18 同じなんだろ
周りにいた生徒たちの視線が一斉に廻に集まる。
あいつはだれだ、いや噂の編入生だろ、あの自称風紀委員の?
などといった言葉が次々と聞こえてきたが、いまはそんなことを気にしている場合ではない。
オレと戦え、とルクスは言った。他でもない廻を名指しで。
からかわれているわけではなさそうだが、その意図が廻にはさっぱりといっていいほどわからなかった。
「おい返事は」
「え、え? えっと」
「なんだよ。いやなのか」
「その、いやというか、君と僕が戦う理由がないというか……」
本音を告げても引く気配のないルクスの態度に廻は戸惑う。
いつのまにか彼は廻の目の前にいた。
思わず後ずされば、逃がさないとばかりに距離を詰められ心臓がどきりと跳ねる。
「も、もしかして僕がいつも君の遅刻を指摘することを怒ってる? でも理由のない遅刻は立派な校則違反だし」
「……」
ルクスは頻繁に遅刻をする。
ほとんど登校していなかったという初期の頃に比べれば随分とよくなったらしいが、風紀委員として皆に規則正しい生活を送ってほしい廻としては、たとえ数分の遅刻であったとしても看過はできない。撫子のように特殊な事情があるわけではないなら尚更だ。
そんな思いによる日々の注意がルクスを不快にさせていたのかと考えたが、彼はじっと廻を見たまま、その問いかけには答えない。
それほどまでに怒っているのか、なにか別の理由があるのか。
廻が首を捻っていると、青い瞳をすっと細めてルクスは言った。
「オレはお前の正体を知ってる」
廻は大きく目を見開いた。
彼が何を言っているのか、すぐには理解ができなかった。
「見たんだ。一昨日、授業を抜け出したお前が裏門のところで阿夜とやりとりしてんのを。木の魔法を使う女とやり合ってたよな」
「!」
「拒否権がないって意味はわかったか?」
顔を近づけて話しているからか、周囲の生徒に二人の会話は聞こえていないようだった。
廻の事情を知る撫子だけが何かを察したらしく、反応を示していたが。廻の動揺はそれどころのものではない。
ルクスの言葉が本当なら、廻が異端審問官である事実が撫子以外の第三者に知られてしまったということになる。それは非常にまずい事態だ。
「えっと、あれはその……」
「いまさら隠そうとしても無駄だぜ。オレにはわかる」
「……っ」
「だからオレと勝負しろ。それでもしオレが勝ったら──」
銀色に輝く前髪の下で、ぎらりと光る青い瞳が廻をとらえる。
その雰囲気に呑まれた廻がぴたりと動きをとめるのにかまわず、ルクスは静かに言葉を続けた。
「お前の正体を学園中の生徒に明かせ」
お前の口からな、と言われて息をのんだ。
不意をつかれて後ろから頭を殴られたような気分だった。
「その代わりお前が勝ったら何でもひとつ言うことを聞いてやる。──逃げるなよ」
そう言ってすっと自分の横を抜けていくルクスに驚き、廻は慌ててその背中を視線で追う。
ルクスくん、と呼びかけると、ぴくりと小さく肩を揺らして彼は一度立ちどまった。
「……お前は、オレと同じなんだろ」
ぽつりと落とされたルクスの一言。え、と思わず聞き返す。
するとルクスはふんと投げやりに鼻を鳴らし、がやがやと騒ぐ観衆から離れるように素早くその場を去ってしまった。
廻はそれを追いかけることもできなかった。
ただひとつ。去り際のルクスが見せた何かを期待するような、それでいて諦めたような横顔が、頭から離れなかった。
**
話題の編入生と留学生による決闘の噂は、瞬く間に学園中に広まった。
翌日、廻が登校したときにはすでにクラスのほぼ全員が知っていて、たった半日の間でそこまで大事になったのかと心の底から驚いたものだ。
「悪い! 俺のせいで小津佐を巻き込んじまって」
ルクスとのオズマはその日の放課後に行われることになった。
前日、同じ相手と同じ時間帯に勝負をした猿飛は朝から廻に平謝りだ。どうやら彼は自分のせいで廻がルクスに目をつけられたと思っているらしい。
自分が座る席の前で両手を合わせて頭を下げる同級生に、廻は首を横に振って答えた。
「猿飛くんのせいじゃないよ」
「でもよ」
「あの様子からして彼の狙いは最初から小津佐くんだったんでしょう。あなたはだしにされただけ。気にする必要はないと思うわ」
「お、おう……励まされてんのか貶されてんのかわかんねぇな……」
「ははは! 阿夜さんナイス~」
ひくりと唇を歪める猿飛の隣で、腹を抱えて笑うのは白雪朱音。髪色も性格も明るい廻たちのクラスメイトだ。
阿夜さんってそんな感じなんだね、と林檎のような赤毛を揺らす白雪はどこか愉しげな様子だった。
大笑いしてんじゃねぇよ、と恨めしげな顔をする猿飛にかまわず、廻の隣に立つ撫子を見てけたけたと笑っている。
「──大丈夫なの?」
戯れ合いという名の言い合いを始めた猿飛たちを尻目に、撫子が小声で話しかけてきた。
二人に聞こえないタイミングを見計らってくれたのだろう。
その問いかけの意味を察した廻は苦笑し、無表情ながらも気遣わしげな視線を寄越す彼女の顔を見つめ返す。
「勝負の誘いに応じなければ秘密をバラされて、応じたとしても負ければ自分で正体を明かさなくちゃならない。あなたが救われるにはルクス・ピートに勝つしかないということよ。かなりまずい状況だと思うのだけれど」
冷静な口調で言う撫子だったが、今回のことでだれより責任を感じているのは他でもない彼女であるようだった。
自分があの場で暴走しなければ、と思っているのだろう。
事件を起こしたのは幹枝であって撫子ではない。それにあのときは、外部の者に知られないよう強固な結界を張っていた。
だから問題は、その結界にルクスが気づいたことの方なのだ。
優秀な魔法使いであるオズの教師たちですら認知することが不可能な精度のものを構築したはずだった。
しかしルクスはそれに気がつき、内部への侵入を果たした。
そんな相手に勝つことができるのか。撫子はそう心配しているのだ。
「それは大丈夫、たぶん負けない。だけど──」
本音を伝えようと口を開いた廻に、撫子が目を見開く。
「気になるんだ、ルクスくんのことが」
机に置いた自身の手元に視線を落とし、廻は昨日のルクスの言葉を思い出す。
──お前は、オレと同じなんだろ
彼の目的はわからない。
ユダの関係者である可能性は否めないが、仮にそうならあれだけ目立つようなかたちで廻に接触してくるのはやはりおかしい。どう考えても不自然だ。
なぜ廻に正体を明かさせたがるのか。その手段にオズマを選ぶ必要があったのか。
何ひとつ思い当たる節がない。
それでも廻は、ルクスのことを知りたいと思ってしまった。
脳裏に浮かぶ銀髪の少年の横顔を思いながら、廻は静かに机の上の拳を握った。