158.綺麗で可愛くて見惚れてしまう
みんなで楽しく散歩しながら到着した図書館は、大きな一軒家だった。外観からは一見普通の、人が住んでいる家のように見えた。ただ、鮮やかな緑色のとても大きな扉が一際目立っていた。
「ここが図書館かよ?ただの家に見えるけど。しかし、門みたいにでっかい扉だなあ。」
「ピートさん、ここは図書館ではなく、図書棟ですよ。各分野によって色分けされていますから、物語の本なら、この緑色の図書棟を探すといいですよ。もちろん他の緑棟にもたくさんの本が置いてありますから、ピートさんの気に入る本も、きっとたくさん見つかります。」
ジョアンナ先生は、図書棟に入る前からとても嬉しそうにしていた。短い階段を駆け上がって大きな緑色の扉を開けると、ニコニコしながら私達に向かって手招きして、図書棟の中に招き入れてくれた。
中に入ると、すぐ目の前に大きな階段があって、1階にも2階にも廊下を挟んでたくさんの部屋があった。そして、その総ての部屋が図書室になっていて、たまにテーブルや椅子が置いてあるけれど、どの部屋も隅から隅まで本棚だらけだった。
私達はそれぞれ自由に部屋を見て回って、好きな本を探すことになった。私はジョアンナ先生がお勧めの、1階の広くて可愛い絵がたくさん飾ってある部屋で、好きな本を選ぶことにした。この部屋は本棚の高さが低くて、大きめの薄い本がたくさん並んでいた。そして、表紙の絵を飾るように本が立てかけて置いてあったりして、可愛くて明るい雰囲気だった。
キョロキョロ目移りしながら見て回っていると、どの本の表紙もなん色も色を使っていて、とても綺麗で、ついつい見惚れてしまう。目の前に置いてある本を一冊を手に取ってみると、薄いけれど表紙は硬くて、しっかりした造りだった。開いてみると文字が少なくて、1ページごとに絵が描いてあって、どの本も楽しそうな本ばかりだった。
「エミリアさん、見てください。お姫様のお話しの本ですよ。この本は私が子供の頃にお気に入りだった絵本なんです。そちらの、ドラゴンと旅する男の子の絵本も面白いですよね。それに、美味しそうなお菓子がたくさん描かれている絵本もあるんですよ。」
「ジョアンナ先生、本はすごく面白いですね。どれもとても綺麗で、楽しいです。こんなにたくさん、どれを見ようかワクワクします。」
私が話しているうちにジョアンナ先生は胸に手をあてて、涙ぐんでしまった。そしてわなわな震えながらゆっくりと口に手をあてた。
「ああ、エミリアさん……、わ、私、……感激です。私、私は、臨時とはいえ、何を教えるのか、どんな先生になればいいのか、今日まで不安でしたけど……、本、そう、本ですよ。やっぱり本ですよね。大事なことはみんな本に書いてあります。私、本を教える先生になります。私、私、ちゃんと先生をやれそうです。」
「ジョアンナ先生は、立派な先生ですよ。大丈夫ですよ。」
この図書棟の中で、みんなが本を読んだり、選んだりしているようだった。私も手当たり次第にどんどん本を開いて、いろいろな絵をたくさん見ていくと、綺麗さにウットリしたり、次から次に現れる楽しそうな絵にウキウキしたり、絵本の素晴らしさに夢中になっていた。
ふとパララララ……と聞き慣れた音がして顔を上げると、すぐ近くでノアが立ったまま絵本を高速で見ていた。私が見ていることに気がついて目が合ったノアは、嬉しそうにニコッと微笑んだ。
「絵本ってなんだか楽しいね。緻密なのや大まかなのや、いろんな絵があって、絵を見るだけで話が伝わる工夫もされている。その技法が、とても面白い。」
パタンと本を閉じたノアが本棚に本を戻して、歩いてきて私の隣の席に座った。そして、ニコニコしながらずっと私のことを見ていた。
「ノアは、もう本を見ないの?まだまだたくさんの本があるよ。」
「うん。僕はもうここの本を全部読んだからいいんだ。エミリアの隣で座ってる。邪魔をしないようにするから、僕のことは気にしないで。」
「ノアさん、パラパラめくるだけでは、本を読んだことにはなりませんよ。絵本にも文章はありますから、短くとも、時にとても美しい詩を詠んでいるような、素晴らしい絵本もたくさんあるんですよ。」
