138.打ち明ける、大切な人
アビーさんと二人で静かに満天の星空を眺めていた。私の心はすっかり穏やかに凪いでいて、アビーさんと二人で夜空に寝転ぶように漂っていた。
「さて、そろそろ皆の所に戻るとするか。星は明日もその次も、夜になればまた、変わらず同じように輝いておるのじゃ。」
アビーさんがまた抱っこしてくれて、どんどん高度を落として雲の辺りまでくると、カラス達が飛び交っているのが見えた。アビーさんは別段急ぐこともなく、悠然と宿に向かって飛んでいた。カラス達は、そんなアビーさんの後から、間隔を空けてゆっくりと飛んでついて来ていた。
アビーさんは空の上から、私達が泊っている部屋に直接入るつもりのようだった。私とノアが鞄を置いていた部屋に窓から入ろうとしていると、下の階から言い争っている声が聞こえてきていた。
アビーさんと顔を見合せて、そのままそおっと下の階を窓の上の方から覗いてみると、ラキアさんやノアや、メイベルさんやピートさん達が勢揃いしていて、なにやら議論が白熱している様子だった。みんなが大声を上げて話していて、とても賑やかだった。何事かと見入っていると、アビーさんがまた空に向かって浮上していって、宿の屋根の上に降り立った。
「アビーさん、早く部屋に入らないと、話し合いに参加できませんよ。」
「面倒くさい。なぜあのような面倒くさそうな場に行かねばならぬ?ラリーも居ったのでな、妾達が参加せずとも、何も問題は無かろうよ。」
「そうですか?ラキアさんはアビーさんの、ええと、じゅうしゃ、と言っていましたよね。アビーさんが居ないと話が進まない気がしますよ。」
アビーさんはまったくあの部屋に行くつもりがないようで、屋根の上に座り込んで、また夜空を見上げていた。私は、なんだか寂しそうに見えるアビーさんの隣に座って、同じように夜空を見上げてみる。
「……妾の故郷はここからずっと、ずっと遠くにある。人族が言うところの、魔女の国じゃな。……我が祖国、アルカイレイアは、……夜が長く明るく、深き森に囲まれた高き山岳の、そのまだ上にあってな。だからであろうか、星空はもっと近くにあったように思えてならぬ。……それが、幾たびも、妙な気持ちにさせるのじゃ。」
私はぽつりぽつりと話すアビーさんを見ていた。美しい横顔は憂いを帯びていて、なにかチクッと胸が痛む気がした。ふいにアビーさんが私の方を向いたので、座ったまま見つめ合おう形になった。
「我が名は、アビゲイル・マレ・ソルエルム・マユス・レクストス・アルカイレイア。……妾の母上は王であった。今は妾の兄上が、良きように国を治めているはずじゃ。」
「……すごく、長い名前ですね。とても一度では覚えられません。……マ、レ?ユ?すみません、もう一度教えてもらえませんか。」
真剣な顔をしていたアビーさんが、驚いた顔をしてブフッと吹き出すと、屋根に手をついて大笑いしてしまった。
「よい……。覚えずとも、よい。ハハッ、実は妾も、二つ三つ足りておらぬ気がしてならぬのじゃ。アハハハッ、覚えられぬ名など、どうでもよい。アハハハハッ。」
アビーさんはとても可笑しそうに、大笑いが治まってもまだクスクスしていて、なんだかとても嬉しそうだった。
「それじゃあ、今まで通りに、アビーさんと呼んでいてもいいんですよね?……良かった。長いお名前は覚えるのが大変で、とても不便そうですよね。」
アビーさんは笑いながら頷いて、長い足を屋根の上に投げ出した。それから眉根を寄せて、私の顔を見上げながら話し出した。
「事実、不便そのものじゃ。長い名には面倒事が付きまとう。妾はそれらを総て放り出して、強固な結界をぶち破って外の世界に出たわけじゃが、……困ったことに、あやつは、結界が修復される前に、妾を追って来たのかもしれぬ。……どうしたものか。」
