119.ゆるして、みとめて真ん中に
ノアが持っていった小さな髪飾りは、すべてその日のうちに戻ってきた。壊される前に返してもらったと言いながら、箱の中に片付けていた。
「髪の色を変えなくてもよくなったの?髪飾りがなくても困らないの?」
「新しい色粉が届くまではベールを被るらしいよ。たまにある事なんだって。すぐに届くらしいから心配することないよ。それより、その新しい色粉が届いたら、少し貰って調べてみないとね。」
それから数日間は、荷馬車の部屋の中でディアさんと修行をして過ごしていた。静かに部屋で過ごす日々は、何事も起きずに穏やかだった。
「ちょっと根を詰めすぎじゃないの?時には休息も必要なのよ?」
「ディアさん……、どうして私は、少しずつが出来ないんでしょうか……。見たことだってあるのに……。」
「ねえ~?どうしてかしらね~?でも、まあ、気にしすぎもよくないわよ?誰だって苦手な事ぐらいあるでしょ。」
「それじゃあ、困ります。もしもの時に困ります。もしもの、万が一の時のことを思うと、とても怖くて、焦ります。」
ディアさんがボスンッと座っている私の膝の上に乗ってきた。そのままふるふると揺れて、撫でてくれるように催促していた。ふわふわのディアさんを撫でていると、だんだん心が落ち着いていく。焦ってもしょうがないとは思う。けれど、出来ない自分が情けなくて、焦りが募って、日を追うごとに、心はどんどん沈んでいってしまっていた。
自分でも心が真ん中ではない事は分かっていた。それは良くない事だとも、沈んだら、自分の力で浮かばないといけない事も分かっている。ただ今は、その方法すら見失ってしまった気分だった。
「どうしてそんなに焦っているの?なんだか、ずいぶん落ち込んでいるみたいだし。なにを、そんなに……?なにが、怖いの?」
「それは、もちろん、私が未熟者なせいで、助けられないかもしれない事が怖いです。早く全部出来るようにならないと、今度また同じようなことがあった時に困ります。」
「……未熟者?どうしてそんなこと……?まあ、たぶん、私のせいなのよね。私のせいで、エミリアは自分を責めているのね?あの時のお姉さん達、ずいぶん強引だったし。……どうしたものかしらねえ。」
ディアさんは、私の手のひらの中をころんころんと転がりながら、考え込んでいた。柔らかいふわふわなディアさんがとても可愛らしくて、思わず微笑んでしまう。
「そうね。加減の修行はしばらくお休みにしましょ。今エミリアに必要なのは、ゆるす、の修行ね。」
「ゆるす、ですか?……私、まだ加減が出来ていなくて、ちゃんと出来ないと、困ったことに……。」
「ならないわ。困った事になんてならないのよ。いい?必要なら、バッと豪快にやっちゃってもいいの。ほら、ノア達に言ってたじゃない?むやみに人を傷つけたらだめだけど、家族を守る為なら容赦しないって。ああゆう事よ。」
その言葉は聞いたことがあった。ラリーさんが、ノアとピートさんに最強になる為の修行を教えるときに言っていた。ラリーさんは優しくて料理が上手で、普段はとても温厚だけど、悪者から家族を守る為なら、容赦はしないと言っていた。大事なものを守るために全力を尽くすんだと思う。それは、とても覚悟のいることだと思った。
「大事な人を守るために、ラリーさんは覚悟を決めているんですね。」
「そうね。そうでしょうね。自分の強さを分かっているんでしょう。最強に強い男が優しい人で良かったわね。……それでね、まあ、あまり気にしなくてもいいけど、え~と、エミリアって、最強っぽいじゃない?……なんてゆうか、強いのよ。ええと、だから、心配しなくても良いって言いたいだけなんだけど、つまり……、今、加減が出来ないことに、こだわりすぎない方が良いっていうか……。それより!今は、ゆるす、が出来てない方が問題なのよ。いつも真ん中でいることは、とっても大切なの。」
「ゆるす、……ですか。」
