131.闇夜の急襲
ベリーさんはしばらくお店を休むことになるので、しっかりと戸締りをしていた。張り紙をして、隣近所に挨拶を終えてから宿に向かって歩き出した頃には、もうすっかり夕方になっていて、日が傾いていた。
「本格的に暗くなる前に宿に着いておきたいから、急ぎましょう。その荷物、全部持って走れますか?」
「走れるわよ?どうして?」
「いえ、いいです。大人の筋肉ってすごいですね。」
日が暮れる前に宿に着こうと、気は急いていたけれど、大通りはちょうどランタンに火を灯してかける人達と、それを見物に来た人達でごった返していた。ノアに手を引かれて、街灯にたくさん引っ掛けてあるランタンの灯りを見上げながら、人波をかき分けて大通りを歩いた。
たくさんの揺らめくランタンの火が、なんとも綺麗だった。ようやく大通りを抜けて、宿に向かう道に出た頃には黄昏時になっていて、細い道に入ると途端に薄暗くなった。しばらく歩いていると、後ろからついて来ているような人達の足音がしていた。
「ふ~ん。ずいぶん大胆な感じできたのねえ。私もなめられたもんだわあ。」
「ベリーさんは何か武器を持ってきてますか。なにか貸しましょうか。」
「そんな大げさな。いいわよお。これがあるから。ほとんど素人みたいなもんじゃないの。武器なんて使っちゃったら可哀想よ。」
ベリーさんは持っている鞄をヒョイッと掲げて、ノアとなにかヒソヒソ話していた。ノアは片手を鉄棒にかけていたけど、戦うつもりはなさそうだった。
「じゃあ、全部ベリーさんに任せますね。エミリアには当たらないようにしてくださいね。お守りが発動したら危険です。」
「危険なお守りってなによ?もう。じゃあちょっと離れて始末してくるわ。」
「エミリア、後ろを振り返ったらだめだよ。暗いから転ばないように、ゆっくり歩こうね。」
ノアと私が歩き出したのと同時に、ベリーさんは後ろに向かって駆け出していった。後ろから複数のうめき声が聞こえてくる頃には、前からも悲鳴が聞こえてきていた。薄暗くてよく見えなかったけれど、人が次々と転がって行って、建物にぶつかっているようだった。道の先の方で何かあって、私達には到達していないけれど、どうやら私達は襲撃されているようだった。
「私達、いま襲われてる?よね?走って逃げた方がいいんじゃない?」
「いや~、ベリーさんもいるし、襲ってくる人達を刺激しない方がいいよ。何もしてこないで、察して諦めてくれるといいんだけど。」
私とノアは大人達の悲鳴を聞きながら、手を繋いでゆっくりと歩いた。そのうちに前方から驚きの声を上げて、何人もの大人の人達が逃げていくような音が聞こえていて、それもなんだか妙な気分だった。
「お守りが大量に反応しておるので何事かと思えば、鬱陶しい有象無象めが。」
すっかり暗闇になった空からアビーさんの声がしたので見上げると、闇の中でアビーさんの瞳が光っていた。ハッキリ見えなくても声の調子で不機嫌さは伝わってきたけれど、先程までの爆発しそうな勢いではなかった。
そして突然、ひときわ大きな悲鳴がそこら中から聞こえたかと思えば、なにか黒い物が次々に空に浮かび上がって、一塊になるとどこかに飛んでいった。目を凝らして見上げていると、私とノアの体も浮かび上がって、空の上のアビーさんの目の前まで来て浮かんでいた。
「おばあ様、あの人達はどこに飛ばしたんです。そこら中から人が降ってきたら危ないですよ。」
「案ずることはない。全部まとめて神殿とやらに放り込んでおいた。諸悪の根源がそこにおるのであろう?ならず者どもが集まる悪の巣窟とゆうわけじゃ。」
「いや、まずい。……まずいなあ。目立ってるだろうなあ。」
「アビーさん、アビーさん、ならず者ですか?ならず者の悪い人達がいっぱい神殿に飛んで行ったんですか?だめですだめです!神殿にはカレンさんもいるんですよ。」
私が両手をのばしてバタバタしながら、アビーさんの方に近づこうとしていると、ヒューンとアビーさんに引き寄せられて、瞬く間に可笑しそうに笑うアビーさんの腕の中にいた。
「アビーさん、神殿には聖女様にされてしまっているカレンさんがいるんです。私達を助けてくれたんですよ。カレンさんのおかげで外に出られたんです。神殿には悪い人ばっかりがいるわけじゃ……、ないん、です。そう……、ですよね、良い人も、悪い人も、どちらもいますよね。当たり前のことのはずなのに、いま初めて気がついた、……気がします。」
私は本当に不思議な気分だった。神殿にいる悪い人達の話しや、カレンさんの話しは、気が遠くなるほど辛くて悲しくて、なぜかそのことばかり考えてしまっていたけれど、私はそれ以上に、カレンさんやベリーさんの優しさや誠実さや、メイベルさんの努力や情熱や、色々な人の綺麗な心に胸を打たれていたのだった。そんな大事なことをなぜ忘れていたのかが、とても不思議だった。
「エミリア。妾この人族の王都がどうにも好かぬ。人が増えると良いからぬ輩が集う理でもあるのであろうか。虫唾が走るような輩が多いのじゃ。厭わしい。……まだここに、居るのか?」
アビーさんにまた、似たようなことを聞かれていた。ここに居るのか。まだここに居るのかと、何度も聞かれていたような気がする。私はその問いかけに、今まで何と答えていたんだろう。ちゃんとした答えを返していたのかが疑問に思えた。