アビーさんはまた空を見上げて、うんざりしたようにため息をついた。今回のことは自分のせいでもあると、責任を感じているようだった。
「アビーさんのせいじゃないですよ。きっと全然、関係ありませんよ。ラキアさんには自分で自分の罪を償ってもらって、それから、自分の国に帰ってもらいましょう。送って行ってもいいかもしれませんね。アビーさんも里帰りできますし、近い星を眺められますし、お兄さんにも会えますよ。」
アビーさんがラキアさんのことを迷惑そうにしているので、私はラキアさんに、アビーさんの近くに居てほしくないと思ってしまう。すごく遠くて一人で帰るのが大変なら、みんなで便利な荷馬車で送り届けてあげてもいいと思った。
「いや、妾、国には……。」
アビーさんが困ったように私を見て、珍しく話そうかどうか迷っている素振りをしてから、悩みながら慎重に話してくれた。
「我が祖国には、兄上よりも妾を王にと望む者が多かった。兄上は、魔力が多少、……少ないかもしれんが、そのようなこと、些末なことじゃ。兄上は妾よりも余程優秀で、賢く思慮分別があり、しかも温厚で人柄もすこぶる良いのじゃ。兄上は必ずや賢哲な王になられる。兄上よりも優れた者などおらぬ。しかし、道理の分からぬ者共が多すぎる。……兄上の邪魔にならぬよう、妾は祖国に戻らぬ決意をして国を出たのじゃ。」
「そんな、それで国にも帰れなくて、お兄さんにも会えないなんて……。」
「それだけでは、ない。城は何から何まで窮屈で、あそこに戻るかと思うだけで、何やら気が滅入ってくる。口うるさくて好まざる者達から逃れて、妾はよく一人塔の天辺で夜空を眺めていたものじゃ。今更、再び自由のない場所に戻るつもりはない。」
私はアビーさんが自由でいることが好きなのを知っている。アビーさんが自由でいられることを、ラリーさんも、とても大切にしているような気はしていた。私は、色々な人の思いや複雑な事情に、なんだかもう混乱してしまって、頭の中はこんがらがっていた。
けれど、尊敬するお兄さんに会えないなんて寂しいと思うので、なんとかしてお兄さんとアビーさんを会わせてあげたいなと思う。どうしたらいいのか、今は思い付かないけれど、二人が二度と会えないなんて悲しすぎると、そんな事ばかり考えていた。
いつしか、私とアビーさんはまた静かに黙り込んで、夜空を見上げて瞬く星を眺めていた。なんとなく寂しくて、私はぽつんと一人塔の屋根の上に座って、星空を眺めていたアビーさんに思いを馳せていた。そのうちに不思議と、私もその高い塔から空を眺めたことがあるような気持になっていた。それは、寂しくて悲しくて、とても孤独で、ひどく胸が痛んで、とても辛い気分だった。
「あっ!やっぱり、ここにいた。もお~。寄り道しないで、まっすぐ戻って来てくださいよ。大変なことになっているんですから。エミリアの夜ごはんもまだだって、言ったでしょう。」
ひょっこりと屋根から顔をだしたノアが、アビーさんにぷりぷり怒りながら、ふわりと屋根の上に飛んで近づいてきた。私はノアの顔を見ると、途端にほっと安心した心地になって、思わず目の前に降り立ったノアに抱きついた。
するとカックンとノアの腰が抜けて、二人で屋根の上に倒れ込んでしまった。そしてそのまま屋根の傾斜に任せて二人でゴロゴロ転がっていって、ポーンと空中に投げ出された。ヒューンと落ちていく途中で、ピートさんのギャーと叫ぶ声が聞こえた。
「何をしておるか!?そのまま地面に落ちたら怪我をするであろう。危ない遊びをするでない。」
「遊んで、いたわけでは、ありません。不意で、嬉しくて可愛くて、……いや、すみません。」
