100.観光をする前に
踏ん張っていないと、震えてしまいそうになる足に力を入れて、手にもぐっと力を入れて握った。長く息を吐いてから、キッと前を向く。それから、大きな建物のような門を歩いてぬけて、とうとう自分の足で宿の敷地から出て、エルドランの都に、一歩足を踏み出した。
目の前には噴水があって、円形の広場になっていた。そして噴水を囲んで綺麗に敷き詰められた石畳は、途切れずにどこまも続いていた。
「エミリア、大丈夫?落ち着いて?……ちょっと地図を確認したいから、そこの噴水に座ろうか。」
噴水の所まで歩くのに、なんだか歩きにくいと思っていたら、右手と右足が同時に出ていた。次は左手と左足が同時に出る。……もう、普段どうやって歩いていたのかも分からなくなった。仕方がないので、ギクシャクしたまま、なんとか噴水まで到着した。息が上がってしまっているので、ノアに勧められて、噴水の縁に座ることにした。
「……ピートのせいだぞ。変な言い方するから。歩きながら説明するって言ったのに。」
「なにが?俺は、今日は観光だけになるだろうって言っただけだぞ?」
「言ってない。そんなこと言ってないよ。大変なことになるって言ったんだ。これから初めて町に出るのに、脅してどうするんだ。人の多さを教えてから行こうと思っていたのに。」
「……何か美味いもんでも食いに行くか?」
「しっかりたっぷり朝ごはんを食べた所なんだ。食べられるわけないだろ。」
ノアとピートさんが、地図を見ながら何か話し合っていた。宿の門を出たばかりで、まだ町を歩き回っていないけれど、正直、休憩は有り難かった。鼓動が激しく脈打っていて、苦しいぐらいだった。
「エミリア、落ち着いて。ちゃんと自分の流れを整えて。早い。早すぎるでしょ?分かる?そうだ、カケラを見て。お守りよ。ほら、その流れよ。よく見て。」
私は服の中からお守りを引っ張り出して、手のひらにのせて見た。そのカケラのなかは、キレイないろいろな色がゆったりと揺蕩って流れていた。
「そうそう。落ち着いてきたのね。ね?大丈夫でしょ?修行してきたでしょ?思い出した?」
「……はい。私、自分の流れを知ってます。」
私は、心を落ち着かせることが大事なことを知っている。焦ったり不安だったりするのを、真ん中にするのはまだ難しくて、なかなか上手くいかないけれど、凪いだ海のように、澄んだ空のように、おおらかな、やさしく包み込むような流れを知っている。その速度に合わせるように、ゆっくりと深く呼吸を繰り返した。
「ディアさん、ありがとう。ずいぶん楽になりました。」
「ふふ、どういたしまして。言ったでしょ。私はいつも一緒なのよ。」
離れた所にいるノアとピートさんは、まだ話し合いをしていた。漏れ聞こえてきた話によると、食べ物の話しを熱心にしていた。なにか食べに行く予定のようだった。お腹はまったく空いてないけれど、話しの決着がつくまで、空を見ながら待った。
青い空の所々に薄く白い雲が流れていた。動いていないかのように、ゆっくりとゆったりと、ほんの少しずつ形を変えて動いていた。私の心は、もうすっかり落ち着いていた。焦らないで、探しに行こう。明日も明後日も、私はずっと諦めないんだから。何日かかっても、町の中を全部隅々まで探すんだからと、空を見上げながら、落ち着いた心で、そう考えていた。
「決~まり!観光だ!観光!エミリア、今日は観光にするぞ。美味いもん食って、珍しいもん見て、土産でも買って、今日はもう、それだけだ!」
「……観光?……どうしてですか?」
「エミリア、落ち着いて聞いてね。ピートと話し合ったんだけど、人がすごく多いんだよ。それに見たこともない物だらけで、先に気になる物は見て慣れておいた方が、気が引かれないで探し回れるみたいなんだ。それに、疲れたときには、甘い物を食べると回復するんだって……本当かな。」
ノアは疑問が残っているようだけど、今日を観光の日にすることには賛成のようだった。私も二人の計画に賛成して任せることにした。けれど、一通り見終わったら、探しに行けるかもしれないとは思っていた。話し終わって、私達は広場から何本も入り組んだように伸びている道の、一番広い道に向かって歩きだした。
歩いても歩いても、どこもかしこもに高い建物が続いていた。その建物の間の隙間もまた道になっていて、また違う道に繋がっているとノアが教えてくれた。その先の先の道のことを考えていると、なんだか目眩がしそうだった。
