143.応援したい
辺りは、息苦しくなるほどの悲しみで満たされていた。私は、暗く沈んだ底のほうで、ゆらゆらと揺蕩う流れに身を任せた。そうしてただ一緒に漂って、その悲しい海に寄り添った。
「……私は、ずっと、修行していたのに、聖典の教えを、大切にしてきたのに、……恐ろしい、醜い、思いが、消えていかないのです。ずっと、心を静めようと、清めようと、祈っているのに、どうしても……。」
膝立ちになっていたカレンさんが、肘を曲げて上に向けていた両手の、親指と人差し指でゆるく作っていた輪をといて床に手をつくと、崩れるように倒れ込んだ。
「私の家族達が、……なんの罪もない集落の人達が、みんな……、どうして、どうしてそんな、……言っていたのに、幸せに、豊かに暮らしていると、言っていたのに……、どうして、そんな、ひどい……、ううう。」
カレンさんが、悲しみを吐き出すように唸ると、大声で泣き始めた。そうして、漂っていたものがようやく弾けて、激しく泣き叫んでいた。
「どうして!どうして!!なにをしたって言うの!!なんの!罪もない!!あああっ!私の、私のせいだわ!私のせいなんだわ!!私のせいで、みんなが、あああ!!みんな!!」
いつの間にか、ベリーさんが部屋に入ってきていて、うずくまるカレンさんを抱きしめていた。ベリーさんも泣きながら、カレンさんのせいではないと、何度も、何度も繰り返しながらなぐさめていた。
私は、まだ嘆きや悲しみや、恨みや辛みのなかにいて、そのままずっと、寄り添っていてあげたかった。けれど、私の真ん中の温かいところから、ほかほかとだんだん膨れてくるように大きくなってくるものがあって、それが、辺りをあたたかく照らしていく。
その深い悲しみにずっと、寄り添っていてあげたいけれど、それと同時に、泣かないで、笑っていてほしいと、思う気持ちが強くなってきて、一歩、また一歩とカレンさんに近づいていった。
カレンさんとベリーさんが驚いた顔で私を見ていたけれど、私はただ、思いのままに側に寄って、カレンさんの頭をなでなで撫でた。ベリーさんも泣いていたので、もう片方の手で撫でてあげた。やわらかい光の中で、ポカンとした顔で見上げている二人の頭を、優しくなぐさめてあげたくて、何度もなでなで撫でた。
「……聖女様、……温かい、やわらかく光って、あたたかい、……聖女様……。」
私を見上げていたカレンさんが、泣き笑いのような顔で、フフッと笑った。ようやく見れたカレンさんの笑顔に、私も思わず笑みがこぼれて、ホウッと息をついた。
「あっ!待って待って、まだ光ってて、灯りを、今ランプを点けるから!」
ベリーさんが慌てた様子で部屋のランプを点けて回って、テーブルの上にあった燭台にも火を点けて、手に持って戻ってくると、すっかり暗くなっていた部屋の中が明るくなった。
「……エミリア。フフッ、そう、私の知っているエミリアなんだわ。エミリア、その髪はどうしたの?どうして、そんなに……、フフフッ、いいわ。私が櫛で梳いてあげるわ。あそこの、椅子に座ってくれる?」
明るくなった部屋で、涙を拭って泣き笑いのような顔をしていたカレンさんは、私の髪に触れると、楽しそうに笑ってくれた。ベリーさんが椅子を引いて、櫛も用意してくれたので、私は言われるままに大人しく椅子に座って、カレンさんに髪を梳いてもらう。
優しく何度も撫でるように髪を梳いてもらいながら、そういえば初めてカレンさんに会った時にも、こうやって髪を綺麗にしてもらったなと思い出していた。ぼんやりそんなことを考えていると、明るくなった部屋の中は、すっかり落ち着いた雰囲気になっていた。
「ありがとう。エミリア。私の為に、ありがとう。私、なにがあろうと、決して、あなたの慈しむ心を忘れないわ。やわらかくて温かい光を、いつでも、胸に灯すわ。」
