飼い猫みたいな少女
あたしは学校に行かなくなった。
家にも帰らない。
ずっとカイの部屋にいて、ずっとゲームをしている。自分の楽しみのためというよりは、彼のための経験値稼ぎだ。
ずっと育てているのでカイの分身はかなり強くなった。いつものサーバーに集まる人たちの中で断トツに強く、アイテムや武器防具も超絶レア級のをたくさん持っている。
オンライン・ゲームなので色んな人と交流できるのがあたしには楽しかった。みんなにアイテムや武器をプレゼントしたりして、あたしは知り合った人たちから人気者になった。
みんなにはあたしの姿はかっこいい男のキャラに見えている。
リアルのこの醜い顔を見られてないと思うと、なんだか安心してみんなと会話ができる。
「ただいまー、エル」
そう言ってカイが大学から帰ってきた。
「おかえりー、カイ。今日ね、すごいもの拾ったんだよ!」
「おっ? なんだなんだ? 一億円でも道端に落ちてたか?」
「そうじゃないよ。ゲームの話だよ。なんとあのスプレッド・ショットガン拾っちゃった!」
「ええーっ!? 凄いじゃん! それがあればボスを除きどんな強敵でも動きを固めて攻撃し放題という……噂でしか聞いたことがなかった……あの!?」
「えへへへ〜……。褒めて、褒めて」
カイはあたしの隣に座ると、体をくっつけてきた。
おおきな手で、あたしの頭を撫でる。
「すごいな、エル。やったな。頑張ったな。ありがとう」
カイに頭を撫でられると、あたしはいつもとろけてしまう。
おおきくて、あたたかいてのひらを、ずっと感じていたい。
思わず喉がゴロゴロ鳴ってしまいそうになる。
でもカイは、すぐに立ち上がってしまう。
「お風呂?」
あたしが聞くと、優しい笑顔を見せてくれながら、忙しそうに言う。
「うん。時間ないからシャワー。バイト17時までに行っとかないと」
時計を見た。15時過ぎ。
16時半までには彼は車に乗って、ホストクラブのアルバイトに出かけてしまう。
帰ってくるのは深夜1時過ぎだ。ずっとあたしはひとりぼっちでゲームをする。
彼がシャワーを浴びてる間もあたしはゲームをやっていた。
着替えは彼が自分で用意する。あたしも恥ずかしいから、彼の衣類を触ったりできない。
あたしのごはんは彼が作ってくれる。明日の朝ごはんも彼が何か作ってくれるだろう。
こんなことなら料理ができるようになっておけばよかった。
あたしがやるのは掃除機をかけることぐらい。10分もなくて済む。
「ああ。シャワーだけでもじゅうぶん気持ちよかったぁ」
そう言いながら上半身裸で浴室から出てきた彼にドキッとしながら、ゲームのコントローラーを床に置いて、あたしは言った。
「ねえ……、カイ。あたし、家事やりたい」
「え? どうした、急に」
ひじきみたいなヘアスタイルが濡れて、わかめみたいになってた。
その頭をバスタオルで拭きながら、お風呂上がりでいつもの爽やかな笑顔をさらに爽やかにして、不思議そうにカイが聞く。
「だってあたし……女の子なのにそういうことちっともしてないし……。タダで住ませてもらってるの……申し訳ないよ」
「エルはいてくれるだけでいいんだよ」
そう言って、またあたしの頭を撫でた。
「いてくれるだけで、俺を幸せな気持ちにしてくれるんだから」
あったかいてのひらが、お風呂上がりでさらにあったかかった。
今夜のごはんはチキンラーメンにたまごとごはんを加えて作ったチャーハンだった。
カイはべつに料理は上手じゃない。でも、カイが作ってくれたものはなんでも美味しい。
彼の爽やかな笑顔の味がした。
自分で作ったチャーハンを急いで口に掻き込む彼に、言葉はかけにくい。時間に追われてて、忙しそうだから。
でも声をかけると、いつでも彼は気持ちよく答えてくれる。
「バイトって、大変?」
あたしが聞くと一瞬だけスプーンを運ぶ手を止めて、
「大変だけど、楽しいよ。色んな人と色んな話ができて」
そう言って、にっこりと細めた目で、あたしの目をまっすぐ見つめてくる。食べ物でほっぺたを膨らませながら。
「あたしよりブスなお客さんって、いる?」
自虐の笑いを浮かべながらあたしが聞くと、
「エルはブスなんかじゃねーよ。いい加減、自分のかわいさ認めろよな」
真顔でそう言って叱ってくれる。
「明日の朝ごはん、あたし作る!」
いきなりあたしがそう言い出すと、
「いいって、いいって。ほんと、エルはかわいがるためのものなんだから」
そう言ってまた爽やかな笑顔を見せる。
「あたしの手料理をカイに食べさせたいの! あたしの料理の腕前、知らないでしょ?」