その細い路地や、高い建物のいろんな所から、子供から大人までいろんな人達が続々と出てきていた。道の狭さに対して、行き交う人々が多すぎて、何度もぶつかったり、ぶつかりそうになったりした。アワアワしているうちに、ノアが繋いでいる手をギュッと握って早足になった。右に左に移動しながら、どんどん前に進んでいく。道行く人達は、みんなどこかに急いでいるようだった。
「き、今日は、お祭りの日?」
「いや、普段のいつもの日だよ。この道はまだ広いから、一番混雑していないんだけど、朝と夕方はどうしても人が多いんだ。この道の先まで出たら、もうすぐ大通りにつくから、もうちょっとの辛抱だよ。」
人と人の間を縫うように早足で歩いて、やっと先の方にぶつからないで歩ける大通りが見えてきた。やがて駆け足になって走って人混みを駆け抜けると、しばらくして、やっと大きな道に出たようだった。
「このまま、まっすぐに歩いて行くと中心街に着くから、このまま歩こう。横に広がっている通りはまた今度ね。」
大通りは、今まで見たどの道よりも広かった。石畳の道は段差がついていて、馬車と人が通る道が分かれていた。そして両脇には色々な派手な色の高い建物がズラーッと並んでいて、道の先には一際高い塔のような建物もたくさん建っているようだった。塔の上に大きな鐘がついている建物もある。
ずっと先まで、どこまでも建物が続いているので、ずっと見ていると目が疲れてくるほどだった。また周辺に目線を移すと、たくさんのお店が並んでいる前の道には、馬車と人の道の境に等間隔に棒が刺さっていた。見上げると、長い棒の天辺には凝った飾りがついていた。
「あれは、街灯だよ。あれのお陰で夜になっても町は明るいらしいんだけど、僕たちは暗くなる前に帰るから、まだ見たことはないんだ。昼間みたいに明るくなるって言ってたけど、本当かな。」
私は不思議に思って、街灯に近づいていく。見上げるほど高い街灯は、凝った造りの円柱で、金属で出来ているようで硬そうだった。そっと手で触れてみると、思ったとおり、ぞわっとする妙な気配がした。これは、たぶん海の指輪をしていなかったら、とても気持ちが悪くなっていたんだろうなと思った。
そのまま触れていると突然シュンッとした変わった間隔がして、ぞわぞわがなくなった。手を離したり、触れたりを繰り返してみても、もう何ともないただの街灯だった。なにかとても、不思議だった。
「これは、なんなんだろう?」
「なにって、街灯は街灯だよ。夜に町を照らすんだ。それより、こんなにいっぱい店があるんだぞ。なにか飲むか?食べるか?それか、先に土産を選びに行くか?」
「……先に、ここの街灯を全部触ってみてもいいですか?この辺りだけでもいいので。」
「別に、いいけど……。」
海の指輪を確かめてみると、特に濁った様子もなく何も変化はないようなので、お店を見て回る前に、先にこの妙な気配の街灯を全部触っていくことにした。人が多くて混雑した中に、妙な気配がそこら中に混ざって、ゴチャゴチャした感覚がどうにも落ち着かなかった。
私達は目立たないように、観光しているふりをして、見える範囲のすべての街灯を触っていった。そうして、この辺りの街灯のぞわぞわはなくなったけれど、不思議な気配が少し薄まっただけで、人混みのせいか、あまりスッキリはしなかった。
なんだか、なんとなく変な町だなと思った。町並みは色とりどりで色鮮やかな建物で溢れていて、道も綺麗に整備されているのに、変な気配がポツポツと点在している。たくさんの人がいて、そこら中溢れかえるように賑わっているのに、なんだか疲れたような気配が漂っている。活気があるようでないような、首を傾げたくなるような妙な雰囲気だった。なんとなく気重くて、思わずため息がでてしまう。
「まず休憩することにして、そこのお店にでも入って、なにか飲もう。」
ノアが道の向かいの可愛らしいお店を指さして提案した。店先にもたくさんのお花を飾っている華やかなお店だった。私達は道を渡って、その可愛いお店に入ることにした。店内は更に可愛くて、リボンや繊細なレースやお花や可愛い置物で装飾してあって、全体的に淡い色合いなので、落ち着いて寛げるような雰囲気になっていた。
そしてノアが選んだ奥の席は、椅子がフワフワのソファーになっていた。店内もテーブルも椅子も、テーブルの上にある布や小物まで、全部が可愛いらしくて、可愛いが溢れかえっていた。もうずっとキョロキョロ、あちこちにある可愛い物を見ていた。こんなに、どこもかしこもが可愛いお店は見たことがない。
