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オズの十戒  作者: きのみや
阿夜撫子編
11/52

10 出会えるといいね


 撫子の母が亡くなったのは、今からおよそ三年前。撫子がオズの中等部に上がる少し前のことだった。


 病気だった。周囲の者たちが噂をするように、オズの十戒を破ったことでトトに処刑されたわけではない。


 ──お母さんはそんなことしない。


 魅了魔法を使って他者を誘惑し、没落しかけた阿夜家の名声を取り戻したなんてこと、あるわけがない。

 自分のことをなんと言われようとかまわないが、母親のことを侮辱されるのだけは撫子には堪えられなかった。


 母は、父のことをだれよりも愛していたのだから。



 ──撫子もついにオズの中等部生かあ



 寝室となっていた広い和室で、畳に敷いた布団の上から撫子に笑いかけた母を思い出す。彼女が亡くなる一ヶ月前の、まだ冬の寒さが残る二月のことだった。



 ──ふふ、楽しみだね。友達もきっと増えるよ。中等部から入ってくる子もけっこういるから

 ──増えるもなにも、私には友達なんていないわ

 ──そんな寂しいこと言わないの〜! まあ、私も初等部の頃まではそうだったけど……中等部に上がって、お父さんと出会ってからたくさんの友達ができたのよ

 ──……その話は何度も聞いた



 また惚気話? とため息を吐いたのはその一度限りではない。


 撫子の両親は、オズ魔法学園の中等部で出会い恋に落ちた。

 幼稚部からオズに通っていた母と、中等部から入学した父。告白をしたのは母からだったという。



 ──お父さんったら本当に照れ屋さんでね。私がいくらアプローチしても最初は全然応えてくれなくて……



 御三家の令嬢である母に対し、父は普通の家系に生まれた、魔力を持つことだけが特別な魔法使いの卵のひとりだった。


 偉大な魔女の血を引く少女からの熱烈な求愛にたじろぐ、若き父の姿が容易に想像できて、話を聞くたびについ苦笑いをしてしまったことを撫子は覚えている。



 ──なんで好きになったかって? いろいろ理由はあるけど……きっかけは、私が初めて自分の魔法を見せたときのあの人の言葉かな



 幼稚部から在籍するオズ生は周囲から一目置かれ、初等部以降に入学した大半の生徒たちに馴染めない者も少なくはない。

 幼稚部への入学を認められるのは、生まれた瞬間に多量の魔力の保有が確認された一部の人間のみだからだ。


 エリート中のエリート。生まれながらの魔法使い。


 そんな評価に加え、阿夜家の跡取りという肩書きを持っていた母は、現在の撫子と同様クラスの中で浮いていた。


 中等部に進学し、父と出会うまでは。



 ──きれいだって言ってくれたの。私が魔法で咲かせた花を、きれいだって



 花園作成(ガーデン)。自由自在に花を咲かせる撫子の固有魔法は、母から受け継いだものだった。



 ──そのときに思ったのよ。ああ、彼が私の運命の人なんだって



 結婚相手を自由に決められるような立場になかったはずの母が、自らの意志で選んだ唯一の存在が父だった。


 真剣な母の想いと、その想いに応えるため最終的にオズを首席で卒業した父の努力が認められ、二人は結婚した。


 御三家の中でも力が弱いと揶揄されがちな阿夜家であったが、そんな評価に負けることなく家を守る彼らの姿は立派だったと、当時を知る使用人たちが口をそろえて言っているのを撫子は聞いたことがある。



