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170.とても迷い悩む最後のとき

 ポルガ教授は、心なしか血色も良くホクホク顔で話し込んでいて、私がずいぶん近づいていっても、まだまったく気がついていなかった。


「あ、エミリア、起きていたんだね。ああ、靴を履くのを忘れているよ。ちょっと待ってて、僕が絨毯の所から取ってくるよ。そこの椅子に座っていてね」


 ノアに椅子に座っているように言われたけれど、私はそのまま歩いて、夢中で話し込んでいるポルガ教授の横につくと床に座って、おもむろにポルガ教授の膝に手を置いた。予想通り、バリッと強烈な反発があったけれど我慢して、そのまま集中しようとしていたら、ポルガ教授が勢いよく立ち上がってしまった。


「何をする!いや……、何を、するつもりですか。止めて、どうか止めていただきたい。私は……、私のことは、どうか放っておいていただきたい。あなた方の使命は理解しているつもりですが、私は例外です。例外なのです。私には、癒しなど、決して必要ありません!」


 ポルガ教授の大声に、ハッと目が覚めた心地になって、私は、今この時の現実に完全に戻ってきた。床についた手や裸足の足がひんやりとしていて、床が冷たくて硬くて、私はなぜか、心細い気持ちになった。ふいにくじけそうになったけれど、私は、私の決意を曲げるつもりは、もう無かった。悲しいけれど、ポルガ教授にも選んで、認めてほしい。


「ごめんなさい。やっぱり、これはいらないものです。消してしまいましょう。急がないと、間に合わなくなるそうです」


「な、な、何を言っているんですか。必要だ。私には、必要なものです。これは私のものです。決して、決して勝手に、この痛みを消させはしない!」


 ポルガ教授が私から離れようと後ずさりして、尻餅をついて転んでしまった。杖も無く、動く板にも乗っていないと、動くことも、歩くこともままならないようだった。


「大丈夫ですか!?怪我は……」


「触るな!私に触るな!!消させるものか!私は、私はソフィアと共にあるのだ。生涯ずっと永遠に、共にいると誓ったのだ。たとえ土の中にでも、私は一緒にいくのだ。誰にも決して、決して!邪魔は、させない!」


 私の心に灯る火は消えていなかったけれど、どうしようもなく悲しくて、切なくて、私の目からは涙が後から後から溢れて、落ちていく。


「ごめんなさい。私も、そちらを選んだ方がいいのかもしれないとは、思って、迷っては、いたんですけど、ソフィアさんが、それを望んでいなくて、とても強く、私に、お願いしていて、だから、ポルガ教授にも、どうか、生きる方を、選んで、ほしい、です」


「ソフィアが!?どこに!?ここに?どこです?私の所には、どんなに願っても会いに来てくれないのに?どこですか?どこにいるんですか?ソフィア!?ソフィア、どこにいるんだい?私に、僕に、僕に会いに来てくれたんだね?会いたいよ。どこだい?顔を、一目でいいから、怖がらないから、僕が、ソフィアを怖がるはずがないんだから、ね?姿を、見せておくれ。ちょっとでもいいから、ソフィア?どこにいるの?話せないの?ソフィア、ソフィア、ソフィア」


 ポルガ教授は膝をついたまま、あちらこちらに視線をむけて動き回っていた。けれど体が思うように動かないので、バタバタと這いつくばるようになってしまっていた。ラリーさんが、そっとポルガ教授の肩に手をおいて、ゆっくりと体を擦ってあげてから、優しく支え起こして床に座らせてあげた。


「……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。私の夢の中のことなんです。姿は、私も見ていません。ごめんなさい」


「……ああ、夢の……、ああ、そういえば、あなた方は、夢渡り……、夢渡り人とも、記述がありましたね。そう、……か。ここに、いるわけじゃ、ないのか。そうだ、もう、ここに、いるわけがない。……いるわけがないんだ」


