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164.どうしたものか

 ようやく、私が人違いですと口を開きかけた瞬間に、ボギィーッと凄い音と同時に、目の前のポルガ教授が地面にひれ伏していた。立っている私達全員が慌てふためいてハワワワ~となるほど、完全にどこかの骨が折れたような音だった。


「はわわ、はの、あの、だ、大丈夫ですか。今、凄い、音が、あの。」


「教授、何してるんですか。折れました?折れてます?」


「おいおいおいおい、大丈夫か、おい。じいさん!?倒れたのか?大丈夫か?と、とりあえず俺の手に掴まれよ。肩貸してやるから。どうしたんだ!?」


 なぜか何度も見たことのある、いわゆる土下座とゆう姿勢になったポルガ教授は、みんなで話しかけても微かに震えたまま顔を上げてくれなかった。三人で顔を見合わせて困っていると、ポルガ教授が小さく震える声で何かを呟いていた。


「平に、平に……。」


「教授、ポルガ教授、人違いです。誰かと間違っていますよ。このすごく可愛い。とても美しい、見とれるほどに可憐な少女は、エミリアです。昨日話しましたよね。教授とは、初対面のはずですよ。とにかく、起き上がってください。ちょっと、聞いてます?」


 ノアがポルガ教授の側でしゃがみ込んで、肩をぽんぽんと叩きながら説明していた。徐々にぽんぽんよりもどんどんと肩を叩き始めていたノアの手を、ピートさんがそっと止めていた。


「……人、違い……?」


 ポルガ教授がそう呟いて、座ったままゆっくりと顔を上げると、じっと私のことを見ていた。そして、ノアを見てからまた私のことを見ていたかと思うと、今度は何かを考え込むように空中に視線を向けて黙り込んでしまった。いったい何事が起ったのか分からない状態に、私達三人が静かにその状態を見守っていると、ポルガ教授の体がふるふると震えだした。


 そうして、ぶるぶる震えながら、徐々に可笑しそうに笑い始めた。次第に大きくなる笑い声とともに、ポルガ教授は体勢を変えて、足をくずして乗ってきた車輪がついた板の上に座り込んだ。


「ふ、ふはははは、すまない。ははは、ちょ、ちょっと、待ってくれ、ははははは。」


 震えながら一頻り笑っていたポルガ教授が、体を摩りながら徐々に笑いをおさめていた。そうしながら、ポルガ教授はまだしばらくとても可笑しそうに笑い続けていた。


「ふう~、はあ、はあ、すまない。私としたことが、大変な失礼を、お許し願いたい。私の失態に、つい笑いが止まらなくなってね。いわゆるツボに入った、とゆうことだろう。失礼。私は、グリニウス・ポルガと言う。この教授棟の主だ。君達のことは、ノア君から聞いている。ピート君に、エミリア君。ふむ。そして担当のジョアンナ先生がいるそうだね。今日からここのどの部屋でも好きなように使ってもらってかまわない。それと、私は研究で忙しいのでね。君達にお目に掛かることはそう無いかもしれないが、気にしないでもらいたい。無論、毎日の挨拶などは不要だ。」


「あ~、そう。それより、さっきすげえ音がしてたけど、じいさん、どっかの骨でも折れてんじゃねえのか。大丈夫か?」


「これはご親切に、ピート君。私は大丈夫。老人の体とゆうものはどこもかしこもが硬くてね。大袈裟な音がしたかもしれないが、私の体はなんともない。心配ご無用。だが、お気遣いありがとう、お若い方、感謝する。」


「……そうか、なら、いいんだけど。」


「さて、では私はそろそろお暇するとしよう。」


 ポルガ教授が板についている杖を支えにしてゆっくりと立ち上がってから、長いローブをパンパンとはたいていた。私は、どうしても気になったので、ポルガ教授の隣に近づいていく。


「あの、大丈夫ですか。あの、足……。」


 勝手に触るのは失礼かと思ったけれど、なにか、ポルガ教授の足の、膝の辺りが特に妙な感じがして、躊躇った末に、近づいてそっと触れてみた。


「イタッ。」


 バリッ強烈に反発するような痛みに、私は瞬間に手を引っ込めてしまう。ポルガ教授に一瞬触れただけだったのに、私の手はビリビリとしばらく痺れていて、なんだか、ぞわぞわと嫌な感じもする。私は両手のひらを観察するように眺めた。


