144.とても騒がしい夜
メイベルさんのお父さんは、とても疲れきって弱っていたけれど、たしかに必死に生きていた。私は集中して、もっともっとと、ぐいぐいめり込んでいく勢いで研ぎ澄ましていくと、どこかで微かに、ぽこぽこと綺麗な湧水が生まれるような音がしていた。
聞き逃してしまいそうな、見過ごしてしまいそうな、ほんの僅かだけの脈動が、いじらしいほど健気に頑張っていた。私はうち震えながらフウ~と長く息を吹いて、頑張って頑張ってと応援した。
なんだか途中でビカッと派手に光ったような気はしたけれど、気にしないことにして、もっともっと、どんどん、どんどんと応援していると、元気になってきた躍動が、踊るようにドンドコドンドコ波打っていた。沸騰するみたいにポコポコうごめいていて、あんまり楽しそうに踊るので、私も一緒に楽しくなって、もっともっとと弾むように応援した。
「……エ……リア……エミリア、エミリア……?」
ノアに何度も呼ばれているような気がして、ハッと目を開けると、目の前のベッドに、ぽってりとふくよかになったメイベルさんが布団の中で横になったまま、驚いた顔で私を見ていた。私はパチパチと瞬きをしてから、握っていたふっくらとした手をゆっくりと離した。スウーッと光が収まっていって部屋の中が暗くなると、誰かが明かりを点けてくれて、部屋の中がまた明るくなった。
「……誰だよ。」
シンと静まりかえった室内で、ピートさんがぼそっと呟くと、メイベルさんによく似ているふくよかな男性が、ずっと私の方を向いたままベッドの中から体を重そうに起こして、不思議そうな顔で何か問いかけようとしていた。
「パパー!!パパ、パパアー!!」
「バートン!!ああ、バートン、バートン!!」
メイさんとメイベルさんが同時にガバッと男性に抱きついて、みんなで号泣していた。感動の親子の再会だった。
「おおっ!?メイ!?メイベル!?ええっ!!??」
もう三人共が涙を流していて、再会を喜んでいた。私も嬉しくなって、思わずもらい泣きしていると、ノアがそっと私の手を引いていて、メイベルさん達家族三人を残して、みんなでそおっと部屋から出た。パタンと扉を閉めると、ピートさんが勢いよく振り向いて、しびれを切らしたように大きな声を上げた。
「おい!いいのか!?あれはいいのか!?正解か!?膨れすぎだろ!?俺は、風船みたいに膨らんで、弾けるかと思ったぞ!おい!?」
「ふうせん……ってなんですか?」
「うるさい!うるっさいのよ!あんたは!言っとくけど!ギリッギリ!!ホントに!ギリッギリだったんだからね!?なにが問題なのよ!?なにか文句でもあるわけ!?」
「いや!あるだろ!膨らみすぎだろ?丸すぎだろうが!?絶対、途中でちょうどいい所があっただろうが!ど~すんだよ、あれ。あれは、いいのか?ノア!」
「……健康そうで、いいんじゃないかな。」
ノアが素っ気なくピートさんに答えると、テーブルの方に向かっていった。子供達も神殿の先生達も誰も居なくなっていて、使ったお皿が重ねて端に寄せてあった。
「もうもう、いいじゃないの。元気そうだったじゃないのよ。それより、私達も食事にしましょうよ。もう、お腹がペッコペコよお~。」
ベリーさんもノアと一緒にテーブルの上を片付けて、みんなの分のごはんの用意を手伝っていた。カレンさんが横の台にのっているポットを確認すると、みんなの分のお茶を淹れてくれていた。私も何か手伝おうと、ピートさんとディアさんが話している所から離れたところで、突然、バーンと扉が開いた。そして飛び出すように出てきたメイベルさんが、私にガシッと抱きついた。
「ありがとう!ありがとう!エミリア!パパを、パパを助けてくれて!ありがとう!本当に、ありがとう。」
ギュウッと私にしがみついたメイベルさんが、私に何度もお礼を言っていた。そして、開いたままの扉から、メイさん達夫婦が嬉しそうに寄り添って出てきていた。なんだか私の胸もいっぱいになって、また涙が出そうになった。
「私は、なんにも、していませんよ。私は応援していただけですよ。頑張ったのは、メイベルさんのお父さんなんですよ。」
「……ホントか?あれでいいのか?丸すぎないか?」
「あんたはホントに、うるっさいわね!感動的な良い場面でしょうが!黙ってなさいよ。」
部屋中がしみじみとした喜びに溢れているなかで、ピートさんとディアさんがまた、ボソボソと小声で話し合っていた。
