117.優しいお姉さん達
「おかえりなさい。ディアさん。」
「ただいま、エミリア。それに、ありがとう。」
ディアさんは、閉じ込められていた分厚い何かから解放されて、嬉しそうだった。けれど同時に、複雑で深い、悲しい気持ちが伝わってきていた。ここはディアさんにとって大切な泉なのに、こんなに濁ってしまっている。それは私にとっても、すごく悲しくて辛いことだった。
「さ、もう戻りましょうか。ノアがすっごく心配してるはずよ。……エミリア?どうしたの?」
「ここは、ディアさんにとって大切な泉だから、私も、……私にとっても、大事な大切な泉です。だから、このまま、この濁ったままでいてほしくありません。私、加減はまだ上手くできないけど、頑張りますから、ちょっとだけにしますから、綺麗にしたらだめですか。」
「エミリア……。」
ディアさんはとても困惑しているようだった。けれど確かに、喜んでくれているのも伝わってきていた。しばらく沈黙したあとに、ディアさんが迷いを吹っ切るように話しだした。
「……だめよ。やっぱり、だめ。どんな影響があるのか……。今、目立っちゃだめなんでしょう?子供達を助けるのよね。ノアがたぶん緻密な計画を立てているはず。邪魔しちゃ、悪いわ。……子供が助からないなんて、私、嫌よ。」
「そうか、……そう、ですよね。今はまだ、でも……。」
メイベルさん達の計画の邪魔になってはいけない。それは、すごく分かるのだけど、なんだろう……、とてもモヤモヤする。急がなければいけないと思う気持ちが、消えないどころか増していた。今、このままではいけないと、どうしても思えてしまって、心がとても揺れていた。どうしたらいいのか。なにが正解なのか。迷いが晴れなくて、とても悩ましい。
「なんか、……ちょっとずつ綺麗になってない?気のせい?エミリアいま何かしてる?……その紐?んんっ?あるだけで?ここから送り込んだんじゃないの?」
「私は何もしてませんよ。その紐が何かも知りません。……少しずつ、が出来るなんて、かしこい紐ですねえ。羨ましいです。……あれ?これ、使えませんか?綺麗になるまで、ずっとここに居るわけにはいかないので、こう、ぐるぐる~って振り回したら早く綺麗になったりして?」
「ええ~?そんな適当な……。もう浄化は後でいいわよ~。みんな待ってるんでょ。早く帰りましょうよ。私がノアに怒られちゃうわ~。」
ディアさんに試しに一回だけと約束して、私は光る紐をぐるぐると力強く振り回した。するとすぐに辺りの濁りが消え始めた。やり過ぎではなくて、徐々に綺麗になっていく様が、自分で調節が出来ているみたいに思えて嬉しかった。ぐるぐるかき混ぜているのもなんだか楽しくて、どんどんぐるぐる綺麗にしていった。
「ちょっ、まっ、止め、止まって!」
「えっ!?あれ?と、止まらない!?」
ディアさんに言われて、光る紐でかき混ぜるのを止めたはずなのに、渦巻きは益々勢いを増していった。私達はギュルンギュルンともの凄い早さの渦に巻き込まれて、流されていった。どこか遠くでお姉さん達の悲鳴が聞こえた気がしているうちに、ポーンと放り出される感覚がして、気がついた時には、なぜかノアに抱きかかえられていた。
「あ、良かった。気がついた。おかえり。何があったの?ずっと動かなくて……、何してたの?」
「……渦が、回し、過ぎちゃって……。」
ぐるぐる流されていたせいで、目が回ったようにぼんやりしていた。私は座ったままのノアの腕の中にいて、私達は乾いた人工の池の中にいた。縁の向こう側にはザムエルさんが心配そうに私達を見ていた。ノアに支えられながら立ち上がって、中庭を見渡してみると、荒れ果てた様子はなにも変わっていないようだった。
「良かった……。何も変わってない。やり過ぎてはいないみたいですね。」
「そんなわけないでしょ!ぐるぐる!すっごく!ぐるぐるだったじゃないの!しかも!狭い方のポケットに入れて!私のふわふわが台無しじゃないの!もう!帰ったらすぐ櫛で梳いてよね。」
