榊原エル
「すげえ!」
あたしが持って帰ったファッション雑誌『のん♡のん♡』の最新号の表紙をしげしげと眺め、カイは大喜びしてくれた。
かわいくメイクして、黒基調の10代ファッションに身を包んだ榊原エルの笑顔が、そこに大きく載っている。それを真ん中に、両側に写っているのはトップモデルの古木ミレイちゃんと桐谷優子ちゃんだ。
世は空前のエキゾチック・ショートヘア・ブームだった。
そのブサかわいい猫種のブームにあたしは乗った感じだった。
『今までになかった【新種のかわいい】』として、あたしこと榊原エルは日本中で大人気になったのだ。
「西中社長が自慢するんだよ。『やっぱり俺の目に狂いはなかっただろ?』って」
ちょっと照れながら、あたしは彼の広い背中に触れる。
「すげえよ……。すごすぎる」
カイは穴が空くほど表紙のあたしを見つめ、目の前にいるあたしのほうは見てくれなかった。
「あたしに言わせれば、カイのほうがすごいよ」
その肩に手を触れ、ほっぺたを近づけた。
「西中社長より先に榊原エルを見つけてたのも、その名前をつけてくれたのも、カイだもん」
事実、あたしにとっては日本一の芸能プロダクションの社長よりも、カイの存在のほうがずっとおおきい。
なんとかそれを伝えたいのに、カイはどうしてもそれを認めようとしないようだった。
「もう『おまえ』なんて気軽に呼べないよな」
そんなことを言って、なんだかあたしから距離をとろうとする。
「今まで通りでいいんだよ」
カイを背中から抱きしめた。
「あたしはなんにも変わっちゃいないんだから」
カイはやっぱりあたしのほうを見ようとはせずに、表紙をずっと眺めながら、何かを考え込んでいるようだった。
「にゃー」
あたしが有名人になったことなんてどうでもいいように、ダイチが足元にを頭をなすりつけて通っていった。
「おつかれさま」
「おつかれさまー」
モデルの撮影の仕事が終わり、スタッフやモデル仲間のみんなと挨拶を交わしあい、あたしは笑顔で廊下を歩くと、自分の控え室に戻って笑顔を消した。
「ふぅ……。疲れたな」
早くカイのアパートに戻って、くつろぎたかった。
どこに比べてもあの部屋ほどあたしが落ち着ける場所はない。
撮影がはじまって3日目。ずっとホテルに泊まってる。一人でだ。
撮影は4日間。明日が終わったら、カイのところへ帰れる。
あたしはスマホを持ってない。事務所のを借りてるけど仕事専用だ。私用は禁止されていた。
この仕事が終わったら、スマートフォンを買いにいこう。
こんなに長いこと、カイと連絡もしないのは、寂しくて気が狂いそうだった。
ノックの音がした。
どうぞと声をかけると、笑顔の西中社長が入ってきた。
「エルちゃん! 絶好調だね」
「あ、ありがとうございます。社長直々にどうされたんですか?」
「今度は『トップティーン』の表紙の仕事が来たよ! 君は今、日本中の注目の的だよ」
数ヶ月前ならあり得ないことだった。
あたしはただの世界一のブスな女子高生で、いじめられっ子だったはずだ。
なんだか変化が急すぎて夢の中にいるみたいだ。
「歌手デビューの話も進んでるからね。作曲はあの麦津剣士だよ。女優の話もある。映画か、テレビドラマか──どちらにしろ主役は間違いない」
「ありがとうございます」
胸を張ったまま、頭をぺこりと下げた。
「すべて社長のお陰です」
「いや。本当に、いい顔になったよ。エルちゃん」
惚れ惚れするようにあたしの顔をまっすぐ見つめ、社長は言った。
「自信が顔に満ち溢れてる。明らかに初めて会った時と顔つきが違ってきた」
「いっぱい褒めてもらったからですよ」
あたしはしなを作り、微笑んで見せた。
「社長からも、ファンのみんなからも……」
恋人からも、と言おうとして、それは抑えた。
「やあ、エルちゃん」
ホテルへ向かおうとスタジオ内の廊下を歩いていると、金髪イケメンから声をかけられた。
アイドルグループ『ゴシップ』のメンバー、足越賢也さんだった。
「おつかれさまです」
あたしは礼儀正しく頭を下げた。芸能界の大先輩だ。無礼があってはならない。
「なんだか浮かない顔してるね?」
そう言われ、少しドキッとした。カイに会えない寂しさが顔に出てしまっているのだろうか?
あたしがこんな人気者になったのは、自信に満ち溢れた顔が出来るようになったからだと思っている。寂しそうな顔なんて、見せちゃいけない。またただの世界一のブスに戻ってしまう。
「ねえ、これからカラオケに連れて行ってあげようか?」
足越さんに誘われてしまった。
「あとは寝るだけなんでしょ? パーッと盛り上がって、元気になろうよ。ね?」
足越賢也にはよくない噂があった。
数多くの新人モデルや女優、アイドルを『食っている』という噂だった。
「ごめんなさい」
あたしは丁寧に頭を下げた。
「どうして? 疲れも吹き飛ぶよ? 行こうよ」
足越さんは優しい声で、さらに誘ってくれた。
なんとなくこめかみがピクリと不機嫌そうに動いたようには見えたけど、気のせいだよね。『自分が断られるわけない』みたいに、彼のプライドをあたし、傷つけちゃったりしてないよね。
あたしは正直に言った。
「好きな人がいるんです。だから……男のひとと二人きりになるようなことは……」
「あ。誰かに先に手つけられちゃったか〜?」
足越さんが悔しそうに笑い出した。
「誰? モデル仲間のやつ? それともアイドルの誰か?」
「普通の大学生です」
あたしがそう答えると、足越さんがあからさまに不機嫌そうになった。
「はあ? 俺が誰だかわかってる? 有名アイドルグループの足越賢也だよ? 有名人が駆け出しの君ごときを誘ってあげてるんだよ? 喜んでついて来なきゃおかしくね? それを一般の大学生の男のほうがいいっていうの? おかしくね?」
あたしは慌ててもう一度頭をぺこりと下げると、逃げるように後ろを向いた。
後ろから手首を掴まれた。
「一緒に来なきゃ、君、後悔するよ?」
足越さんの顔がなんだか怖かった。
「すみません!」
その手を振り払い、駆け足でスタジオを出た。
ほんとうに、あたしには有名人のアイドルなんかよりも、カイのほうがカッコよく見えるんだから。
ほんとうは、芸名を決める時、『山田エル』にしようかと思ったんだよ? 山田海の名前を、貰って。
でもさすがにそれは恥ずかしかったし、出来なかったんだけど──
今思えば、そうしとけばよかったのかな。
カイ──
4日間の撮影を終えて、息を切らしながら、笑顔でアパートに戻ると、カイはいなくなってた。