「……ですよね。僕もそう思います。」
部屋の隅で絵本を選んでいたジョアンナ先生が、後ろから近づいてきてノアに話しかけていた。ジョアンナ先生は両手に何冊も絵本を抱えて持っていた。
「お勧めがありすぎて、困ります。まさに嬉しい悲鳴と言ったところでしょうか。エミリアさんの良いお手本になりそうな本がたくさんありすぎて、選びきれません。本が素晴らしいのは当然ですもの、仕方がありません。最終選別は後にしましょう。」
ジョアンナ先生は机の上に積み上げた本の山の横に持っていた本を置いて、また本の山を築いていた。そして、大事そうに丁寧に形を整えると、また違う本棚に向かって歩いていった。それからふっと、なにか思い付いたように立ち止まって、またノアの方を向いた。
「ノアさんは専門書が揃っている図書棟に行ってみますか?何棟もありますけど、ポルガ教授の本にご興味がおありなら、教授の研究室の隣にも専用の図書棟が建っていますよ。それに、足を悪くされてからは研究旅行にお出かけにならないので、以前と違って講義は休まずに行われているそうですから、もしかしたら、見学ができるかもしれませんよ。」
「……講義?ポルガ……、グリニウス・ポルガ教授はここに、この学校にいるんですか?この学校で先生を?授業をしているんですか?」
「え?ええ、そうですよ。あら?私、先程そう言いませんでしたか?教授は、とても学生に慕われている、人気のある先生ですよ。」
ノアがとても驚いて、思わず立ち上がっていた。そして私の顔を見て、困ったような顔をした。今すぐにも走り出して行きたそうなのに、迷っているようだった。
「ノアはもうここの本を全部読んだんだから、違う図書棟にも行ってみたら?きっと、もっといっぱい色んな本があるんだよ。」
「……ちょっとだけ、行って、見てくる。……だけど、エミリアは、ピート達から離れないでいてくれる?エミリアに何かあったらと思うと、僕は心配で。」
「何も起きないと思うけど、ピートさんから離れないようにするね。心配しなくても大丈夫だよ。」
ノアは私が約束すると、走って2階にいるピートさんの所に話しにいった。そして、あっという間にこの図書棟から出て、違う図書棟に向かっていった。ジョアンナ先生は走ってはいけませんと注意していたけれど、私は、とても喜んでいてワクワクしながら出かけていったノアの様子に嬉しくなった。ノアが嬉しかったり楽しかったりすると、私も嬉しい。
そうして、本に囲まれた部屋の中でまた二人っきりになると、私とジョアンナ先生はいつの間にか、静かに本に夢中になっていった。
「おい、お~い!もう昼の鐘がとっくに鳴ったぞ。メイベルと約束してただろ。早く行かないと遅れる。メイベルを待たせたらどやされるぞ。」
「え!?もうお昼ですか?お昼の鐘が鳴り終わったんですか?大変!あ、ええと、まだ本を選び終わっていませんから、お昼の休憩が終わったらまたここに集合することにしましょう。それでは、あの、私はお先に、失礼します。また、午後に、お会いしましょう。」
ジョアンナ先生は慌てて立ち上がって、持っていた本を机の上に急いで積み重ねると、大慌てで部屋から出ていった。そして、慌ただしくコツコツと廊下を走る音が響いた後は、部屋の中はまたシンと静まりかえった。
「……廊下を走ったら、行儀がどうとか言ってなかったか?まあ、いいや。俺達もさっさと行こうぜ。」
「ピートさん、その本を持って行くんですか?本は持ち出してもいいんですか?」
「は?いいに決まってんだろ。だめだったら、どうやって教科書にすんだよ。それより、俺はこの本をメイベルに見せるんだ。いいか、驚くなよ?この本の主人公は俺なんだよ。」
「ええ?ピートさんの本があるんですか?ピートさんのお話しが載っているんですか?ノアは出てきますか?アビーさんとラリーさんは出てきますか?」