「……ピートは、さっきから何をごちゃごちゃ言ってるわけ?私のパパがなにか?さっきまでは、ちょっとやつれちゃってたけど、私のパパは前からこのまんま、ガッシリしてて格好良くて、とっても男らしい素敵な体格だったけど?」
「あ、そうなの?全然、いいんじゃないか?……せ、正解だったんだな……。いや~、良かった。良かったよ。安心した。」
「エミリアさん、僕の命を助けてくれて、ありがとうございます。生きて……、再び、愛する妻と娘に会える日がくるなんて……、すべて、エミリアさんのおかげです。」
「いえいえいえ、私ではないんです。私のおかげじゃないですよ。」
私が困ってノアの方に振り返ると、すっかりテーブルの上が綺麗に整えられていて、ごはんの用意が出来ていた。カレンさんが椅子に座って、嬉しそうにニコニコしながら私達を見ていた。
「さささ、いいからいいから、もうどんどん食べちゃいましょうよ。こんなにたくさんご馳走があるのに、話しも何もないじゃないの。」
ベリーさんの呼びかけでみんなが席について、みんなで一緒にごはんを食べ始めた。カレンさんもベリーさんもちゃんと食べていたし、みんないつも通りに和気あいあいとしていた。バートンさんも、もりもりごはんを食べていて、こんなご馳走は初めてだと喜んでいた。その様子を、メイさん達が嬉しそうに見ていた。
「元気そうで、本当に良かったです、後で、錬金術研究所にいた頃の話を聞かせてください。こんなに早く話が聞けるようになるとは、思ってもいなかったので助かります。主に出稼ぎに来ていた人達が集められていたんですか。」
「僕も、詳しく知っている訳じゃないんだけど、たしかに始めは、一緒に出稼ぎに来ていた人達もいたはずなんだけどな。……よく、分からないんだ。僕は、ぼんやりしていたのかな……?たくさん人がいた時もあるし、すごく少なかった時もあったような、……気もするし。」
バートンさんの話しに、食事の席がシンと静まりかえった。みんながそれぞれに黙って、物思いに耽っていた。俄かに静かになった室内に、突然ドオーンとゆう音が遠くの方から聞こえた。そしてそれを皮切りに、立て続けに大きな建物が崩れるような音が響いていた。この宿も揺れているのか、微かな振動に、コップのお水がビリビリと揺れていた。
「な、なに!?なになに!?地震!?」
「あ、大丈夫。大丈夫です。」
ノアが席を立って、開いている窓を閉めに行った。窓を全部閉めて回ると、何かが崩れていくような音が小さくなった。
「おばあ様達に、いらない物を撤去してもらってるだけだから、気にしないで。なるべく静かにってお願いしておいたんだけど、そりゃ、難しいよね。仕方がないよ。しばらくうるさいかもしれないけど、すぐに終わるはずだよ。王宮の方だから、こっちには関係がないし。さ、食事を続けよう。」
ノアが平然として、またごはんを食べ始めたけれど、みんなはまだ何とも言えない怪訝な顔をして黙っていた。その時、一際大きなドゴオーンとゆう音がして、みんなの体がビクッとなった。
「しまったなあ。明日にしてもらったら良かったかな。もう寝ている人がいたら、うるさくて起きちゃうよね?ドラゴンになって踏み潰すって言ってたから、たぶん楽しくなっちゃったんだろうなあ。すぐ終わるはずだけど、うるさいって言いに行った方がいいかなあ。」
私は、ドラゴンになって建物を次々に踏み潰しているアビーさんを、目の前に見えているように想像できた。とても楽しそうにしていて、面白そうに口から火を吐いている姿も思い浮かんでいた。ご機嫌な様子でグシャグシャと建物を壊していて、その横ではラリーさんがあの大きなハンマーで建物を粉砕していた。ラリーさんがちゃんと安全に配慮しているだろうし、二人の生き生きとしている姿が、まるで見ているように私の頭の中で繰り広げられていて、あんまりはしゃいで楽しそうで、面白くてつい笑ってしまう。
「ちょっと、ビビらせすぎじゃないの?さすがに気の毒になってくるわ。王様も変えちゃったんでしょ?」
「ゲスが責任も取らずに逃げ出したのは、僕のせいじゃないよ。それに厳密にはまだ変わってないよ。王太子達がみんな嫌がっているんだから。次が決まっていないのに辞められるはずがないよね。そもそも弟を追放するだけで、自分は楽隠居できると思ってるなんて、間抜けすぎだよ。」
「あ、まだ変わってないの?俺は号外を見せてもらったぞ?」