「エミリア?大丈夫?どこか、痛いの?」


 ノアが心配そうな声で聞いていたので顔を上げると、ギクッと体が震えた。ノアの向こうの、ポルガ教授が私のことを睨むように見ていた。


「同族の、香りがしていたのに、……そうですか。あなたは、グリシアの。そう、でしたか。これはこれは、世の中にはまだまだ不可解なことがあるものですね。」


 ポルガ教授はにこやかな笑顔で笑っているのに、なぜか私に怒っているような気がした。どうしてだか、私は、すごく、嫌がられている。


「ですが、どうか私のことはお気になさらず。私に癒やしは必要ありません。そのこと、しかとお見知り置きください。」


「あの、私、その、足が……。」


 ポルガ教授は、私を見ながら笑みを深めた。満面の笑顔にも見えるのに、私には少し、その笑顔が恐ろしくもあった。ポルガ教授は杖を握りながら背筋を伸ばして、私達から顔を背けるように、板に乗った体ごと横を向いた。


「高貴な方々にお仕えするのは私共の責務です。それは永劫変わらぬ真実です。しかし、私はもうすでにグリニウス・ポルガ。私は私の為すべき事を行うのみなのです。それでは、皆様はお好きにお過ごしくださいますよう。失礼します。」


 ポルガ教授はそう言うと、杖を操作してくるりと後ろを向くと、そのままどこかに行ってしまった。私達は受け入れられているような、拒絶されているような、よく分からない気持ちになった。


「なんだ?どうゆうことだ?エミリア、あのじいさんに何かしたのか?」


「え、っと、分かりません。」


「はあ~、だよな。俺も、じいさんが何言ってんのか、さっぱりだったんだけど、ノアには分かったのか?そんで結局、俺達はここに居ていいのかよ?」


「ここに居ていいんだと思うよ。……教授のことは、あんまり気にしなくてもいいんじゃない?」


「ほんとかよ?なんか絶対、なんか、感じ悪かっただろ。あのじいさん、なんか、あ!あとなんか香りとか、……俺、匂ってないよな?」


 ピートさんが腕を上げたり服を持ち上げたりして、自分の匂いを嗅いでいた。あんまり気にしている様子なので、私もピートさんに近づいていって一緒にクンクン匂いを嗅いでみたけれど、とくに何も感じなかった。


「あ、おい、やめろよ。臭かったら恥ずいだろうが。嗅ぐな。俺から離れろ。近づくんじゃんねえ。」


 ピートさんはじりじりと私から離れていく。なんだか私は、ピートさんにも嫌がられているようだった。


「エミリア、気にしないでいいよ。ピートも、なんにも匂ってないから。大丈夫だって。」


「ほんとか?俺、今朝も走ってたし、面倒くさくて朝風呂なんて入ってねえからな。自分では分からんけど、汗のにおいは不快らしいし……。」


「本当に、大丈夫だよ。それより、そろそろ僕達も教室に行かない?」


「あ、やべっ、忘れてた。授業か。ジョアンナ先生の本の整理も手伝ってやらないとな。エミリアも、さっさと行くぞ。」


 そう言って走り出したピートさんは、教室の場所を知らないのですぐに私達の所に戻ってきた。私達三人は並んで、ジョアンナ先生の待つ教室に向かって歩いていく。


「ノアは、まだあの教授の助手を続けるつもりなのか?」


「そのつもりだよ。面白いし、なにより、あそこの本をまだ全部読んでないしね。だけど今日は、ジョアンナ先生の本の整理のお手伝いをしてから行こうかな。」


「ノアもたいがい変わってんなあ~。俺はあんな、何言ってんのか分からんじいさんはごめんだな~。」


 ノアとピートさんは話しながら歩いていた。私は、なんとなく自分の手のひらを見ながら歩いた。海の指輪はいつもと変わらずに綺麗だった。ふうっと息を吹きかけると、嬉しそうにほんのりと光った。


「……どうするの?エミリアは、どうするつもりなの?」


 ディアさんが私の制服のポケットの中から話しかけていた。見ていると、器用に布の間を移動して、私の右手の袖口からポコッと飛び出して手のひらの上に収まった。


「わ、楽しそうですね。私の制服を知らない人が見たらビックリすると思いますよ。そうだ、帰ったらメイベルさんに見せてあげましょう。」


「フフ、すごいでしょ。私、どこからだって出られるわよ。……じゃなくって、エミリアは、どうするの?」


「どう、しましょうねえ……。」


 私は、実は、何にも考えていなかった。あれが何なのかも分からないので、何をどうするべきか、本当なら、考えないといけないんだろうけど、私はなぜか、なぜだか不思議な心地がしていて、思わず、ふうっとため息がでる。


 私はたぶん、あのバリッとしていたものの正体を突き詰めるようなことが、憂鬱なんだと思う。さて、どうしたものかなと思いながら、手の平の中の、ふわふわのディアさんを撫でながら歩き続けた。

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