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171.その流れのなかで

 誰一人話していない静かな部屋の中で、想像の世界に旅立ってしまって、嬉しそうに体を揺らしながら笑っているポルガ教授の姿を、ただ、それぞれが黙って見つめ続けていた。その長い、とても長い沈黙を打ち破ったのはピートさんだった。


 ピートさんは、なにかソワソワとし始めると、仁王立ちで腕を組んだまま、首を曲げたり、腰を曲げたり、色んな所を上下左右に大きく動かして、変わった体勢をしばらく繰り返してから、決意したように一歩前に足を踏み出して、座り込んで夢うつつな状態のポルガ教授の正面にしゃがみ込んだ。


「じいさんよお、このまま土の中に入っちまったら、もしかしたら、ソフィアさんには会えないかもしれねえよ」


 ピートさんがポルガ教授の肩を優しく叩きながらそう言うと、ポルガ教授が急速に現実に戻ってきた。大きく目を見開いて、驚きのあまりにしばらく口をポカンと開けていた。


「な!?なぜです!?ソフィアは、人族は、みんな、命が無くなると、土の中に入って、そこで暮らすのですよ?生きているうちには、誰もそこには行けないけれども、ソフィアも、ソフィアの先祖も、みんなそこで暮らしているんですよ。……なぜ、私は、ソフィアに会えないのですか」


「俺は、ソフィアさんと同じ普通の人族なんだけど、俺の家は、王都からずっと遠い田舎にあるんだけど、そこでは俺が子供の頃から、親とかじいちゃんとかばあちゃんとか、村のみんなが、昔っからよく言っていることがあるんだ。人はいつか……、生まれ変わるんだって。命は続いてるから、ずっと、いつも良い行いをしてたら、年を取ってじいさんになって、命が尽きても、土の、中に入っても、みんなに親切にしていた良い人は、また生まれ変わることが出来るんだって。……だから、いたずらとか悪さするなってことなんだけど、つまり……」


 そこまで言うと、ピートさんはふいに表情を曇らせて顔を伏せた。そして、また顔を上げたときには、決意したように、まっすぐにポルガ教授を見つめていた。


「俺、牧師の説教とか、熱心にちゃんと聞いてなかったから、あんまり詳しくはねえけど、悪いことをしないで、ずっと親切でいたら、次は、願う通りに生まれ変われて、また人に生まれたかったら人に、虫がよかったら虫に、動物が望みなら動物に、そうやって好きに選んで、また生まれてこられるんだって言ってた。……だから、もしかしたら、ソフィアさんはもう生まれ変わってるかもしれねえし、……これから、生まれ変わるのかもしれねえし、だから……、だから!すれ違いになったら大変だから、だから、生きろよ!」


 大きな声を出したピートさんは、ガシッと掴んでいたポルガ教授の肩から手を離して、チラッと私の方を見てから、またポルガ教授に向き直った。ポルガ教授はとても無垢な、幼い子供のような表情で、黙ってピートさんのことを見つめていた。


「……だから、悪いところはエミリアに治してもらって、明日も明後日も、まだまだいっぱい、図鑑を作って、好きな機械とかを山ほど作ってさ、生きてたら、そのうち、めちゃくちゃ、楽しいことがあるかもしれねえし、これから、めちゃくちゃいっぱい、美味いもんに出会うかもしんねえし、分かんねえけど、なにも、分かんねえんだから、頑張って、命の続く限り生きてたら、良いことがあるかもしれねえんだから、だから、……だから、どうか、諦めないでくれよ」


 ピートさんの声は最後には、消え入りそうなほどに小さかった。けれど、ピートさんの心からの願いであることは、とても強く伝わってきていた。ポルガ教授はしばらくしげしげとピートさんの顔を見つめていたけれど、やがてぽつりぽつりと話しだした。


「……そうですか、そうゆう、仕組みであったとは、初めて知りました。……いや、人族の、どこかの物語の本では、そうゆう記述が確かにいくつかありましたね。……とゆう事はつまり、人族の皆が知る常識である確率が高いとゆう事に他なりません。学問には、そういった側面が確かにあるのです。そうやって、大昔の文献から真実を炙り出す作業をしている者達は何人もおりますし、なるほど、生まれ変わり。確かに、ソフィアは親切で優しく、誰よりも善良な人でした。ソフィアが望みのままに生まれ変われない筈がない。なんとゆう事でしょう。それならばソフィアは生まれ変わる確率の方が高いじゃないですか!あっ!そうですよ。好きなものを選ぶならば昆虫かもしれません。すると、蝶……、いや、鳥かもしれない。常々、大空を飛んでみたいと言っていましたから。これは大変だ!急いで探しに行かないと!エミリアさん!今から、急いで私の病を治してください。すみませんが、ちょっと急いでもらえませんか。私の妻は、もう悠々と大空を羽ばたいているのかもしれないのです。もしかしたら、彼女は、私のことを探しているかもしれません。なんとゆう事だ!私が研究室に籠りっきりになっていたばっかりに。なんたる不覚!」