あたしがすねて見せると、
「ははは。そうだな……。じゃ、お願いしちゃおっか」
ようやくあたしを女と認めてくれた。
カイが出ていくと、あたしもシャワーを浴びた。
カイのシャンプーは男の人用の頭がスースーするやつで、馴染めないけど、なんか楽しい。
カイと共用の黒いナイロンタオルで体を洗う。洗いながら、ちょっと思い出してしまう。
あたしが猫だった時、彼はここであたしを洗ってくれた。
何も身に着けてない彼が、笑顔であたしを愛でながら、お風呂をぬるい温度にして、一緒に湯船に浸かってくれた。
もう……一緒には入ってくれないのかな。
あたしが女の子に戻っちゃったから。
もし……また一緒に入ってくれるようになったとしたら、その時は、猫の時とはべつの意味で……。
火照った顔に急いでお湯をかけた。
洗面台の鏡に自分の顔を映す。
我ながらひどい顔だ。相変わらずのすごいブスだ。
目は左右非対称で、大きいのがかえって気持ち悪い。気をつけてないとすぐに目ヤニが出る。
鼻の穴が前向きで、ちっちゃくて潰れてる。口は軽く三口で、ほんと猫みたい。
病気とかだったらよかったのに。それだったら社会に守られてたかもしれないのに。中途半端にひどいブスなだけだから、みんなからいじめられるんだ。
かつてはみんなに嫌われて、自分でも大嫌いだった顔だ。
でもカイがいつも可愛いと言ってくれる。
そのせいか、確かに私にもかわいく見えてきた。
ブサかわいい──そんな言葉がぴったりな顔に見えてきた。
「うふっ」
笑うとさらにかわいくなった。
陰気な顔をしてるより、明るい顔のほうが自分に似合ってる気がしてきた。
それにしてもカイにはどうしてあたしがかわいく見えるのかな?
出会った時が猫だったから?
今でもあたしのこと、猫だと思って見てる?
絶対に明日の朝ごはん、成功してみせる!
部屋に戻ると、あたしはネットで朝ごはんレシピを検索し、イメージトレーニングを始めた。
慣れないお料理の勉強で疲れてしまったようだ。
いつの間にか眠ってた。
記憶ではフローリングの床でラグに頭を乗せて寝たはずだったのに、目が覚めてみるとベッドの上にいた。
右を見るとカイの胸があった。
寝間着のグレーのトレーナーの胸が、寝息で上下している。
あたしはしばらくそこに人差し指で文字を書いていたけど、思い出して立ち上がった。
「料理、やるぞ!」
下拵えは昨夜のうちにやっていた。
たまごと砂糖と牛乳を混ぜた液に浸した食パンは、いい感じに中まで液が染みて、冷蔵庫から取り出してみるとしっとりとなっている。
あとはフライパンで焼くだけだ。
きっと素敵なフレンチトーストが出来上がる。
それにカイが作り置いてるマカロニサラダをつけて、ブラックコーヒーを淹れて──
コーヒーの淹れ方がわからなかった。
インスタントコーヒーでもよかったんだけど、出来れば美味しいのを飲んでほしいと思って、レギュラーコーヒーに挑戦したのが間違いだった。
豆が溶けてくれない!
ネットで検索するとレギュラーコーヒーはインスタントコーヒーと違ってドリップとかいうことをするものだと知って、やり直しているうちにフレンチトーストがプスプスいってるのが聞こえた。
振り向くと、部屋中に黒い煙が充満してる。
何、これ!
カイが急いで起きてきて、ぜんぶを片付けてくれた。
そうか……。お料理をする時は、換気扇をつけなきゃいけなかったんだ。
海難救助隊のお兄さんみたいな顔でカイはすべてを一件落着させると、汗をかきながら、笑顔で優しく叱ってくれた。
換気扇をつけることも、ドリップコーヒーの淹れ方も、あたしの知らなかったことを教えてくれた。
キッチンで、テーブルを挟んで、片面黒コゲのフレンチトーストを二人で食べた。
まだ食パンは三枚あったけど、カイはそれをトーストにしたりせずに、あたしの作った失敗フレンチトーストを食べてくれた。
「これで今度作る時は失敗しないよな?」
楽しそうにあたしの顔を覗き込んで、励ますようにそう言う。
それであたしは機嫌がよくなって、黒コゲのところを剥がしながら、結構美味しく出来てるフレンチトーストを食べた。
「うん。うまいよ、これ」
カイも褒めてくれた。
「見た目はアレだけど、しっかり中まで黄色くなってる」
「えへへ……」
「ところで……おまえさ、もう猫にはなってくれないの?」
「え」
「あれって自由自在に猫になったり人間になったり出来るの? 出来るなら、また猫になって欲しいなぁ〜」
どうなんだろう……。
やっぱりカイは、あたしのことを猫だと思って見てるのだろうか。