 ──だから私は、あの学園が大好きなの

 ──オズの生徒になれてよかった。お父さんと出会って、結婚して……あなたを生むことができたから



 魔力を持つ者がオズ魔法学園に通うのはふつうのことだ。母のように魔法使いの家系に生まれたのなら尚更。なにも特別なことではない。


 それでも彼女は嬉しそうに笑った。

 重い病に苦しんでいるとは思えないほど明朗な、花が綻ぶような眩しい笑顔だった。



 ──撫子も出会えるといいね


 ──あの場所で、運命だって思える人に



「──ばかみたい」


 運命の出会い。そんなのは物語の中の話だ。幼い頃に読んだ絵本に出てくるような、都合のいい、吐き気がするほど甘い幻想。


 撫子は知っている。愛する人と運命の出会いを果たし、結婚して子供を産んだ彼女がどうなったのか。


 病気によって死んだ母。彼女が身体を壊したのは、自分を産んだことが原因なのだと。


 知っているから、撫子は運命を信じない。

 母が亡くなったあと、当主代理となった父が自分と顔を合わせないようにしていることにも気づいている。


 当然だ。彼から愛する妻を奪った憎き仇。それが撫子なのだから。



「撫子ちゃんは本当にすごいねえ」


 汗ばんだ大きな手に頭を撫でられる。

 目の前でにやりと上がる男の口角と、ねっとりとした視線。


 気持ち悪い、と撫子は思った。触らないでほしい。気安く名前を呼ばれなくない。

 だが、そんな態度を表に出せば確実に相手の機嫌を損ねてしまう。


 下卑た目で撫子を見つめる木元(きのもと)という名のこの男は、現外務副大臣だ。

 自分が反発することで阿夜家に対する心象を悪くすれば、実質的な現当主である父親にまで迷惑をかけてしまうだろう。


「君の魔法にはいつも感心させられるよ。知ってるかい? 我々の間じゃあ、オズを卒業した君をだれが秘書にするのかとすでに熾烈な争いが始まっているんだよ」

「……」

「本当はいまここで予約しておきたいけど、他のやつらに怒られるからなあ。はは……」


 おどけたように笑う声が不愉快だったが、撫子がそれを表情に出すことはない。

 いつものように感情を押し殺し、ありがとうございます、と会釈をして形だけの礼を言う。


「撫子」


 自分の名を呼ぶ声が聞こえたのはそのときだった。

 撫子が顔を上げると、木元の背後から歩いてくるスーツ姿のひとりの男が目に入った。


「叔父さん」


 どうしてここに、と撫子は問う。


 阿夜公英(きみひで)。撫子の実の叔父だ。

 姉である撫子の母が亡くなる一年前から、彼は魔法省の大臣を務めている。


「お前が来てると聞いてね。顔を見にきたんだ。──どうも、木元副大臣。うちの姪がいつもお世話になっています」

「こ……これはこれは阿夜大臣。こちらこそ、撫子さんにはとてもお世話になっておりまして……」


 うしろめたいことがあるのか、同じ政界の重要人物である撫子の身内の登場に、木元があきらかに狼狽した様子を見せる。

 そんな男を一瞥し、公英は撫子に笑いかけた。


「ずいぶん頑張ってるみたいじゃないか。学業と仕事の両立は大変だろう」

「……学校には、ほとんど行ってないから」

「それはよくないな。撫子はまだ学生なんだから、そんなに無理をする必要はない」

「……」


 ならなぜ私に仮資格(ライセンス)を与えたの、とは訊かなかった。


 もし、ありえないことだが万が一にも──彼が撫子への好意をほのめかす言葉を口にしたら、自分はもうこの場に立っていられなくなると思ったからだ。



 ──公英さん、本当に優しくなりましたね。前まであんなに撫子さんを気にかけることはなかったのに……



 いつの日か幹枝が言っていたことを思い出す。

 教育係として何年も撫子のそばにいるからこその発言だったのかもしれないが、そこに少しの含みもなかったといえば嘘になるだろう。


 母が亡くなってから、周りの大人たち、特に男性の撫子に対する接し方が不自然なほど優しくなった。

 自意識過剰なのはわかっている。身内を亡くした者に周囲の人間が優しくなるのは当然のことだ。


 だが、その時期から見覚えのないアザが撫子の胸に出現したのも事実だった。


 魅力魔法を使った記憶はない。魔法によって他者の心を惹きつけるのは、オズの十戒に背く魔法使いにとって最大の重罪だ。


 けれど、もし。もし自分が無意識のうちに魔法で叔父たちを誘惑していたとしたら──この胸に刻まれた烙印にも説明がついてしまう、と撫子は思う。


義兄(にい)さんも忙しいみたいだからね。何かあったらすぐ私を頼るんだよ」

「……ええ」


 にこりと微笑む叔父から目を逸らし、撫子はうつむいた。


 慈愛に満ちた眼差しを自分に向ける彼が、他の男たちのように欲を孕んだ手つきで身体に触れてこないことだけが、いまの撫子にとっては救いだった。



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