 病を治して、生きることに前向きになったポルガ教授は、とても慌てふためいていた。ラリーさんやみんなが揃って説得をして、ポルガ教授がなんとか落ち着きを取り戻した頃には、見上げた細い窓から見える空の色がすっかり変わっていて、もうすぐ日が暮れようとしていた。


 明るい昼間と暗い夜の狭間の夕日は、いつでも美しいけれど、だんだんと変わっていく色合いに、今日はなぜだか落ち着かない気持ちになった。なぜかザワザワして、なんだかドキドキしていて、だんだんと立っている感覚さえ覚束なくなってくる。


 私はとにかくポルガ教授に近づいて、すぐ隣になんとかドスンと座り込んだ。明るい光の中で、ポルガ教授が目を見開いて、驚いている顔が視界に入ったような気がしたけれど、私は私の呼吸に集中しながら、ポルガ教授の膝の上に手を置いた。バリバリッと強烈な反発が起こって、また手が痛くなるかと思っていたけれど、今はなぜか私の感覚が鈍くなっているからか、まったく痛みを感じなかった。


 なにも聞こえなくなって、私はどんどん、ポルガ教授の病に集中していった。おかしなもの。変なもの。歪んでいるような、妙な、奇妙な、嫌なもの。これを全部、隈なく剥がしてしまうようなことは、そう難しいことでは無さそうなのに、なんだかとてもモヤモヤした気分になってくる。


 ふと不安になって顔を上げると、眩しそうな顔をしているアビーさんがいた。私と目が合うと、ニッコリと不敵な笑みを浮かべて頷いてくれた。それで私はもう、途端に不安な気持ちがなくなって、勢いよくビリバリと総ての良くないものを引き剥がして、アビーさんにどんどん渡していくことにした。


 どこか遠くで、ポルガ教授の悲鳴が聞こえた気がしたけれど、気にせず、根こそぎとことん綺麗にしていくにする。アビーさんはとても楽しそうに、青黒く光っている良くないものを空中でぐるぐるとかき混ぜるようにして集めていた。アビーさんは台風の目のようになって、周りの良くないものを完全に御していた。


 激しく渦を巻く暴風がとても力強いので、私はすっかり安心した心地で、次々に良くないものをベリベリと剥がして、ぽーいとアビーさんのいる方に放り投げていく。そうして、何度もその作業を繰り返していると、なんだかだんだんと私も楽しくなってきた。剥がしてぽーい、ガシッと毟り取ってぽーい、次も次もぽいぽーいっと、興が乗ってきて、アビーさんと連携した流れ作業はどんどんと順調に進んでいった。


 そうしているうちに、私は初めて、これは病気の類のものではなくて、呪いとか、そうゆう悪意のあるイケない物なんだろうなと気がついた。それは、完全にいらない物なので、やっぱり、すっぱりさっぱり欠片も残さないと決めて、全部まとめてアビーさんに退治してもらうことにした。


 見下ろしたポルガ教授の中から、一切合切良くない物を取り除く為に、私はもう一段、深く集中することにして長い息をはくと、私の流れに呼吸をあわせた。ゆったりと揺蕩う私の流れに集中すると、渦巻いている暴風の音もすぐに気にならなくなって、瞬く間に景色も変わって、深層部まで根を張っているような良くない物が隅々までよく見えた。


 私は一つも取り残さないと決意して、今度は丁寧に優しく摘まんで、フワッと風に乗せるようにしてアビーさんの所におくる。とても繊細な作業を、息を詰めるように繰り返していると、やがて、すべてが息を吹き返したように綺麗になって、ようやく、総てを消し去ることができた。


 私は、ほうっと一息ついて安堵すると共に、さて、ここからだと思って静かに目を瞑ると、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。そうして、だんだんと呼吸が整って穏やかな心地になってくると、私の胸のあたりの丸く形作った両手の中から、キレイな色々な色の、七色の虹のような輝きが広がっていくのを感じて、そのまま、ゆったりと漂う流れに身を任せた。