赤い羊の可愛いぬいぐるみのディアさんが、ふわ~っと私の肩に乗ってきながら怒っていた。けれど肩に到着すると、首筋にすりすりしてくれていた。私は肩にいるディアさんが愛しくて、なでなでと優しく撫でた。
「すみません。部屋に戻ったら、すぐ櫛で梳いてふわふわにしますね。」
「羊が戻ったんだね。じゃあ、もう急いで部屋に戻ろう。少しは眠らないと。」
ノアと一緒に池の縁を跨いで短い階段を下りると、なぜかザムエルさんが口を両手で押さえていて、目をグワッと見開いていた。
「待って!待って!行かないで!お礼を言わせて。私達謝りたいの。」
「そうよ。ちゃんと謝りたいわ。私達おかしかったもの。」
「大事な妹にあんなことするなんて、それにあなたにも、ヒドイこといっぱい言ったわ。」
ディアさんのお姉さん達の声に振り向くと、そこには乾いた池があるだけだった。なにも変わった様子はないけれど、お姉さん達の声はさっきまでと違って優しそうだった。
「エミリア?どうしたの?忘れもの?」
「え?お姉さん達が……、ノアには聞こえないの?」
「なんのこと?誰か、話してる?」
「え?どうして?声が聞こえない?あの、石のところの……。」
「声?さっきの、カエレってゆう声のこと?ここに入れなかったときの?」
「ああ、違う違う。お姉さん達の声が普通に聞こえるわけないわよ。魔女だって、魔法使いだって一緒よ。」
「は?そしたら何で羊の声は聞こえるんだ?」
「あのね~。今さらよ?そんなの私が凄いからに決まってるじゃん!」
「……自分で。」
「なによ!ムカつく!なにか!?なにが言いたいのよ!?」
「ギャーーーー!!!」
ノアとディアさんが話していると、ザムエルさんが池の方を指さして悲鳴を上げていた。ぶるぶる震えて、また座り込んでいた。みると池には透明の水がなみなみ、どころかウミョンと高く上に伸びていた。
「あ、お姉さん達、その形は怖がられますよ。伸び上がっているだけだから大丈夫だとは思いますけど、手の形でおいでおいでなんてしたら、トラウマになるぐらい怖いんですよ。」
「あら、そうなの?今はそうなってんの?じゃあ、こうゆうのはどう?」
伸び上がった水がみるみる形を変えて、髪の長い綺麗な女の人の形になった。首筋にいたディアさんが息を呑んだ。どこか見覚えのある優しそうな女性だった。
「私達もエミリアって呼んでいい?妹がいつも良くしてもらってるのよね。ありがとう。」
「もちろんいいですよ。ディアさんには、私の方が良くしてもらってます。お礼を言うのは私の方です。」
「ふふっ。それに、私達さっきまですっごく意地悪だったわ。なぜか分からないんだけど、すっごく悪者みたいだったの。……今も、外に出たら、、なんだか嫌な感じがする。話が終わったら私達、また中に引っ込むことにするわ。」
「それならもう中に入りましょう。さっきみたいに中と外でお話ししませんか?」
「そう?それならお言葉に甘えちゃうわ。念の為ね。」
優しそうな女性の形のお姉さん達は、見る間にスサアーッと石が積んである中に戻っていった。私はまた池の中に入って、石が積んである場所の近くに座った。
「ふう~。ありがと。エミリア。それに、本当にごめんなさい。私達ヒドイことをたくさん言ったわ。その、ニセモノなんて、とっても意地悪だったわ。ごめんなさい。」
「そんな、気にしていませんよ。私の方こそ、ぐるぐるし過ぎちゃってごめんなさい。」
「ああ、あれ……。やっぱり、なるほどね。でも、まあ、それでもとに戻ったわけだし、いいのよ。それでね、まだ私達が外に行けた時に、妹に言っていたことを憶えてる?エミリアは渡る人でしょ。妹と一緒に巡礼するのよね。だからね、お願いがあるの。」
「待って待って。お姉さん達、エミリアはまだ子供なのよ。それに、何をするのかはエミリアが決めることよ。もちろん、何をしないのかも。」
「え?だって……、じゃあ、あなたどうして一緒にいるのよ。何の為に?……人の役に立ちたいんじゃ、なかったの?」
