141.罪や罰
しばらく呆然とした様子で口元を覆っていたラキアさんが、意を決したようにノアを見ると、少し俯きながら、暗い表情で呟くように話し始めた。ラキアさんはひどく傷心しているようだった。
「穢れているなんて、……王都が滅ぶなんて話は、私は知りません。」
掠れた声でそう言うと、ラキアさんは震えながらもキッと顔を上げて、ノアの顔を見た。膝の上の手は固く握りしめられていた。
「私は、たしかに魔力も持たない、下等な種族の人族のことを疎んでいる。しかし、滅んでしまえばいいなどと、そのような恐ろしいことは、考えたこともありません。この、王都が滅ぶ……、それは、本当に、本当のことなのですか。そんな話は聞いた事もありません。私は日頃部屋に閉じ籠っておりますし、人族と親しくしている訳ではありませんが、噂話には詳しいのです。私は、時折小さき者になり動き回りますから、噂話の類は色々と聞き及んでいるのです。そのような大変な事態であるなら、人族の者達が知らないはずがありませんし、黙っておける事でもないでしょう。」
「……なぜ、魔術に、人の血液を使ったんですか?」
ノアがラキアさんの顔を睨みながら聞くと、驚いた顔のラキアさんが、眉を寄せながら静かに答えた。
「なぜって……、そんな、人族の血液なんて使っていませんよ。そんな事をしたら、変なものが混じるでしょう。魔術に使ったのは私の血です。私には殿下の魔術を改変するなど不可能ですから、色々な方法を試しました。殿下の尊き魔力を人族に好きに使われないように、それはもう様々に試行錯誤したのです。」
ラキアさんが話しているうちに、顔を見合わせている二人共が同じように、意味が分からないとゆう顔になっていた。
「どうやらぼっちゃんは、いえ、ノア様は、私のことをずいぶん買い被っていらっしゃるようですが、私はさほど身分の高い氏族ではありません。ただ変化の術が得意だったので、殿下の従者にお引き立ていただいたのです。ですから、私に扱えるのはせいぜい初歩の魔術のみです。もちろん血や体の一部を使うなど、あまり褒められた術ではありませんし、学校での朧げな知識しかありませんでしたが、それでも、私はどうしても、人族にとって有益な代物を提供する必要があったのです。ですから、いくつかの簡単な魔術や、小さい火の魔術など比較的適合したものを色々と組み込んでみました。しかし歪んでしまっていますし、あまり上手くいっているとは言い難く……、殿下がお作りになった枝の魔術であの棒に無理矢理ねじ込んでいる有様で、あの、ランプ、でしたか、毎日補充が大量に必要だとかで、使いづらいらしく、それでずっと研究をしていますが、今だ何も成功はしていません。」
「そなた血などと、……誠に、そのような野蛮な方法を?」
「お恥ずかしい、かぎりにございます。藁をもすがる思いでございました。私はどうあっても、殿下のお作りになった品々を人族に渡すまいと、いずれは総てを取り返すべく、奮闘しておりました。しかし、人族の血を搾り取るなどと、そのような物騒な物ではないはず、なのですが、まさか……、そんな、恐ろしい物なら、人族が使うはずがないのでは……?ただの灯り、ですよ?しかし、強欲な人族共……、いや……、でも、作ったのは、私です。そのせいで王都が滅んでしまうなど、私は、どうしたら……。どのようにしても、償えるようなことでは、ありません。」
ラキアさんは再び俯いてしまって、意気消沈していた。王都の穢れのことは、本当に知らなかったようで、事の重大さに慄いていた。
「……もう一つ、その補充とゆうのが、なにか、知っていますか?」
「それは、すみません。分かりません。私には何か壊しているようにも思えましたが、人族が傷をつけている訳でもないそうですし、とにかく複雑な仕組みなので、詳しくは分かりません。なんとか術を読み解こうとしているのですが、なにしろ返ってくる棒の術が毎回変わっていますし、術が反応しなくなることなども珍しくないのです。ただ、補充には大勢の人族が必要なので、大変だと言う話しは嫌というほど聞いています。全くもって人族は効率ばかりを重視し、愚かなものです。しかし、そもそも人族は数え切れないほど存在し、何人も子を産み、どんどん増えるじゃないですか。どうせ、不便とゆうほどの不便はないでしょう。」
「ラキアさんは、本当に閉じ籠って研究ばかりしていたようですね。それに、こんなに長い間王都に潜入していたのに、たいして王都に馴染んでもいないなんて、……驚きです。そこもまた、利用されたんでしょう。」
ノアの言葉に、ラキアさんはしばらく不思議そうな顔をしていたけれど、思い出したように話し出した。
「たしかに私は閉じ籠って研究ばかりしていましたが、時には遠方の村まで行き、調査をしたりもしていましたよ。時折、殿下の軌跡が発見されたような情報が入ると、出かけて行きました。大抵はそんなものは存在しませんでしたが、しかし、本物の老人ならば、あのような長旅は耐えられるものではないでしょう。なにしろ人族は変化することもできないのですから。」
それは、もしかしたらホルト村のことじゃないかなと思ってノアの方を見ると、うんざりしたような顔をしたノアが、ふうっとため息をついていた。静かになった室内に、いつの間にか寝ていたピートさんの寝息だけが大きく響いていた。
「いずれにしても、王都が穢れて滅ぶなら、私の責任なのでしょう。なにしろ得体の知れない、複雑な歪んだ術です。とても私などでは、扱いきれるものではなかったのでしょう。そして、私一人ですべての責任をとることも、……できないのでしょう。」