 そうして、ゆっくりとその中心の、真ん中に焦点を合わせるように、私の流れを意識して寄り添わせていると、いつの間にか私は、甘やかな香りが漂っている柔らかな温かい光の中にいた。辺りには、ほわほわしたものがたくさんふわふわと浮かんでいて、その一つ一つが時折ふわっと弾けると、また生まれて浮かび上がってきて、その様子がとても可愛らしくて、なんだかとても和やかな気持ちになる。


 いじらしいほど健気で元気な営みがここにはあって、私は、この場所がとても好きだと思った。ふいに柔らかな風を感じたので、私も、とても心地よい優しい気持ちでふう~っと吹くと、ゆるりと流れていって、ゆるやかにまたかえってきた。それは、とてもいい流れだった。


 そうして、添うように何度も繰り返しながら、大きくゆったりとうねるようにまた戻ってくるその流れを、穏やかな波のようだと思った。私の流れだと思っていたそれは、もっと大きな、もっと雄大で計り知れない、もっとずっと尊いなにかだった。


 ほわほわと温かくて、やわやわと心地よくて、とても大きくて優しい波間に私がいて、私はその一部だった。ただの一部分であることが、堪らなく愛おしくて嬉しくて、私の全身のすべてを広げて抱きしめた。


 そうして、波に揺蕩うままに身をゆだねていると、どこかで、強い風の音が聞こえてきていた。規則正しいその風の音が気になって耳を澄ませていると、ふとそれが呼吸の音だと気がついた。ああ、これは私の呼吸の音だと思った途端に体が重たくなって、私はゆっくりゆっくりと沈んでいった。


 とても愛おしい場所が、少し、名残惜しかったけれど、その流れに逆らわずに呼吸を合わせていると、だんだんと、今の現実の音や匂いや、重さが戻ってくる。手や足や頭や体の感覚があって、私には私の形があったことを思い出していると、ふとノアのことが思い浮かんだ。


 とても優しい小さな男の子。穏やかで、とても激しい。小さな体にとても激しい力が渦巻いている、すごく元気で、整然としていて、清らかな美しい流れを持っている、幼い男の子。それもまた愛おしく思えて、なんだかもう懐かしくもあって、はやくノアに会いたくなって、私は閉じていた目を開けた。


 まだぼんやりしていたけれど、辺りの眩しいぐらいの光がおさまってくると、だんだんと目の焦点があってきた。パチパチと瞬きを繰り返してからジッと見ていると、私の手が見えた。私の手は布越しに何かに触れていて、顔を上げてみると、小さな男の子がちょこんと座っていた。私は、大きなブカブカな服を着た、小さな男の子の足をずっと触っていたようだった。


「あ、ごめんね。勝手に触っていて。痛くなかった?」


「……いえ、あの、……いえ」


 ところで私は今まで何をしていたんだっけと思って、辺りを見渡すと、すぐ近くにアビーさんやラリーさんやみんながいて、ノアも私のすぐ隣にいた。そうか、ノアに会いたかったんだと思って笑いかけると、ノアも嬉しそうにニコッと笑いかけてくれた。


「おいおいおいおいーーー!!何した!何した!?おい!?小っちゃくなってるぞ!小っちゃくなっちゃてるぞ!おい!?いいのかこれ!?いいのか?正解かこれ?どうなんだ!?いいのか!?ダメなやつか!?誰か教えてくれ!!」


 ピートさんがなにかすごく大きな声で叫んでいて、なんだかよく分からないことを言っていた。あんまり騒いでいるので、みんながピートさんに注目して見ていた。私もピートさんを見るとすぐに目が合って、まだまだ、おいおいおいと言っているので私が首を傾げると、ピートさんがあああーーー!!と言いながら膝から崩れ落ちてしまった。なんだか、ピートさんに大変なことが起こったらしい。みんながピートさんを見守っているので、私も一緒にピートさんが起き上がってくるのを待つことにした。


 たくさんの何かの機械が置いてある静かな部屋の中は、小さなランタンが所々に置いてあるだけなので薄暗くて、細い窓からは月明かりが差し込んでいた。見渡してみると、なんだか寂しげな雰囲気の部屋に思えて、それでまた小さな男の子を見ると、男の子はまだ驚いた顔のままだった。それがなんだかどこかで見たことのある、誰かに似ている気がして考えていると、ついさっきまでよく見ていた流れにすごく似ていることに気がついた。


「あれ?ポルガ教授?ですか?あれ?どうしたんですか?大きさが、ちょっと違いますよね?」


「ちょっっっとてええええ!!!」


 シュタッと立ち上がりながら叫んだピートさんの声は、高い天井の部屋にこだまして響いていた。お腹の底から出ている声はとても大きくて、ピートさんが元気そうでなによりだなと思った。

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