弱点と決着
アイクは俺の挑発にも表情を崩さず今度はさっきとは打って変わって慎重に、ジリジリと俺との距離を詰めてくる。
俺は泡バリアを維持しながらアイクの攻め手を待ち、カウンターの準備をする。
アイクは体の動きを使わずに水操作だけでじわりじわりと距離をつめ、ついに俺との距離は二メートルを切った。
そして、泡バリアに触れるか触れないかという所まで来ると、さっきと同じように左手を構えたかと思うとその場で静止した。俺はなにか嫌な予感がしたが、攻めに転じる踏ん切りがつかずにその場でアイクの行動を見守るだけになる。
五秒か、十秒か、もっと短いかもしれないしあるいは長いかもしれない。二人とも身じろぎもせずに時間が流れた。俺は次の動作への緊張で体がこわばり、焦れてくる。対してアイクは俺のことを鋭く油断なく眼光で射抜き、俺の動きを牽制する。
アイクが動いた。
両手を前に突き出して俺の泡バリアを真っ向から打ち破ろうと水を勢いよくぶつけてくる。俺はその攻撃に耐えるため、負けじと水流をぶつける。
果たして、やはり水を操る力では俺のほうが勝っていたようで、アイクは作った水流は俺の水流に負けて消え去り、その余波でアイクはやや後退する。
だがアイクは間髪入れずに次の一手を打ってきた。
戦い始めた時のように素早く加速し、水のバリアの周りをぐるぐると三百六十度回りながら泳ぎ始める。
俺は体を回転させてアイクの動きを目で追おうとするが、バリアを維持しながら体を回転させるのは難しく、アイクのスピードに遅れをとってしまい、結果、アイクに後ろを取られてしまう。
アイクは先刻と同様に水流を操作し、俺の背中側から水流をぶつける。何度でも耐えてやると俺は気合を入れる。
が、しかし今回はアイクの水の勢いを相殺しきれずにあっさりとバリアを破られ、体幹がぐらつくような形で態勢を崩された。
アイクはそのまま流れるように背後から俺を追撃し、俺の首を片腕で拘束しつつ、犯人が人質をとるような格好で俺の胸に鋭い刃物のようにとがった鱗を手でもって突きつけた。
「……参った」
俺は完全にやられたなと思って降参を告げた。
アイクはそれを聞いて鱗のナイフを下ろし、俺の拘束を解いた。俺は長時間の水操作と首を拘束されてあがった呼吸を整えてから聞く。
「なんで一回目は防げたのに、二回目は破られたんだ?」
「それはあんたの水操作が満遍ないように見えて、実はそうじゃないからだ。あんたまた両手とヒレだけで水を操作してただろ。ただでさえ背中側っていうのは意識が届きづらくて防御が手薄になるのに、全身で操作してないんじゃ強度が不均等になってなおさら背後の守りは弱くなる」
「あー……なるほど」
そういうからくりだったのか。自分では気付かなかった。全然守れてなかった。これはもっと練習が必要だな。
「それともうひとつ、これは全体的なことだがあんたは敵の行動に対して受け身すぎる。あの技も敵が攻撃しなかったらただ体力を消費するだけだぞ。敵の攻撃を待ってるだけじゃ不利だ。もっと積極的に来い」
「わかりました」
確かにその通りだ。これは俺の性格上の問題もあるかもしれないが、少しずつ直していけるように努力しよう。
「あんたの当面の課題は全身での水操作とそれに耐える体力作り、それと積極性だな。さ、帰るぞ」
「はい!」
説明を終えるとアイクは短くそう言って、元来た方向へと泳ぎ始めた。今回の訓練で俺の課題ははっきりした。明日からきついだろうけど訓練頑張ろう。
「さて、カイトこれから宴が始まる訳だが、気をつけることはなんだと思う?」
アイクはライラの待つ家へと泳ぐ帰り道、こちらを振り返って俺に問いかけた。
「うーん……トラブルを起こさないようにすること?」
「違う!楽しむことだ」
アイクは珍しく、少しおどけたふうに言った。こっちは知らない人魚と会うから緊張してるのに、のんきなものでどうやらアイクもセイレーン様と同じく宴が楽しみなようだ。
「なにがそんなに楽しみなの?」
「酒だ」
少し口角を上げながらアイクは言った。酒か。この世界にも酒はあるんだな。おっさんが酒好きなのは異世界でも同じようだ。人魚族で作っているのだろうか?
