第3坑 いつものように
続きです。
制服に着替えた私は足早に食卓へ行く。
おっと……忘れてた。
「姉ちゃーん! もういいよー 」
ガチャッ
「っだぁ! 遅ぉーい! 」
後ろで勢いよく浴室から出てくる姉の声が聞こえる。まだ何か言っているようだけれど、聞こえなーい。それよりもお腹が空いている。
「おはよー」
私は、席に着いている父とキッチンにいる母に言った。
テーブルの上には既に朝食が並べられていた。座ってコーヒーカップを片手にテレビのニュースを見ている父がテレビから視線を離さないまま、
「詔か。今日は早いね」
「昨日は8時から寝てたからね……えへへ……」
私はきまりが悪く、痒くもない頭を二、三度搔いた。
「そういえば、晩ご飯食べてないじゃない! お腹すいたでしょ〜? さぁ、早く座って。今日はみんな大好きなフレンチトーストよっ」
「……うん!」
我が船持家の母は、名前を海という。その名の通り海のような広い心で、包容力がすごい。おばあちゃんレベルの包容力だ。一体どんな育ち方をしたのやら。対して父の和樹は、
「ねぇ、海さん、メープルシロップある?」
「あら! ごめんね和くん! 忘れちゃってて……てへっ」
「んむー……海さん可愛いからゆるす〜」
いやいやいや、自分で探しなさいよ。なんであんた微動だにしないの? 「ゆるす〜」じゃねぇよ!
と言った感じだ。が、結婚20数年でこの調子ということはこんな父親の中にも母親が手離したくない理由があるのだろう。今のところ見当たらないが。まあ、仕事は「人並みちょい上」はできるというのが周囲一致の認識だ。それはさておき、この歳になって両親のこんなやり取りを見るのは最近ようやく子供にとってはキツいことだと知った。私たち姉妹は慣れもあるが、父母共に顔立ちが若く、そこまでの抵抗感がない。
など考えていたら、姉が駆け込んできた。
「やばやばっ! 天音ちゃん来ちゃう!」
天音とは姉の友達の四ツ越 天音さんのことで、隣町に住む名家のお嬢さんだ。毎朝のように磨きあげられた黒い車でわざわざ家まで姉を迎えに来る。運転手の田宮さんはよくテレビで見る「じい」的な存在のダンディーなお爺さんだ。いつもこのくらいになると、
「海月さーん! おはようございます! お迎えですよー!」
ほら来た。天音さんが外から姉を呼ぶ。いつの時代のやり取りだろうか。
「わわわ! いつもより1分早い〜っ! 」
「弁当! ほらっ!」
「ありがと!」
「気をつけて行ってらっしゃいねっ」
「いつも申し訳ないなぁ……田宮さんによろしくなぁ」
「はい! 行ってきまふ!」
「行ってらっ……速っ」
姉は私が言い終える前に、忙しく出ていった。
「あっ! ……ったくちゃっかりしてんなぁ……姉ちゃん……」
私のお皿の上のフレンチトーストが1切れ無くなっていた。
「また不審火か……盆も近いってのに物騒だなぁ……」
「あっ、いけない! 陽和起こさなきゃ! ひーよーりー! 朝よー! 降りてきなさーい!」
ピーッピーッ
「洗濯機終わったわね。和くん悪いんだけど出る前に洗濯物カゴに出しててもらっていい?」
「んはぁい。わかった」
こんないつも通りの音とともに1つ、また1つとメープルシロップに巻かれたフレンチトーストを口へ運ぶ。そろそろバスの時間だから、コップに半分残ったカフェモカを一気に飲み干した。
タッタッタッタッ
「あっ……みこ姉おはよぉ……」
「おはよっ!」
階段で陽和とすれ違う。陽和はまだ眠そうだ。目が開き切ってない。
「よっ……とぉ!」
重いカバンをひょいと背負う。部屋を出る時に机の上に忘れたターコイズの髪飾りを胸ポケットに入れる。そして階段をかけ下りた。
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ガチャッ
いつものように、家の前の道路脇に綺麗な黒い車が停められていて、その横に車を背にして天音が立っていた。
「ごめんごめん! ちょっと寝坊! 」
「あら珍しい……」
