第7坑 守らなきゃ。いや、守りたい。
続きです。
白く曇った視界には、ぼんやりと人型の影が動く。影は私の胸ぐらを掴んだ。この間、視界は次第に鮮明になる。影は天音だとわかった。
「これっ! じっ、邪魔をするな小娘ぇっ!」
しゃがれた声は響いている。
「海月っ! なにしてるの!? ねえっ!? いい加減離しなさいよ! こんな物っ!」
天音は、その声をかき消すように私にまくし立てた。その瞳は私の目を見つめていた。
握りしめた手の内に、鋭い痛みが走る。
見ると、割れた窓ガラスを握りしめていて、手のひらからは血が出ていた。ガラスの、手からはみ出た部分は天音が握っていて、天音の手からも血が出ていた。
「天音っ……私……」
私は咄嗟に、ガラスの破片から手を離した。
ガラスの破片は天音に引き取られる。天音はそれを地面に叩きつけて割った。
パリン……
その時だろう、はっきりと私が正気に戻ったのは。
「何勝手に死のうとしてんのよ。海月……私に言ったこと覚えてる……? 1年の時私に言ったこと。」
下を向いて天音はぽつりと言った。
「……うっ……ん」
喉が閊えているかのように、思うように喋れなかった。しかし、天音は気にせず続ける。
「私が不良にたかられてた時さ、あんたさっきみたいに不良殴り飛ばしてさ、言ったじゃん! 「これからは私が天音を守るんだ」って」
天音は、胸ぐらを掴む手で私を揺さぶりながら言った。
「……ふぇ……」
まだ何かが、私の心を覆っていた。
ばちんっ
私の頬がぶたれる。しかし、さっきより弱く、ぶたれた痕は血で濡れていた。
「……いつまでもふにゃふにゃしてんじゃねぇよ。いつもの海月はどこいったのよ! 情けないっ! あんたが死んだら誰が私を守ってくれるのよっ! 私、海月がいないとイヤ! 学校までは寂しいし、行ってもつまらないし、それに……っねえ、行かないで海月! 海月っ……」
天音は、私を押し倒してその上にまたがり、再び私を覗き込むようにして叫んだ。初めの叱責する声色は、やがて小動物の震えるような涙声に変わって、あたたかい涙が、頬や唇に落ちてきた。
「ほぉほぉ……分かった分かった……クククッ……2人まとめて括ればいい……さあ……さあ!!!」
さっきよりもしゃがれた声は必死に死を唆す。そしてそれは、私がまだ術にかかっていると思っているらしかった。
声の主の鬼は上から煙のように浮いて、私たち2人を覗いている。
今度は、その声に心が揺れることは無かった。腹の奥から怒りがまた、込み上げてきた。得体の知れないものに誑かされた私と、しゃがれた声の主に対した怒りだ。
あーうるせぇ。邪魔すんなよ。いいとこだろ。ちょっと殴って黙らせるか。その後に仕切り直そう。
「天音、避けてな……」
立ち上がろうと、私が見た天音は目が虚ろだった。
「くら……海月……し……死の……う……?」
抑揚のない話し方で、私に話しかけてきた。
しかし、私は焦らなかった。
守らなきゃ。大切なものを。天音を。
私の胸の奥は暖かかった。幸せだった。
「あーまったく……天音は……手がかかる子だなぁ。でもね、そういうとこ……」
少し体を起こして天音の耳元で少し恥じらって言った。
「大好きだよっ」
今言ったって天音には届かない、分かってるからこそ私は微笑んで言った。
私は左手で天音の後頭部に手を回して、思いっきり抱き寄せて、抱きしめた。
天音は初めは腕や首に力が入っていたが、すっと力が抜けて、最後は笑みを浮かべていた。
…気がする。そうであって欲しい。
鬼が、ゆらりと、降りてきて言う。
「ほぉほぉ! そうだ! そのままふたりで死……があっ! 」
右腕を伸ばす。思いきり手を開く。喋る鬼の舌を掴む。手から抜けようとする舌に爪を立てた。
「うるせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
私は左足に力を込め、掴んだ舌を力の限りに引っ張った。精一杯に顎を開いて、力の限りに叫ぶ。鼓動が熱い。頭の中や胸、力を込める至る所の血流が轟音を立てて、激しく私を包む。
私は、全身全霊で咆哮をあげていた。
転んだまま? 関係ない。力が溢れてくるんだ。今は。
鬼の舌がブチブチブチッという音と共に軽くなった。つっかえが取れたように、私の右手は握った舌と共に地面に叩きつけられた。
ドチャッ……ブシシシシッ……ブシッ、ブシッ
冷たく生臭い霧が降りてくる。
「うんっ?! がっ、がぁぁぁぁあああ!!! おおぇ! ごぁぁ」
何か言いたいのだろうか、鬼は上手く喋ることができないようだった。
鬼は消えていく。水の中に墨がとけるように。
私は鬼が消え切るまで、それを睨みつけていた。
「ふふっ……聞こえねーよ……」
安堵と疲労に、はたまた幸福感にか、私の意識は微睡むように……ゆっくりと……失われた……
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乗客のいないバスに乗って、約束の場所のそばで降りた。料金を払う時、
「お客さん、最近、何かと物騒だからね、あんまり、遅くならないようにね。うん」
と、バスの運転手さんが私に言った。
「あっ! はい! 気をつけます! ありがとうございました!」
びっくりして返す。
「うん。 じゃ」
「はい!」
運転手さんはにこやかに私に左手を小さく振った。しかし、何か心配そうな気持ちが感じられた。
私はそんな運転手さんに何度も頭を下げながら降車した。
学校の門の横に、2人は立っていた。
「お待たせーっ!」
駆け寄った私に2人は、
「あーきたきたー」
「早くっ! 早く行くわよっ!」
と言った感じだった。
いつもより熊石はにこやかで、里音は足踏みをしていた。2人とも待ちきれない様子だった。
「なんかねー……」
「場所は郷の裏の石碑よ! 目撃情報がたくさんあがってるわ!」
切り出した熊石、遮る里音。
「念のためねーこれもっ……」
「熊石ん家の霊力が込められてる脇差よ!!!」
熊石は苦笑しつつ、私に脇差を渡した。
「壊さないようにねー」
目は本気だった。念のためといいつつ、神社の蔵から頑張ってくすねてきたのだろう。
口には出さなかったが、脇差からは血の匂いがした。刃は冷ややかな色をしていた。
「おう……まかせろ」
私は引きつった笑顔でぎこちなくグッドサインを熊石の前で作る。……が、
使えねーーーーーっ! そんな顔すんなよーーーーーーっ!
絶対使わない。熊石の親父さんは1回見た事あるけどガチで怖そうだった。壊したりなどすれば甘く見積もっても殺されるだろう。
「じゃ行くわよーっ!」
里音はもう私たちに背を向けて、遠くを歩いていた。
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道中の里音の情報によれば、火車は、この街にある丘で目撃されることが多いらしい。
その丘は雲降ヶ丘という名前で、丘の頂上に室町時代から建っていると言われている、仰々しい石碑がある。
禍々しい石碑に似つかわしくなく、その丘は昔から子供たちの格好の遊び場となっていて、私が産まれる前から遊具などが設置されて、公園になっている。そのため、とてもそのような悪いものがいるとは考えられなかった。
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「……ここね……」
当たりが夕闇に包まれた頃、ついに私たちは公園に到着した。
里音は公園の入口に仁王立ち、腕を組んで言った。
完走おつかれさまです。
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