11 背後から心臓を
あの合同授業の日から一週間、撫子は学校を休み続けていた。
普通授業である四限目の数学が終了し、迎えた昼休み。
自身の席で昼食のサンドイッチを食べ終えた廻は、主のいない教室の後方の席に視線を向けて目を細めた。
日本三大魔女の血を引く阿夜家の次期当主。
仮資格を持つ優秀な魔法使い。
オズの十戒七に背いた異端者、色欲の魔女。
それが学園の生徒たちの撫子に対する認識だった。
先代の当主であった母親は数年前に病死しており、現在は婿養子である父親が代理の当主を務めているという。
B組の女子生徒たちが言っていたように、撫子の母が亡くなったのは戒律違反が原因だという噂もたしかにあるようだった。
十戒を破った魔法使いは、ドロシーのしもべである異端審問官、通称トトによって問答無用で制裁を加えられる。
つまり死刑だったというのだ。
撫子の母親は、魔法を使って他者を誑かすという罪を犯し、トトによって殺されたのだと。
「まーた阿夜のこと気にしてんのか?」
廻の前の席に座る猿飛が振り返り、紙パックの牛乳を片手に尋ねてきた。
「うん……もう三日も休んでるから」
「まあ、たしかにあんだけ聞こえよがしに悪口を言われたら、学校来る気も失せちまうわな」
「ふつうにお仕事なんじゃない? だってあの阿夜さんだよ。中等部の頃からずっと流れてる噂だし、いまさら気にしてないでしょ」
近くの席で話を聞いていたらしい白雪が、軽やかな口調で言う。
鮮やかな赤毛をさらりと揺らし、彼女は椅子を引いて廻たちの方を向いた。
「猿飛くんたちも信じてるの? その、阿夜さんが異端者だって話……」
「う〜ん。信じてるってわけじゃないけど、いかんせん謎に包まれた子だからなあ。正直なんにもわからないって感じ。話したこともほとんどないし」
「異端者ってのはさすがにないだろ。十戒を破ったらその瞬間にトトが現れてとっ捕まるんだぜ。いくら阿夜家のお嬢様でも最強の魔法使いから逃げられるわけねえって」
「や、破った瞬間に……?」
腕を組んで深く頷く猿飛を見て、廻は苦笑いを浮かべた。
「私は小さい頃、トトは異端者が寝静まったあとにその家の排水溝からネズミの姿で忍び込んでこっそり処刑するんだっておばあちゃんから教わったけどな」
「そうなの!?」
「異端者の影から現れて背後から心臓をひと突きって噂もあるな」
「仕事人?」
神妙な口調で語る猿飛と、それ私も聞いたことある! と笑顔を見せる白雪に廻は困惑した。
異端審問官については他にもさまざまな仮説があるようで、地域柄ってあるよね、と白雪が言うのに廻は戸惑う。
地域柄とは。
「お前ん家にもあるんじゃねえの? 十戒やらトトやらに関する言い伝え。まあ大体が親の作り話的なやつだろうが」
「えっと……」
「遅咲きの人は家系に魔力持ちがいない場合が多いっていうし、小津佐くんはあまり詳しくないんじゃない?」
何気なく放たれた猿飛の質問に、白雪がフォローを入れる。
はは、と廻は誤魔化すように笑みをこぼした。
「都市伝説みたいなもんだよな。十戒を破る魔法使いなんか存在しない。いたとしてもすぐトトに見つかって処刑される。小津佐じゃなくても本当に詳しいやつなんてどこにもいねえだろ」
「……」
「だから阿夜の戒律違反もただの噂だ。二年以上も異端者扱いされてるやつをトトが放っておくわけないからな」
相手を安心させるように笑う猿飛を前にして、廻は目を見開いた。彼は撫子を心配する廻を気遣ってくれているのだ。
「阿夜さん、もっとちゃんと授業に出るようにって学園長に言われたらしいんだ」
「あの子に注意できるのなんて学園長くらいだよね」
「それでも休みがちなのは変わらないってか。──あいつは一応来るようになったけどな」
猿飛の目が教室の前方、廊下側に近い黒板前の席に向く。
そこにいたのは横顔だけでも美青年とわかる銀髪の男子生徒、ルクス・ピートだった。
イギリスからの留学生である彼は、続く欠席を箭田に咎められて以降、そこそこ真面目に登校自体はしているようだ。
「いいことだよ。最近は遅刻もしてないし」
「自称風紀委員に絡まれるのが面倒だからだろ」
「う……」
「あ、こっち見た」
視線に気づいたらしいルクスがちらりと振り返り、眉をひそめて廻たちを睨みつける。
すぐに顔を背けられてしまったが、一瞬見えた口の動きからして舌打ちをされたのはまちがいないだろう。
「でも、なんでそんなに阿夜さんを気にかけるの?」
好きなの? と白雪に尋ねられ、廻ははてと首をかしげた。
「たぶんこいつにそういう話は通じないぞ」
「あ〜」
「よくわからないけど、僕は彼女と仲良くなりたいんだよ。それに──」
同じことを本人にも訊かれたことがある。なぜ自分にかまうのかと。
友達になりたいからだと廻は答えた。
学校とはそういうものだと自分に教えてくれた人がいる。
だから撫子のことを知りたいと思った。他人と親しい関係を築くためには、相手のことを知るのが一番だと思ったから。
だが、いまはそれだけが理由ではない。
「阿夜さんが、僕と似てると思ったから」
猿飛たちがぽかんと目を見開いた。呆気に取られたような表情だった。
「いや似てないだろ」
いったい何を言っているんだ、というテンションで猿飛が言った。
白雪もうんうんと頷いている。
思ってもみなかった二人の反応に、え、と廻は口を開いた。
「天然ぽやぽや変人真面目メガネくんとクールビューティーな孤高のお嬢様じゃ似ても似つかないって」
「て……!?」
「あれ? でもサラサラの黒髪はちょっと似てる……?」
「ああ、魔法の実力があるところも似てるかもな」
「すごかったよねぇ。小津佐くんの岩石サイコロカット」
褒められているのか、貶されているのか。
自分を置いて繰り広げられる二人の会話に、廻は唖然とした。
「クラスで浮いてんのも同じだな」
「世間知らずっぽいところも似てるね。阿夜さんは奇行に走ったりしないけど」
「……」
いや、確実に貶されてるなこれ。
全身にグサグサと刺さる同級生たちの言葉にうなだれながら、廻は深くため息を吐いた。
──そんな廻が異様な魔力の動きを学園内に観測し、そこに撫子がいることを確認したのは、その日の午後の授業時のことだった。