 ポルガ教授は、片手を胸に当てて、辛そうにしていた。痛みは、常に、いろんな箇所に、時に激しく襲ってくるだろうけれど、今は、それだけではない激しい痛みが伝わってくる。


「私、忘れてしまわないうちに、ソフィアさんが言っていたことを、今から全部言います。えっと、優しい人だと言っていました。ポルガ教授のことを、とても優しい人だと、あと、可愛い人とも言っていました。それに、賢くて、優秀で、いつもみんなに尽くしていて、心がとても美しいと、本当に素晴らしい人だと言っていました。ずっと、ずっと幸せでいてほしいと、言っていました。間に合わなくなる前に、ソフィアさんの……、すみません、ちゃんと全部聞けたわけじゃないんですけど、はやく、助けてあげてほしいと、何度も懇願していたのは、はっきりと憶えています。だけど、私が、途中で目を覚ましてしまったので、これで全部かは、分からないんです。ごめんなさい」


「ふ、ふふ……、そうです。彼女は、いつも、私のことを可愛い人と……、こんな私のことを、いつも、たくさん、褒めて、くれていた。本当に素晴らしいのだと、何度も何度も、繰り返し言ってくれていた。幸せ、幸せになんて、一人で……、私一人で?そんな、そんなことは……、いや、それでも、私は、彼女の願いを叶えなければ、私は、では私は、どうすれば……」


 ソフィアさんの言葉を聞いて、微かに微笑んでくれていたポルガ教授は、すぐに途方に暮れたような顔になってしまって、また、だんだんと元気がなくなってしまった。私も幸せについて考えてみたけれど、ずっと幸せでいることも、もっと狭めてみて、今だけ幸せでいる、とゆうことですら、もの凄く難しいことに思えた。


 幸せとは、いったいなんなのだろうと、頭の中がこんがらがってくる。私が戸惑っていると、ポルガ教授が決意したように顔を上げて、まっすぐに私の方を向いた。とても張りつめた表情で、真剣な揺るぎない目をしていた。


「それでも、私は、彼女の望みをすべて叶える。私はそう、誓ったのだから。分かりました。あなたの話しは理解しました。ですが、私にとっては、この痛み、この病すら、愛しい妻の一部なのです。今や私は、この痛みと共にあることに愛着すら感じているのです。ですから、今すぐに病をこの体から消し去ってしまうことを、少しだけ待ってもらえませんか。妻の望みですから、私はもう、あなたにすべてを委ねるつもりですが、もう少しだけ、あと数日だけでも、どうか、お願いします」


「あの、それは、もちろん、何日でも待ちます。私はいつでもいいです。あと、それに、私も、ポルガ教授にいろいろと聞きたいことがあって……」


「何日もは、無理であろうな。そこまでは持つまい」


 その声に見上げると、アビーさんが私達の上空で肘をついた手に顎を乗せて寝転んでいた。天井近くの高い所に浮かんで寝ていたアビーさんは、いつのまにか、私達のすぐ近くまで下りてきていた。背伸びをして手を伸ばせば。垂れ下がって漂っている、アビーさんの緩く波打つ美しい髪に手が届きそうだった。


「それは、どうゆう、どうして、……そんな」


 アビーさんは、心底気にくわない顔をしていた。肘をついていない方の手で鬱陶しそうに何かをはらう仕草をすると、はあ~と長いため息をついた。


「妾はまこと、この王都が気に食わぬ。なにゆえ彼奴らはあのように、醜い行いばかりするものか、妾には、さっぱり分からぬ」


「あの、おばあ様、よく意味が……」


 いつの間にか、ラリーさんもノアも、寝ていたピートさんまでがすぐ近くに来ていた。みんなが心配そうに寄り集まって、私とポルガ教授の周りを取り囲んでいた。


「いずれにせよ、そこにおるポルガやらの、あ~、まあ、病?とやらは、愛妻の一部とゆうような可愛らしいものではない。ポルガよ、どのような魔術でそなたの半身を救おうとしたとて、そのようなこと、妾は見ておらぬし放っておくが、しかし、自業自得のしっぺ返しとはいえ、その病、すでにそなたの総てを冒し尽くしておる。そのままでは、そなたの命は明朝までは持つまい。そなた、エミリアになにやらして救ってもらう前に、先に己自身で代替わりなりしてしまったらどうじゃ?今宵の月が何か知らぬが、まあ大して影響はあるまい」


 アビーさんの言葉に、全員が驚いて息を呑んだ。私には、アビーさんの言っていることの意味がほとんど分からなかったけれど、命が明朝まで持たないと言ったことは分かった。明朝は、明日の朝のことだから、つまり……、ええ!?


