14 ドロシーが言っていました
──正体を知られちゃダメよ。学園にトトが紛れ込んでいることがわかれば、やつはきっとまた姿をくらますわ
それはオズ魔法学園に編入する前、保護者となった魔法使いの女性、新羅卑弥呼に廻が言われたことだった。
──もちろんしず子にもね。いくらあの子が学園長で私のかわいい教え子でも、敵の魔の手がどこまで伸びているかわからない以上油断は禁物
──ま、それはそれとして学園生活は楽しんでほしいんだけど
だからたくさん友達をつくりなさい、と。
慈愛に満ちた美しい瞳を細めて微笑む卑弥呼の言葉を思い出し、廻は静かに瞼を伏せる。
彼女の言うとおりにしようと思った。
友達をつくりたい。
自分がここにいる意味を、ただ異端審問官の任務の一つとして片付けたくない。
風紀委員として学園の平和を守る、という決意はまだまだ実を結びそうにないが。
その道を選んだからこそ廻は気づいた。
撫子が──自分に“きまり”のありかたを思い出させてくれた優しい人が、苦しんでいることに。
「……“蛇”なんて魔法使い、私は知らない……!」
大きく顔を歪めたワンピース姿の女性が叫び、かざした杖の先を廻に向ける。
八雲幹枝。撫子の教育係として阿夜家に勤める魔法使いだ。
「阿夜さんが異端者だという噂が流れ始めたのは、今から約二年前……ちょうど“蛇”が日本で活動を始めた時期と重なります。あなたが阿夜さんの家庭教師になったのは八年前という話だから、あなた自身が最初から彼女を貶めるつもりで近づいたわけではないと思いますが」
「私のことを調べたのですか」
「はい。阿夜さんの噂に“蛇”が関わっているのではないかと思ったので、少しだけ」
廻が頷くと、きっと眉をつり上げた幹枝が勢いよく杖を振った。
彼女の周辺から再びいくつもの巨大な木が出現し、それぞれの枝の先端が廻に向かって牙を剥く。
廻は防御魔法を展開した。薄く透明な魔力の壁だ。
「……仮に私が“蛇”とやらに関係していたとして! 私自身はオズの十戒に反した行いをしたわけじゃない!」
「……」
「トトの仕事は異端者を裁くことでしょう!? 戒律を犯した者を問答無用で死に導く悪魔の使い! そんなあなたに、私が捕まる道理はない……!」
幹枝が発動した木の魔法による攻撃は、一つとして廻には当たらなかった。
魔法の壁がすべてを弾いているからだ。
廻の周囲に張り巡らされた透明な壁。
鋭い刃の形を成した先端がその表面に触れるたび、生き物のように蠢く枝がまるで自爆でもするかのように勢いよく爆ぜ、灰となった魔力の粒子が風に乗ってさらさらと流されていく。
「言ったはずです。僕は異端審問官として、ある異端者を捕らえるためにオズに来た。その異端者と“蛇”の間にはつながりがあると」
次々と迫りくる木の猛攻を壁によって相殺しながら、廻は真っ直ぐ幹枝のもとへ歩みを進めた。
「“蛇”の調査については協会からも依頼を受けています。いずれにせよあなたには詳しい話を聞く必要がある」
「……っ」
「それに……あなたは阿夜さんを傷つけた」
廻から距離を取るように後ずさりをした幹枝が、激しく杖をなぎ払う。
すると彼女の足元の地面がボコリと膨れ上がり、地中から現れた枝よりも太い木の根が、巨人が振るう鞭のような勢いを以て正面から廻を襲った。
その攻撃を迎え撃つように、廻は自身が手にしていた長杖の先をわずかに前に傾ける。
「ありもしない罪の意識を植え付けて、精神的に追い詰めて……彼女を本物の異端者にしようとした。学園に“色欲の魔女”の噂を流したのもあなたですよね」
幹枝のもとに向かう足をとめることはなく、飛んでくる根に自身の魔力を直接撃ち込んだ。
乾いた樹皮に亀裂が入り、その間から閃光が迸る。
次の瞬間には爆発し、廻を狙った根は跡形もなく消滅した。
「だからなんだと言うのです……!」
自らの魔法を尽く無効化されていくことにあせっているのだろう。
荒れ狂う波のように増減をくり返す幹枝の魔力は不安定で、次々と生み出される木の攻撃にも正確性はほとんどない。
それでも威力は凄まじい。やはり彼女は優秀な魔法使いなのだと廻は思う。
「オズなど卒業せずとも、今の時点で撫子さんにはプロの魔法使いに匹敵するだけの力がある……!」
「……」
「ならば学校なんて通うだけ時間の無駄でしょう。だから私は、彼女がここから離れやすくなるよう根回しをして差し上げたまで!」
「……異端者になれば阿夜さんはトトに狙われる。処刑対象になるはずです。それでもかまわないと言うんですか」
「だったら、そのトトすらも魅了してしまえばいい!」
撫子さんにならそれができる、と叫ぶ幹枝に廻は閉口した。
