102.思いがけない、再会
私達はお昼には宿に戻る予定で出て来たのに、気づけばもうお昼に差し掛かっていた。店先にテーブルを出して食べ物を売る店が急に多くなったので、人が通れる道幅は狭くなっていた。けれど、更に人が増えた大通りはますます人でごった返していて、通る人はみんな押し合いへし合いしながら歩いていた。
「まずいな。もう昼か。これは見誤ったんじゃねえか?今からあの人混みを引き返すのは、危ねえよな?」
ピートさんが焦っていて、ノアと二人でどうするかを話し合っていた。私達は混雑を避ける為に壁際に寄って、出店のない目立たない場所に立っていた。私は壁に背中をあずけて通りを眺めながら、急に増えたひしめき合う人波に驚いていた。
「カラスに伝言を頼んで、昼は宿に戻らないことにしよう。お昼を中心街の広場の屋台で食べることにしたら、ここら辺より空いてるよ。それから今日は混雑を避ける為にいつもより早めに宿に戻る。」
ノアが鞄の中から紙を取り出して、何かサラサラと書いて小さく折りたたむと、手を上げて手紙を掲げた。するとすぐにカラスが一羽スイーッと飛んでくると、手紙を咥えてまた飛んでいった。一瞬の出来事すぎて、周りの人達は何も気がついていないようだった。
「すげえ。なんだ今の。今のカラスだよな?」
「いいから、先を急ごう。お昼にはお昼ごはんを食べないと。ちゃんと規則正しく食べないと、病気になる。」
「ええ?なんだよ?誰の話しだよ?いつもそんな厳格じゃないだろ?」
私達はなるべく端を歩いて中心街に向かった。中心街に近づくごとに混雑から遠ざかるようで、行き交う人の人数はだんだん減っていた。しばらく早足で歩いていると、高い壁が目に入ってきて、目の前には広い大きな門が見えてきていた。門番らしき兵士の人達はいるけれど、行き来する人達の身分証を確認することなく、端に立っているだけだった。
「身分証を見せなくてもいいの?」
「昼間はそのまま通れるみたいだよ。行き来する人達が多すぎるからじゃないかな?」
私達は大きな門を行き交う人波についていくようにして歩いて通り過ぎた。門から一歩入った中心街は、さっきまでとは雰囲気が一変していた。すべての建物が角ばった薄い黄色のような白っぽいような色をしていて、たまにある丸い屋根の色も黄みがかった橙色をしていた。門の向こうのいろんな色の派手な建物とは打って変わっていて、門をくぐるだけで、まるで違う町に来たような錯覚を起こしてしまいそうだった。
「全然違う町みたいです。それに変わった建物ばっかり……。」
「……住んでる奴らが違うんだろ。それより、はやくこの先の広場へ行こうぜ!屋台が出てんだよ。肉汁じゅわ~の肉を挟んだパンがあるんだ。売り切れる前に買いに行くぞ!」
ピートさんが駆けだしてしまったので、ノアと私は追いかけるように早足になって、やがてそのうちに走っていた。どこも道は比較的狭いけれど、あまり人の行き来もないので、誰にもぶつかるようなこともなく広場に着くことができた。
半円形のような形をした広場には、たくさんの屋台が出ていた。けれど、あまり混み合ってもいなくて、ゆったりと屋台で買い物が出来るようになっていた。ピートさんがおススメの食べ物を買って来てくれるそうなので、私とノアは広場を見渡せる目の前の階段に座って待っていることにした。
半円の反対側が長い階段になっていて、所々にそこに座って休憩している人達がいる。この辺りに住んでいる人達の憩いの場所のようだった。けれど、階段に座って見下ろしていると、もともとは花壇だったような仕切りがしてある場所には、なにも植えていなくて、その周りを囲むようにベンチがたくさん置いてあるのが、なにか不自然に思えた。
屋台で買い物をしているピートさんをノアと一緒に階段に座って見ていると、ピートさんがなにか妙な動きをしていた。食べ物を持った両手をいろんな方向に振っている。ノアが思わず吹き出して笑っていた。
「持ちきれないぐらいに買ったんだな。エミリア、ここで座って休憩していてくれる?一旦あれを受け取ってくるよ。たぶんまだ買うつもりなんだよ。」
ノアが走って行く後ろ姿を見送りながら、鍛えている二人との体力の違いを思い知っていた。私は少し走っただけで息が上がっているのに、ノアとピートさんはまったく平気そうにしていた。本当は、ため息をつきたい気分だった。中心街には、街灯の柱は立っていないけれど、そこら中の建物の上の方に街灯の装飾部分と同じ飾りがついていた。たぶんそれが、夜になると町を照らすのだろうと思う。
あの飾りに触れればたぶん、同じようにぞわぞわを消すことができるような気はするけれど、それらは例え大人の人が背伸びをして手を伸ばしたとしても、まったく届きそうにない高さにあった。そして見渡す限り、数え切れないほどにたくさんの街灯が、そこら中の建物の何か所にもついていた。
あれは本当に何なのだろう?私はぞわぞわと気持ちが悪いけれど、こんなにたくさん、そこら中につけていて、他の人には何ともないなら、とくに何か悪い物でもなくて、私は何もしないで、ぞわぞわを我慢していれば、いいだけなのかなとぼんやり考えていた。
