169.最後の願い
様々な形や大きさの機械に囲まれたポルガ教授の研究室のなかで、ピクニック気分で、みんなで楽しくお昼を食べていると、突然、ポルガ教授がぽろぽろと涙を流していた。
「え?あ、すみません、なぜ、涙が、すみません。……思えば、私はずっと、こんな風に誰かと食事をともにしていなかった、のかもしれませんが、なぜ涙が、止まらないのでしょうか。すみません、とんだお目汚しを、すみません」
ポルガ教授が心底不思議そうにしながら、焦ってローブの袖でゴシゴシと涙を拭っていた。みんなが、なんとも言えない顔をして、そんなポルガ教授のことを黙って見守っていた。
「みなさんと昼食をともにして、最後に、良い思い出ができました。……もう、十分です。ありがとうございました」
「最後って……、おい、じーさん、それは、だって……」
ピートさんが話している途中でそろーりとアビーさんの方を見たので、私達もついつられて見ると、アビーさんはモグモグと美味しそうにお昼ごはんを食べていた。よほどお腹が減っていたのか、珍しく食べることに夢中な様子のアビーさんは、私達の視線にまったく気づいていなかった。
「あの、おばあ様?」
「ん?」
ノアが遠慮がちに声をかけると、アビーさんはノアの顔を見ながら黙ってモグモグしていた。そして、アビーさんが口の中の食べ物を飲み込むまで、みんながじっと待っているのに気がついたアビーさんは、目を見張って私達を見渡した。
「んん?なんじゃ?なぜ皆が妾を見ておる?」
「あ~、アビー、ポルガ殿が、その、最後、などと言っておられるぞ。誤解は早めに解いておいた方が良いのではないか?」
「ん?最後であっておるのではないか?最後であろう?」
「おばあ様!それはあんまりですよ。さっきの話を聞いていましたよね。ポルガ教授は悪気があったわけじゃない。事情があったんですよ。ポルガ教授には、おばあ様の魔術を歪めてやろうなんてつもりはなかったんです。十分、情状酌量の余地はあるはずです。そんな、おばあ様が怒って、息の根を止めるようなことは止めてください!怒ったからといって、気にくわなかったからといって、おばあ様に命を奪う権利はありませんよ!」
「んんん?そなたは何を言っておる?何か、誤解を……」
「そうです!!誤解です!誤解も甚だしいものですよ!我らの偉大な王は、総ての権利を有しておられる!権利が!無いなどと!そのようなこと!あるはずがありません!到底聞き捨てなりませんよ!総ての理は、当然、我らが王の思うままなのです!我らが王の御意志は絶対!我らの優れたる、偉大な王を愚弄するのは止めていただきたい!!」
ノアとポルガ教授が、フーフー息をしながら怒っていた。それぞれの怒っていることが、なんだかズレているような気がするんだけど、二人の言っていることを改めて考えていると、なにがなにやら訳が分からない気持ちになった。困ってしまって振り返ってみると、アビーさんは何食わぬ顔でお茶を飲んでいた。
それから、小さな果物を一つ選んでポイッと口に放り込んでからお茶を飲み干すと、満足した様子でスイーッと上空に昇っていって、足を組んでごろんと空中で寝転がった。アビーさんは、とても高い天井の上の方で大きな欠伸をしてから伸びをすると、腕も頭の後ろで組んだ。アビーさんは、お腹がいっぱいになったので眠たくなったようだった。
「あっ、ちょっと、おばあ様!まだ話が全然……、とゆうか中心人物はおばあ様でしょう!?どうするつもりなんですか!?いくらなんでも自由すぎますよ。ちょっと、聞いてますか!?」
ノアがアビーさんを見上げて大きな声で呼びかけていたけれど、アビーさんは返事をするつもりがない時には答えないので、たぶんノアの話しもほとんど聞いていないと思う。
