150.贖罪したい気持ち
目が覚めるとすぐ目の前にノアの顔があって、久し振りに起きてすぐにビクッとなった。私が瞬きを繰り返していると、横を向いて寝ていたノアが少し体を動かして、肘をついた手に頭をのせると、私を見下ろしながら微笑んでいた。
「おはよう、エミリア、よく眠れた?」
「おはよう。ここは……、ソファー、だね。ええと、おはよう。」
「うん。昨日はみんなここで寝ちゃったんだよね。狭くなかった?」
「……大丈夫。そっか。昨日は、楽しかったねえ。ノアは、今日も出かけるの?」
「う~ん。……どうしようかな。今日は予定を変更しようかな。僕には、エミリアよりも大事なことなんてないからね。」
「うるっせ。おい、起きたらさっさと顔を洗ってこいよ。」
ノアの向こう側を覗くと、朝ごはんを食べているピートさんと目が合った。それに、ベリーさんもカレンさんもいて、テーブルに座ってニコニコしながらお茶を飲んでいた。私が起き上がると、ノアがすかさず私の髪を櫛で梳き始めたので、私はソファーに座ったまま、みんなにおはようと朝の挨拶をした。
「ノアの予定は王都の偉いさん達だろうが、気分で予定を変えんなよ。」
「僕は、僕なりに理不尽な目に遭っていた人達の力になりたいとは思っているんだけど、なにしろ、僕にはエミリアよりも大事なことなんてないんだから、優先順位とゆうものがあるよね。」
「うるせえよ。なんだよ、今日は休みにするなら、久し振りに一緒に訓練しようぜ。ノアは体がなまって、弱っちくなってんじゃないだろうな。そんなんで大事なもんが守れんのか。日々の訓練は大事なんだぞ。」
「そおかあ、訓練か、それもいいね。僕もたまには体を動かしたいし、弱くなるのは嫌だな。じゃあ、今日は予定を変更して、スラムを潰しに行こうか。ちょうどいい訓練だよ。」
ノアが話しながら、私の髪を綺麗に編み込みにしてくれて、可愛いリボンを結んでくれた。そして、出来上がったようなので、私は顔を洗いに行くことにした。
「スラムを潰すってなんだよ。物騒すぎんだろ!?そんなのは訓練じゃねえ。」
「まあ聞いてよ。メイベル達の今後の為にも、治安が悪いままなのは、良くないよね。ちょっと悪者退治するだけだよ。それに、顔が分からないように覆面でもすれば、僕達だって分からない。」
「ん~?ホントか?そんなに上手くいくもんなのか?スラムは勝手に潰してもいいもんなのか?ベリーさんはどう思う?」
「そおねえ~。子供だけじゃ危険だから、私も一緒に行こうかしら。あともう数人、有志の子達も集めてきていい?覆面をして、誰かバレないようにしたらいいんでしょ?後のことは、きっと大人達が上手いことやってくれるわよ。」
私が顔を洗って出てくると、すかさずノアが近づいてきて、タオルで顔や頭や体や服を拭いてくれていた。それからみんなと一緒に座ると、カレンさんが温かいお茶を淹れて持ってきてくれた。
「みんな出かけるなら、エミリアさんは私と過ごさない?私の荷物が届いてから色々と整理しているんだけど、エミリアさんに貰って欲しい物があるの。」
「あら、そうなの?なになに?何をくれるの?ねえねえ、そうしたら、エミリアも交換に何かあげたら?ほら、いっぱいある髪飾りとか、リボンとか。」
「そうですね。それはいいですね。朝ごはんを食べ終わったら、荷馬車の部屋に髪飾りを選びに行きましょう。」
ディアさんがすごく乗り気になっているので、私もなんだか交換が楽しみになってきた。大きなパンにハムッとかぶりついて、急いで食べ終わるように頑張った。
「エミリアの髪飾りをどれかあげるの?それなら、直接カレンさんに選んでもらう?もの凄くたくさん色んな種類があるから、僕が選別した箱を用意するよ。」
