3 生粋の日本人だよ
「ははは! それで呼び出されてたのか」
やっぱ面白いやつだなお前、と盛大に笑われる。
はあ、とため息なのか頷きなのかわからない返事をこぼし、廻はわずかに睫毛を伏せた。
両目を覆う分厚いレンズが、いつにも増して重たく感じた。
「勝手に人の髪形や服装を変えちゃだめだって怒られた」
「そりゃそうだろうな」
窓際の席に座る廻の前の椅子に腰かけ、短い茶髪と大きな肩をくつくつと揺らすのは、クラスメイトの猿飛慎也だった。
箭田の説教から解放された廻が教室に戻った瞬間、待っていましたとばかりに話しかけられたのだ。昼休みなのにすることがなくて暇だから楽しい話を聞かせてくれ、とのことらしい。
いい人だな、と廻は思った。
ここに来た当初から、彼はなにかと自分を気にかけてくれている。
今回も心配して声をかけてくれたのかもしれない。もちろん面白半分というのもあるだろうが。
「廊下ですれ違う生徒全員の頭髪と持ち物をチェックしたんだってな」
「うん。でも反省したよ。みんながみんな校則違反をしてるってわけじゃないもんね。猿飛くんみたいに地毛の人もいるだろうし」
「いやそこ? というか、俺ふつうに染めてるけど」
「え!?」
がたん、と椅子を引いて立ち上がる。あまりの衝撃にかけていた眼鏡がずり落ちそうになった。
編入初日に髪の色を指摘したとき、これは地毛だからしかたないと彼自身が言ったのだと記憶していたが。
「いやだって反論するのも面倒だし、そもそも何言ってんのかよくわからなかったし……」
「そ、そんな……」
「悪かったって。つーか、その感じだともしや白雪たちの嘘も信じてたりする?」
「嘘なの!?」
弾かれたように又隣の席を見る。
そこでは廻たちと同じローブを着た二人の女子が机を挟んで談笑していたが、自分に向けられる視線に気づいたらしいそのうちの一人が、どうしたの? と首をかしげてこちらを見てきた。
白雪朱音。
林檎のように真っ赤な色をしたセミロングが特徴の、明るい雰囲気の少女だった。
「白雪さん! 君のそれは地毛なんだよね!? 外国人のおばあさんからの遺伝だって……!」
「え〜? こんな奇抜な髪色のおばあちゃんいるわけないじゃん。白雪家はみんな生粋の日本人だよ」
「……!」
「真面目だなあ小津佐くんは。冗談のつもりだったんだけど」
ごめんね、と笑顔で謝られ、廻の中でガーンと低い音が響いた。
なんということだ。
「……もしかして、千利くんが持ってるのがゲーム機の形をしたペンケースだっていう話は……」
「どう見てもちゃんとゲーム機だろ。あいつ授業中もふつうにゲームやってるぜ」
「蝶野さんのマニキュアが美術の授業で出された課題だっていうのは」
「美術の授業が毎日あるか? てかどんな課題だよそれ」
「……」
おいおいマジかよ、と若干引き気味の笑みを浮かべる猿飛の前で、廻はがくりとうなだれた。
──風紀委員として、この学園の平和は僕が守ります
一週間前。初めてこの教室に足を踏み入れたあの日。
新たなクラスメイトとなる一年A組の生徒たちの前で、廻はそう宣言した。
だが自分は騙されていたのだ。
いや、正確には軽くあしらわれていたというべきか。
「みんな地毛なんてすごい偶然だなって思ってたんだ……日本の学校なのに……」
「ほ、ほんとに地毛のやつもいると思うぜ。たしか敷波の茶色は天然ものだろ」
「蝶野さんの金髪はしっかり染めてるよ。あのマニキュアもさっき教室で塗ってるの見たし」
「追い討ちかけんな! ……あー、ほら、あとルクス。あいつも地毛だ」
「それはまたべつでしょ。本当に外国人なんだから」
「ルクス? ルクス・ピートくんのこと?」
顔を上げて廻は尋ねる。
ルクス。名前だけは知っている。同じA組の生徒で、たしかイギリスからの留学生だ。
彼はずっと学校を休んでいるので、廻はまだ一度も会ったことがない。
「俺たちだってほとんど会ってねーよ。あいつ、四月の最初はちらっと顔出してたけど、途中からさっぱり来なくなっちまったんだ」
「具合が悪いのかな」
「サボりだろ。魔法大国イギリス育ちのお坊ちゃんには生ぬるかったんじゃねえの、日本のオズは」
なげやりな口調で猿飛が答える。
どこか棘のあるその態度に、廻はぱちりと瞬きをした。
「僻んでるんだよ。ルクスくんがイケメンだから」
「ちげーよ!」
にやりと笑った白雪が、からかうような視線を猿飛に向けた。反論する少年の耳は赤い。
「けど、せっかく同じクラスになったのに会えないなんて寂しいな。本当にサボりなら校則一の第一条に反するし」
「また校則か……」
「お休みといえば阿夜さんも。最初の日に顔は見たけど、すぐに帰っちゃってそれきりだし」
「あの子はしかたないよ。なにせあの阿夜家のご令嬢だし」
「阿夜家?」
廻が来てからの一週間、この教室で常に空いている二つの席。
一つはルクス。もう一つは、阿夜という名の女子生徒の席だった。
両者とも体調不良による欠席が続いているのだと思っていたが、そういうわけではなかったのか。
「まさか知らないの?」
「んなわけねえだろ。御三家だぞ」
「ああ」
なるほど、と廻は頷いた。
日本において最も有名な三つの魔法使いの家系。
そのうちの一つが阿夜家だということは知識として頭にあったが、クラスメイトの名と結びついてはいなかったのだ。
「幼稚部からこの学園に通うエリート中のエリート。叔父さんが魔法省の大臣で、仮資格も持ってるから授業もほとんど受けなくていいんだって」
「魔法の才能を買われてしょっちゅう国のお偉いさんと仕事してるらしいぜ。休みがちなのもそのせいだろうな。同い年とは思えねえよ」
「仮資格……」
オズに通う生徒であっても、学園の外で魔法を使うことは基本的に許されていない。学園を卒業して協会から正式な資格を与えられた者だけが、魔法使いとして社会で活動することができるからだ。
だが、在学中でも学外での魔法の使用が認められる場合がある。
仮資格を持っている場合だ。
本来の資格とはちがい、その都度協会への申請が必要となるが、許可さえ下りればプロの魔法使いと同じ立場で魔法を使うことができるようになるのだ。
「でも、よほどの実力がないと仮とはいえ資格なんてもらえないはずなのに。すごいんだね阿夜さんは」
「あー……」
「まあ、実力があるのはたしかだと思うけど。あの子に関してはちょっと変な噂もあるからなあ」
「噂って?」
「いや、あんま面白い話じゃねえんだけど。あいつは──」
猿飛の言葉がとまる。その驚いた顔が向けられた先を見て、廻ははっとした。
教室の入り口に、長い黒髪の少女が立っていた。
たったいま登校してきたことを示す右手の鞄。この学園の生徒の証である紺色のローブ。
阿夜撫子。廻たちが噂をしていた人物だった。