ふう~と前を向くと、ノアとピートさんが両手に食べ物を持って走ってきていた。二人はなぜか焦った顔をして、走りながら私に声を出さずになにか言っていた。そして私の後ろを指さしているようだった。思わずなにかと振り向くと、一人の男の子が階段を下りながら私を見ていた。そしてそのままノアとピートさんに目線を移した。私もつられてノア達を見ると、その男の子が私に話しかけてきた。
「やあ、また会えるなんて嬉しいな。君も色粉を使っているんだね。その黒髪もよく似合っているよ。……でも、どうしてそんな眼鏡をかけているの?」
その男の子の声を聞いて、一瞬にして冷や汗がでた。今までまったく忘れていたけれど、私はこの茶色い髪の男の子に会ったことがある。オルケルンの広場で帽子を拾ってくれた、あのぞわぞわとした気持ち悪さを纏った男の子だった。
「ね?色を変えてるって事は君もおしのび?貴族の子なんだよね?君の家名を教えてよ。僕のことは知っているよね?」
いろいろと質問しながら、目の前に立った男の子はずいずい近づいていて、私の手をとった。私は震えるほど気持ちが悪くなって、気づいたら手を振り払って駆けだしていた。
まったく見知らぬ道を闇雲に走って入り組んだ道の角を曲がると、この先が行き止まりだと気がついた途端に躓いてしまって、ビュンッと遠くに飛ばされた。あまりの素早さと回転に目を瞑ってしまったので、どれだけ遠くに飛ばされたのかは分からないけれど、ふわっと着地してから目を開けると、鮮やかな色彩で描かれた壁画の前に立っていた。
高い塀に描かれた色彩豊かな色とりどりの壁画は、統一された薄い色の建物の中で一際目立っていた。とりわけ、中心に描かれた金髪の女性の美しさが際立っていて、その優しい慈しむような表情に、しばらくじっと見とれてしまう。
壁画は見上げるほどとても高くて、城壁のように頑丈そうだった。ぐる~っとどこまでも建物を取り囲むように続いている、高い塀の周りを壁画を見ながら歩いて行くと、その金髪の女性は、何度も何度も現れた。いろんな角度から描かれたその女性はいつも優しい表情をしていて、どれもすごく美しく描かれていた。
どこかで会ったことがあるような、親近感まで湧いてきそうな美しい壁画を夢中になって眺めながら歩いていると、目の前に突然、シュタッとクロが降り立ってきた。クロはカラスにしてはとても大きくて目立つので、思わず辺りを見渡すと、人通りもなくまったく誰もいなくて、ホッと胸をなでおろした。
「クロ?町の中に降りてきたらだめだよ。クロは大きいから目立っちゃうんだよ。」
クロはジッと私の顔を見たまま、なにも言わないで、その場所からも動かなかった。もしかしたら、ノア達からはぐれてしまったので、一緒に居てくれるのかもしれない。
「クロが一緒に居てくれるの?この場所をノア達に教えてくれるんだよね?ここから動かない方がいいよね。」
クロがどこにも行く様子がないので、私はその場所に留まることにして、壁画から少し離れて待っていることにした。
「……もっと、全部見たいわ。この絵。」
壁画から離れて、道の目立ちそうな所に立っていようとしていると、ディアさんがマフラーの中から顔を出していて、小さな声で呟いた。
「この壁画の絵ですか?とても綺麗ですよね。私も、あんまり綺麗なので見とれてしまいました。この塀の周りを一周するぐらいだったら、ノア達とはぐれないと思うので、見ながら歩いてみましょうか?どこまで絵が続いているんでしょうね?」
私は壁画の周りを歩いて見ていくことにした。クロは後ろから歩いてついて来てくれる。どこまでも続いている壁画はどれも色鮮やかで、とても綺麗だった。この絵はもしかしたら、この城壁のような塀を全部覆うように描かれているのかもしれないと思えてくる。今の所、空白の場所はどこにもなかった。そうして歩きながら、この中の建物はいったい何だろうと疑問に思う。塀の大きさからして、とても広くて大きな建物のような気がした。
「この中の建物は何でしょうね?」
「……神殿、じゃない?」
「神殿?この中が神殿なんですか?ディアさんは知っているんですか?」
ディアさんが答える前に、壁画の向こうから物音がした。ザッザッと土になにかしているような、誰か人の気配がした。この場所に飛ばされてきてから、他に人が居るのを始めて感じたので、一瞬ビクッとなって驚いた。
「だからさあ~、何回も言うけどさあ~、こ~んなカッチコチに固い土なんて耕しても、な~んにも育たないって!無駄なのよ。ムッダ!」
足が、震える。立って、……いられない。私は震える足を励まして、壁画に近づいていく。一瞬であふれ出た涙で、もう前は見えなかった。壁画を力いっぱい叩いた。
「メイベルさんっ!!!メイベルさん!!メイベルさん!!メイベルさん!!」
「えっ!?だ……?え?エミリア?え?どうして?……きゃっ!離して!……んん!んん!!んんん!!」
やっと、見つけた!見つけた!見つけた!ここに、ここにメイベルさんがいる!この壁の向こう側に!涙が後から後から止めどなく流れて、何度も、何度もメイベルさんの名前を呼んだ。けれど、もう何も返事はなくて、なにも聞こえてこなかった。私はもう何もできなくなって、頽れたまま、ただただずっと咽び泣いていた。