「そうなの?それじゃあ任せるけど、選別は私とエミリも手伝うわ~。すっごく楽しそうだもの~。キラキラしたのや、可愛いのがいいわ~。」
それからしばらくして、みんなが朝食を食べ終わると、私達三人で荷馬車の部屋に戻って、わいわい言いながらカレンさんの髪飾りをみんなで選んだ。ノアの言うとおりに、可愛い物や大人っぽい物や、色んな種類の髪飾りを揃えると、用意していた箱が忽ちいっぱいになってしまった。
「はあ~、いいわね~、キラキラ綺麗だわ~。これだけ色んな種類があれば、気に入る物が絶対あるわよ~。楽しいわあ~。」
髪飾りが入った箱をノアが持ってくれて、三人でワクワクしながらカレンさんの部屋に向かった。ノアは大きな箱をカレンさんの部屋のテーブルの上に置くと、すぐに、ピートさん達と少し出かけてくると言って部屋を出て、なるべく早く帰ってくるからと笑いながら手を振って出かけて行った。
「おまたせ。さあ、行こうか。ベリーさんは?」
「お?ああ、ベリーさんは現地集合だって。エミリアは今日はずっとカレンさんの所にいるのか?」
「たぶんね。僕達は、エミリアがカレンさんの部屋にいる間に戻ってくる予定だよ。」
「……俺は別にいいんだけど、どうしてスラムなんだ?……そんなこと、ノアがやる必要なんてないんだろ?」
「そうなんだけど、僕なりの罪滅ぼし……、かな?」
「は?……なんの罪だよ?」
「僕は、この王都の全部は、エミリアに浄化して欲しくない。たとえエミリアがそうしたいと言ったとしても。僕は、たぶん、阻止するよ。泣いて縋って、駄々を捏ねても、なんとしても、ね。」
「……なんで?」
「うん……。なんとなく、なんだけど……、エミリアに、今はそんなに大きな力を使ってほしくないんだ。ただ僕が……、怖いんだ。僕はエミリアのことが、何よりも一番大事だ。羊に聞いても分からないから、……まだ何も、分からないんだけど、嫌な予感はする。僕は、今の、なんだか不安定なエミリアに無理をして欲しくない。……だから、ホントなら、王都はエミリアのおかげですっかり元通りになるはずなんだろうけど、僕の我儘で、たぶんたくさんの人に迷惑をかけるだろうから、せめてもの、罪滅ぼしはしようと思ってる。スラムの人達や子供達のこれからの生活に、今なら僕が少しだけ手助けができる。何度もは無理だけど。……だから、ピートも手伝ってくれる?なるべく痛めつけたくはないから、難しい訓練になるよ。」
カレンさんがお茶を淹れてくれている間に、窓から外を見下ろしていると、ノアとピートさんが話しながら歩いているのが見えた。何か深刻そうに話していたけれど、ピートさんが元気よく拳を突き上げて、ノアが嬉しそうに笑っていたので、私は窓際から離れて、お茶を淹れてくれているテーブルの席に着いた。カレンさんは私の為にお菓子を取りに行ってくれていた。
「お待たせしてごめんなさいね。美味しいクッキーがあるから、エミリアさんと一緒に食べようと思って。ベリーさんが昨日焼いてくれたのよ。私、今はこの隣の部屋とその隣の部屋にも荷物を置かせてもらっていて、日中はそっちで整理しているものだから、もう荷物があちこちになっちゃっているの。ええと、それでね、見てもらいたい物は隣の部屋にあるのよ。私の子供の頃の物なんだけど、袖を通していない物がたくさんあって……、聖女様みたいな洋服がたくさんあるのよ。もし気に入った物があったら、エミリアさんに貰ってもらえると有り難いなと思ったんだけど、無理にとは言わないわ。とても手間暇かけて作られたように見えるから、ただ捨てるのは忍びないと思ってしまっただけなの。」