「カレンさん、私はいつでも、いつまでも、あなたと共にいて、あなたを守ります。決して一人にはしません。悲しくて、自分を責めたくなったら、一緒に、聖女様の光を思い出しましょう。」
「……騎士様。……ベリーさん。」
カレンさんの櫛が止まったままなので見上げると、ベリーさんとカレンさんが見つめ合っていた。そのまましばらく待っていても、ずっと見つめ合っていた。
「あの、もう椅子から立ち上がってもいいですか?お腹は空いてませんか?上の階の部屋にたくさん食べ物があるので、一緒に行きませんか?」
「あら、やだ、私ったら。」
真っ赤な顔をしたカレンさんが、また私の髪を丁寧に梳いてくれて、どうやら私の寝癖はなくなったようだった。二人はやっぱりごはんを食べていなかったので、三人で一緒に上の階の部屋に行って、ごはんを食べてもらうことにした。
私は、まだあまりお腹が空いていなかったけれど、もうすっかり暗いので、夜ごはんを食べないといけないんだと思う。寝坊してしまうと、立て続けにごはんを食べないといけないので、不便だと思った。三人揃って部屋を出ると、長い廊下を階段の方に向かって歩いた。
優美な曲線を描いた階段に差し掛かると、下の階の方から、賑やかな声が聞こえてきていた。どうやら大勢の人達が階段を上がってきているようだった。楽しそうな話し声に、思わず階段の下の階を覗き込むと、先頭にいたピートさんと目が合った。ピートさんはフードを被った誰かを背負いながら階段を上ってきていた。
「あ、エミリア。部屋から出てウロウロしてんじゃねえよ。なんかあったら、俺がノアに怒られんだろうが。まだ帰って来ねえみてえだけど、部屋に居なかったらうるさいぞ、きっと。」
「ピートさん、おかえりなさい。ウロウロはしていませんよ。カレンさん達の所に行っていただけですよ。」
「えっ!?エミリア?エミリアが起きてるの?どこどこ?エミリア、パパがいたのよ!パパが見つかったの!ノアが見つけてくれたのよ!病院じゃなくて、つれてきてもらったの!エミリアがいるから!エミリアに、パパを治してほしいの!」
メイベルさんが階段を元気よく駆け上がりながら、私に向かって飛びこんできた。階段には続々と子供達や、神殿の人達や、なぜか騎士みたいな人達も混じって上ってきていた。
「あらあら、メイベルったら、階段は危ないから走ってはだめよ。話は部屋に入ってからでしょ?」
賑やかな一団となって階段を上ると、みんなで私達の宿の部屋に入った。騎士の人達だけは、私達全員が部屋の中に入るのを見届けると、みんな帰っていった。元気な子供達は、たくさんのご馳走に喜んで、走り回りながら騒いでいた。それを神殿の先生達が注意しながら、夜ごはんの用意をしていた。
「食いもんがいっぱいあるからな。今日は食堂じゃなくて、こっちに来てもらったんだ。食ったら下の部屋に戻ってくから、しばらくうるさいのは我慢してくれよ。」
ピートさんが使っていない部屋に入っていって、おんぶしていた人をベッドにおろすと、メイさんが布団をかけて、メイベルさんが深く被っていたフードを取ってあげていた。青白い顔をした痩せてやつれた様子の男性は、メイベルさんとそっくりな金色の髪色をしていた。そして、目を瞑っていても分かるほど、メイベルさんに顔立ちが似ていて、二人が親子だとゆうことがよく分かった。
私は、痩せて細くなった冷たい手にそっと触れてみた。メイベルさんのお父さんは、とても疲れていて、か細くて、そして、その見た目以上に、良くない状態のような気がした。何かが決定的に、もの凄く少なくなっているようだった。
こ、これは、どうゆう、……状態?私に、治すことができるのかが心配になって、不安なまま顔を上げると、メイさんとメイベルさんが必死な顔をして、私を見ていた。震え上がりそうな気持を抑え込めようと、私は、自分の両手をギュッと握りこんだ。