「私は、私はただ……、どうしてだか、……一緒にいたいだけ。」
「そんなの!それなら私達と一緒にいたらいいじゃない。どこにも行かなくてもいいなら、エミリアも一緒に私達と一緒に居たらいいわ。」
「待ちなさい。無茶言わないの。どうするのかは、みんな自分で決めるのよ。」
ディアさんとお姉さん達のお話は、なぜか険悪な雰囲気になりつつあった。それに、たぶんディアさんが私のことを庇ってくれているような、そんな気がして、気が気ではなかった。もしかしたら、私が、ユヌマさんと違って、未熟者だから……。なぜか、暗い気持ちがすぐ側にいるような妙な雰囲気だった。
「あの、私、王都がなぜか、穢れてしまっていることを知ってます。本当は私、この指輪がなかったら、ここまで来られなかったんですけど。加減も上手じゃないんですけど。でも、あの、このままで良いとは思ってません。ここにはたくさん人が住んでますし、ディアさんのお姉さん達のことも、水も土も、全部みんな綺麗な方がいいですし、このままでは、王都が滅んでしまうらしいので、私、こっそり、目立たないように、まるごと全部、綺麗に浄化したいなって思ってます。」
話しているうちに勢いがついてしまって、地面にトンッと手をついた拍子にパッと一瞬辺りが明るく光った。さっきの紐のせいなのかも知れないけれど、ちょっとなんだか駄々洩れすぎな気がする。調節の出来なさ過ぎる自分に、目をパチパチしながら冷や汗が出た。
「えっと、そ、そう、そうなの……。ちょ、ちょっと衝撃的よね。」
「あ、滅ぶのは今すぐじゃないみたいですよ。いずれはそうなるって言ってました。嘘が大嫌いな方なので、本当のことだと思います。」
「えっ?そっち?光ったよね?全部浄化って言ったよね?」
「ね?全部なんて、どんだけよ?神的な?」
「いやいや、それより今の!なんで一瞬でできるのよ!?あれなに?お祈りとかは?」
「ねえねえ、ホントに渡る人?なんか凄すぎない?色だって、ほら、あ!だからなの!?」
「あなた達、ちょっと静かに!黙ってなさい!……エミリアさん、あなたの気持ちは分かったわ。それなら、私達からお願いすることはないわね。私達はみんなあなたの味方よ。いつでも会いに来て。私達の妹のこともよろしくね。仲良くしてあげてちょうだい。」
「はい。こちらこそ。よろしくお願いします。ディアさんとも仲良くします。」
お姉さん達とのお話が終わって振り向くと、ノアが池の縁に腰掛けて、全部……、となにか呟きながら考え込んでいた。ザムエルさんは、涙を流しながら私を見て、……拝んでいた。な、なにがあったのは知らないけれど、大人の人が号泣しているのは、とても気まずくてオロオロしてしまう。
「……私の、お姉さん達の姿が、神々しかったんじゃない?」
「あ、なるほど!じゃあ、私はお邪魔ですね。」
お姉さん達の水で出来た女性の姿は神々しくて、とても美しかったので、たしかに拝みたくなるかもしれない。お邪魔にならないように、石が積まれた辺りから離れて横にずれてみると、なぜかザムエルさんはまだ私を見ていた。
「え??」
思わず声が出てしまった。するとノアが素早く立ち上がった途端に、膝立ちの状態だったザムエルさんがパタンと倒れ込んだ。
「ええ!!??」
「……眠ったみたいだね。眠たかったのかな?困ったな。一人でこのまま運ぶのは大変だし。僕達は先に部屋に帰ろう。それから僕が、大人達をここまで連れてこないといけないかも。エミリアは先に寝ていてもいいよ。僕もすぐに戻るだろうけどね。」
私達は倒れ込んだザムエルさんの為にも、急いで部屋に戻ることにした。パタンと寝てしまうほど、眠たかったんだろうし、疲れていたのかもしれないし、それなのに、こんなに夜遅くまで私達に付き添ってくれていたなんて。私は親切なザムエルさんに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。朝になったら、ちゃんとお礼を言いに行こうと思いながら、急ぎ足で部屋に帰っていった。