「ふふっ。可愛いお嬢さん。私のお店を気に入ってくれたみたいね。ご注文はおきまりかしら?おすすめは、お姫様のティーパーティー、よ。」
振り向くと、白いフリフリの可愛いエプロンをつけた背の高い男の人が、メニューが書いてある紙を持って立っていた。にこやかに笑っていて、とても優しそうな人だった。
「お兄さんのお店なんですか。とっても可愛いお店ですね。ここに座っているだけで楽しい気分になります。」
「まあ!嬉しい。お嬢ちゃんも可愛い物が好きなのね。可愛いは正義よね。喜んでもらえて本当に嬉しいわ。私のことは、ベリーって呼んでね。ここらじゃ、ケーキ屋のベリーって呼ばれてるのよ。よろしくね。」
「ベリーさんですね。私はエミリアと言います。よろしくお願いします。」
「まあ、ちゃんと挨拶できて偉いわあ~。メニューは私が読み上げてあげるわね。字が小さいから、目が疲れちゃうわよね?」
「あ、いえ、私、目は悪くないんです。変装してるだけなんです。」
「「ああっ!!」」
私はお手間をかけてしまわないように、眼鏡をはずした。すると、ベリーさんが驚愕の表情になって固まってしまった。ノアとピートさんの声が重なっていたような気がしてそちらを見ると、ノアが慌てて私に眼鏡をかけた。そして小声で必死に説明してくれていた。
「エミリア、外で眼鏡を外したらだめだよ。それに変装していることも話したらだめなんだ。顔を見せなくて、教えないのが変装なんだよ。」
「そう、だったんだ。教えちゃだめなんだね。……ベリーさん、変装のことは内緒でお願いします。」
「……なにか、事情があるのね……。いいえ、何もなくてもそれだけ可愛ければ、そりゃ……。天使……、控えめに言って天使だわ……。私、私、凄い物を見たわ。」
ベリーさんが、なにかブツブツ言いながら、店内の厨房にの方にフラフラ戻ってしまった。厨房は見渡せるようになっていて、甘い良い香りが漂っていた。
「おっさん注文も聞かずに戻っていったぞ。エミリアが顔なんて見せるから!しかしあのガタイ、どうみても兵士だろ。あの筋肉は一般人じゃねえ。名前がベリーってなんだよ……。」
シュタッと戻ってきたベリーさんが注文を聞いていた。私達は初めてでよく分からなかったので、注文をお任せにした。ベリーさんが再び厨房に戻っていくと、なぜかピートさんが頭を押さえていた。
「ピートさん?どうしました?」
「自業自得だよ。エミリア、放っておいていいよ。」
「いってえ!なんだあの素早さ。やっぱりあれは兵士だろ。どんだけ鍛えてんだよ。あんなムキムキなケーキ屋なんているもんか!」
しばらく待っていると、ポットに入った紅茶が出てきた。ベリーさんが蒸らした紅茶を丁寧にカップに注いでくれる。温かい湯気から、甘い香りが立ち上っていた。
「うふ。茶葉に果物を混ぜているのよ。とってもいい風味になるの。お好みで砂糖も入れてね。この後に、ケーキを持ってくるわ。楽しんで。」
それからしばらくして、ベリーさんがケーキを持って来てくれた。なんと、お皿が縦に三段になっていて、装飾がついた金具で固定されていた。三枚のお皿にはそれぞれ種類の違うお菓子やサンドがのっていて、どれもとても可愛くて美味しそうだった。
甘い香りのする紅茶は、オルンさんの家で食べていた果物の風味がして、美味しくて懐かしいような、ホッとする飲み物だった。カップを両手で持って、その香りに包まれていると、まるで温泉に入ったように、ほどけて寛いだ心地になった。なんとなく、どこか強ばって緊張していた体が軽くなったような気がした。
「良かった。このお店が気に入ったなら、これからは毎日来よう。疲れたらここで休憩することにしよう。」
「毎日?うわあ~、嬉しい。毎日ここでお茶が飲めるなんて、明日からが楽しみ。疲れたって、何も心配いらないね。」
「おいおい、今日はまだ始まったばっかりなんだぞ。まだ何の店も見てないだろ?観光はこれからなんだよ。これだけたくさんの店があるんだぞ。他にも気に入る店がいっぱいできるかもしれないだろ。まだまだ、これからだ。」
ピートさんの言うとおりだと思った。まだ大通りに出て来たばかりで、この町のことは何も分からないのに、さっきまでなんだかもう、へこたれた気分になっていた。けれど、なにもかもが、まだ始まったばかりだった。これから、まだまだこれからなんだと、私は気合をいれて、気力を奮い立たせた。