「まあまあ、ノアよ、まあ落ち着きなさい。アビーはもう怒っておらんよ。大丈夫だ。安心しなさい。なにか考えがあるんだろう。まあ、無かったとしても、誰しも満腹になったら眠たくもなるだろう。そう気にしなさんな。アビーが起きてくるまで、わしらも横にでもなって待っていようじゃないか。そうあくせくせんと、心のゆとりは、とても大事なものだ。さあさあ、わしらも昼寝でもして、のんびりいこうじゃないか」
ラリーさんは食べ終わった食器類をテキパキと片付けて、絨毯の上でみんなが寝転がれるようにしてくれていた。ノアは納得がいかない顔をしていたけれど、黙ってラリーさんのお手伝いをし始めた。
「では、私は、我らの王がお目覚めになるまで、上の研究室で執筆の続きをしております。すみませんが、いったん失礼させていただきますよ」
「いやいや、ポルガ殿、わしはお前さんにまだ聞きたいことが山ほどあるのでね、忙しい中すまんが、まだしばらく、ここに居てくれませんかな。それに、アビーのことを王と言うのは止めてあげてほしい。気軽に、アビゲイルとラリーでお願いしますよ。……アビーは、二度同じ事を言うことを至極嫌います」
ハッと気がついたような顔をしたポルガ教授は、アビーさんを見上げてから申し訳なさそうに項垂れてしまって、しょぼんと元気がなくなってしまった。
「ポルガ殿、そんなに落ち込まんでも、これから気をつけてもらえれば、それでいいはずですよ。さっきも言いましたが、アビーは今は怒っていないですからね。それよりわしは、ぜひポルガ殿にゼンマイの独特な使い方についてお伺いしたいのです。あちらにある機械は、ずいぶん複数の使い方をしていて、実に楽しい」
「あ!そうなんですよ。あちらの試作品はゼンマイを連動させているんです。ゼンマイとゆう物は、実に芸術的なまでに無限の可能性を秘めておりますからね。ああ、そうか、ラリー殿は、ドワーフ族の……、ラリー殿!ぜひ、あちらの試作品も見ていただけませんか。時限の組み合わせを試している物があるんです。よろしければ、ぜひご意見をお聞かせ願いたい」
ラリーさんとポルガ教授は、キビキビした動きであちこちにある機械を一緒に見て回っていた。とても楽しそうに二人で議論していて、まったくのんびりと昼寝をするつもりは無さそうだった。
「……師匠、楽しそうだな~。ふわあ~あ、俺は暇だし、昼寝でもするかな。帰る頃になったら起こしてくれよ」
色々なデザートを食べ比べしていたピートさんもお腹がいっぱいになったようで、絨毯の上にごろんと寝転がって目を閉じた。
「暇って……、一応授業の、まあいいか、このままにはしておけないし。エミリアも横になる?ここにクッションがあるから、枕にできるよ」
私はとくに眠たくはなかったけれど、ノアが枕とブランケットを用意してくれて、お布団みたいに整えてくれたので、せっかくなので私も横になることにした。柔らかいクッションに頭を預けて横になると、真上の天井の上の方でアビーさんがゆったりした雲みたいに漂っていた。
その様子をなんとなく眺めていると、忘れそうになっていたけれど、ここは教室じゃなくて教授棟だけど学校で、鐘が鳴るごとに授業があって、とても忙しい場所のはずだったことをぼんやりと思い出した。やっぱり起き上がっていた方がいいのかも知れないと思っていると、ディアさんが私の襟元からポロンとおりて、絨毯の上でコロンコロンと転がり始めた。そうすると、私は途端にいつもの眠る前の気分になってしまって、ここは学校なんだけど、たまにはのんびり昼寝するのもいいかなと思って、目を閉じた。
「……とても優しい人なの……ふふ、とても可愛い人なのよ……とても賢くて……優秀で……いつもみんなのために尽くしているの……心がとても美しいのよ……本当に素晴らしい人なの……ずっと、ずっと幸せでいてほしい人なの……だから……お願い……私の……のせい……で……助けて……あげて……お願い……お願い……しま……最後……もっと……本当は……もっ……はや……くし……と……まに……あ……わな……く……」
