カイが好きなもの
あたしが『人間がいい』と答えると、ソラさんは諦めたようにため息を吐き、白い猫になった。
「じゃあ、魔法は解いたからね」
猫の姿で人間の言葉を喋った。
「これで君はもう、猫になることはできない。じゃあね」
そう言い残すと、ソラさんはゆっくりと公園の繁みの中へ消えていった。
「なぁー……」
ダイチがあたしの顔を見上げながら、寂しそうに鳴いてる。
あたしはその頭を撫で撫ですると、謝った。
「ごめんね。猫になってあげられなくて」
買い物に行かなきゃ。あたしは立ち上がると、歩き出した。
ダイチはついてくるかと思ったけど、あたしが公園の外へ出ると、傷ついたような声を漏らしながら見送ってた。
もし、買い物から帰る時にもここにいたら、カイのアパートに連れて帰ってあげようかな。
マフラーを編んだ。
スーパーマーケットの中にある手芸屋さんで毛糸と編み針を買って、マフラーを編みはじめた。
編んだことはなかったから、ネットで調べて頑張ってる。
カイが大学から帰ってくるまでに完成するわけはないけど、いつかはきっと、完成させてみせる。
手編みのマフラーを彼に使ってもらうんだ。
編み物の合間に、あたしは部屋を見回した。カイの匂いがする、カイの部屋だ。
前の時と合わせてまだ半月ちょっとぐらいしか、あたしはここにいない。それでもカイとの思い出がいっぱい詰まってた。
部屋だけじゃなかった。猫になってカイとドライブしたことも思い出す。
二人きりで晩秋の海へ行って、同じ空気を吸った。
人のいっぱいいる公園に連れて行ってくれて、みんなにあたしを自慢してくれた。
なんだか遠い昔の記憶みたいに思える。
のろのろとあたしがマフラーを編み続けてると、鉄階段を昇ってくる足音がした。
鍵を開ける音がし、ドアが開いた。
今日はバイトはお休みのはずだ。
これからカイは、明日の朝まで部屋にいる。
「ただいまー、エル」
あたしは迎えに出なかった。
居間の真ん中に座って編物をしてたのを、少し隠れるように隅に移動すると、カイが部屋に入ってくるのを待った。
怖い。
また人間に戻ってるあたしを見たら、がっかりした顔をするんじゃないだろうか。
「あれっ?」
中へ入ってきたカイが声を出した。
「おまえ……、何?」
「アンダヨー」
ダイチがそんな威嚇するような声を出すのが聞こえた。
「まさかエル……? じゃ、ないよな? 何? エルの友達? かわいげないなー、おまえ」
そう言って足元のダイチを見ながら、カイが部屋に入ってきて、あたしを見た。
「お帰りなさい」
緊張した声で、あたしは言った。
「おおー!」
カイが、笑った。
「また女の子になったかー! ちょうどよかった! 観たい映画のDVD借りてきたんだ。今日、バイト休みだから、一緒に見ようぜ」
心から嬉しそうな笑顔を見せてくれて、あたしはほっとした。
「チキンラーメン、買ってきたよ」
あたしが言うと、
「おっ? 本当? サンキュ!」
そう言って、手に持ってた白いビニール袋をサッと背中に隠した。
どうやらかぶっちゃったようだ。
カイの作ってくれたチキンラーメンぞうすいを食べ終えると、二人で映画を観た。
それはヤンキー漫画のノリのOLモノで、お笑い芸人が脚本を務めたものだった。
とってもバカバカしくて、でもホロリと泣かされそうになるところもあったりして、面白かった。あたしはカイと一緒になって笑ったり、ツッコミを入れたり、彼が『わかるな〜』とか『そうきたかー』とか感想を漏らすのを聞いたりしながら、楽しんだ。
カイが買ってきたポテチと2リットルペットボトルのコーラを口にしながら、人間であることを満喫した。
「あー、面白かったな!」
カイが笑う。
「キャラが立っててすごくよかった」
あたしも笑う。
ダイチはあたしのキャットタワーの上で眠ってた。猫が一匹のメスを一匹のオスが独占する動物じゃなくて、よかった。嫉妬さえしてないみたいだ。
「ねえ、カイ。さっき、カイが買い物してきた袋の中に、気になるもの見たんだけど……。あれ、ダイチにあげてみる?」
「あー……。あれ、エルがまだ猫でいると思って買ってきたんだけど……ダイチにやってみようか」
カイが白いビニール袋からゴソゴソと、『ちゅ〜る』を取り出した。
開け口を切ると、寝ているダイチの鼻先へ、そっと近づけていく。
あたしもカイも、ニヤニヤした。匂いに気づいて、起きるかな? どんな顔して起きるかな?
ダイチの鼻が、ヒクヒクと動いた。
とても眠たそうな目が、下からぐりんと開く時に、眼球を動かす筋肉まで見えた。
「オオッ!」
カイの差し出す『ちゅ〜る』に、ダイチが夢中でしゃぶりついた。
「ウッ……! ニャッ! フガフガフガ……!」
気に入ったようだ。
野良猫だから、初めて口にしただろうに。
いや、名前があるから、もしかしてダイチって、元飼い猫なのかな?
「いい食いっぷりだ!」
気持ちよさそうにカイが言った。
「でも、エルのぶんも残しとくからな? 今度また猫になった時の楽しみにしとけよ?」
あたしを喜ばせるようにそう言いながら振り返ったカイに、あたしは目も顔も伏せた。
「……どうした?」
心配そうに、カイが聞く。
「お腹でも痛いのか?」
「あたしね……」
正直に、告白した。
「もう……、猫にはなれなくなったんだよ」
そう言って、おそるおそる彼の顔を見た。
「そうなの?」
意味がわからなそうに、でも笑ってた。
「そっかー……。残念だけど、仕方ないよな。うん、いいよ。俺、猫の『エル』も、女の子の『愛美』も、どっちも同じぐらい好きだから」
その広い胸に飛び込んだ。