みんなが静かに黙り込んで、部屋中が暗い雰囲気になっていた。このままでは、王都が穢れて滅んでしまうのは間違いないことのようで、その原因を、それぞれが自分のせいだと思っているようだった。重苦しく感じるほどに部屋の中がどよんとしていて、取り返しのつかない、おおごとな事態だとゆうことが痛いほど伝わってくる。
「あ、あの!私、全部、ええと、王都の穢れを全部、綺麗にします。元通りにしたら、誰のせいでもなくなりますし、誰も困らなくなりますし、だから、大丈夫ですよ。」
私がニコッとみんなに笑いかけると、なぜか誰も、大丈夫そうに安心していなかった。あれっ?とノアのことを見ると、困ったような顔をしていた。
「……ぜんぶ?」
「そう。私、加減するのは苦手なんだけど、全部まるごといっぺんになら、できそうな気がするの。」
「っできるかあーーー!!ムリムリ!!だめだめ!!ねえ!?言ってること分かってる?全部て!ぜ・ん・ぶ・って!!最深部にでも行くつもり!?ムリムリムリ!!」
ディアさんが勢いよく飛び出してきて、私の頭の上でぽんぽん跳ねていた。よほどディアさんをビックリさせてしまったようだった。
「え?全部はだめですか?意外といける気がしますよ?」
「ねえ、だって、エミリアはまだ、たま、も出せてないのよ!?ね?全部いっぺんになんて、だめだめ。私、エミリアの為に見回りに行ってきたのよ?だから、ね?何ヵ所かヒドそうな所を浄化して回ればいいじゃない?それに、今すぐどうこうって訳じゃないんでしょ?もっといっぱい修行してから、また王都に来たっていいわけだし。」
「そうですか?急がなくていい感じだったんですか?それなら、なにも心配しなくても大丈夫ですね。……大丈夫みたいですよ。」
私はみんなの方を向いて、またニコッと笑いかけると、みんなは益々困惑したような顔になっていた。とくにラキアさんがもの凄く変な顔をして、私のことを見ていた。
「……君は、いや、あなた様は、いったい……、なん……で、しょうか?」
「なん?……なにとは?なんのことですか?」
「エミリア、なにも教えなくてもいいよ。それより、もう遅いし、部屋まで送っていくから、今日は、先に寝ていてくれる?僕はちょっと用事を済ませてから、眠ることにするよ。」
「それなら、私も一緒に……。」
「ありがとう。でも、明日から綺麗にして回るなら、しっかり寝ておいた方がいいよ。それに、僕の用事はおばあ様達に手伝ってもらうから、なにも心配いらないし、すぐに終わらせて帰ってくる。」
「なんじゃ?妾は何を手伝うのじゃ。」
「夜のうちに、錬金術研究所にある余計な物をすべて処分しておきましょう。ラキアさんに案内してもらいます。大本を消し去りましたから、新しくは作れませんけど、今ある物も無くしておかないと。ラキアさんは知らなかったのかもしれませんけど、人の血を搾り取っているのは事実ですから、至極危険なものです。ついでに、おじい様が作った物も取り戻しに行きたいんですけど、おじい様も、その方がいいですよね?」
「……ううむ。そうだなあ。あまり関わり合いになりたくなかったが、しょうがない。さっさと取り戻してくるか。そのままにはしておけん。」
話が纏まったので、テーブルにうつ伏せて熟睡しているピートさんを、ノアが担いで部屋のベッドに寝かせに行った。ノアが軽々と持ち上げるように運んでいて、ピートさんはよくあんな体勢で熟睡していられるなと思った。
「……エミリア。」
呼ばれたので振り返ると、アビーさんが私を見下ろして立っていた。ラリーさんはみんなの分の食器を片付けていて、ラキアさんはまた老人の姿になって、少し離れた所で控えるように跪いていた。
「そなたはすべてを、許すつもりか。こやつらの所業、この王都の者共の穢れた罪は、常軌を逸しておる。それゆえ、この王都が滅びに瀕しておるのは、妾には相応の罰に思える。」
嘘が嫌いでまっすぐなアビーさんは、とても険しい顔をしていた。激しい怒りが渦巻いていたけれど、私には、アビーさんが深く傷ついているのも伝わってきていた。悲しいその表情を見つめているうちに、私はなぜか、とても不思議な気分になっていた。罪、罰、それらは何か、許されていく過程があるような、そうゆう仕組みがあったような気がして、なぜか、それが何かは思い出せないけれど、それはとても尊くて、とても大切なことのように思えた。
「……私には、罪は償って、反省したら許す、ことの方が自然に感じるんです。……罪を償うとゆうことは、そう簡単なことではないと、思いますし……。」
「……そうか。」
アビーさんは私から目を離して、一度目を伏せた。そうして、渦巻くものが治まっていく。私はそれがとても切なくて、申し訳なくなってアビーさんを見上げていると、目が合ったアビーさんがフッと笑った。
「……そなたの部屋には、妾がつれていってやろう。」
アビーさんは私を浮かばせて引き寄せると、また私を抱っこした。外から荷馬車の中に行くつもりのようで、窓からふわりと飛び出した。そうして、わざと遠回りするように、屋根の上を旋回していた。腕の中で包み込むように抱き抱えられていると、アビーさんの苦悩が直に伝わってくるようだった。私は、コテンと頭を預けて、そっとアビーさんにしがみついて呟いた。
「許すのも、そう簡単なことでは、ありませんよね……。」
目を閉じてそのまま体を預けていると、その優しいふわふわした居心地に、すぐにうつらうつらと微睡んでしまう。
「それでも、そなたは、……許しを与えるのであろう。」
ほかほかと温かくて居心地の良いゆりかごに包まれていると、どこか遠くの方で、とても優しいアビーさんの声が聞こえたような気がした。