「エミリア、落ち着いて、大丈夫よ。落ち着いて、よおく見て。ゆっくり、よおく、見てみたら、分かるはずよ。」
「ディアさん……、私、私に……。」
できますか?助けられますか?私に、本当に、助けることが、……できる?私はもう一度、メイベルさんのお父さんを見た。顔色はもの凄く悪くて、呼吸も浅くて、目を閉じていた。意識は、もうここに居ないように思えた。
メイベルさんの、大切なお父さんを、もしも……、もしも助けることが出来なかったら……。私は、体の奥底のほうからくる震えが止まらなくなって、鼓動がドクドクと痛いくらいに鳴っていた。怖くて、恐ろしくなって、涙が一筋流れた。どうしよう、どうしよう、私が、ちゃんとしないと、いけないのに。メイベルさん達が、頼ってくれて、いるのに。
「……エミリア。」
ポンと肩に手をおかれたので振り向くと、ノアがいた。ノアが優しい顔をして、私を見ていた。私は、久し振りに呼吸をしたみたいになって、苦しくて、しゃがみこんだ。ノアが背中を優しく撫でながら、大丈夫だよと何回も言っていた。そうして、ノアがゆっくり呼吸を促してくれるので、私は、言われるままに大きく息を吸って、はいてを繰り返した。
呼吸が整って、楽になってくると、ノアが大丈夫と言うなら、大丈夫なんだろうなと思えてきた。顔を見ると、ノアも安心したような顔をしていた。
「……どうして、ここにつれて来たのかな?僕はみんなを、病院につれて行くように手配したはずだけど?……なぜかと言うと、病院には医師がいて、設備が整っていて、そこで療養すれば回復すると、僕が判断したんだけど?僕は、原因を知っているから、そうすれば安全に助かると、確認した結果なんだけど?」
私の手をとって立ち上がらせてくれたノアが、メイベルさん達を笑顔で見ながら、怒っていた。にこやかに笑っているけれど、周りがギュウッとなっているから、たぶん怒っているんだと思う。
「どうして、エミリアのせいにするのかなあ?エミリアは医師じゃないよね?医療を学んだ、医師じゃないのは、知っているよね?」
「ご、ご、ごめんなさい。エ、エミリア、なら、……んん!ゴホッ。その方が、いいと思って……、ごめんなさい。」
震え上がって抱き合っているメイさんとメイベルさんが、アワアワしながらノアに謝っていた。ノアが二人を睨むように見てから、メイベルさんのお父さんに目線を移して眉間にしわを寄せると、フウッと息をついた。
「最初は、よろけながらでも歩けていたはずだよね?……ここまでは、誰かが背負ってきたのかな?途中で意識がなくなった?」
二人は抱き合ったまま、涙目でコクコクと頷いていた。ノアが今度は大きくため息をついてから、私の方に向きなおった。
「もう今は、ここから動かせないと思う。メイベルのお父さんは、錬金術研究所にいたんだよ。街灯をつける為に、集められた要因の一人だったんだ。ラキア達が作った長い棒を持たされて、無理矢理、搾り取られていたんだよ。……だから、少しだけ、手伝ってあげてくれる?」
「……手伝う?」
「そう。手伝うだけで、大丈夫だよ。人はそんなに弱い存在じゃないんだ。ゆっくり自分の力で治ろうと、元気になろうとしているんだよ。だから、少しだけ、応援してあげるだけでいいんだよ。」
私は、あらためてメイベルさんのお父さんを見た。こんなに弱っている様子なのに、自分の力で元気になろうと頑張っていたなんて、気が付かなかった。私はノアと繋いでいた手を離して、ベッドの脇に座りなおした。
冷静になって、呼吸も落ち着いてみると、ディアさんにちゃんと見てと言われていたことも、思い出した。私は、メイベルさんのお父さんの細い冷たい手をとると、全力で応援しようと決意して、目を閉じた。