「そう!まず!出来ない自分をゆるしてみて。いいのよって、みとめてあげて。そうして真ん中に戻してあげるの。」
「ゆるして、みとめる……。」
出来ない自分をゆるして、みとめて、真ん中にもどす。それは、とても難しそうだった。もしかしたら、私の苦手な加減や調節よりも、もっと大変なことに思えた。
「まあ、それだって今すぐどうこうって訳じゃないのよ?いつも気にかけておくの。コツは、そうね、他人をゆるすみたいに、自分の事もゆるしてあげることよ。例えば、そうね、ノアがなにか失敗しても、ゆるすでしょう?ずっと責めてはいないはず。そんな感じよ。」
「なる、ほど。それは、ゆるしますね。……失敗をずっと責めるなんて、可哀想ですよね。……ゆるす、はとても大切なんですね。」
「そうそう。分かってきた?自分のことも大切にって話しよ。この際、どんどん甘やかしていきましょう。エミリアは真面目ちゃんなんだから~。ねっ?」
ディアさんが、ボスンッと私のおでこに突進してからふわっと肩に乗った。私はまだ何の修行もしていないけれど、心はすっかり穏やかになっていた。私は未熟者だけど、ディアさんが一緒にいてくれたら、いつか、ゆるすもみとめるも、なんでも出来るようになる気がする。ディアさんは、私の師匠で、先生で、いつも私を励ましてくれるかけがえのない友達で、とても愛しい私の可愛い羊だった。
「ディアさんいつもありがとう。私、頑張ります。だから、ずっと私と一緒にいてくださいね。」
「ま!嬉しいこと言っちゃって。私達はいつも一緒なの。当たり前よ。」
私はまだまだ出来ないことばかりな、自分をゆるして、みとめてあげようと思った。今は出来なくても、ディアさんが側にいてくれるから、教えてもらいながら一緒に修行をしていけば、いつかきっと出来るようになる。今は、心からそう思えた。そして、それはとても有り難くて幸せで、いつも、いつまでもこの感謝の心を忘れないでいたいと、強く願うように思っていた。
「それにしても!何日ここに閉じ込めておくつもりよ!最初の話しと違うじゃないの。こんなんじゃ、気が滅入るのよ!気分転換が必要よ!……よし!外に行きましょう。」
「え?だめですよ?ノアが良いって言うまでこの部屋にいるって約束しましたから。神殿の安全が確認できたら、すぐに呼んでもらえますから、待ちましょう。」
「神殿の安全ね~。それじゃあ、あっちに出たらいいんじゃない?あの宿のほう。ほら、森にしちゃった庭も元に戻ってるだろうし、綺麗なお花でも見てさ。癒されるじゃない?ちゃっと行って、ちゃっと戻ってくればいいのよ。ね?」
「だめですよ。部屋に居なかったら、ノアが心配します。約束は守らないと。」
「ホントに真面目ねえ~。もお~。だって、実は私ちょっと気になったんだけど、あの宿に居た時に変な気配がするって言ってたでしょ?あれって、ここと同じだったんじゃないの?妙な気配って言ってたわよね?もし同じなら、良くない何かなんじゃないの?あっちは大丈夫なのかな~って、ちょっと思ったのよね。」
「……たしかに、……そうですね。お花に元気がないって、言ってましたよね。もしかしたら、あの宿にも……、あ!秘密のお水って言ってましたよね。子供が、マリウスさんが危険な目に合うかもしれませんよね?それは、確かめないと。……ちょっとだけ、ちょっと様子を見るだけなら、なにもなければすぐ帰ることにして、見に行ってみましょうか。」
「そうそう。綺麗なお花を見に癒されに行きましょう。外の風にあたって、ちゃっと帰って来たらいいわよ。」
「ノアに置き手紙を……。」
「いいわよ。そんなの。ちゃっと帰って来るんだから。それに、そこら中にカラスがいるんだから。居場所なんてすぐに分かるわよ。」
私達は荷馬車の部屋から、少しだけ外に出てみることにした。鞄に繋がっている扉の取っ手ではなく、元々ついている荷台の中に繋がっている扉を開けて、すごく久しぶりに荷馬車の中に出た。今はなにも置いていない荷台から下りて、宿の裏側に降り立つと、そこには誰も居なくて静かで、新鮮な緑の香りがした。見渡してみると裏庭も綺麗に掃除されていて、庭木の手入れも行き届いていた。