ふと目が覚めてしまって、パチッと目を開けてしまった。目尻から涙が流れていくのをそのままにして、まだぼんやりしたまま、今の、夢の中のことに思いを馳せた。また目を閉じて、もう一度夢の中の女の人の話しを最後までちゃんと聞けないものかと試してみたけれど、どうやらそれが、最後のようだった。
ちゃんと最後まで全部聞いてあげたかったと、後悔する気持ちが強くて、この部屋にずっと漂っている寂しい気持ちに飲み込まれるように、悲しい気持ちにおちていく。私は、なんにも、ちゃんと出来なくて、なんにも知らなくて、だから……、そうだ、ポルガ教授が言っていた、出来損ないとゆう言葉は、きっと、私にこそ当てはまるような言葉なんだろうと思うと、もっと、どんどん悲しくて、閉じている目にギュッと力を入れて、もっと、もっと閉じた。
私は、なんにも憶えていなくて、なにも分からなくて、間違ってばかりで、正解とか、正しいこととかが、ちゃんと出来なくて、どうして、私は、忘れて……、ばかり……、いるんだろう。とても暗い、真っ暗闇で、呼吸をするのも辛くなってきたので、目を開けると、見上げている天井の上の方にアビーさんが寝転んでいるのが見えて、息継ぎみたいな吐息がもれた。
アビーさんは、ゆったりと豊かな美しい赤い髪を漂わせながら、心地よさそうに眠っていた。アビーさんはすごい。アビーさんは強い。それはもう、びっくりするぐらい強くて最強で、何度も、その激しさに驚かされる。いつも憧れる、強さや激しさや、アビーさんや、メイベルさんの、強い信念や情熱に思いを巡らせていると、その熱に直接触れたように、ほわほわと体温のある現実に、ゆっくりと、少しずつ戻ってきている感覚がしていた。
そうして、そのままとアビーさんのことを見ながら、なんとなくぼんやりと、アビーさんは、ポルガ教授のことをどうするつもりなのかなと考えた。アビーさんは、王都に居るとゆう魔法使いを探していて、それがどうやらポルガ教授だったのだから、これから、どうなるのかなと思っていると、ふと、私もその魔法使いを探していたことを思い出した。
なぜ今まで忘れていたのか、私とノアが混ざっているらしいのを、治してもらおうと思っていたことを思い出して、急速に意識が戻ってきた。ポルガ教授は頭が良くて、たくさん本を読んでいて、先生で教授で、しかも魔法使いで、私のことを、グリシアがどうとか言っていて、だから、たぶん私が何なのかも知っているんだと思い至ると、だったら、分からないことは教えてもらえばいいんだと思って、バッと起き上がった。
掛けていたブランケットがはだけてしまったけれど、上半身を起こした状態で辺りを見渡すと、絨毯の上にはピートさんが寝ていて、ノアとラリーさんとポルガ教授はアビーさんが部屋に差し込んだ椅子に座ってお喋りしていた。三人ともが無数のゼンマイや小さな機械を持って見せ合いながら、話しに夢中になっていた。
ポルガ教授は、とても、楽しそうだった。やっぱり、私も、ポルガ教授に、もっとたくさん楽しいことをしてもらって、ずっと幸せに、生きて、いてほしい。嫌がられるのは分かっていたけれど、私は、強さや信念や情熱や、揺るぎない炎のような気持ちの事を思って勇気をもらいながら、すっくと立ちあがって、そのまま、まっすぐにポルガ教授のもとに向かった。
私には、分からないことや、忘れていることがいっぱいあるけれど、私は、私に出来ることがあることを、知っている。アビーさんの強靭さを思って、メイベルさんの不屈さを思い浮かべて、私も、精一杯やり遂げたいと、強くそう思いながら、一歩一歩を踏みしめて歩いて行った。