カレンさんがニコッと微笑みながら、クッキーを勧めてくれた。ベリーさんが焼いたクッキーはサクッとしていて、口の中でホロッと溶けて、とても美味しかった。
「それにね、その隣の部屋にも、聖典やなんか、本や、色々な物が置いてあるの。なかにもとても古い物もあるみたいなの。私も迷ったんだけれど、なにか、エミリアさんのお役に立つ物があるかもしれないから、見てもらおうかなと思ったの。でも、何もいらないなら、それはそれでいいのよ。だから、ホントになにも気にしないでね。」
カレンさんからは、いつも深い悲しみの気持ちが伝わってくる。濃く濃縮されたような悲痛さが、穏やかな笑顔とは不釣り合いに思えて、なんだかドキドキして、落ち着かない気持ちになってしまう。今も、目の前に座っているカレンさんは、楽しそうな笑顔でクッキーを食べているけれど、今目の前で号泣していてもおかしくないほどの悲しみが漂っていた。
「すっごく美味しいクッキーでしょ?ベリーさんって凄いわよね。私ね、ここを出たらしばらくベリーさんのお店で働かせてもらうことになったの。私もいつか、こんなに美味しいクッキーが焼けるようになれたらいいんだけど。それにね、私、メイさん達家族のすぐ近くに住むことになるのよ。知っている人達が近くに居てくれるのは、心強いわよね。ノアくんには、たくさん感謝しないと。本当にみんなのことを色々と考えてくれて、それにすっごく頭が良いわよね?……エミリアさん?どうしたの?クッキー、美味しくなかった?」
「いいえ、すごく、美味しいです。」
私は、とても迷ってしまう。悲しくても、楽しそうにしている方がいいのか、悲しい気持ちは押し込めている方が正解なのか、……分からない。ずっと泣いているよりは、いい気もするけれど、本当にそれでいいのか、どうすればいいのか、悩むけれど、ただ、ひどく切なくて、ただその気持ちのまま、悲しんで泣いてしまいたいと思った。
「ナレンスは、どんな町でしたか?」
「え?……なに?突然、どうしたの?」
「ナレンスの人達は、カレンさんのご家族は、どんな方達だったんですか?」
「どうして……、そんな、話しを?……そんな、エミリアは何も、知らないでしょう?家族にも誰にも、あったことはないでしょう?」
「私は、知りたいです。カレンさんが話して教えてください。」
「……なぜ、そんなことを、知りたいの?話したら、泣いちゃうわ。思い出したら、涙が出るの。だから、だめなの。……平静では、いられなくなるの。」
「たくさん話して、たくさん思い出話をして、懐かしんで、悲しんで、いっぱい泣きましょう。いっぱいいっぱい一緒に、何回も泣きましょう。」
「……どう、して?……そんなことを、するの?……なんのために?」
「それは、悲しいからです。悲しいから、懐かしい人を思い出して、愛おしく思って、もう会えないのが悲しくて、涙がでて、泣いてしまうんです。何度も何度でも。私には、我慢しているよりも、そうすることの方が、自然なことのように思えます。私は、カレンさんの大事な人達の話しをたくさん聞きたいです。」
「……聞いて、くれる、の?本当に、普通の、純朴な、善良な人達だった、みんなのこと、エミリアさんも、一緒に、憶えていて、くれる?」
「もちろん。カレンさんの大事な思い出を、たくさん話してください。」
カレンさんは話してくれる前から、もうぼろぼろと涙を流していた。そうしながら、カレンさんが少しだけやっとほぐれた。私は、カレンさんの愁う心に少しだけ触れることができたような気がして、それが、どうしようもなく嬉しくて、話しを聞く前からもう、二人で手を取り合ってわんわんとたくさん泣いた。