「待て待て、まだ1巻の途中なんだから、俺だけの話しなんだよ。ピーターの大冒険って、さっきジョアンナ先生が話してたろ?名前とか、細かいことは違ってるけど、これは俺のことを書いた本だからな、持って行ってメイベルに自慢するんだ。」
「それなら、それなら、私もメイベルさんの為に本を持っていきます。メイベルさんは可愛い物が大好きですから、きっと喜びます。」
私は可愛い絵の本を数冊選んで、ピートさんと一緒に図書棟を出た。外に出ると、マントを着た生徒達がたくさん歩いていた。この図書棟に歩いてきた時とはまったく違っていて、私は、生徒の人の多さに驚いた。
「そうか、昼時になったらこんなに混むのか。……まずいな。エミリア、俺から離れないようについてこいよ。そうだ、どこか……、ああ、この、俺のマントでも掴んではぐれないようにしろ。」
「はい!」
私は気を引き締めて返事をして、片手でピートさんのマントを掴んだ。もう片方の手は本をしっかり持って、急ぎ足のピートさんについていった。ピートさんは器用にすいすいと人の間を縫って歩いていた。
「ああ、すみません。お怪我は……、!!??」
カシャンと音がして、私は急に飛び出してきた騒がしい集団の男の子の一人にぶつかってしまった。転けはしなかったけれど、持っていたピートさんのマントから手が離れて、本をすべて地面に落としてしまった。慌てて拾い上げて本の状態を確かめてみると、どの本も、どこも破れたり汚れたりはしていなかった。ホッと安心して、少しついてしまった土をパタパタ軽く払ってから目を上げると、周りの人達がなぜかみんな固まっていた。
ぶつかった男の子がどの子か分からないけれど、男の子達はみんな驚いた顔で固まって動きを止めていた。私は不思議に思って首を傾げてしまったけれど、一人ゆっくりと口に手をあてた男の子がいたので、魔法や何かで動かなくなったようではなさそうだった。
「あの、大丈夫ですか?えっと、どなたにぶつかってしまったのか分かりませんが、あの、すみませんでした。急いでいたもので、周りを見ていなくて。」
とりあえずその辺にいる男の子達に謝ってみたけれど、みんな、ああ、とか、ううと言うだけなので、誰にぶつかってしまったのかは分からなかった。困っていると、先に進んでいたピートさんが慌てた様子で走って戻ってきた。
「エミリア!眼鏡!!眼鏡は!?どうした!?」
「え!?眼鏡?あれ?」
ピートさんに言われて、本を持っていない方の手で顔を触ってみると、さっきまで掛けていたはずの眼鏡が無くなっていた。私はまた首を傾げてしまう。するとすぐ近くにいた男の子が座り込んで、すぐに立ち上がると私の眼鏡を持っていた。そして拾ってくれた私の眼鏡をとても大事そうに、ポケットから出したハンカチで綺麗に拭いてくれていた。
今気がついたけれど、ぶつかった男の子達の集団はマントを着ていなかった。みんな制服とは違う赤い豪華な上着を着ていて、ぴったりした白いズボンのお揃いの服を着ていた。
「美しいお嬢様、不躾にもぶつかってしまって申し訳ありませんでした。こちらの眼鏡は壊れてはいないようですが、お嬢様にお怪我はありませんか。よろしければ、私にその償いの栄誉をお与えください。」
眼鏡を拭いてくれていた人は立っていたのに、なぜか話しながら片膝をついて、私の眼鏡を恭しく掲げて差し出した。さっきまで固まって動かなかったのに、なぜか眼鏡を渡してくれるだけで大げさな動きをしていて、なにか受け取る方法に作法があるのかと戸惑ってしまう。思わずピートさんを見ると、ハッとした顔をして、バシッと横から奪うように眼鏡を受け取ってくれた。そして私の顔にガッと眼鏡を掛けるとすぐに腕を掴んで、人波をかき分けて走り出した。
「マズい。マズいぞ。なにかマズい気がするぞ。マズいマズいマズいマズい。」
手を引かれて走りながら、ピートさんに何がマズいのかを聞いてみたけれど、聞こえなかったのか返事は返ってこなかった。一生懸命に足を動かして走りながら振り返ってみると、続々とカラス達が集まってきていて、そこかしこに降り立っていた。たしかに、なにかは分からないけれど、どこかでマズいことが起こったのかもしれないなと思った。