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ミステリアスな少女みたいな猫

 カイがあたしに買い物を頼んでくれた。


 人間として頼られてる感じがして、嬉しくなった。





 カイに渡された二千円をポケットに大事に入れて、久しぶりに外へ出た。

 外はすっかり秋だった。

 彼から借りたモスグリーンのトレーナーはだぶだぶで、隙間から入り込んでくる風が冷たかった。

 制服の紺スカートの下からも冷気が昇ってくる。ジャージ下も穿いてくればよかった。


 スーパーマーケットまでは歩いて10分ぐらいだと言っていた。でもカイの足でそれならあたしはもうちょっとかかるかな。


「ちょっと君!」

 おまわりさんに呼び止められた。

「ちょっといいかな? これからどこへ行くの?」


 そうか。平日のこんな時間に制服のスカート姿で歩いてたらこうなるのか。

 家出娘だとバレたら家に連れ戻される……。


 カイと一緒にいられなくなる!


「あっ! 君っ!」


 だだーっと逃げ出したあたしをおまわりさんは追ってきた。

 めっちゃ速い! おじさんのくせに! いや、あたしが遅いのか……!


 あぁ……こんな時、自分が猫だったら……!


 猫の足なら、おまわりさんに駆けっこで負けやしないのに!





「……あれっ?」


 路地へ逃げたあたしを追いかけてきたおまわりさんは、角を曲がったところで足を止めた。


「き……消えた? か、隠れる場所もないのに……」


 立ち尽くすおまわりさんの足元を、ぶさいくな顔の黒い猫が悠々と通り過ぎた。もちろん、あたしだ。





 不思議だ。


 死にたいと強く思ったり、自分じゃなくなりたいと思った時に、あたしは猫になる。

 着ていたものも、持っていたものも含めて、ぜんぶが猫になってしまう。カイのトレーナーもあたしのスカートも、黒い猫の毛に変わる。

 お金もだ。二千円が猫の毛になってしまった。


 戻り方はわからない。





『はあ〜……。どうしよう』


 カイのアパートの合鍵も猫の黒い毛になってしまった。持っていたとしてもどうせ猫の手では開けられない。


『買い物……出来なくなっちゃった』


 カイはきっとあたしを頼ってる。

 今日もバイトの日だったはずだ。あたしが買って戻るはずのチキンラーメンを急いでお腹に入れて、忙しくシャワーを浴びて、あたしが買って戻るはずのひげそりで顔を剃って、慌ただしく出かける予定なんだろう。


『とりあえず……。部屋のドアの前で待ってようかなぁ……』


 公園のベンチの上でそんなことを考えてると、風が落ち葉を地面の上に滑らせた。


 かっこよく落ち葉は滑ってた。

 まるでとても俊敏な、相手にとって不足なしのツワモノネズミみたいに見えた。


『うにゃにゃにゃにゃ!』


 あたしの足は、勝手に駆け出してた。

 本能だ。これ本能だ。

 こうやって遊びながら狩りの練習をして、本物のネズミが出たら捕まえて、カイにお土産に持って帰らなくちゃ!


 したたーっ! と、あたしを後ろから追い抜く影があった。

 見ると、こげ茶色の猫だ。

 あたしが追ってた黄色い銀杏いちょうの葉っぱを前足で、ばしっ! と押さえると、得意げな顔をして振り返った。


『ふふ……。俺の勝ちだな』


 猫が……喋った!

 あ……、そうか。あたし今猫だから、猫の言葉がわかるのか。

 でもあんまり会話したくなかった。

 あたし人間だし。それに何よりそのこげ茶色の猫が嫌味な顔つきしてて、かわいくなかったから。猫との会話なんて普通なら興味をそそられる初体験にも気が進まなかった。


『おい!』

 冷たく背を向けたあたしに、猫はしつこく声をかけてきた。

『おい、おーい! 無視すんなよォ! 会議しようぜ? 二匹で会議しようぜ!』


 ごめんね、あたし猫じゃないの。だから会議とか言われても意味わかんない。


 歩くあたしの横に並んできた。


『なァ、おまえ! 見ない顔だよな? 人間に飼われてるやつか? なァ! なァ!』


 無視してもしつこく、しつこく話しかけてくる。


『なァ! おまえ、名前あるのか? 名前って知ってるか? 俺の名前はダイチっていうんだけど? おまえは?』


 しつこいので答えてあげた。

『……エル』


『エルか! いい名前だな! 黒い毛並みもいいし、気に入った! なァ、俺と遊ぼうぜ! 遊ぼうぜ!』


『ねぇ』

 ふと気になったので、聞いてみた。

『あたし、綺麗?』


『な……なんだなんだ? なんだよそれ、都市伝説か?』


『あたしの顔、へんじゃないですか? ナンパなんてされるの初めてなんですけど。……もしかして、猫の目から見たら、あたし、美少女なの?』


『イケてるぜ!』

 猫がキラーンと白い牙を見せて、肉球も見せて『いいね』した。

『一目で恋しちまった! そのちっちゃい顔にでっかい金色の目! ミステリアスでエキゾチックで……それから、えぇと……!』


『ありがとう』


 考えたらどうでもよかった。

 猫の男の子にモテたってしょうがない。

 あたしは猫として生きていくつもりはないのだ。


『あっ! 待てよ〜う!』

 走り出したあたしを追ってくるかと思ったけど、猫は立ち止まり、恋い焦がれる声であたしの背中に向かって、言った。

『覚えておいてくれよ? 俺の名前はダイチだからな! いつもこの公園にいるんだ! また今度遊ぼうぜ! 遊ぼうな!』






 アパートに帰って、ドアの前で待った。大学からカイが戻ってくるのを。


 どうなるんだろう、あたし。

 また人間に戻れるという保証はない。

 でもカイは喜ぶのだろうか。

 あたしが猫だったほうが、かわいがりやすいから、カイにとってはいいことなんだろうか。

 あたしにとっても、猫でいたほうが、何もしなくても申し訳なく思うこともないし、へんなことを言ったりしたりして嫌われることもないし、間違いなく死ぬまでかわいがってもらえるから、そのほうがいいんだろうか。


 恋人につきものの、どんな問題も、起こりようがないし。


 ……やだな。


 そんなの、やだ。


 そんなことを考えてたら、下の駐車場で車が停まる音がした。鉄の階段を昇ってくる音がする。


「エル!?」

 おすわりしてるあたしを見つけて、カイが驚きの声をあげた。顔は笑ってなかった。

「ど……、どうした? なんで中に入らず、外に……。いやいや、それより、なんで猫?」


『なんかまた変身しちゃったの』

 あたしはそう言ったつもりだったけど、カイにはニャーとしか聞こえてないようだった。




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