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120.地下の秘密の部屋

 宿で働く従業員の人達にも、秘密のお水のことを知られてはいけないそうで、私達は誰にも見つからないように細心の注意をはらって、宿の裏口から従業員用の通路を急ぎ足で歩いた。迷路のように入り組んだ階段や廊下をいくつも通り過ぎると、マリウスさんが住んでいる家族用の扉の前に辿り着いていた。


 マリウスさんが首から提げている紐から鍵を取り出して扉を開けて、マリウスさんとアリウスさんの二人で住んでいる家の中に入った。簡素な内装で、整頓された清潔そうな家の中は誰も居ないようで静かだった。


 居間や物置やいくつかの部屋を通り過ぎて、一番奥にある小さな扉の鍵を開けると、そこは地下に続く階段になっていた。螺旋状になった狭い階段を下りていくと、すぐに金属で出来た頑丈そうな扉が目に入った。


「あの扉の向こうに、秘密のお水が湧く井戸があるんですよ。僕と僕のおじいちゃんしか知らないんです。誰にも言っちゃだめなんですよ。」


 堅牢そうな扉の鍵を開けると、ガチャッと大きな音が響いた。硬くて重い扉を二人で開けて中に入ると、そこはゴツゴツしたむき出しの岩の洞窟だった。その奥に背の低い大きな井戸があった。一見するとまるで、とても大きな盥が置いてあるようだった。


 洞窟の中は、なみなみと満たしている井戸の中の水の揺らめきが反射して見えて、光を放っているように明るかった。


「とても幻想的で、綺麗です。」


「この中は灯りを点けなくても平気なぐらい明るいですよね。水がとても綺麗だからかな。」


 しばらくの間二人とも無言で、水面のきらめきに見とれていた。いつまで見ていても見飽きない美しさだった。


「……むかしむかし、ここら辺に誰も住んでいなくて、何もなかったぐらいのずっとずっと昔に、聖女様がエルドランにお水を呼んでくれたんだって、お水がいっぱいあったら人が住めるから、それで町が出来たんだって、おじいちゃんが言ってました。だからもしかしたら、このお水は聖女様のお水かもしれないんだって。だから誰にも言っちゃいけない、大事な秘密のお水なんです。」


 ぽつりぽつりと話してくれるマリウスさんは、とても誇らしそうだった。この井戸のお水をとても大事に思っているのが伝わってきた。


「大事にしている、お水なんですね。」


「だから聖……、エミリアさんも見たいかなって思って。僕の家はずっと昔から、この井戸を大事に守っているんです。」


「そう……、ずっと大事に守っているんですね。」


「あそこにも、聖女様がいるんですよ。あの、岩の壁の所。」


 マリウスさんが指さした洞窟の壁には、小さな聖女像が彫ってあった。素朴な造りの立体的な小さな像は、形が鮮明ではないけれど、表情はにこやかで優しそうに微笑んでいた。私の髪に隠れていたディアさんが、いつの間にか肩に乗っていて、その像をジッと見つめていた。とても気に入ったようで目が離せないようだった。


「とても優しそうな表情の聖女様ですね。」


「そうですよね。誰が彫ったのかは知らないけど、ずっと昔からここにあるんですよ。僕はたまにお花をお供えしているんです。みんなそうやって……」


 マリウスさんが話している途中で突然静かになった。耳を欹てているようで、私も音を立てないように静かに動かないように気をつけた。するとどこか遠くの方から、マリウスさんを呼ぶ声が聞こえた。


「マズい!じいちゃんだ。上でじいちゃんが呼んでる。僕を探してるみたい。……僕、ちょっと行ってきます。エミリアさんはしばらくここで待っててもらえますか。誰もここには入れちゃだめなんです。」


「いいですよ。しばらくして誰も居なくなったら一人でも帰れますよ。」


「ちゃんと外まで送ります。大丈夫です。ちょっと行ってきます。」


 マリウスさんは走って、階段を上っていった。鍵はかけないで扉だけを軽く閉めていた。見つかると怒られてしまうのに、誰にも内緒なのに、私をここに案内してくれたマリウスさんの為にも、私は見つからないように、物音を立てないようにジッと動かずにいた。


「思ったより、……濁っていないのね。」


 ディアさんが小さく呟いたので、私はまた井戸の方に静かに移動しながら、小さな声で囁いた。


「そうですね。でも一応浄化しておきましょうか?大事にしている井戸なので、綺麗な方がいいですよね。」


 ディアさんは黙っていたけれど、ここはやっぱり特別な井戸のような気がして、綺麗に浄化しようと手をそっと水に浸した。すると、ぐいっと掴まれた感覚がして、ドボンッと井戸の中に引きずり込まれた。突然冷たい水の中につれて行かれたので、肩に乗っていたディアさんが水の中でふわっと私から離れた。私は、急いで手を伸ばしてディアさんを両手の中にギュッと掴んだ。


