まっていた事に気がついた。
「そうだね。その為に出てきたんだし。行こう。」
ふたりで遠くに行かないように約束していたので、ノアの木の家が見える範囲だけを歩きまわることにした。森の新緑の新鮮な空気を吸いながら歩いていると、気持ちが自然と落ち着いてくる。歩きまわって体を動かすのも心地が良かった。
「分からない事だらけで、戸惑うよね。」
それまで無言で歩いていたノアが、静かな落ち着いた声で話し出した。
「え?」
「僕には見えないから、話しにくいだろうし、そもそも相手が見えていない物を説明するのは、思うよりずっと、大変そうだ。」
真剣な目をして見つめてくるので、思わず言葉につまってしまう。
「だけど、僕は、エミリアの一番の味方でいたいんだ。不安な時や、心配な事も、なんでも話してほしいし、分からない事は、ふたりで考えたい。エミリアに、ひとりじゃないって、いつも思っていてほしい。」
とても、とても言葉が重かった。本当にそう思って、言ってくれているのが分かる。ずっと、ひとりで待っていたノアがそう言うと、ひとりじゃないよって、言ってくれると、味方でいたいと言う言葉が、心に沁み入るようだった。誰よりもそう望んで、なによりもそれを希っていたのは、……ノアなのに。私が、ひとりで抱え込まないように、言ってくれているんだよね。
ありがとうとか、うれしいとか、やさしいねとか、そう感じてる事を、なにか言わなくちゃと思うのに、胸がいっぱいで、溢れそうに熱くて、言葉がなんにも出てこない。ノアの手が頬に伝う涙を、何回も何回も優しく拭ってくれる。とても優しい、労わるような目で、「なにも、言わなくてもいいんだよ。」と小さな声で囁いた。
私は、もう、なんだか、もう、涙が止まらなくなって、泣けて、泣けて、感情がぐちゃぐちゃで、子供みたいに、わあわあ泣きながら、ごめんなさいとか、これからは全部話すとか、ひとりにしないからとか、いっぱい一緒に遊ぶんだからとか、ぎゃあぎゃあ言いながら、一頻り泣きわめいて、だんだん落ち着いてきて、なんだか恥ずかしくなってきた頃に、ノアが「ありがとう。」と言った。
お礼を言うのは私の方なのにと、ポカンとしていたら、ノアが説明するみたいに話してくれた。
「……本は、たくさん読んだんだけど、外の世界の事は、なんにも知らなくて、僕も、正直、戸惑ってばかりなんだ。だから、エミリアと一緒に、いろんな知らないことを経験したり、学んだり、それに僕とエミリアの分からない事を解明したり、そおゆう事を全部、ふたりで一緒にできるのは、嬉しいよ。……だから、憶えておいてほしいんだけど、ひとりで悩まないで、僕と、半分ずつにしよう。」
私は、もう本当に、ふたりで一緒に、半分ずつにしようと思えて、ギチギチに結んでいた固結びがフワッと解けたようになって、今まで話していなかった事、自分の記憶があまりない事や、時々思い出す夢の事や、そのせいで不安な気持ちになったり、怖くなったりすること、私の中にため込んで、誰にも言っていなかった気持ちを、なんでも思いつくままに、話し続けた。
ノアはずっと、相づちを打ちながら、真剣に聞いてくれていた。話し終えると、なんだか私ばかり話した気がして、気恥ずかしくなって、半分ずつなんだから、ノアの話しも聞きたいとねだると、恥ずかしそうに、初めてで戸惑った話をしてくれた。
それは、予想外だった祖父母の話しや、オルンさんの家で、実は初めての事だらけだった、温泉や料理や、掃除や、寝室での事など、ノアが面白可笑しく話すから、ふたりとも大笑いして、楽しくて、お腹を抱えて、涙が出るくらい笑い合った。私は呼吸を整えて、そして、
「「これからは、お互いに、なんでも話していこうね。」」
ノアと同じ言葉を、同じタイミングで言ったので、声が重なり合った。思わず、ふたりで見つめ合って、微笑んだ。それから、「うん。約束。」と言って、ノアが私の手の指先に口づけた。そして、真剣な目でジッと見つめてくる。私は、なんだかドギマギして、顔どころか耳まで赤くなっている気がする。
約束する時って、そうするの?私もノアの手にチュッてしなきゃ、だめ?なにか、儀式的なもの?私もノアに同じことしないと、失礼にあたるとか?……ああ、ラリーさんに種族の違いを聞き忘れてた!
それで、どうするべきか、ドキドキしていたんだけど、ノアが私の手をそのまま握っていて、ニコニコ機嫌良くしているので、なんとか、私はしなくてもいいとゆう方向で、納得することにする。
ちょっと落ち着かない気持ちでいたんだけど、とても嬉しそうなノアを見ていたら、私まで、なんだか嬉しい気持ちになってきていた。私はもう、これから、ひとりじゃない。その気持ちが、体に沁み渡っていくようだった。
ノアと半分ずつ。不安も、怖いも、嬉しいも、楽しいも、半分。私の一番の味方。ちょっと、くすぐったいような、照れくさいような、不思議な気持ち。
ノアは私の、大事な、大切な、半分ずつにした友達。ついこの前ラリーさんに、ノアの事を友達と言った時よりも、もっと、心から、友達と言える。心から……、心の友……、あれ、なんだか、面白い。なぜか頭の中で、心の友よ~とゆうダミ声が聞こえた。え?声?なぜ?どこから?
「エミリア?どうかした?」
いつの間にか、ノアの顔が近くにあって、覗き込まれていた。
「あ、ううん。なんでもない。」
なんでも、話す約束はしたんだけど、あなたは、私の心の友です。なんて言うなんて、照れくさすぎる。でも、約束したし、
「ノアと、今までよりもっと、仲良くなれた気がして、嬉しくて。」
勇気をだして、言ってみた。ほんとに、今までよりもっと、ノアと打ち解けて、仲良くなれた気がするし、これからも仲良くやっていけそうな気がして嬉しい。
ノアが感極まったような顔をして、目をウルウルさせて、両腕をなんかバッと開いたその時、同じように黒い翼をバッと広げた、大カラスが上から降ってきた。
スチャッと着地すると、素知らぬ顔で翼を畳んだ。
この木の上の枝に止まっていたようだった。全然気づかなかった。こんなに大きいのに。フンッと偉そうに反り返って、空を指して、ギャーと鳴いた。
それまでは話しに夢中で、日が暮れかけている事に、気が付いていなかった。
言葉は分からないんだけど、早く帰りなさいと言われているような気がして、
大カラスがギャーギャー五月蠅く鳴くからと、ノアと急いで家に帰った。