「記者の人達っていいよね。正義の使者って感じがするよ。もっともっと頑張ってほしいなあ。広場で公開していく内容もどんどん広げていってくれるのかな。」
「おいおい、影の王にでもなるつもりかよ。あんまり思い通りにしてたら、足下を掬われるぞ?」
「そんなの、とんでもない誤解だよ。僕は補償の話しが片付けば、スッパリ手を引くつもりだよ。ただ今は見張ってないと、信用ができないんだよね。ホント、面倒くさいよね。ベリーさんのお家の人達の誰かが、僕と全部変わってくれないかなあ。」
「無茶言わないで。もうちょっと頑張ってよ。まあ、話しはしてくるわ。ノアに全部背負わせちゃうのも、申し訳ないもの。」
ベリーさんがモグモグごはんを食べながら、ノアに申し訳なさそうに謝っていた。いつの間にか私の前にはデザートのお皿がたくさん置かれていて、もうお腹がいっぱいだったけれど、美味しそうなお菓子なのでもう少し食べることにした。
「それより他の、なにか楽しい話をしようよ。そうだ、メイベルの学校の話しをしよう。エミリアもまた一緒に学校に行きたいって言っていたよね?少しの間かもしれないけど、メイベルと一緒の学校に通えるよ。メイベルが入学試験に受かったらだけどね。」
「え?そうなの?また一緒に勉強ができる?やった!私、ちゃんと文字を覚えたいの。そうしたら、離れていても手紙を書けるから。」
「エミリア。私も。私もエミリアに手紙を書きたい!」
メイベルさんが感激した顔をして、とても喜んでくれた。私は一生懸命勉強を頑張ろうと思った。お友達といつでも手紙のやり取りができるなんて、とても素敵だと思う。
「エミリア、王都の学校には可愛い制服もあるみたいだよ。メイベルが試験に受かったら、今度こそ僕もエミリアと一緒に学校に行くんだ。」
ノアがニッコリと笑って、嬉しそうにしていた。ノアは本を読むことや学ぶことが好きだし、学校にも行ってみたかったんだと思う。ノアが嬉しそうなら、私も嬉しい。これから、楽しいことが始まるようなウキウキした気持ちになった。
「ピートも、ちゃんと学校に通ったらいいんじゃないか?王都には騎士になる為の学校があるんだよ。そこに通えばもっと強くなれるだろうし、将来の…」
「俺は、騎士にはならない。……絶対に!!」
ピートさんはノアが話している途中で勢いよく立ち上がって、怒った様子で自分の部屋に戻って行ってしまった。ピートさんがごはんの途中で席を立つのは珍しいので、みんなが驚いていた。
「……僕、なにかおかしなこと言った?」
メイベルさんが困ったような顔をしながら首を振っていた。けれどそれ以上、誰も何も言わなかった。ピートさんは最強に強くなりたくて、子供の頃は荷馬車を守る兵士になりたかったと言っていたような気がするので、ノアがなにか変なことを言ったわけじゃないとは思う。けれど、私達が、どうしようもなくピートさんを傷つけてしまったように感じて、胸に暗い靄がかかったように、心がざわざわして、もやもやして、落ち着かない気持ちになった。
私達は間違えて、傷つけてしまったので、ピートさんに謝らなければと思った。それでも、とにかく私は、隣で同じように傷ついているノアをなぐさめてあげたくて、肩に手をおいて優しく撫でた。見つめ合っていると、ノアの心の中が伝わってくるように思えた。
「あの、ちょっと、すみません。僕はその、ちょっと何も事情が分からないんだけど、ええと、メイベルは王都の学校に通うことに、なるの、かな?……その、王都はすごく物価が高くて、僕は、まず仕事を探さなくちゃ、いけないし、それに、サビンナには家があるから……。」
バートンさんがもの凄く気を遣いながらノアに話しかけると、サインをして欲しい書類があると言って、ノアが鞄から一枚の紙を出して渡しにいった。メイベルさん達が仲良く家族三人でその紙を覗き込むと、みんなが一斉に仰け反るような仕草をして絶句していた。
「増えてる!もの凄く増えてる!!ぼったくりなの!?なによ、この金額は!?多過ぎでしょ!?」
「なにが問題なんだ?渋られたら増やすのは当たり前だろ?言っておくけど、これで全額じゃないよ。受け取り拒否とかされたら、僕が困るんだけど。」
今度はメイベルさんとノアが言い合いを始めてしまって、メイさんやベリーさんが宥めていても収拾がつかない様子だった。しばらく見守っていても終わりそうにないので、私は窓際までいくと夜空を眺めた。そっと窓を開けてみると、遠くでまた、建物が崩れ落ちるような音が響いていた。なんだか、賑やかな夜だなと思った。