 どんどんと水底の方に引っ張られて、深く深く潜っていくので、ごぼごぼと息をはいて、苦しくなってきていた。ゴウゴウともの凄い速さで流されているようで、激しすぎる水流のせいで目を開けていても何も見えなかった。ギュッと目を瞑って手の中のディアさんを抱きしめて体を丸めると、温かいお湯の中に居るような感覚に変わって、呼吸も出来るようになった。そっと目を開けると、私の周りだけが激しい水流のなかで丸く囲まれているように空間ができていた。


 周りの不思議な光景を見渡してから、ディアさんに話しかけようとすると、また水の中に放り出されたようになって、眩しいほど明るくなったと思った途端に、水の中からポーンと放り出された。小さな池のほとりにふわっと着地すると、そのまま手をついてゴホゴホと咳き込んだ。そうしてびしょ濡れのまま周りを見渡してみると、池を囲むように丸く建物が建てられていて、どこかの中庭のようだった。池の上空の空からは眩しいほどに日がさしている。


「ゴホゴホッ、ここ、は?ゴホッ、なにが……?」


「ちょっと!これは!強引すぎない!?ちょと文句言ってくる!!」


「ゴホッ、ディ、ディアさん、ゴホゴホッ、待って……。」


 ディアさんは、怒りながらどこかに行ってしまった。赤い羊のぬいぐるみはびしょ濡れになっていて、ふわふわなぬいぐるみのはずが、ぺちゃんと小さくなっていた。慌てて毛先の水をギュッと絞ると、ますます縮んでしまった。元通りの形に整えようと頑張ってみても、どんどんカチコチになっていった。


「ちょっと!あなた誰!?そこで何してるの!?……びしょ濡れじゃないの!何してるのよ!?」


 振り向くと、ベールの上から帽子を被った女性が、柱の陰に隠れながら怪訝そうにこちらを見ていた。


「す、すみません。お邪魔するつもりはなかったんですけど、えっと、ここはどこでしょう?」


「はあ?なに言ってんの?ここで何してるのかって、聞いてるんだけど!?」


「あ、すみません。なにを……、えっと、私、何もしてません。井戸に落ちたら、ここに……、ここは、どこでしょう?早く帰らないと……。」


「……井戸?……池に落ちたんでしょ?なに?あなた、新しい侍女?迷ったの?……ちょっと待ってなさい。」


 ベールの帽子を被ったお姉さんは、近くの部屋に入ってすぐに戻ってくると、私にタオルを渡してくれた。


「ありがとうございます。助かります。」


「ちょっと!あなた!それ!それじゃない!そのぬいぐるみじゃなくて、あなたの体を拭きなさいよ!そんなびしょ濡れで!風邪をひくでしょうが!」


「あ、すみません。でも、ディアさんがびしょ濡れでカチコチで……。」


「もう!!貸しなさい!!」


 お姉さんはタオルを私からバッと奪うと、私の髪や服を丁寧に拭いてくれた。しゃがんでゴシゴシ拭いてくれたので、びしょ濡れで水がぽたぽた滴っていた私の髪や体はだいぶ乾いていた。


「ありがとうございます。ところで、その、ここはどこでしょうか?私早く帰らないと、いけなくて。」


「あら、あなたすごく綺麗な顔してるのね。ここの新人なの?侍女のお仕着せはどうしたのよ?」


「じじょ?じじょ……とは?……」


「もう!だから!着替えはあるのかって聞いてるのよ!?」


「着替えはありません。大丈夫です。このまま帰ります。もうだいぶ乾いて……」


「何言ってんの!びしょ濡れじゃないの!……着替えはないのね?ちょっと、ついて来なさい!」


 親切なお姉さんは、私の頭からタオルを被せると、ぷりぷり怒りながら私の手をひいて、また違う部屋につれて行った。あれよあれよとお姉さんに言われるままに、お風呂に入って、貸してもらった服を着て、気がつくと暖炉の前で、温かいお茶を飲んでいた。


 暖炉の前には鞄や靴や赤い羊のぬいぐるみのディアさんが並んでいて、乾かしてくれているようだった。暖かい暖炉にあたりながらディアさんの毛先をほぐしながら乾かしていると、体がぽかぽかと心地よく温まって眠ってしまいそうだった。


「……これ、どうゆう状況?」


「あ、ディアさん、おかえりなさい。お姉さん達はどうでした?どうしてここにつれて来たのか聞きました?」


「誰と、話してるの?……ああ、そのぬいぐるみと話してたのね。子供ってホントに可愛いのね。」


「ヒッ。き、気がつきませんでした。すみません。」


「いいのよ。ぬいぐるみと話したって。子供なんだから。それより、これ。櫛を持ってきたの。梳いてあげるわ。」


「あの、何から何まですみません。あの、私そろそろ帰らないと。」


 親切なお姉さんは、私の言葉が聞こえなかったようで、ご機嫌な様子で私の髪を梳いてくれていた。なにがなにやら分からないけれど、ぽかぽかと暖かい暖炉の前で優しく髪を梳いてもらっていると、だんだんと瞼が閉じてきてしまう。ウトウトと眠ってしまいそうになって、こっくりこっくりと首が下がってしまうのを必死で戻していた。あたたかな微睡みの中で、お姉さんがくすくす楽しそうに笑っていた。

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