「良かった。森になっていません。こんなに綺麗に元通りに出来るんですね。本当に凄いです。」
「そうねえ~。とりあえず庭を見に行きましょうか。何もなければ、そのまま帰ればいいんだしい~。」
私達が宿の庭園に向かって歩いていると、宿の中からマリウスさんがちょうど出て来たところだった。私達の少し先を、大事そうにバケツの中の水を零さないように慎重に歩いていた。私は驚かせてしまわないように注意しながら声をかけた。
「マリウスさん。お久しぶりです。バケツを半分持ちましょうか?」
「あ!女神様!じゃない、聖女様!お久しぶりです。」
駆け寄っていた足が、思わず止まってしまった。マリウスさんは、しばらく会わない間になにか、もの凄く誤解してしまっているようだった。私は、女神様ではないし、もちろん聖女様でもない。
「あの、私、女神様ではありませんし、もちろん聖女様でもありません。」
「あ、そうか。内緒でしたよね。すみません。以後、気をつけます。」
「え?ちがっ……、違いますよ?誤解です。内緒とかではなくて、私は、聖女様とか女神様とかではありません。とんでもなく誤解です。」
「はい。ところで、エミリアさんはいつお戻りになったんですか?みなさんも今日は戻って来られますか?食堂はいつでも使えると思いますが、食事をされますか?」
「え?えっと、その、みんなはまだ戻らないと思います。あの、お腹も減っていないので、食堂には行きません。私は、ちょっとだけ庭園を見に来ただけなんです。お花が咲いてるのを見たら、また出かけます。」
私とマリウスさんが話しながら歩いているうちに、庭園に辿り着いていた。初めて見たときと同じようにキチンと手入れされていて、もう密林のようになっていた面影はなかった。色とりどりのお花たちが咲き誇っていて、草木も整えられていた。
「僕はこの庭園が、すごく好きなんです。庭師のおじさんが毎日心を込めて手入れしているから、こんなに綺麗にお花が咲くんです。だから、僕はこっそり秘密のお水を撒いて、お花が枯れないようにお手伝いしてるんです。」
「ひ、秘密の、お水……。その秘密のお水はどこにあるんですか。秘密だから、聞いちゃだめですか?」
「ホントはだめだけど、エミリアさんは特別ですから、秘密にしませんよ。他の人に内緒にしてもらえるなら、今からでも案内しますよ。」
「えっと、ちょっと待ってくださいね。ちょっと相談します。じゃなくて、考えます。少しだけ、待ってください。」
私は慌ててマリウスさんから離れて、ディアさんと話し合うことにした。こんなに簡単に秘密のお水の謎が解けるとは思っていなかったので慌ててしまう。
「ディアさん、どうしましょう。秘密のお水場所に案内してくれるって言ってます。どうしましょう。」
「なにが問題なのよ?あんな子供、なにも怪しくないじゃない?」
「違いますよ。今から秘密のお水を見に行ったら、ちゃっと帰る予定と違ってしまいます。ノアに気付かれる前に帰る予定でしたよね。」
「でもここは宿でしょ?外に行くんじゃないんでしょ?なら、荷馬車からも離れてないし、大丈夫じゃない?ちゃっちゃと秘密のお水とやらを見て、汚れてたらさっと浄化しちゃえばいいのよ。そんなのすぐ終わるでしょ。」
「そうかな~。ホントかなあ。大丈夫かなあ。」
ディアさんは、すごく楽観的でなにも心配していないようだった。私も迷うけれど、秘密のお水に興味があるので、案内してもらいたい気持ちもあった。どうしたらいいのか迷いながら庭園を見渡すと、視線の先にいたカラスが一羽飛び立って行った。たぶんクロに教えにいって、それからノアにも伝えてくれるんだと思う。それなら、なにも心配がいらないような気がして、私は秘密のお水がある場所につれて行ってもらうことにした。