「明朝!?おばあ様、何を言っているんですか。なぜですか。どうしてそんなことが分かるんですか」


「そうだ!そんなこと、分かるわけがない!人の寿命なんて、分かるわけがないんだ。そんな、さっきも一緒にメシを食ってて、にこにこ笑ってたのに、なんか、ボキバキいってけど、まだ、こんなに、元気そうなのに、そんな……、わけがない」


 ピートさんは気づいていなかったけれど、涙がはらはらとピートさんの頬を伝っていた。ノアが気遣うようにピートさんの肩に手をおいてなぐさめていた。アビーさんが何も答えないでいると、居住まいを正したポルガ教授が、アビーさんを見上げて話しだした。


「……アビゲイル様、私には代替わりが出来るような、そのような魔力はございません。王の御代替わりのことは、私も知識として存じ上げておりますが、その、大変申し上げにくいのですが、アビゲイル様は、多分に誤解されていらっしゃるのやもしれません。私達では、あなた様のように自由に空を翔けることもできませんし、ましてや、そのまま空の上で休息を取ることなども、想像を絶する御業でございまして、総てにおいて、一般の、普通の魔法使いの所為とも、大きくかけ離れていると言わざるを得ず、いえ、あの、尊き御方で在らせられますので、そのように、当然のように思われておられましても、なにも不思議はございませんけれども、私などは、空の民、大空の支配者との記述に、今更ながら、驚愕と共に納得している次第でございまして、あ、いえ、すみません。あの、つまり、その、私にも、いえ、私には、代替わりなどは、とてもとても……」


「そなたの話しは一々長い!つまりなんじゃ!?何が言いたい!?」


「も、申し訳ございません!つまり、つまりは、私が不出来な者ゆえに、……そう、そう、か。そうでしたか。明日の朝、でしたか。それは、思っていたよりもずっと早い終わりです。そうか、……やっと。まだ、図鑑はすべて完成していませんが、間に合わないのであれば仕方がありません、よ、ね。私は明日の朝には、妻の、ソフィアの隣の土の中に行けるんですね。そこに行けば、きっとずっと妻と一緒にいられるんだ。よかった、そうか、やっと、やっとソフィアに会えるんだ。ああ、やっと、やっと、ようやく会える」


 ポルガ教授は話している途中から、自分の想像の頭の中の世界に深く浸りにいってしまった。よほど幸せな夢想のようで、屈託のない少年のように嬉しそうに顔をほころばせると、ずっとそのまま満面の笑顔で、時折くすくすと笑っていて、もう誰の声も聞こえていないようだった。


 ここにいる全員が、その様子に戸惑っていたけれど、私は、とても焦って、困ってしまった。ポルガ教授が病を治さないで土の中に行ってしまうとゆうことは、ソフィアさんの最後の願いを叶えてあげられないとゆうことで、あの必死の望みを叶えてあげたいと思って、そう強く決意したはずなのに、私は戸惑って、気持ちが揺らいでしまっていた。


 土の中にいけば、本当にソフィアさんに会えるのか、私には分からないけれど、ポルガ教授はとても幸せそうな顔をしていて、とても長い間、それを強く望んでいたことが伝わってきて、私は、とても迷って悩んでしまって、どうしたらいいのか、本当にわからなくなってしまった。そうして、答えを見つけられずにいるうちにも、最後のときは、静かに刻々と迫るように過ぎていった。

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