「作ってるの?」
「いや、襲ってきた人間の船に積んであったものを奪って持ってきている。こっちは襲われてるんだ、積み荷の一つや二つとっても文句を言われる筋合いはない」
なるほど。確かにそれはそうだ。だが、気になることがある。ここは水の中だ。
「どうやって飲むんだ?そもそもどうやって保管してるんだ?」
「いい質問だ。お前はセイレーン様の住まいを知っているだろう?あそこに水の流れが無いのはセイレーン様がそうなるよう常に操作しているからだ。」
ここまで説明されたところで俺はピンときた。
「あの家の中でセイレーン様の力を借りて、酒樽を水に触れさせずに空気中で保存してるってこと?」
「そういうことだ。温度調節も完璧だ」
なかなかやるな人魚族。しかしセイレーン様の力をとても無駄な所で使っている気がする。これでいいのだろうか。そんなどうでもいい話をしている間に、アイクの家についた。
人魚の家は人魚の何倍もの高さの緑の海藻がそびえて就寝スペースを隠すスタイルになっていて、屋根などはなく座るための岩などが少しあるだけだ。良く言えば開放的だが、俺からするとあけっぴろげすぎて、かなり落ち着かない。
俺とアイクがライラを見に行くとそこには既に目覚めたライラと、俺の知らない初老の女性の人魚が楽しそうに会話していた。
初老の人魚はこちらに気付くと開口一番、怒った表情で怒鳴った。
「コラ!アイク!怪我で寝てる子をほったらかして行くやつがどこにいるんだい!」
「……すまなかった」
その後も初老の人魚はグチグチと文句をしゃべり、アイクはただただ平謝りしていた。それを見てライラはニコニコと笑顔を浮かべている。俺はその輪に入りづらく、その辺でも泳いでこようかと思っていると初老の人魚にアイクへの口調とはまるで違う優しい声で話しかけられた。
「こんにちは、あなたが噂の勇者さんね?」
「こんにちは。初めまして、カイトといいます。」
俺はそう丁寧に返答した。初老の人魚は俺の濃紺のうろこをじっくりと物珍しそうにみた後で孫に語りかけるように優しく言った。
「今日はせっかくの宴だからちゃんと皆に挨拶していらっしゃい」
「わかりました!」
俺はその姿に故郷のおばあちゃんを思い出さずにはいられず、無性に元の世界へと帰りたくなってしまったが、それを表情に出さないよう気をつけながら元気に答えた。
そんな俺達のやりとりを見て、ライラが不思議な顔をしているのに気づいてアイクが困った顔で言った。
「ああ、ライラにはまだ話してなかったな……しかしなんて説明すればいいんだ」
「私が説明するわ」
「……ああ、頼む」
「ライラ、こっちにおいで」
柔らかな面持ちを崩さずに彼女は説明役を買って出た。そろそろとライラは彼女に泳いで近づいていった。彼女はライラをとぐろをまいたヒレの上に乗せ、静かに優しく語りかけた。
「ライラ、シーカはねカイトさんっていう、別のお兄ちゃんに体を貸してあげてるの。だから今は別のところで眠ってるけどそのうち起きるから安心してね」
「シーカほんとにだいじょうぶ?」
「ええ、大丈夫よ」
「……わかった!」
大丈夫という言葉を聞くと、ライラは心配そうな表情から一転して、とても元気に返事をした。俺とアイクは説明がうまく行ったことに胸をなでおろして二人の人魚が仲良さげに話すのをしばらく見ていた。
日が暮れて、明るかった海中が徐々に光のない暗闇の世界になっていく。でも、そんな暗さとは裏腹にライラの表情は明るさに満ち溢れていて、俺まで明るい気分になる。
もうすぐ宴が始まる。