本当にそんなことが可能なら、世界に魔法がもたらされてからの二百年間、戒律違反によって処刑される異端者の数はもっと少なかっただろう。
いまの幹枝は、あきらかに正常な判断力を失っている。
対象を誑かし、脳内に毒を塗るようにその思考を麻痺させる。
廻が知る“蛇”のやり口そのものだった。
「魔法によって強制的に引き出された感情に永続性はない。相手の心をとらえて自分の思い通りにしたところで、いずれは綻びが生まれてしまう。……それに、人の心を魔法で操るなんてよくないことだ」
「きれいごとを!」
鋭さを増した枝の先端が四方から飛んでくる。
そのすべてを変わらず壁で弾き返す廻を睨みつけ、そもそも、と幹枝は言った。
「命の生成や死者の復活を禁じるのはまだ理解できる! ……けれど、人を恋に落としてはいけない、ですって? そんなくだらない戒律が存在する意味が、私にはわからない……!」
「それは……」
「女を使って男を誘惑する程度のこと、魔法使いでなくともする者はいるでしょう! その手段を魔法に変えるだけで、なぜ死に値するほどの罪に問われないといけないのです……!」
「つまらないから」
廻が答えると、幹枝はぴくりと眉をひそめた。
「愛は、人間が持つ感情の中でもっとも美しく歪んだもの。肉欲を伴う恋心なら特に」
淡々と述べる廻に、なにを、と幹江が大きく顔をしかめる。
「恋は駆け引きがあるからこそ面白いのであって、魔法によって誘発された欲望には価値がない。それが『人を恋に落としてはいけない』が戒律七として定められている理由です」
「……随分とロマンチストなのですね。それはあなたの考えですか?」
「いえ、ドロシーのです」
「は?」
幹枝が素っ頓狂な声を上げる。
そんな彼女を真っ直ぐに見つめ、廻は続けた。
「ドロシーが言っていました。恋の本質を理解しようとしない人間ほどつまらないものはない。だから魅了魔法はそれほどコストのかからないお手軽な魔法だけど、使用する者には必ず鉄槌を下すことにしたと」
自分の前で信じられないような顔をする幹枝を見て、廻は思う。卑弥呼が言っていたことは本当だったのだと。
ドロシーの存在を信じる魔法使いが、日本には少ない。
都市伝説、もしくは襲名性のようなものだと思っている者が大半らしい。
たしかに彼女はあまり人前に姿を見せないが、魔法の本場であるイギリスでは、もう少し現実的な存在として扱われているはずだ。
実際、ドロシーは生きている。
ただ、いまは死んでいるだけだ。
「……原初の魔女ドロシーから、直接聞いたというのですか?」
「はい」
「……ふざけたことを。彼女はとうの昔に死んでいるはずでしょう……!」
「生きていますよ。いまはちょっと動けませんが……」
からかわれていると思ったのだろう。激昂した幹枝が廻に向けて杖を突き出す。
地面が割れる音がした。廻の背後からだった。
ちらりと後ろに視線を向ける。
これまでのものより何倍も太く、背の高い一本の木がそこにはあった。
「油断しましたね! これであなたを潰し──……!?」
周囲のすべてを覆うように伸び上がる木を、切断魔法で大量の木片にする。
その光景を目にした幹枝の顔が、わかりやすく青褪めた。
「僕が捜しているのは──」
長杖を両手で握り、自身の足元に魔法陣を出現させる。
それだけではない。同じ形の、大小さまざまな魔法陣を上空にも展開した。
「戒律一の違反者です」
廻を中心として生まれた、空に浮かぶいくつもの光の紋様。そのすべてから出現する巨大な影。
それは鎖だった。
およそ一般的ではない太さと長さを持つ銀色の鎖だ。
四方八方に描かれた魔法陣から突き出る幾本もの鎖が、空間を切り裂くような勢いで伸長し、凄まじいスピードでじゃらじゃらと廻の周囲に張り巡らされていく。
「……な、なんなのです。これが、あなたの固有魔法なのですか……!」
それらの鎖は幹枝の木にも絡みついた。
反撃する余裕もないのだろう。大きな鎖に巻かれた途端、折れ、砕け、活動を停止する木々の哀れな有様を、幹枝はただ呆然と見つめていた。
「オズの十戒第一条、魔女ドロシーに逆らってはいけない。そのきまりに背いて彼女を殺した者がいる」
「……!」
「その異端者の名前はユダ。そしてユダは──正体を隠してこの学園に侵入しているらしいんです」
幹枝がはっと息をのむ。
自分の身体に鎖が巻き付いていることに気がついたからだ。
重い鎖に拘束され、がくりと地面に崩れ落ちた幹枝に近づき、廻は言った。
「八雲幹枝さん。ドロシー殺しの異端者と、“蛇”を捕まえるため──どうか僕たちに協力してください」
困惑と恐怖の混ざった表情で廻を見上げ、幹枝はくぐもった声をもらした。