ふと目に留まって見ると、アビーさんのローブの胸元に私とアビーさんが彫刻してあるカメオがつけてあった。細かくて精巧なのに、柔らかな温かみがあって、二人の優しい笑顔が愛しくて、私は思わず微笑んでいた。人は、こんなに素晴らし物も作ることができる。
見つめていると、そのカメオの中のアビーさんと私に励まされているような気持になった。私は今アビーさんに抱っこされていて、しかも空の上に浮かんでいるのだけど、なぜか今しっかりと、地に足がついたような気がした。私は地面を踏みしめるようにお腹に力を入れて、アビーさんの顔を見つめた。
「アビーさん、私はまだここに居ます。することがあります。やっぱり私、全部きれいな方がいいと思うんです。」
「……そうか。」
私とアビーさんがしばらく無言で見つめ合っていると、その辺を飛び回っていたノアが、地面の方から私達の側に飛んで上がってきた。
「はあ~。やっぱりどこにも居ない。おばあ様、ベリーさんも一緒に飛ばしたでしょう。さっきお店に居た人ですよ。お茶をだしてくれたでしょう。悪者と一緒くたにしないでくださいよ。」
「ほお。ノアよ、しばらく見ぬうちに随分と魔力が安定しておるではないか。縦横無尽に飛ぶ様はまるで熟練の魔法使いだな。ハハハハハッ。」
「笑って誤魔化さないでくださいよ。それに、僕はまだまだなんですから!」
「ちょうどいいです。今からベリーさんを迎えに行きましょう。私達、カレンさんを誘拐しようとしていたんです。ついでにカレンさんも一緒につれて来ちゃいましょう。」
「んん?誘拐とは悪いことではなかったか?それはラリーに怒られるのではないか?」
「おばあ様、僕達がお世話になった人を、悪者と一緒に飛ばしちゃったことがバレた方が怒られるんじゃないですか?救出は必須ですよ。それに誘拐と言っても人助けなんです。神殿は今や悪の巣窟ですからね。そんな所に女性が一人で居たら危ないでしょう。」
「あそこに居たらカレンさんが危険なんです。カレンさんが私達を助けてくれたんですから、私達もカレンさんを助けます。」
「うん?何やらややこしいが、ラリーの手間をこれ以上増やさんようにせねばならぬ。さっさと恩人を救出して戻ってくるか。ノアはそのまま妾についてこい。暗いのでな、離れぬように飛ぶがよいぞ。」
「……おばあ様、何をしたんですか。おじい様は今何をしているんです?」
「うむ。ラリーはなにやら修理じゃ。妾がうっかり壊してしまってな。焦がしてしまった物は妾が元に戻したが、道具となると妾にはさっぱりじゃ。」
「はあ。なるほど。おじい様は大変そうですね。」
三人で王都の上空を飛んでいると、王都の明るい所と、暗い所がハッキリと分かれているのがよく分かった。中心の方の明るいところは、空の上から見ても眩しいほどの明るさだった。
「おばあ様、ちょっと止まってください。あそこ、あの端の所、今灯りが点いたんです。あそこに行けば、街灯をどうやって点けているのかが分かります。あの辺に一度降りましょう。」
「なぜわざわざ降りねばならぬ。ここからでも見えるであろう。魔力を込めて目を凝らしてみよ。そなたには容易なはずじゃ。」
「またそんな無茶ぶりを。そんな簡単なことなんて、そうそう無いんですからね。」
ノアはブツブツ言いながらも、続々と灯りが点いていっている辺りをジッと見ていた。アビーさんも一緒になってその辺りを見ていた。私には遠すぎて、暗闇に時折増える明かりしか見えなかった。
「なんだろう?あれは……、思ったよりもたくさん人がいるみたいだけど、黒いフードを被った集団?が何かしてるとしか……。」
「ふむ。見たいように調節すればよい。もっと見たければ、見えるようにすればよいのじゃ。その黒いローブの奴らを荷台に乗せて運んでおるようじゃ。あのように長い棒で灯りを点けて回らねばならぬとは、人の道具とは不便な物じゃな。フラフラではないか。」
「……おばあ様、すみません。先を急ぎましょう。今はそっちに関わっている場合じゃありませんでした。神殿に早く行かないと、カレンさんやベリーさんが心配です。」
「そうか?まあ、早く戻らねばならぬしな。先を急ぐとしよう。」
私達は再び空の上を神殿に向かって飛んでいった。空には道も建物も何も遮るものがなくて、どこにでもすぐに行けるような気がした。空の上からみれば、王都での色々な複雑なことが、ほんの一角の、ほんの限られた場所での出来事に思えた。
「アビーさん、帰りも空を飛んで行きましょうね。カレンさんやベリーさんを、広い空が励ましてくれますよ。」
「ほう?なるほどのう。たしかに、妾も空は好ましい。良いことを思い付いたものじゃ。」
アビーさんが私の顔を見て感心したような顔をしていた。それから私の頭を撫でながら、帰りはみんなで空を飛んで帰ってくれることを約束してくれた。眼下に見える景色には聖女様を描いた壁画が見えていた。色とりどりで鮮やかな色彩の長大な壁画に近づいていくごとに、どこかカレンさんに似た女性の絵が鮮明に見えた。美しくて優しい笑顔なのに、私は、堪らなく切なくなって、アビーさんにギュッとしがみついた。