天音は「信じられない」と言った目でじっと私の顔を覗く。私と天音は田宮さんが運転席で待つ車に乗り込む。
「船持様、おはようございます。」
「おはようございます! ……っと……田宮さん……敬語はやめてくださいよ〜。私の方が年下ですから……」
このやり取りはもう何年も続いているが、田宮さんはどれだけ打ち解けてもこの姿勢だけは崩さない。どうも年上の人に敬語で話されるのは何だか慣れない。
「まあまあ、ささ、シートベルトをお願いしますよっ! 」
「はい! 」
「忘れ物はありませんか?」
「多分大丈夫です! 」
「ではっ」
車は静かに走り出した。
この生活は3年前に始まった。天音は隣町に住んでいて、私の家の前の道を通って学校へ行く。私は当時、妹の詔と同じようにバス通学で、バス停までの道を歩いた。ある大雨の日、傘が意味ないほどだった。そんな私を見て、天音は私を車に乗せてくれた。天音とは同じクラスだったが、お嬢様なだけあってどうも近寄りがたく、話したことはなかったから、
「ねーーー! あなた3組の海月さんですよねーーーっ! 乗っていかれますかーーー?」
大雨の中、車から顔を真っ赤にしてこっちに呼びかけてくる天音に気づいた時は、どうしていいのか分からなかった。しかし、天音は話すのに慣れていないのだろう、敬語が少し混じっていたり、沈黙があったかと思えば、急に早口で捲し立ててみたりする感じだった。
話す事への努力が、痛いほど伝わった。そんな健気なところが好きになった。話してみると、嗜好は意外と庶民的で、共通の趣味もあったから、仲良くなるまで時間はかからなかった。そんな天音は車に乗った時からずっと私を横からジト目で眺めている。
「なっ……何よ。なにか着いてる? 寝ぐせ? 」
「いやぁ……海月ちゃん……嘘ついてるでしょ」
家族の前でないから、天音の口調は砕けている。
「ん? 嘘?」
「ほらさっき……寝坊って言ったじゃない?その割にはいつも通り起きたような目をしてるじゃない。……お迎えヤになった……? 」
ルームミラーに映る田宮さんが不安な表情をした。
「いやいやいや違うよ、天音は勘がいいなぁ……今日はね、妹が早く起きたの。でさ、普段しないのに朝シャワーなんてしちゃって。シャワーの時間遅れちゃったの」
「そういうことかー……良かったぁ……」
「くすっ」
田宮さん笑い方かわいっ。
田宮さんは慎ましく笑った。
「あっ! 田宮が笑ったぁ!」
顔を赤くして天音が田宮さんを指さして私に告げ口する。
「とっ! とんでもないですよっ! お嬢様っ!」
小学校時代から、田宮さんはの送迎などで、天音の世話をしてきた。だからもうほぼ親みたいな気持ちなんだろう。天音が悲しい時は悲しくなって、嬉しい時は嬉しくて、高校生とはいえ、まだまだ子供な天音が可愛くて仕方ないのだろう。
「妹って、陽和ちゃん?」
「いや、詔だよ」
「あっ! 似てない方か!」
「うん。なんか昨日早く寝てね、早く起きちゃったみたい」
「ふーん。あっ、そういえばさっ……」
色々話している内に学校へ着いた。
車から見送りのために降りようとする田宮さんを止めて、私と天音は車を降りた。
「田宮さん、ありがとうございました!」
「いえいえ、お2人とも、頑張ってきてくださいね」
「うん!」
「はい!」
「あっ、あと、最近ここら辺何かと物騒ですから、帰りもこの辺りでお待ちしておりますね」
田宮さんがこう言うあいだに、天音は1人で先に歩いている。
「はい! ありがとうございます! 天音にも伝えときます! あっ! それとっ……父が、田宮さんによろしく伝えてくれと申していました」
「はい。ありがとうございます。こちらからもよろしくお伝えください」
「はい!」
「海月ーっ! 行くよーっ!」
私は再び車内の田宮さんにお辞儀をすると、先々行く天音を追いかけた。
最後までご覧頂きありがとうございます*_ _)
完走お疲れ様でした✨
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