アビーさんが屋根の上から私達を浮かばせたようで、また屋根の上にビュンッと戻ってきた。真っ赤になったノアがアビーさんに話しながら私の手をとって、今度は自分の力で飛んで、そおっと屋根の上に降り立った。
「ごめんね、エミリア。怖かったよね?もう、大丈夫だから。」
「ううん。私こそごめんなさい。いきなり抱きついたらビックリするよね。また私、同じことしちゃった。ごめんなさい。」
「全然だよ!いいんだよ!いつでも、だ、だ、抱きついてくれても、僕は、いつでも、大丈夫だから。謝らなくても、いいんだよ!」
ノアが真っ赤になって必死な顔をしていた。全然いいと言われても、私は、いきなり抱きつく癖を直そうと思った。そうじゃないと、いつか危険な目に遭うような気もする。
「何を言うか。大丈夫なものか。妾が居らねば、屋根の上から真っ逆さまであったであろうが。即刻やめねばならぬ。」
「おばあ様!余計なことを言わないでくださいよ!それより!早くみんなが集まっている部屋に行きますよ!何も話が纏まらなくて、大変なんですよ。」
「……まだ話が終わっておらぬのか。……もう、ラリーの言う通りで良いのではないか?」
「今は、おじい様の言う通りに休憩中なんです。おじい様が食事の用意をして戻ってくるまで、みんな休憩中は一言も話してはいけないんですよ。おばあ様の話しも聞かせてもらわないと、いけないんですからね。」
アビーさんは心底うんざりした顔をして、大きなため息をついた。ノアが厳しい顔をして、お小言のようにアビーさんに話していた。
「今日中に話し合いを終わらせないと、いけないんですよ。明日の動きが変わってくるんですからね。おじい様に、陰ながら手伝うことは許してもらったんですから。おじい様の気が変わらないうちに、早く進めておかないと。」
「フンッ。ラリーが一度許可したことを覆すものか。そのような、思慮の浅い者ではない。」
アビーさんはそう言うと、手をフイッとして透明になって空に浮かび上がった。私には透けて見えているけれど、ノアには見えなくなってしまったので、アビーさんが今まで居た場所を睨んで唸っていた。
「あの、私には見えているから、大丈夫だよ。アビーさんはちゃんと、話し合いに参加するつもりだと思うよ。」
ノアの服の裾をそっと掴んで教えてあげると、ノアの機嫌は直っていたようで、はにかんだような笑顔になった。それから、向き合って私の両手をとると、真剣な顔になった。
「僕達は大事な約束をしたよね。僕は、メイベル達の正義が勝ってほしいし、神殿や聖女様のことが複雑に絡み合っていたって、必ず、エミリアの納得がいくように成し遂げるから、信じていて。」
ノアの本気の気持ちが伝わってきて、私は胸がいっぱいになった。私はノアの言葉をすべて信じられる。ノアは必ず何もかも総て解決してくれる。嬉しくて目頭が熱くて、思わずギュッと手を握りかえした。
それで、私は不安なことを総てさらけ出して、さっきアビーさんが教えてくれたことを、掻い摘んで話した。私は、アビーさんにお兄さんと会わせてあげたいし、大切に思っているのに会えないのは悲しいし、けれど複雑そうな事情があって、どうしたらいいのか分からない気持ちをすべて、ノアに打ち明けた。
「そう……、そうなんだね。そうゆう事情があったんだね。話してくれてありがとう。……大丈夫だよ。何もかもすべて、上手くいくよ。心配しないで。」
ノアがニッコリと笑ってくれるので、本当に何もかもすべて、上手くいくような気がしてきた。そして、もう何も怖くなくなった。そうだ、ノアと私は半分こずつにする、友達だったとゆう思いが広がっていって、心が温かくなった。
私は心からの気持ちを込めて、ありがとうとお礼を言って微笑んだ。私とノアは嬉しいことも悲しいことも、半分ずつにするんだと思うと、心強くて安らかに心が和んだ。そして、なんだかとても強く、愛おしいと思った。